2010年6月29日火曜日

仏教でも「偶然」はありえない。

 昨日は勢いで,つぎは「縁起」について考えてみよう,などと書いてしまったが,じつは後悔している。なぜなら,仏教の中心思想をなす「縁起」について,ブログで書くなどということはとんでもないことだから。つまり,テーマが大きすぎるということ。
 とはいえ,逃げるわけにもいかないので,ブログで書ける程度のことでお許し願うことにしたい。
 「縁起」などということばは,最近の日常会話ではあまり耳にしなくなってしまったので,すでに死語になってしまっているのかもしれない。それでも,「縁起が悪い」とか,「「縁起をかつぐ」などといえば,ああ,あれか,とわかってくれる人も少なくないだろう。ならば,「因縁」と置き換えてみよう。こちらは「因縁対決」とか,「因縁をつける」とか,「ご因縁」といったことばで多少は耳慣れているはず。でも,これらは慣用句として用いられているものであって,「縁起」とか,「因縁」という仏教本来の意味とはいささかずれている。
 では,「縁起」とはなにか。間違えるといけないので,『岩波・仏教辞典』から引用する。
 「仏教の中心思想で,一切のもの(精神的な働きも含む)は種々の因(原因・直接原因)や縁(条件・間接原因)によって生じるという考えを表す。因縁,因果というのも同趣旨である。」
 このあと,時代とともに「縁起」の考え方が次第に変化していく,その経緯が詳しく説明されている。これはこれで追っていくとおもしろいことが多々あるのだが,いまはそのときではないので,ここまでとする。ここで確認しておきたいことは,要するに「縁起」とは,自然界も人間界もひっくるめて「一切のもの」は,すべて「原因」があって,その原因になんらかのかたちでつながる「ご縁」(関係性)があって,「結果」が生じるのだ,という考え方のことを意味するということ。「これあるがゆえにかれあり。これなきがゆえにかれなし」とか,「これ生ずるがゆえにかれ生ず。これ滅するがゆえにかれ滅す」というのが仏教の根幹をなす考え方である。
 わたしなどは,田舎の小さな禅寺で育ったので,子どものころから「縁起」だの「因縁」だの「因果」だのということばは耳にタコができるほど聞かされてきた。いや,お説教されてきた。とりわけ,祖母が厳しい人で,どこかで転んでひざから血を流して帰ってくると,こっぴどく叱られた。苦し紛れに「たまたま転んだだけだ」といいわけをすると,さらに厳しく「それは違う。すべてはご因縁だ。仏さまがお前に罰を与えたのだ。お前がどこかで悪さをしたに違いない。因果応報というものだ」という調子であった。だから,「偶然」などというものは「ありえない」と子どものときから叩き込まれてきた。まあ,わたしの場合は特別だったかもしれないが,近所の大人たちのいうことも,基本的にはおなじだったように記憶する。ということは,わたしとおなじ世代の人たちは,「偶然」ということにたいしてあまり「信」をおいていない,と考えていいかもしれない。
 では,「偶然」ということはありえないのか,というとそうではない。
 ここで「どんでん返し」をするつもりはないが,わたしは以下のように考えている。
 キリスト教にしろ,仏教にしろ,その宗教上の教義は,前近代の社会を生きる人間にとっては,近代社会の「法律」に代わるひとつの「規律」を示していたのだろう,と。つまり,法律のない時代にあっては,悪いことをする人間の「歯止め」として,宗教がその役割をはたしていたのだろう,と。だから,「たまたまそうなったのだ」という「偶然」を装ういいわけを許すことはできなかったに違いない,と。だから,ひとつの考え方として,宗教的には「偶然」というものは存在しない,と教え諭したのだろう,と。
 で,ここからがじつは重要なところ。人間は,自分の理性で考えて納得のできないことは「神さま」のせいにしたり,「縁起」のせいにしたりして,一応の納得(気持ちの整理)をしてきたのではないか。つまり,自分の力の及ばざるところの問題は,すべて「まったき他者」(神,縁起,超越,など)にゆだねて,それなりの「折り合い」のつけ方をしてきたのではないか。別の言い方をすれば,「苦しいときの神頼み」ということになろう。この「他者」に身(自己)をゆだねる,というところにカイヨワのいう「偶然」(アレア)を考える重要な鍵がある,とわたしは考えている。
 たとえば,ルーレット。1から36までの数字に0を加えて,全部で37枠(アメリカでは,00が加わるので38枠)。つまり,確率論でいえば,37分の1の確率で当たることになる(ただし,0は親のアドバンデージ)。で,ルーレットの方法論(戦術など)については省略することにして,いろいろに考えた上で,いずれかの数字に賭けることになる。作戦を考えるところまでは,自己の問題である。しかし,賭けが決まってチップを乗せたあとは,もはや,自己の出番はない。どうするか。運を天にまかすしかない。つまりは「神頼み」。自己を放棄して他者にすがるのみ。この自己の枠組みの<外>に自己を投げ出すこと。
 この構造は,信仰の世界に踏み込むこととそっくりではないか。つまり,「偶然」という賭け事に身をゆだねるということは,「神さま・仏さま」に身を投げ出すのとおなじだということ。もっと言ってしまえば,神さまも仏さまも「偶然」の賭け事を認めて(許して)はくれないということはわかっているのだから,「偶然」に身をゆだねるということは,もっともっと孤独な,虚無の世界に身をゆだねるにも等しい経験となる。
 禅的にいえば,百尺竿頭一歩を出,という経験にも等しい。そこは,バタイユ的にいえば,「非-知」の世界であり,「エクスターズ」の世界とほとんど違わない,とわたしは考えている(厳密にいうと,違うらしい)。カイヨワの思考はこのあたりまで伸びていて,その上で,「偶然」(アレア)の問題を遊びの4つのカテゴリーの1つとして位置づけている,とわたしは考える。
 できることなら,このつづきを書いてみたい。とりあえず,今夜はここまで。
 

2010年6月28日月曜日

「偶然」とはなにか。

 昨日にひきつづき,泥縄勉強で「偶然」のことを考えている。今日は,しばらく前に読んだ『偶然のチカラ』(植島啓司著,集英社新書)を思い出し,再読してみた。
 正直に告白しておけば,植島啓司さんの書く本が好きで,本屋さんで見つけると迷わず購入して,せっせと読んできた。肩書をみると,宗教人類学者とある。しかも,ミルチャ・エリアーデのもとで勉強したという経歴もある。だから,という言い方も変だが,なんとなく「なるほどなぁ」と納得してしまうところがある。つまり,ふつうの人の視点とはいささか異なるのである。言ってしまえば,視野が広く,思考が柔軟なのである。しかも,時折,意表をつく発想がキラリと光る。しかも,その思考の中心には「宗教」という磐石の基盤がある。そこが,わたしなどにはたまらない魅力にみえる。
 最近のものでは,『世界遺産・神々の眠る「熊野」を歩く』(2009年,集英社新書ヴィジュアル版)が,わたしのこころをとりこにした。読み終わったら,なにがなんでもこの地を歩く,自分の眼でみて,空気を吸って,皮膚で感じて,「じかに」確かめる,と自分に言い聞かせていた。ことしの夏休みにはなんとか時間をつくってでかけてみようと計画している。
 この本の伏線になっているのが『聖地の想像力』(集英社,2000年)。こういう本を読むと「聖なるもの」のふるさとが少しずつ具体的なイメージとなって,脳裏に浮かぶようになる。科学万能の時代にあるといわれながらも,いまも,「聖なるもの」への畏敬の念は少しも衰えてはいないということがよくわかる。ついでに挙げておけば,『天使のささやき』(人文書院,1993年)というのもあって,宗教人類学のしなやかな思考の面目躍如をまのあたりにすることができる。この勢いで書いておけば,『男が女になる病気』とか,『性愛奥義』とか,『「頭がよい」ってなんだろう』とか,まあ,この人の守備範囲の広さはなみではない。
 というところで,「偶然」。
 このテクストの冒頭で,植島さんは,「偶然」とはなにかというもっとも基本的な設問をした上で,つぎのように書く。
 西洋では,古代ギリシア・ローマの因果論的説明に加えて,16世紀あたりから「偶然」を予想したいという風潮が起こり,17世紀以降の確率論の展開へと結びついていきました。東洋でも,釈迦の入滅を機に,物事がいかにして起こり,いかにして他の物事の原因となっていったのかを主題とする考え方が生まれ,それが後になって淘汰され,さらに大きな因果性の枠組みで捉えられないかという発想も生まれてきました。いつかすべては明らかになるのでしょうか。それとも,未来に起こることは永遠にわからないままなのでしょうか。
 という具合にして,まずは,西洋と東洋の「偶然」についてのとらえ方,対応の仕方の違いを提示する。そして,「偶然」の問題は,いつかはすべて明らかになるのか,それとも永遠にわからないままなのか,と投げかけている。このように問題設定をした上で,その謎解きにとりかかる。とても,わかりやすくて説得力のある内容が展開されていく。
 こうした植島さんの議論を下敷きにしながら,私見もふくめて,「偶然」という概念のおおきな枠組みを確認しておきたいとおもう。
 さきの引用文にもあるように,「偶然」ということが西洋で話題になるのは16世紀あたりから,ということのようだ。もともと,キリスト教的に考えれば,「偶然」ということはありえないことで,すべては神のご意志によるものだ,ということになる。天地創造から自然界の摂理にいたるまですべては神のなせるわざであり,人間の世界に起こるさまざまなできごともまた神のご意志によるものだ,と考えられている。これが基本にある。
 だから,いま,展開されているサッカーのW杯でも,キリスト教文化圏の選手たちは,ゴールが決まると,必ず「十字を切る」。つまり,うまくゴールが決まったのも神のお蔭である。だから,まずは,神に感謝する。この人たちにとって「偶然」はありえない。もし,考えられないようなスーパープレイが生まれたときには,「神が降臨した」とかれらは考える。それは「奇跡」ではあっても,「偶然」ではない。あくまでも「必然」なのである。
 おもしろいことに,古代ギリシアの多神教の世界にあっても,自然界や人間界を支配しているのは神々である,と考えられていた。だから,古代オリンピア祭で行われた祭典競技(古代オリンピック競技会)での勝ち負けは,すべて神々の意志によるものと考えられていた。したがって,競技のはじまる前は,ゼウスの神殿の前で,盛大な供犠(牛を犠牲に捧げる)が行われ,神々から特別の「力」を授けられるよう真剣に祈ったという。ここでも「偶然」はありえない,と考えられていた。
 しかし,古代キリシアにあっても,ソクラテスやプラトンやアリストテレスなどの哲学者が活躍する時代になると,人間の理性による「因果論」的な説明に,少しずつ「信」の比重が移動していく。つまり,人間の頭で考えて,納得のいく「因果」関係を明らかにしよう,という方向に移っていく。それでもなお,因果関係を説明できない「偶然」というものがしだいに注目されるようになり,16世紀にはそれを「予測」することに大きな関心が寄せられる。そして,17世紀に入ると,それを「確率論」で説明する人たちが登場する。そのなかの一人にパスカルがいる。
 話は少しだけ飛躍するが,この「確率論」をとことん精度を高めていけば,「運」や「偶然」はすべて説明できると信じた人にラプラスがいる。いわゆる人間の知性に対する「全能」信仰のさきがけである。のちの科学者たちが「ラプラスの悪魔」と名づけたのは,この「全能」神話のことである。つまり,そんなことはありえない,と19世紀の科学者たちは考えたのである。しかし,この「ラプラスの悪魔」は,いま,科学万能主義の勢いに押されてフルに活躍していると言っていいだろう。そして,この「全能主義」に酔っている人たちの「理性」は,いまや,「狂気」と化している,と西谷修は警告を発している(『理性の探求』)。
 この傾向は,いま行われているサッカーW杯で展開されているゲームのスカウティング理論にまで,根強く浸透している。つまり,勝つための「確率論」の徹底である。こうして,サッカーもまた勝利至上主義に支配されることになる。まさに,「ラプラスの悪魔」が狂喜乱舞しているということだ。それに真向から異を唱えているのが今福龍太氏である(詳しくは『ブラジルのホモ・ルーデンス』を参照のこと)。
 このあたりで,このブログは一旦,終わりにしておこう。
 そして,最後にもう一度,「偶然」とはなにか,という問いを発して。
 ついでに,仏教的コスモロジーでは「縁起」ということばで,因果関係の説明がなされていて,ここにも「偶然」という考え方は存在しない。「縁起」がめぐりめぐって「罰が当たる」という考え方である。このあたりのことは,明日のブログで,考えてみることにしよう。
 

2010年6月27日日曜日

カイヨワの「偶然」(アレア)という概念をどのように考えるか。

 内々に進めているWebマガジンの創刊号の編集長さんから「遊びを遊ぶ」という特集を組むので,カイヨワの設定した四つのカテゴリーのなかの一つ「偶然」(アレア)について,最近,考えていることを書いてくれという依頼があった。
 今月末が締め切りだったことを思い出して,あわてて,まずはカイヨワの復習にとりかかった。いまは,まことに便利な時代で,インターネットを使えばかなりのことは泥縄式とはいえ,情報が集まる。もちろん,そこに展開されている情報は玉石混淆なので,よほどきびしい眼でチェックを入れないと,ガサネタをつかまされることになる。それを覚悟で,まずは,「カイヨワ」で検索をかけてみる。なるほど,お粗末な,みるも恥ずかしい,それでいてもっともらしいカイヨワ解説がいくつも登場する。そんななかにピカリと光る情報がみつかる。
 よし,これだ,とばかりに読みはじめる。松岡正剛の『千夜千冊』で,カイヨワの『斜線』がとりあげられている。そこからはじまって,例によって松岡さんの蘊蓄が展開されていく。終わりまで読むと,ひととおり,カイヨワの書いた著書がほとんど全部,紹介されている。しかも,松岡流の読解が,もののみごとに展開している。ありがたき幸せである。
 これを読みながら,そのむかしホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を岸野雄三先生のゼミで読んだことを思い出す。まだ,田舎からでてきたばかりの純粋無垢の若者は,人間の遊びについての,こんな知の世界があることにびっくり仰天したものだ。そして,岸野先生の一言一句に,真剣に耳を傾けるようになる。ここで,わたしの本の読み方の基本が身についたようにおもう。
 それからしばらくしたころ,カイヨワの『遊びと人間』が話題となり,スポーツ社会学の人たちが盛んにこの本を引用しながら,もっともらしい遊戯論を展開した時代があった。しかし,それはまことにうすっぺらい議論に終始していた。なぜなら,カイヨワの思想の根っこにあるものが理解できていなかったからである。その傾向はいまも残っていて,時折,カイヨワを振りかざして「遊び」論を展開するスポーツ学関連の人を見かける。
 こんにちでは,カイヨワの主な著作はほとんど日本語で読むことができる。これらを全部読破してから,もう一度,カイヨワの「遊戯論」を点検することが,これからの研究者には要求される。しかし,それに挑むスポーツ学関係者は皆無に等しい。情けないかぎりではある。かく申すわたしも,その集団のひとりなのだから,あまり偉そうなことは言えない。わたしにも責任がある。
 そういう反省に立ちながら,少しだけ言い訳をさせてもらうことにしよう。
 カイヨワとバタイユの親近性については,わたしはこれまでのバタイユ読解や関連の解説書をとおして,いくらかは理解しているつもりである。たとえば,シュール・レアリスム運動との距離のとり方は,同調しつつ批判するという点で,この両者はほぼ足並みをそろえている。そして,その後,「社会学研究会」を結成して,二人が中心的な役割をはたしていたことも知っている。その一つの成果が,カイヨワの『聖なるものの社会学』である。バタイユでいえば,『呪われた部分 有用性の限界』であり,『宗教の理論』であり,『エロチシズム』であり・・・・という具合にほぼ全面展開していく。カイヨワの「聖なるもの」の根っこにはマルセル・モースがある。学生時代のカイヨワは,マルセル・モースの講義に熱中したという。そして,モースを手がかりにして,それまでの社会学の「有用性」の枠組みの<外>に飛び出す思考を手にいれることができた,といわれている。
 つまり,「聖なるもの」を思考の原点におくという点では,カイヨワとバタイユは重なるものを多くもっている,といってよいだろう。それは,繰り返すまでもなく,マルセル・モースが『贈与論』のなかで展開したポトラッチであり,供犠の問題であり,有用性とはまるで無縁の人と人との関係性の問題である。とりわけ,バタイユはアステカの「人身供犠」の含みもつ「聖なるもの」に注目する。その原点をさらにさぐっていくと,ヒトが人間になる,そのプロセスで起こった「存在不安」にゆきつく。わたしは,いま,ここに「スポーツ的なるもの」の発生基盤を求めつつある。
 話は一足飛びに現実にもどるが,さて,カイヨワのいう「偶然」(アレア)とはなにか。カイヨワやバタイユのいう「聖なるもの」の地平から「偶然」の問題を考えるとどうなるのか。内在性のなかに生きていたヒトにとって「偶然」とはなにか。別の言い方をすれば,野生に生きる動物たちにとって「偶然」とはなにか。「存在不安」に苛まれることのない「内在性」のなかに生きている動物たちにとって「偶然」はもはやなんの意味ももたないことになろう。
 だとすれば,「偶然」などという概念が誕生し,成立するのは,いつからなのか。古代に生きた人間にとっては「偶然」は,神々の意志による「必然」だったのではなかったか。ギリシア神話の世界に「偶然」という概念をみとどけることはほとんど困難である。むしろ,それは,すべて神々の意志の表出であり,「必然」であると人びとは受け止めていた,と考えた方がわかりやすい。つまり,「聖なるもの」が人間の世界を支配していた,と言っていいだろう。日本の古代世界も同じだ。古代人のコスモロジーは世界共通だ。
 では,いつから「偶然」という概念が成立することになるのか。「神は死んだ」(ニーチェ)あとのことか。ヨーロッパ近代の合理主義の産物なのか。科学で説明のできないことはすべて,ひとまず「偶然」という入れ物のなかに収めて,自己中心の近代人として,あるいは,理性的人間として,みずからを納得させているにすぎないのか。
 いやいやとんでもないところまできてしまった。少し,頭を冷やして,この問題を考えてみることにしよう。そうしないと,依頼された原稿が書けなくなってしまう。あるいは,これをこのまま提出しようか。迷いに迷う思考の現場をそのままさらけ出して・・・・。それも一興か。
 ならば,このつづきを,もう少し考えなくてはなるまい。自分で自分の宿題をつくってしまっている。お笑いものだ。でも,現実はこんなものなのである。 

2010年6月26日土曜日

「コメント」の設定を変更しました。

 いつもブログをご覧くださり,ありがとうございます。
 まだ,不慣れなものですから,読者のみなさんには,いろいろとご迷惑をおかけしています。少しずつ不具合を修正していこうとおもっていますので,コメントに書き込みをして,不具合の具体的な事例を教えてください。テクニカル的にできないこともあるかもしれませんが,可能なかぎり,きちんと修正をしたいと考えています。なお,わたしのメール・アドレスをご存じの方は,直接,メールでお知らせくださっても結構です。
 今回の修正は以下のとおりです。
 「コメント」のしばりをはずして,だれでも「匿名」でコメントを書き込むことができる,に設定を変更しました。つまり,コメントをオープンにした,ということです。もし,なにかの都合で不具合が生じましたら,その時点で考える,ということにしました。ですので,みなさん,お気がねなく感想などお聞かせくださることを期待しています。もちろん,悪意を感じた場合には,削除させていただきます。が,みなさんで楽しく盛り上げようという趣旨のコメントであれば,多少,おふざけがあってもいいのではないかとおもっています。
 以上が,コメントの設定変更の内容です。
 つぎに,「読者になる」の仕組みが少しわかりましたので,お知らせします。
 「読者」の登録には,かなり詳しい個人情報の書き込みが必要になっていますが,この個人情報はブロバイダー以外はだれもみることはできません。わたしも,自分自身のものすらみることはできません。すべて,ブロバイダーが管理しています。ここの部分は完璧にブロバイダーが管理しているという次第です。
 「読者」登録を済ませますと,メンバーとなります。このメンバー同士は,「読者になる」の窓を開いて,そこでお互いにメールを交換することができます。もちろん,相手のアドレスも送信するこちらのアドレスも一切わかりません。その間をとりもつブロバイダーのアドレスがわかるだけです。もう,ご存じのとおり,わたし自身も「読者」になり,メンバー登録をしましたので,これをつかって「inamasa」さんにメールを送信してみました。きちんと届いていました。不思議な感じではありますが・・・。
 コメントしてくださった方には,できるだけ応答するよう努力したいとかんがえています。が,公開のコメントで応答するにはかぎりがあります。で,どうしても個人的な感想もふくめて応答したい場合には,このメンバー同士のメール交換のシステムをつかって応答したいとおもっています。
 というわけですので,どうぞ,みなさん,安心して「読者」登録をすませて,メンバーになってくださるようお願いいたします。

2010年6月25日金曜日

健康法・好きなことをしているのが一番。

 健康診断の時期がやってきた。ことしもどうしようかと思案中。昨年も一昨年もやめた。リタイアしてからは定期健康診断を拒否している。
 大学に勤めている間は,強制的に受けなければならなかった。とくに,伝染性の病気は学生さんに感染させる危険があるので,法律で健康診断が義務づけられている。こちらはレントゲン撮影だけなので,簡単そのもの。他の検査項目もそれほどいやなわけではない。が,どうしてもいやなものが「胃の検査」。あのバリウムを飲むやつだ。あれだけは,むかしからいやだった。なぜなら,わたしの特異体質の一つだろうとおもうのだが,あれをやると三日間は便がなくなる。ようするに,糞詰まりになる。そうして,四日目くらいになって,ようやくカリカリに固まった石灰がでてくる。これがまた耐えられないほど痛い。ときには出血もする。しかも,一度にたくさんでてくるわけではなく,ほんの少しずつ,何回にも分けてでてくる。そのたびに泣いている。この難行苦行をへて,ようやく旧に復するにはほぼ一週間がかかる。
 このことを受診するたびに,担当のお医者さんに訴える。そうすると,少し多めに下剤を飲みましょう,と言って下剤をたくさんくれる。しかし,そんなものが効いたためしがない。あるときからは,最近の下剤は効きすぎるので,飲んだあとはしばらく研究室で待機しているように,といわれる。しかし,わたしの胃袋君はなんのその。待てど暮らせど,なんの音沙汰もない。そして,そのあとに間違いなく難行苦行がやってくる。
 それが理由で,リタイアしてからは健康診断そのものを拒否している。そのせいか,きわめて快調である。気分爽快,やる気満々。やりたいことが山ほど待ち構えている。それを考えてみるだけで胸がドキドキしてくる。嬉しくて仕方がないのである。それをうけてからだも全身が喜んでいるのがわかる。からだのどこもが嬉々としている。それがわかる。これが嬉しい。
 リタイアするとはこんなにいいことだったのだと知る。むかしから「すまじきものは宮仕え」という。そのとおりだとおもう。24時間がわたしの自由になる。ときには,いやな仕事もしなければならないこともあるが,ほとんどはわたしの自由になる。大学に勤めている間は,半分は楽しかったが,半分はほんとうにいやだった。終わりのころは「登校拒否」をしていたくらいだ。その理由は,ことばの通じない「偉い先生」が多すぎるから。学生さん,院生さんは,わたしのことばを,わからなくともわかろうとしてくれる。しかし,「偉い先生」がたは,わたしがなにかいうと「そんなことはないでしょう」と一笑に付して終わり。会話が成り立たない。ストレスがたまるばかり。
 いまは,そのような牢獄から解放され,ほんとうに晴々とした気分で,毎日を過ごすことができる。こんなにありがたいことはない。そして,やはり,健康の維持には「好きなことをしているのが一番」とこころの底からおもうようになっている。
 そうおもっていたら,昨日の朝日の夕刊に,小児科医・毛利子来さんの「人生の贈りもの」というコラムがあり,とてもいいことが書いてあって感動した。写真も載っているのだが,わたしよりも若々しくみえる。そんなはずはないが・・・とおもって年齢を確かめてみたら,なんと80歳。まだ,50代の半ばくらいのお顔である。いい人生を過ごしている人の顔は違う。後ろめたさがまったくない。すがすがしいのである。それが写真をみただけでも伝わってくる。この人の談話のなかに,つぎのようなくだりがある。
 薬はなるべく使いたくない。薬よりも,好きなことするほうがよほど体にいいと思うからです。大学時代,見学に行った結核療養所の医者曰く,「いちばん治りがいいのは看護婦と仲良くなった患者,夜な夜な病室でこっそりマージャンするのも治る。無理して安静に寝ているより元気が出る」。
 こころの底からそうおもう。目の前にいらっしゃったら,わたしなどは飛びついてハグハグしたくなってしまう。「好きなことをしているのが一番」ですよね,と。
 最近多くなってきていると聞く「検査の数値だけをみて患者の顔をみない」お医者さんに聞かせてあげたい,としみじみおもう。
 また,つぎのようにもおっしゃる。
 医療の膨張にそろそろブレーキをかける時期ですね。カナダ,米国,イギリスなどでは政府の研究班が健康診断の有効性の評価をして,「尿検査はあまり意味がない」といった結果が出ています。日本でも少し見直しがありましたが,まだ多すぎる。検査して数値が出ると科学的と思い込まされてしまう。このへんで少し立ち止まって,きちんと吟味すべきだと思いますね。
 しばらく前に「健康診断医」という肩書の名刺をくださった女医さんがいて,おもわず「なにをするお医者さんですか」と聞いてしまった。企業の社員さんたちの健康診断を専門に担当している,とのお答え。「ああ,じゃあ,病人は診ないんだ」と言ったらいやな顔をされてしまった。その人は新宿のビルの上階部分にオフィスを構え,企業の社長さんたちを相手に華やかな社交界を飛び回り,高額所得者としても有名ですよ,と教えてくれた人がいる。
 健康診断という,このことじたいはまことに結構なことで,反対のしようがない立派な制度である。母胎にいるときから,死ぬまで,人間の健康を監視してくれる制度そのものはありがたいことではある。しかし,過剰になったり,信仰になったり,あるいは,妙な権威主義になったりしてしまうと,これまた困りものである。
 医療は大事だが,そこに寄り掛かりすぎているわたしたち自身が,もう一度,「からだの声を聞く」「食べたいものを食べる」「飲みたいものを飲む」「眠りたいときには眠る」「好きなことをする」といった,原点に立ち返って考え直すことが必要な時期にきているとおもう。
 小児科医の毛利さんの書かれる本はむかしから好きで,これまでにもたくさん読んできた。そんな本のなかに,来院する子どもたちと遊ぶときが一番幸せで,それがわたしの治療の基本です,そして,それがわたしの若さを維持するための良薬です,とあった。予防注射(インフルエンザワクチン)もあまり信用できない,薬はなるべく使いたくない,というお医者さん。いまどき,子どもと一緒に遊んでくれる小児科のお医者さんなんて聞いたことがない。でも,小児科に関していえば,これが「医」の原点なのだろうなぁ,とおもう。
 帯津良一先生をはじめ,名医といわれる人たちの「医療」行為には,どこかみんな通じるものがあるし,おっしゃっていることにも含蓄がある。つまり,情愛があり,思想があり,哲学がある。
 わたしたちももっと賢くなって,偏差値は高いが情愛も思想も哲学もないお医者さんを敬遠するくらいの智恵をつけるべきだとおもう。患者が賢くならないと「医」のレベル(臨床)は上がらない。
 これは,スポーツ愛好家がスポーツをみる眼を養わないと,スポーツのレベルは上がってこないのと同じである。ただ,勝ち負けだけで一喜一憂している,いわゆる勝利至上主義から脱出しないかぎり文化としてのスポーツのレベルは上がらないのと同じだ。
 まずは,自分のからだは自分で守る。そのためには,まずは,可能なかぎり「好きなことをする」。その時間を増やす。その努力をする。寸暇を惜しんでも「好きなことはする」。これが一番。

 

2010年6月24日木曜日

ブログ・ページの構成について

 ブログをこちらに移して,とにかくスタートを切ったものの,このブログの構造がどういうものになっているのか,さっぱりわからず,昨日・今日と二日間にわたってパソコンのキーをあちこちさわりまくってみました。
 親しい友人からメールで,「読者になる」とはどういうことか,と問い合わせがあっても応答できず・・・。情けないかぎりです。これではいけないと考え,とにかく,あちこち開いたり閉じたりしながら,ひたすら勉強をしてみました。ようやくにして,おぼろげながら,このブログの構造が少しだけみえてきましたので,報告をさせてもらいます。
 まず,「読者になる」ということの意味について。これは,このブログの読者のメンバーになるということで,そのメリットは以下のとおりです。①ブログにコメントを入れる資格を取得する。つまり,コメントを入れるには,このメンバー登録をすることが必要です。それ以外の人からのコメントは排除する仕組みになっています。②コメントをいただいた場合に,わたしの方から,公開で応答したくない場合には,この「読者になる」の登録から,そのままメールを送信することができるということ。③読者になるのメンバーに向けて,わたしの方からなんらかの特別の情報を提供することができること。④つまり,内輪の「お友達」グループが形成され,その人たち同志の情報交換も可能である,ということ。⑤この他にも,このシステムを活用すれば,いろいろのことができるなぁ,と想像しています。
 ただし,「読者になる」のページを開いてみると,かなり詳しい個人情報を書き込まなくてはならないので,これがすべて公開されてしまうのはいやだなぁ,とおもってしまいます。わたしも,そうおもって躊躇してしまいましたが,ものはためしだとばかりに登録をしてみました。そうしたら,ハンドル・ネームの「inamasa」だけが表にでてくるだけだ,ということがわかりました。このハンドル・ネームはもっと抽象的な名前をつけても大丈夫なようです。
 というわけですので,みなさんふるって「読者になる」に登録してみてください。そのうち,お互い同志でおもしろい情報交換をはじめたいとおもっていますので,楽しみにしていてください。また,登録をしたメンバーの方からのアイディアで,なにかをはじめることも可能です。ただし,悪質ないたずらをされた場合には,ブロバイダーとわたしとの間で,コントロールさせていただきます。最悪の場合にはシャット・アウトさせていただきます。
 つぎは,コメントについて。こちらも,裏の仕掛けをチェックしてみましたら,①だれでもコメントできる,②メンバーのみコメントできる,③コメントをプールしておいて,わたしが許可したコメントだけを公開にする,という三つの選択肢がありました。いろいろ考えた末に,②を選択させていただきました。ですから,コメントを入れる場合には,メンバー登録が必要というわけです。
 つぎは,左上にある「共有」ボタンの意味について。これは,このブログを複数の人で共有して,その仲間であれば,だれでも投稿ができる,というシステムです。とりあえず,このブログはわたしの個人のブログとして展開させていただきます。が,もし,要望があれば,この「共有」のシステムを活かしたもう一つのブログを開設して楽しんでみてもいいかなぁ,と考えています。もし,この点についてご要望がありましたら,お知らせください。
 その右側にある「不正行為を報告」というボタンは,このブログに適切でない記述があった場合に,読者からブロバイダーに「不正行為」として報告することができる,というシステムです。ということは,読者のサイドからもこのブログを管理することができる,というわけです。ですから,わたしは相当に注意をして,文章を書いていないと,逆につるし上げられてしまう,という次第です。ある意味では,双方向的なシステムになっている,と考えてよいようです。
 最後に「次のブログ」というボタンがあります。ここは,驚いたことに,アニメから音楽,映画,その他のアミューズメント関係の情報が満載です。暇な折には,ここを開いて,手あたり次第に音楽のさわりの部分を聞いたり,映像を楽しんだり・・・することができるようになっています。わたしのブログへの,ここの活用の仕方は,現段階では,わたしには理解できません。たぶん,なにかうまい活用の仕方があるのではないか,といまは想像しています。だれか知っている人がいたら,教えてくださるととても助かります。
 以上が,ブログの表にでているボタンの意味やら,機能の話です。それも,現段階でわたしが理解できている範囲でのことにかぎられます。おそらく,もっともっと,いろいろの機能が含まれていて,それらをフルに活用するともっとブログがおもしろくなってくるのだろうなぁ,といまは想像するのみです。
 たったこれだけのことに丸二日もかかっているのですから,お粗末としかいいようがありません。が,わたしにしては,よくぞここまでがんばったものだと,みずから感心しています。もっとも,これからの道楽をひろげていくには,そのくらいの努力はしなくてはいけない,とみずからに言い聞かせているところです。
 以上,ご報告まで。

2010年6月22日火曜日

十牛図の「空円相」と「内在性」の関係について

 このところ『十牛図』(上田閑照・柳田聖山著,ちくま学芸文庫)のことが気がかりになってきて,時間をみつけては読み返している。とりわけ,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』でいうところの「内在性」との関係がどうなっているのか,そこのところが知りたい一心で。
 『十牛図』については,いつか,まとめて(連載のようなかたちで),わたしなりの解釈を提示してみたいとおもっている。したがって,ここではあまり深入りはしないで,ごく簡単な説明だけにとどめておく。一般的には,禅の修行を10段階に分けて,悟りに至るまでのステップを図示したものだ,といわれている。しかし,第一図の尋牛から第七図の忘牛存人までは,たしかに修行の段階を図示したものではあるのだが,第八図の人牛倶忘から第十図の入〇(字が出せない)垂手(にってんすいしゅ)までは,必ずしも悟りの段階ではない,と上田閑照は説明する。そこが,じつは,この『十牛図』を理解するための最大のポイントでもある,と上田閑照は強調する。ここを説明するためにこそ,あえて「自己の現象学」というサブ・タイトルをつけて,文庫本で約170ページにわたって懇切丁寧に論考を深めていく。その意味では,とても優れた解説書になっている。というよりは,上田閑照は「十牛図」を手がかりにしてみずからの思想・哲学を開陳したものというべきであろう。力作である。
 で,今日,問題にしたいのは,第八図の人牛倶忘=空円相をどのように理解すればいいのか,ということである。これもごく簡単に説明しておくと,第八図は,ただ大きな円が描かれているだけで,なにも無いのである。タイトルは,人牛倶忘。つまり,人も牛もともに忘れ,なにも無くなるということ。人(自己)も牛(真の自己)も両方とも消えてしまって,無になる,ということ。すなわち,絶対無。「自己ならざる自己」も消えてしまう,すなわち「自己なし」も消えてしまい,ほんとうになにも無い。無も無い,という意味での絶対無。
 この絶対無というものが存在するとすれば(存在すると考えること事態が矛盾であるのだが),それは,バタイユのいう「内在性」のなかに溶け込んでしまうことではないか,とわたしなりに考えていた。つまり,「水の中に水があるように存在すること」,すなわち,他者なる水のなかに自己なる水を混ぜてしまうと,みんな同じ水となって,自他の区別がつかなくなる,「自己なし」の状態になる。その「自己なし」の水が蒸発してしまえば,なにも無くなる。そこが絶対無の「場」ではないか(この「場」については,また,いつか詳しく説明することとする),と。
 したがって,禅の修行とは自己を無と化すこと,つまり,「自己ならざる自己」(=「自己なし」)となり,その「自己なし」をも無と化す,すなわち,絶対無に至るための道であるとすれば,それはバタイユのいう「内在性」に回帰することと同じではないか,とわたしは考えていた。もっと言ってしまえば,バタイユの「エクスターズ」や「非-知」の位相は,禅のいう「無」とほとんど同じではないか,と。だから,「十牛図」のいう「空円相」はバタイユのいう「内在性」と同じではないか,と。極論してしまえば,禅の修行とは,「内在性」回帰の道ではないか,ということになる。
 しかし,今回,もう一度,この『十牛図』を丁寧に読み返してみたら,それは違うということがわかってきた。さて,それをどのように説明したらいいのか,この段階ではやや手詰まり状態にある。なぜなら,第九図の返本還源(へんぽんげんげん)の読解によって明らかになってくるからだ。したがって,ここは一旦終わりにして,明日,この第九図「返本還源」を取り上げながら,その「違い」に挑戦してみたいとおもう。
 ついでに付記しておけば,なにゆえに,こんなややこしい議論を取り上げ,考えようとしているのかということだ。もう,勘の鋭い人にはおわかりいただけるとおもうが,ヨーロッパ起源のスポーツと日本の武術の起源との決定的な違いがこのあたりにあるのではないかという仮説が一つと,もう一つの仮説は,人間の存在不安の感じ方,および,それに対する対処の仕方の違いもこのあたりにあるのではないか,というものである。したがって,わたしにとっては,なにがなんでもここを通過する必要がある。ここをうまく説明できるようになると,また,一つ違う新たな知の地平が開けてくるのではないか,とわたしは期待している次第。したがって,こんごもこの種のモチーフの論考が何回もでてくることは必定。その際には,ああ,こういう問題意識が根底にあったな,と理解していただければ幸いである。
 どうか,みなさんも一緒にお考えいただき,いいアイディアがありましたらご教示くださるとありがたいと思います。よろしくお願いします。

2010年6月21日月曜日

「からだ」の記憶ということ。

 あじさいの花が,路地を歩いているとここかしこでいまを盛りとばかりに咲いている。梅雨どきを代表する花として子どものころから馴染んできた。
 花言葉によれば,「七変化」するという理由で「移り気」だそうだが,それは「紫陽花」に対して失礼というものだろう。こんなに立派な名前なのだから。子どものころ育った禅寺の境内にも,比較的大きなあじさいの一株があって,少しずつ変化する花の色を楽しんだ記憶がある。連日の雨にうんざりしながら,空を見上げ,早く外にでて遊びたいとはやる気持ちを抑えていたことを思い出す。本堂のすぐ西側にあるあじさいの花を,上から見下ろすことができたので,それはなかなかみごとな咲きぶりであった。
 いまから思い返すと,わたしが馴染んだあじさいは野生種に近かったせいか,じつにいろいろの色に変化した。はじめは黄緑色のガクが開きはじめ,それが次第に白に変わり,少しずつ青みがかってくる。この青が次第に個性を発揮して,徐々に青の色を増していく。こんなに青くなるのかと思うほど青くなると,やがて,色あせたような間の抜けたような青になり,こんどは紫がかってくる。しかし,この紫はあまり強く自己主張することもなく過ぎ去り,こんどは赤みがかってくる。が,この赤もそんなには赤くなることもなく,色あせていく。最後は,薄い赤とも紫ともいえないような曖昧な色を残して,しおれていく。しおれた最後は茶色になって,落花する。
 こんな話を友人にしたら,そんなことはないだろう,と一笑に付されてしまった。そして,おそらく,二株か三株,一緒に植わっていて,それぞれの花をみていたんだろう,という。そんなにいろいろな色に変化するはずはない,という。そういわれてみれば,いつもの鷺沼から事務所まであるく路地に咲くあじさいは,白なら白,青なら青,紫は紫で,あまり変化しないようにも見受けられる。あまりに悔しいので,事典で調べてみた。そうしたら,最近では西洋系の改良種が中心で,むかしながらの日本のあじさいはすっかり陰をひそめてしまった,とある。ことしは,じっくりとその色の変化がありやいなやを見届けようとおもっている。
 しかし,わたしにとっての,記憶のなかのあじさいは上記のとおりであって,みじんだにゆらぎはしない。それは科学的にいくら説明されても,わたしの記憶は変化しない。それがわたしにとっての真実なのだから。どんなことがあっても,この記憶を間違いだとはしたくない。できるはずもない。しかも,子どものころの記憶を訂正することなどあってはならない。とまあ,みずからを慰めている次第。
 なにゆえに,こんなことに拘っているのかといわれそうなので,少しばかり本音を吐き出しておこう。わたしたちの記憶はからだに刻まれるものだ,とわたしは考えている。いまも,そう考えている。しかし,そのむかし,記憶は脳に収められているのであって,脳はからだではない,という人に出会ったことがある。脳は知的・精神的活動を司るところであって,からだとは別物である,というのである。わたしは,脳も立派なからだの一部であって,それ以外ではない,と主張。この当時のわたしの脳の知識は,時実利彦さんの『脳の話』(岩波新書)からえたものでしかなかったが・・・。とうとう最後まで平行線のままで終わった記憶がある。このときの議論の記憶がよみがえるときには,なぜか,あじさいの花が思い浮かび,じめじめした空気が肌にふれている感覚と一緒だ。たしかに記憶装置としては脳が中心になって受け持っているのは確かだが,それだけだろうか,とわたしはいつも考えてきた。とりわけ,スポーツで鍛えたからだの記憶は,脳のそれにも匹敵する,と。
 たとえば,もっとも単純な歩くという運動。いわゆる歩行運動。もちろん,脳との連携が必要であることは否定のしようもない。しかし,からだに叩き込まれた筋肉組織の「自動化」という機能が大きな役割をはたしていることも明らかだ。それは,たとえば,オートポイエーシスの理論がさらに進化して,「第四領域」などまで提示され,最近になってますます重視されるようになっている。それよりもはるかにむかし,『ダーウィンよ,さようなら』という本を書いた牧野尚彦さんが,進化論のパラダイムをシフトする発想から,きわめて面白い事例を(自分の体験談として)紹介している。それは,毎日の通勤で通る大阪の梅田駅構内にある移動するエスカレーターが,ある日,故障して止まっていた。自分の意識としては「止まっている」ということを承知でそこに一歩を踏み入れたところ,からだが前につんのめってしまった,という。どうしてこういうことが起こるのか,ほとんど丸一日考えていた。帰路も同じエスカレーターが止まったままだったので,こんどこそ,と強く意識して「止まっているのだから,ふつうに歩けばいい」と脳から命令を出したにもかかわらず,朝と同じことが起こってしまった,というのである。ここから,牧野さんの,独創的な思考がはじまる。その結論は,歩行運動の大半は,脳ではなく,全身の筋肉のなかに「自動化」という記憶装置があって,それによってコントロールされている,という。
 これを読んだときに,わたしの中にあった疑問が一気に解消した。たとえば,わたしは器械体操なるものを若いころにやっていた。だから,いまでも「倒立」は,なにも考えることなくできる。つまり,完全な「自動化」がなされた運動であるので,からだが勝手に判断し,勝手に動く。脳で考えるまでもなく自動的にコントロールされているのである。トップ・アスリートとは,この「自動化」の極限を究めた人たちのことである。だから,ふつうでは考えられないようなスーパー・プレイを難なくこなしてしまう。人びとが感動するのは,そういう場面に立ち会ったときである。いま,行われているサッカーW杯に人びとの関心が引きつけられるのは,まさに,「神の降臨」に立ち会いたいからだ。
 さて,こんな話になるとは夢にもおもっていなかったが,そろそろ結論を。あじさいの花の「七変化」の記憶は,わたしの全身に刻まれた記憶であって,それはもはや「自動化」をはたしている。だから,これを修正しようとしても,それは無理難題というものである。しかも,からだに刻まれた記憶こそが「真実」そのものである,と。いささか牽強付会のそしりを免れぬかもしれないが・・・・。でも,わたしは固く信じているのである。これがなかったら生きてはいけなくなる。わたしにとっての「真実」。

2010年6月20日日曜日

大相撲名古屋場所は見送るべし。

鷺沼の駅前のクチナシの花がいま盛りを迎え,芳香を放っている。道行く人が,ときおり,立ちどまって匂いを嗅いでいる。わたしもその中の一人。若い人がなにごとかという顔をして振り返っていく。
わずかに数本しかないクチナシだが,毎年,楽しみにしている。駅前の雑踏のなかに,こういう木が植わっているのがいい。しかも手入れがいいのが,とても元気。ことしも少し大きめの白い花をたくさん咲かせている。行きと帰り,一日に二度,楽しませてくれる。ほんのつかのまなれど,至福のとき。
さて,世の中,サッカーW杯で盛り上がっているかとおもえば,一方で,大相撲の野球賭博問題が連日のように大問題となりつつある。サッカーのことについては,少し落ち着いてから書くとして,今回は,それどころではない大相撲の野球賭博問題に焦点をあててみたいとおもう。
書き出すと際限がなくなりそうなので,まずは,結論から入ろう。間近に迫ってはいるが,名古屋場所は,日本相撲協会全体で謹慎し,休場とすべし。日本相撲協会の協会員はおよそ1000人という。親方衆,力士,行司,呼び出し,床山,など総勢でほぼ1000人。それ以外にも,場所を支える茶屋の人びとをはじめ,仕出屋さんから,裏方さんをふくめるととんでもない人数になるだろう。しかし,この人たちも全部ひっくるめて,野球賭博に手を染めた人は少なからずいる,と聞く。今回は,協会員の自己申告(厳重注意で済ませるという約束のもと)だけで,野球賭博に手を染めた者が29名もいた,という。しかし,これは氷山の一角だ,とも聞く(一つひとつニュース・ソースを明記すべきかとおもうが割愛)。この際,もう一度,徹底的に,協会員全員を対象に聞き取り調査をすべきであろう。そのためには膨大な時間を必要とする。が,それを躊躇してはならないだろう。なぜなら,この自己申告をした者だけを対象に調査委員会が踏み込んでいくとすれば,おそらく,大問題が生ずるとおもわれるからだ。つまり,正直に自己申告した者だけが厳罰を受けて,黙っていた者がすりぬける,という事態がおこりかねないからだ。正直者がバカをみることになる。そんなことが許されてよいわけがない。
日本相撲協会は,29名の名前を公表することを徹底して避けている。これを公表したら大変なことが起きることを知っているからだ。つまり,まだ他にもいる,という内部告発が起きることを。これがはじまったら,日本相撲協会はもはや立ち行かなくなるだろう。なぜなら,親方衆をはじめ,協会員のほとんどの人間は,野球賭博が行われていた事実を知っているはずだから。しかも,長い歴史をもっているはずだ。もはや,がんじがらめの状態になっている,と多くの識者は推測している。だから,内密に29名の処分をして,つまり,トカゲの尻尾切りをして,なんとかやりすごそうとしているようにみえる。これまでもそうであった。が,今回ばかりはそうはいくまい。理事長が声を大にして発言したように「徹底的にウミを出す」ことが先決だ。その理事長の部屋の力士(雅山)もまた「賭け事」に手を出していたと申告している,というのだからはじまらない。
真実が全部明るみにでてきたら,おそらく,日本相撲協会は一度,解散して,0(ゼロ)からスタートし直さなくてはならなくなるだろう。そのくらいの覚悟が迫られている。だから,とりあえずは,名古屋場所をお休みにして,日本相撲協会の協会員全員が謹慎して,こんごのあり方を考え直すべきではないか。いまから,名古屋場所をお休みにすれば,莫大な損益がでることは必定だ。その損益を日本相撲協会の協会員全員で負担するくらいの覚悟が求められている。そのくらいの強い姿勢を示さないことには,「なあなあ」「まあまあ」体質は直るまい。協会員が賭博に手を染めると,こういうことになるという事実を残すことが,なによりの教訓となろう。
朝青龍を引退にまで追い込んだ責任問題もある。横綱の品格を問題にし,国技を振りかざした日本相撲協会が,この体たらくである。こんどの野球賭博の疑惑にくらべたら,朝青龍問題などは「小さい」「小さい」不祥事にすぎない。以前に処分した「3場所出場停止」を,ひとつの判例として考えてみれば,今回の処分を,みずからの処分をどうすべきかおのずから明らかになろう。琴光喜の名古屋場所出場辞退などは笑止千万というべきだ。親方衆も相当数が「出場停止」処分となるとすれば,もはや,なにをかいわんやである。
わたしの推測では,モンゴル政府も(ということは,モンゴル国民の多くも)強い関心をもって事態の推移を見守っているだろう,とおもう。幕内力士の約半数はモンゴル出身力士だ。この人たちの身の保全を考えるのはモンゴル政府としては当然のことだ。今回の事態の収め方いかんによっては,朝青龍問題が国際問題として再燃しかねない。すでに,相当に大きな不満が渦巻いていると聞く。いまは国会議員として活躍している元旭鷲山は,すくなくとも力士の内部事情や悪弊には詳しいはずだ。しかも,かなり長い間,力士として活躍していたのだから。また,現役のモンゴル出身力士からの情報もいくらでも手に入るはずだ。
10月には朝青龍の引退相撲が行われるという。
このときに,日本相撲協会はどのような状態になっているのか,わたしは不安でいっぱいである。考えるだけで,ドキドキしてくる。よもや・・・,まさか・・・,やはり・・・,えっ・・・,のいずれの答えが待っているのだろうか。大相撲ファンとしては複雑な気持ちである。

2010年6月19日土曜日

「21世紀スポーツ文化研究所」のホームページについて。

まだ,不慣れなために悪戦苦闘しています。
少しずつ環境を整備していこうと思っていますので,よろしくお願いいたします。
さて,前のメールで「21世紀スポーツ文化研究所」(略称「ISC・21」)を2008年4月に立ち上げたことを書きました。そして,そこのホームページもありますのでご覧ください,と書きました。が,肝腎のホームページのアドレスを書き忘れていました。以下のとおりですので,よろしくお願いいたします。
http://www.isc21.jp
もう丸2年以上も経過していますが,ホームページそのものは未完成で,あちこち穴だらけですが,なんとか必要最小限の情報だけは更新していますので,ご覧ください。まもなく完成して,すべてが軌道に乗る予定です。
現在の「ISC・21」の主たる活動は,年に一回の研究所紀要『IPHIGENEIA』の刊行,毎月一回(原則として)東京・名古屋・大阪・神戸・奈良のいずれかに巡回しながら研究会を開催,あとは臨時に講演会やワークショップを開催,といったところです。いま,Webマガジンを発行してみようと計画中(季刊雑誌として)。
研究所の研究員にはだれでもなることができます。ただし,広義のスポーツ文化論をまじめに研究したいという情熱をもっていることが前提です。そして,研究活動はすべて自弁,無給が条件です。もちろん,身元のわからない人はお断りです。現在のところは,4人の世話人とわたしとで,いろいろ相談しながら研究所の運営にたずさわっています。できることなら,共同研究のプロジェクトを立ち上げて,単行本の出版にまでこぎ着けることができれば・・・と念じているところです。
この研究所の件に関してなにかご質問がありましたら,「書き込み」をしてみてください。可能なかぎり応答すべく努力します。
取り急ぎ,「ISC・21」のご案内まで。

ブログ開設のご挨拶

丸2年,つづけてきたブログを,ある事情があってこちらに移すことにしました。初めてご覧になられる方,そして,以前から引きつづきご覧いただける方,どうぞよろしくお願いいたします。
初めての方のためにかんたんな自己紹介をさせていただきます。
名前は稲垣正浩。2008年4月より「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)の開設にともない,主幹研究員として,スポーツ史・スポーツ文化論を中心に研究活動を展開しています。最近では,「スポーツ史家」という肩書で若干の評論活動も行っています。
大きなテーマは「スポーツとはなにか」。この答えを,歴史や哲学を軸にして考えてみよう,という次第です。「スポーツとはなにか」と問うことは,「人間とはなにか」と問うことだ,と考えています。ですから,いつも,スポーツを考えながら人間を考えている,というのが正直なところです。
最近では,スポーツの起源に強い関心をもって,その謎解きに挑戦しています。その一部は,『スポーツ史研究』(スポーツ史学会,第23号,2010年3月)に総説論文として掲載されています。まだ,ご覧でない方は,ぜひ,読んでみてください。タイトルは,「スポーツ」とはなにか──スポーツ史研究のための新たな理論仮説の提示,です。この論文のポイントは,人間がヒトから離脱して人間となる,つまり,動物性の世界から人間性の世界に移行する,そのときの存在不安を解消するための儀礼として考案された供犠・祝祭が,スポーツの起源と密接に結びついていたのではないか,という仮説を提示することにあります。もし,この仮説が正しいとすれば,スポーツの概念が,これまでのものとはまったく別のものに変化してしまいます。当然のことながら,いま,わたしたちが考えているスポーツの意味は,スポーツという文化の表層に浮かぶ徒花でしかない,ということになってしまいます。ですから,こういう発想の理論的根拠を明確にすること,そして,そのような発想で「スポーツの歴史」を再構築するとどうなるのか,というのがいまのわたしの最大の関心事であります。
というわけで,このブログも,「スポーツとはなにか」「人間とはなにか」と日々わたしが考えることのフラグメントが中心になります。ついでに触れておきますと,オーソドックスな思想・哲学・歴史だけではなく,宗教,とりわけ仏教,なかでも禅の思想をも取り込んで,スポーツ・人間の問題を考えるというスタイルが,わたしの特徴といっていいかもしれません。もちろん,ブログですので,それ以外のわたしにとってのその日その日の新しい発見や感動も抑えがたく登場することになるでしょう。できれば,こんにち展開しているスポーツに対する「批評」にも手を伸ばしていきたい,と考えています。それは,いわゆる「スポーツ評論」ではなくて,「スポーツ批評」をめざすものです。
以上で,とりあえず,ブログ開設のご挨拶とさせていただきます。
どうぞ,末永く,お付き合いくださいますよう,お願いいたします。また,気楽に「書き込み」などしていただけるありがたいとおもっています。よろしくお願いいたします。
なお,これまでのブログをご覧になりたい方は,しばらくは,そのまま掲載しておきますのでチェックしてみてください。「稲垣正浩Web」で検索するとでてきます。ついでに,「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)のホームページもご覧いただけると幸いです。こちらには,毎月開催している研究会の日程や,研究会報告も掲載されていますので,ご覧ください。
以上,ご挨拶まで。