2010年6月19日土曜日

ブログ開設のご挨拶

丸2年,つづけてきたブログを,ある事情があってこちらに移すことにしました。初めてご覧になられる方,そして,以前から引きつづきご覧いただける方,どうぞよろしくお願いいたします。
初めての方のためにかんたんな自己紹介をさせていただきます。
名前は稲垣正浩。2008年4月より「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)の開設にともない,主幹研究員として,スポーツ史・スポーツ文化論を中心に研究活動を展開しています。最近では,「スポーツ史家」という肩書で若干の評論活動も行っています。
大きなテーマは「スポーツとはなにか」。この答えを,歴史や哲学を軸にして考えてみよう,という次第です。「スポーツとはなにか」と問うことは,「人間とはなにか」と問うことだ,と考えています。ですから,いつも,スポーツを考えながら人間を考えている,というのが正直なところです。
最近では,スポーツの起源に強い関心をもって,その謎解きに挑戦しています。その一部は,『スポーツ史研究』(スポーツ史学会,第23号,2010年3月)に総説論文として掲載されています。まだ,ご覧でない方は,ぜひ,読んでみてください。タイトルは,「スポーツ」とはなにか──スポーツ史研究のための新たな理論仮説の提示,です。この論文のポイントは,人間がヒトから離脱して人間となる,つまり,動物性の世界から人間性の世界に移行する,そのときの存在不安を解消するための儀礼として考案された供犠・祝祭が,スポーツの起源と密接に結びついていたのではないか,という仮説を提示することにあります。もし,この仮説が正しいとすれば,スポーツの概念が,これまでのものとはまったく別のものに変化してしまいます。当然のことながら,いま,わたしたちが考えているスポーツの意味は,スポーツという文化の表層に浮かぶ徒花でしかない,ということになってしまいます。ですから,こういう発想の理論的根拠を明確にすること,そして,そのような発想で「スポーツの歴史」を再構築するとどうなるのか,というのがいまのわたしの最大の関心事であります。
というわけで,このブログも,「スポーツとはなにか」「人間とはなにか」と日々わたしが考えることのフラグメントが中心になります。ついでに触れておきますと,オーソドックスな思想・哲学・歴史だけではなく,宗教,とりわけ仏教,なかでも禅の思想をも取り込んで,スポーツ・人間の問題を考えるというスタイルが,わたしの特徴といっていいかもしれません。もちろん,ブログですので,それ以外のわたしにとってのその日その日の新しい発見や感動も抑えがたく登場することになるでしょう。できれば,こんにち展開しているスポーツに対する「批評」にも手を伸ばしていきたい,と考えています。それは,いわゆる「スポーツ評論」ではなくて,「スポーツ批評」をめざすものです。
以上で,とりあえず,ブログ開設のご挨拶とさせていただきます。
どうぞ,末永く,お付き合いくださいますよう,お願いいたします。また,気楽に「書き込み」などしていただけるありがたいとおもっています。よろしくお願いいたします。
なお,これまでのブログをご覧になりたい方は,しばらくは,そのまま掲載しておきますのでチェックしてみてください。「稲垣正浩Web」で検索するとでてきます。ついでに,「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)のホームページもご覧いただけると幸いです。こちらには,毎月開催している研究会の日程や,研究会報告も掲載されていますので,ご覧ください。
以上,ご挨拶まで。

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