2010年6月25日金曜日

健康法・好きなことをしているのが一番。

 健康診断の時期がやってきた。ことしもどうしようかと思案中。昨年も一昨年もやめた。リタイアしてからは定期健康診断を拒否している。
 大学に勤めている間は,強制的に受けなければならなかった。とくに,伝染性の病気は学生さんに感染させる危険があるので,法律で健康診断が義務づけられている。こちらはレントゲン撮影だけなので,簡単そのもの。他の検査項目もそれほどいやなわけではない。が,どうしてもいやなものが「胃の検査」。あのバリウムを飲むやつだ。あれだけは,むかしからいやだった。なぜなら,わたしの特異体質の一つだろうとおもうのだが,あれをやると三日間は便がなくなる。ようするに,糞詰まりになる。そうして,四日目くらいになって,ようやくカリカリに固まった石灰がでてくる。これがまた耐えられないほど痛い。ときには出血もする。しかも,一度にたくさんでてくるわけではなく,ほんの少しずつ,何回にも分けてでてくる。そのたびに泣いている。この難行苦行をへて,ようやく旧に復するにはほぼ一週間がかかる。
 このことを受診するたびに,担当のお医者さんに訴える。そうすると,少し多めに下剤を飲みましょう,と言って下剤をたくさんくれる。しかし,そんなものが効いたためしがない。あるときからは,最近の下剤は効きすぎるので,飲んだあとはしばらく研究室で待機しているように,といわれる。しかし,わたしの胃袋君はなんのその。待てど暮らせど,なんの音沙汰もない。そして,そのあとに間違いなく難行苦行がやってくる。
 それが理由で,リタイアしてからは健康診断そのものを拒否している。そのせいか,きわめて快調である。気分爽快,やる気満々。やりたいことが山ほど待ち構えている。それを考えてみるだけで胸がドキドキしてくる。嬉しくて仕方がないのである。それをうけてからだも全身が喜んでいるのがわかる。からだのどこもが嬉々としている。それがわかる。これが嬉しい。
 リタイアするとはこんなにいいことだったのだと知る。むかしから「すまじきものは宮仕え」という。そのとおりだとおもう。24時間がわたしの自由になる。ときには,いやな仕事もしなければならないこともあるが,ほとんどはわたしの自由になる。大学に勤めている間は,半分は楽しかったが,半分はほんとうにいやだった。終わりのころは「登校拒否」をしていたくらいだ。その理由は,ことばの通じない「偉い先生」が多すぎるから。学生さん,院生さんは,わたしのことばを,わからなくともわかろうとしてくれる。しかし,「偉い先生」がたは,わたしがなにかいうと「そんなことはないでしょう」と一笑に付して終わり。会話が成り立たない。ストレスがたまるばかり。
 いまは,そのような牢獄から解放され,ほんとうに晴々とした気分で,毎日を過ごすことができる。こんなにありがたいことはない。そして,やはり,健康の維持には「好きなことをしているのが一番」とこころの底からおもうようになっている。
 そうおもっていたら,昨日の朝日の夕刊に,小児科医・毛利子来さんの「人生の贈りもの」というコラムがあり,とてもいいことが書いてあって感動した。写真も載っているのだが,わたしよりも若々しくみえる。そんなはずはないが・・・とおもって年齢を確かめてみたら,なんと80歳。まだ,50代の半ばくらいのお顔である。いい人生を過ごしている人の顔は違う。後ろめたさがまったくない。すがすがしいのである。それが写真をみただけでも伝わってくる。この人の談話のなかに,つぎのようなくだりがある。
 薬はなるべく使いたくない。薬よりも,好きなことするほうがよほど体にいいと思うからです。大学時代,見学に行った結核療養所の医者曰く,「いちばん治りがいいのは看護婦と仲良くなった患者,夜な夜な病室でこっそりマージャンするのも治る。無理して安静に寝ているより元気が出る」。
 こころの底からそうおもう。目の前にいらっしゃったら,わたしなどは飛びついてハグハグしたくなってしまう。「好きなことをしているのが一番」ですよね,と。
 最近多くなってきていると聞く「検査の数値だけをみて患者の顔をみない」お医者さんに聞かせてあげたい,としみじみおもう。
 また,つぎのようにもおっしゃる。
 医療の膨張にそろそろブレーキをかける時期ですね。カナダ,米国,イギリスなどでは政府の研究班が健康診断の有効性の評価をして,「尿検査はあまり意味がない」といった結果が出ています。日本でも少し見直しがありましたが,まだ多すぎる。検査して数値が出ると科学的と思い込まされてしまう。このへんで少し立ち止まって,きちんと吟味すべきだと思いますね。
 しばらく前に「健康診断医」という肩書の名刺をくださった女医さんがいて,おもわず「なにをするお医者さんですか」と聞いてしまった。企業の社員さんたちの健康診断を専門に担当している,とのお答え。「ああ,じゃあ,病人は診ないんだ」と言ったらいやな顔をされてしまった。その人は新宿のビルの上階部分にオフィスを構え,企業の社長さんたちを相手に華やかな社交界を飛び回り,高額所得者としても有名ですよ,と教えてくれた人がいる。
 健康診断という,このことじたいはまことに結構なことで,反対のしようがない立派な制度である。母胎にいるときから,死ぬまで,人間の健康を監視してくれる制度そのものはありがたいことではある。しかし,過剰になったり,信仰になったり,あるいは,妙な権威主義になったりしてしまうと,これまた困りものである。
 医療は大事だが,そこに寄り掛かりすぎているわたしたち自身が,もう一度,「からだの声を聞く」「食べたいものを食べる」「飲みたいものを飲む」「眠りたいときには眠る」「好きなことをする」といった,原点に立ち返って考え直すことが必要な時期にきているとおもう。
 小児科医の毛利さんの書かれる本はむかしから好きで,これまでにもたくさん読んできた。そんな本のなかに,来院する子どもたちと遊ぶときが一番幸せで,それがわたしの治療の基本です,そして,それがわたしの若さを維持するための良薬です,とあった。予防注射(インフルエンザワクチン)もあまり信用できない,薬はなるべく使いたくない,というお医者さん。いまどき,子どもと一緒に遊んでくれる小児科のお医者さんなんて聞いたことがない。でも,小児科に関していえば,これが「医」の原点なのだろうなぁ,とおもう。
 帯津良一先生をはじめ,名医といわれる人たちの「医療」行為には,どこかみんな通じるものがあるし,おっしゃっていることにも含蓄がある。つまり,情愛があり,思想があり,哲学がある。
 わたしたちももっと賢くなって,偏差値は高いが情愛も思想も哲学もないお医者さんを敬遠するくらいの智恵をつけるべきだとおもう。患者が賢くならないと「医」のレベル(臨床)は上がらない。
 これは,スポーツ愛好家がスポーツをみる眼を養わないと,スポーツのレベルは上がってこないのと同じである。ただ,勝ち負けだけで一喜一憂している,いわゆる勝利至上主義から脱出しないかぎり文化としてのスポーツのレベルは上がらないのと同じだ。
 まずは,自分のからだは自分で守る。そのためには,まずは,可能なかぎり「好きなことをする」。その時間を増やす。その努力をする。寸暇を惜しんでも「好きなことはする」。これが一番。

 

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