2010年7月14日水曜日

竹内敏晴さんとマルチン・ブーバーと禅の思想の関係について

 上田閑照の『十牛図』の読解のなかで,マルチン・ブーバーが登場するとは夢にもおもっていなかった。だから,正直言って,驚いた。しかし,わたしにとっては「恩寵」そのものであった。
 時間が経過するのは早いもので,竹内さんをお見送りしてもう一年が経過する。あんなにお元気だった竹内さんが病魔におそわれるやいなや,あっという間のお別れとなってしまった。まさか,と半信半疑だったので,三鷹公演でお会いしたときも「わたしたちとのお約束がありますので,それを果たすためにも早くお元気になってください」などと,いま考えてみるとなんと呑気なことを言っていたのだろうか,と反省することしきりである。竹内さんは,やさしく手を握り,精一杯の笑顔で「ありがとう,ありがとう」と繰り返された。それから一週間も・・・・。
 そんなことを思い出しながら,上田閑照の『十牛図』と格闘しながら,このブログを書きつづけている。なんだか,竹内さんに背中を押されているような気がしてくる。なぜなら,このブログを書きながら,わたし自身の思考に激震が走っているからである。とりわけ,このテクストのなかにマルチン・ブーバーの『我と汝』が取り上げられていることを知ってからは,何回も何回も,このテクストを読み返すことになり,そのつどわたしの脳細胞は生まれ変わりつづけている。このテクストに寄り添いつつ,もっとオーバーに言ってしまえば,第一図から第七図までのように,なるほど,なるほどとわかったつもりになっていると,必ず第八図の空円相の「絶対無」の世界の前に立って,百尺竿頭から一歩も踏み出すことができず,そのまま突き返されてしまうのだ。そのつど「大死」することを夢見るものの,果たせず,また,第一図から出直しである。そのお蔭で,わたしの脳細胞は,そのたびに生まれ変わっていくのがよくわかった。いまは,もう「大死」などという分不相応な夢はみないことにして,「如是」の側に身を寄せながら,わかったふりをすることにしている。それでも,本を開くたびに,最近はわたしの全身に激震が走る。快感である。竹内さんからの「恩寵」ではないか,となんとなくそうおもう。ありがたいことである。
 はからずも前置きが長くなってしまった。さきを急ごう。
 でも,もう少しだけ前置きを。
 竹内敏晴さんを囲む会で,何回もお聞きしたことばの一つに,マルチン・ブーバーの『我と汝』との出会いが,わたしのワークショップの重要な原点の一つになっている,というものがある。そのつど,帰ってきては岩波文庫の『我と汝・対話』(植田重雄訳)を開くのだが,こちらにレディネスがないものだから,この世界に入っていけない。情けないなぁ,とおもいながら。もう一つは,禅の思想についてのお話をちらりとされる。わたしも育ちの関係で(禅寺で育つ),禅については耳学問も多少はある。本もいくらかは読んでいる。その話に割って入りたいのだが,竹内さんがお考えのレベルは深くて重い。つまり,竹内さんはみずからの実践に裏打ちされた理論のみを信ずる,という姿勢を提示されるので,生半可な知識では「対話」が成立しないのである。でも,なんとか,禅の問題こそは理論武装して,有効な対話の「ツッコミ」をしたいと考えていた。それも果たせないまま終わってしまった。残念の極みである。
 そのころ,わたしはジョルジュ・バタイユの本にのめり込んでいて,とりわけ,バタイユの「恍惚」ともいわれる「エクスターズ」の概念をめぐる問題を竹内さんに投げつづけていた。竹内さんはとても謙虚に「ぼくはあまりきちんとは読んではいないけれども」とおっしゃりながらも,ぎりぎりの言説でわたしを挑発してくださった。もちろん,応答できないところまでも。でも,わたしの知りたかったことは,竹内さんのおっしゃる「じか」に触れるというレッスンが,バタイユの「エクスターズ」とどこかでつながっているのではないか,ということだった。わたしは,さらに,話を広げて,ハイデッガーの「エクスターゼ」(脱自・脱存)の問題を提示するのだが,うまく説明ができない。でも,竹内さんは,このあたりからは上手に話を拾ってくださって,面白いねぇ,一緒に考えてみようよ,ところで・・・・,という具合に話は進んだ。
 こんな話を書きはじめたら,どこまで行っても本題には入れない。このあとは,本題に入るための要約で済ますことにしよう。
 「竹内敏晴さんを囲む会」は全部で4回ほど,名古屋で開催され,つぎにまたやりましょう,という話になっていたところで終わってしまった。この4回ほどのお話をとおして,わたしの頭のなかに強く印象づけられたことは以下のようである。
 竹内さんの思考の一番深いところには,どう考えても禅の思想がある。「じか」に触れるレッスンの原点は,禅の思想に違いない(これはわたしの勝手な理解と直感)。しかし,宗教的な神秘主義の考え方を理論化したものは,竹内レッスンでは用いたくはない。もっと,普遍的な,正統派の哲学・思想に裏付けされた理論を用いるべきだ。そのために,メルロ・ポンティを相当深く読み込んだりされ,ここからも多くのヒントをえている,とこれはご本人の弁。そんな折に,マルチン・ブーバーの『我と汝・対話』(第一刷,1979年)が岩波文庫として刊行され,これは面白いとおもった,とのこと。以後,このマルチン・ブーバーの『我と汝・対話』を縦糸にして,竹内レッスンの構想が少しずつ組み立てられていくことになったようだ。竹内さんのことだから,どの理論もすべて,実践の場で確認しながら,きめ細かく修正をほどこしながら進められたに違いない。現に,いまも,毎回,レッスンが終わると反省することばかりだよ,とおっしゃってらした。レッスンは「生きもの」だから,一度だって,同じことはできないんだよね,とも。毎回,毎回,真剣勝負。
 この姿勢が,わたしには禅僧の修行にみえたし,果てしなき「平常底」に向き合っていらっしゃるようにみえた。わたしの推測では,若いころに弓道の道を究めようとされたそのころに,たぶん,禅との出会いがあったのだろう,と。そして,竹内さんのことだから,徹底して,禅の修行もされたことがあるのではないか,と。だから,禅の深い境地(絶対無,場所的自己,など)で触れられた「じか」の経験を,ことばのレッスンをとおして,あるいは,からだのレッスンをとおして,あるいはまた,両方合わせたレッスンをとおして,普遍化することはできないだろうか,と考えられたのではなかったか,と。そこに登場したのが,マルチン・ブーバーの『汝と我・対話』というテクストだったのだろう,と。こんな推測もやりはじめるとエンドレスになる。
 というようなわけで,上田閑照の『十牛図』が奇縁となって,マルチン・ブーバーの『我と汝・対話』と再会することとなった。不思議なことに,こんどは,なぜか,マルチン・ブーバーの世界がわたしのからだのなかにすんなりと入ってくる。これは,どう考えても竹内さんが導いてくださっているに違いない。それが嬉しくて,ついつい,前置きが長くなってしまった。
 今回はとりあえず,ここまでとし,次回には本題に入ることを・・・・。(つづく)

 というわけで,
 

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