2010年9月8日水曜日

野見宿禰と当麻蹴速の「決闘」の話を再検討してみる。

 野見宿禰と当麻蹴速の間で繰り広げられた「決闘」の話は,日本人であればたいていの人が知っている。しかも,これが「相撲の祖」として,一般に語りつがれていることも。
 しかし,この話,典拠となっている『日本書紀』の該当部分をよくよく読んでみると,野見宿禰は当麻蹴速を蹴り殺しているのである。昨日のブログで書いた話は,まずは,手と手を取り合って力競べをしている。そして「つかみひしぎて投げはなって」いる。こちらは,いくらかこんにちの相撲のイメージに近いものがあるが,野見宿禰と当麻蹴速の相撲はお互いに蹴りあって,蹴り殺してしまっている。いわゆる「決闘」である。このことが,ずっと以前から,なんとなく釈然としないまま,こんにちにいたっている。
 しかし,舟橋聖一は『相撲記』のなかで,とても面白い話を紹介している。それは,杉浦重剛の解釈である。「倫理御進講草案」というもので,そのなかに以下のような記述がある,という。
 「我が国の遊技にして,外国に類例無きものは,相撲を以て最も著るしと為す,故に世人之を日本の国技と称す。
 太古より武人が其の力量を角することは無きにしもあらざりしが,相撲道の祖としては一般に野見宿禰を推す。宿禰は出雲国の産にして垂仁天皇の御世の勇士なり。当時当麻蹴速といふものありて,強力無双,能く角を毀き,〇を申(の)べたり。天下我に敵するものなしと傲語す。
 天皇之を聞召され,出雲国より宿禰を召して,蹴速と力を角せしむ。両人相向って立ち,互に足を挙げて蹴合ひたるに,宿禰遂に勝ちて,蹴速を蹴殺し了りぬ。
 天皇大に宿禰の勇力を称し蹴速の所領を収めて,悉く之を宿禰に下し賜はりぬ。
 是れ相撲道の濫〇なり。爾後朝廷に於ても相撲(すまひ)の節会(せちえ)を設けらるることありて,之を奨励せられたり。(以下略)」(倫理御進講草案,第一学年序説第十二篇中の第十一より)
 杉浦重剛といっても,いまの人たちにはとんとなんのことやらわからないという人が多いかもしれない。簡単に触れておけば,明治・大正の時代に,日本の国粋主義者としてその名をとどろかせた論客である。読売・朝日の論説を書いていた時代もあり,各方面で大きな影響を及ぼした人物である。この人物が,昭和天皇や,その兄弟である秩父宮,髙松宮,両親王に帝王学の一環として「倫理」を進講した,その「草案」が上記の引用文献である。
 こうした背景はともかくとして,杉浦重剛も,「互に足を挙げ蹴合ひたるに,宿禰遂に勝ちて,蹴速を蹴殺し了りぬ」と述べている点に注目したいのである。つまり,「手」が登場しないのである。『日本書紀』の原文を読んでみても,「手」はひとこともでてこない。互いに蹴り合って,「足」で「蹴り殺した」とあるのみ。これを,なんの疑問もなく「相撲」と断定して,「相撲の祖」としている。しかも,「之を日本の国技と称す」とまで言っているのである。
 この杉浦重剛の文章を引用した上で,舟橋聖一もまた,「蹴速は,脇骨をふみさかれ,腰をふみくじかれて,遂に死んでしまったというのであるから,まさに死生を賭した,壮絶凄絶の一番勝負であったことが想像される」と述べている。「ふみさかれ」「ふみくじかれ」て死んだということは,「手」はつかってはいないと判断することができ,もっぱら「足」で勝負がつけられている,と推測することができる。これが「相撲の祖」であり,「相撲道」の原風景なのである。
 昨日の「国ゆずりの相撲」といい,今日の「決闘」といい,「手」で勝負をしたり,「足」で勝負をしたりしていて,言ってしまえば,「なんでもあり」の,「ルール」なき闘いである。生死を超越した格闘技,それが日本の国技といわれる相撲の原風景なのである。この原風景は,たとえば,古代ギリシアの神話のなかにもしばしば登場する「レスリングをして相手を殺した」という話と,まったく変わらない。おそらく,世界中のあらゆるところの古い「格闘技」は,こうした「決闘」であったのではないか,とわたしは類推している。
 にもかかわらず,舟橋聖一は,杉浦重剛の「我が国の遊技にして,外国に類例無きものは,相撲を以て最も著るしと為す,故に世人之を日本の国技と称す」という文章をそのまま紹介している。そこには,なんの疑念もない。それどころか,ごく当然のように歩調を合わせるかのようにして,ほとんど同じ立場に立って,このテクストの文章を展開している。
 こういう話をそのまま垂れ流しにしてしまうと,こんどは相撲は人殺しの技だったのだ,というとんでもない誤解が生じかねないので,もう一歩,踏み込んで,ここは考えておきたいとおもう。
 それは,「決闘」が正当化されるのは,どうしてか,という素朴な疑問である。なぜ,人は人を殺さなくてはいけなくなるのか。人を殺す必然性はどのようにして成立するのだろうか。自分にとって都合の悪い存在は殺してしまえ,という論理はどこから生まれてくるのだろうか。その根をたどっていくと,どうやら「供犠」にたどりつくように,いまのところは考えている。では,人間はどうして「供犠」を行うようになったのか。「供犠」をしなくてはならない必然性はどこにあるのか。とりあえず,ここでは,人間の存在を不安にする「超越」的な存在への「贈与」としておこう。では,なぜ,人間は「存在不安」に陥るのか。ここでの仮説も,すでに,このブログを以前から読んできてくださっている読者の方にはわかってもらえるものとおもう。それは,「内在性」からの離脱による「存在不安」である,と。「内在性」の内側で生きている者同士は,よほどの生物学的な理由がないかぎり,殺し合うことはない。なぜなら,お互いの「存在不安」がお互いの生死を賭して戦わなくてはならなくなる必然性は考えられないからである。
 相撲のはじまりは「決闘」だったのだ,というところで話を終わらせてはならない,とわたしは考えている。そうではなくて,その「決闘」という文化がどのようにして成立するのか,という根源的な問いが必要である,と考える。そうでないと,「神事儀礼」としての「相撲」というものの本質はみえてこない,とわたしは考える。なにゆえに,こんにちの土俵の上で展開される,荒々しい相撲にわたしの魂がとりこになってしまうのか,あるいはまた,相手の動きを封じ込めた上で,正々堂々と「寄り切る」相撲にこころを奪われてしまうのか,さらには,電光石火のごとき一瞬の技が決まるときの感動にしびれてしまうのか。相撲という文化の奥底に見え隠れしている,計り知れない「生の躍動」の源泉を,この眼で確認したい,このからだで感じ取ってみたい,という果てしない夢をいまも追いつづけているのである。すべての人間に共有されてしかるべき時空間の在り処を求めて・・・。その多くは「近代」が排除してきたように思われて仕方がないのだが・・・。
 21世紀のスポーツ文化を考えるために。
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