2010年9月20日月曜日

<アメリカ>-異形の制度空間・西谷修集中講義第三日目。

 西谷さんの集中講義はますます佳境に入る。<アメリカ>という異形の制度空間がいかにして形成されてきたのか,そのプロセスを徹底的に分析していく。
 雑誌『世界』に連載されたときも,この論考はいずれ単行本になるなという予感はあったが,今回の集中講義をとおして,これはもうどうしても単行本にして欲しいと痛切に思う。それほどに内容が濃く,しかも説得力をもつからだ。こういう視点をしっかりと共有しながら,日本の将来を考え,「世界」のあり方を考えることが不可欠だと,講義を聞けば聞くほどにそう思う。
 ユーロセントリズムという考え方やアメリカニズムについて論ずる人はこれまでにも多くいた。しかしながら,たとえば,ユーロセントリズムを語る場合にも,その多くはフランス革命以後のヨーロッパの覇権争いあたりからはじまる。また,アメリカニズムを語る場合も,やはりアメリカ独立宣言(1776年)以後からはじまるものが多い。とりわけ,アメリカ独立に関しては,さも当然の権利を主張して膨大な土地をわがものとしたかのように書いてあるものが圧倒的である。だから,わたしたちはいつのまにかアメリカはイギリスからの独立を勝ち取ったのだと思い込んでいる。
 しかし,きっかけはそうであったかもしれないが,その実態はかなり違うようだ。いわゆるイギリスの重商主義(インドの負債をイギリスの植民地であったアメリカ東部海岸のイギリス人たちの税金で穴埋めしようとする政策)に反発した東部海岸に入植したイギリスの人びとが独立をめざして立ち上がり,1776年には「独立宣言」を発表して,交戦状態に入る。初めは,植民地側がかなり苦戦をしていたが,隣り合わせのフランスの植民地の人びとが加担し,さらにオランダ,スペインの植民地の人びとも参戦して,イギリス植民地の人びとを支援した。そして,ついに,81年に勝利する。その結果,83年のイギリスとの和平条約によって,正式に独立した。
 ふつうの教科書には,13のイギリスの植民地が合併して,アメリカという国家を形成した,とある。すなわち,United States of America というわけである。この場合の States とはなにか,と西谷さんは問いを発する。たしかに,最初に独立した13のStatesはイギリスの植民地であったが,やがて,独立に賛同し,独立戦争に協力したフランス,オランダ,スペインの植民地も,United States of Amerecaに加わっていく。したがって,「アメリカ合州国」の「州」は,最初の13州だけがイギリスであって,それ以後は,フランス,オランダ,スペインの植民地も加わっていく。だから,これは「アメリカ連合国」と呼ぶべき性格のものだったのだ,と西谷さんは主張する。
 しかも,この独立戦争は,いわゆる植民地が宗主国から独立するための戦争とも性質が違うのだ,と。なぜなら,アメリカ東部海岸に入植した人びとは,すべて,先住民を排除して,純粋に自分たち(ヨーロッパ・キリスト教国民=カール・シュミット)だけの植民地を構築していたからだ。つまり,イギリス人がイギリス人と戦って独立したのであり,その他のフランス,オランダ,スペインからの入植者たちもまた同じように,先住民を排除した上で,植民地を形成し,イギリス植民地と手を結び,イギリスと戦って独立を手に入れたのである。繰り返すが,先住民を徹底的に排除した上での,イギリスからの独立だったのである。もっと言ってしまえば,「アメリカ合州国」とは,ヨーロッパ・キリスト教国の「連合」体を基盤にして出発したものだ,ということだ。
 その後,フロンティア作戦を展開して,アメリカ先住民であるアメリカ・インディアンを西へ西へと追い詰めてゆき,略奪した土地に物差しで線を引いたような区画をして,「州」を増やしていく。それでも足らずか,アラスカをソ連から「購入」してひとつの「州」として加え,さらに,ハワイ諸島を併合して,ついには50州に達する。アメリカという国家は,つぎつぎに「増殖」していくことが立国以来の体質として,ついてまわっている。だから,いつ,日本が「51番目」の「州」として加えられてもおかしくはない,ということになる。あるいは,すでに,半分,アメリカの「州」になっているのではないか,とする指摘も可能となる。

 先住民であるアメリカ・インディアンはなぜ,簡単に土地を奪われ,西へ西へと追い詰められていくことになったのか。よく知られているように,アメリカ・インディアンにとって土地とは「みんなのもの」であって,だれかが「所有」するものではなかった。天与の共有の財産であって,だれかが私有財産として「所有」するという考え方はみじんもなかった。これをいいことに,入植者たちは,土地を裁判所に登記して,売買可能な物品に仕立て直してしまったのである。この登記された土地だけが法律によって守られることになった。だから,植民地政府はつぎつぎに土地を登記して,この土地を入植者たちに分け与え,農作物をつくることを義務づけた。入植者たちは土地を「所有」し,食べ物を確保できれば,当面,生きていく上での最低限の「自由」をわがものとすることができる。
 ヨーロッパ・キリスト教国民にとってアメリカという「新世界」は,土地はだれのものでもない大地が広がり,入植すれば土地を「所有」することが可能であり,努力すればあらゆる夢が叶えられる「自由」が保証される,というまさにアメリカン・ドリームそのものとしてイメージされた。そして,それをつぎつぎに実現させていった。もちろん,その陰で,先住民たるアメリカ・インディアンの生活圏をつぎつぎに奪い取る,という行為がキリスト教的「正義」の名のもとで展開されたのである。
 これが,アメリカという国家を成立させ,増殖していく上での「原理」となった。しかも,そのことが,アメリカという国家の当初から背負わなくてはならない「原罪」でもあった。その「原罪」はいまもなお解消されることなく背負いつづけている。しかも,その「原罪」をいかに覆い隠して,「正義」(聖書の名においての正義)を貫くかということに,いまも,一意専心しつづけている。だから,アメリカ・インディアンがそうであったように,テロリストをうまく演出して作り上げ,それを敵に仕立てて,総攻撃を加える。この手法はいまも変わらない。変えようがないのだ。この手をゆるめてしまうと,アメリカという国家が抱え込んだ「原罪」がさらけ出されてしまうからだ。アルカイーダはだれが育てあげたのか,考えてみれば一目瞭然だ。
 アメリカがいまやっていることは,まるで,自分で自分の首を締めているかのようにみえてくる。この方針は変えようがないので,あとは,自滅へのシナリオをひたすら歩みつづけるしかないのだろう,と西谷さんの講義を聞きながら,ひとりで妄想をたくましくしている次第である。西谷さんは,あくまでも,事実関係を丹念に洗いあげていく。その話を聞きながら,わたしの頭は勝手に,さまざまな妄想をめぐらすことになる。
 その妄想は,単純明白に,アメリカン・スポーツの成り立ちやルール,戦略や技術などにも,ストレートに直結していく。この問題はまたいつか明らかにしてみたいとおもう。この稿は,とりあえず,ここまで。

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