2010年10月1日金曜日

大相撲って,神事なの?(2)

 昨日のつづき。伊藤滋さんが,大相撲は神事だとおもわれるのは自由ですが,そういう人が「特別調査委員会座長」のポストにつくことに,大相撲問題の根源的な問題があるように思います。
 例の雑誌記事のなかに,つぎのような下りがあります。
 「そもそも開催さえ危ぶまれていた六月下旬,私は出羽海親方(元関脇・鷲羽山)がこんなことを言うのを耳にしました。
 『相撲は千三百年の歴史を持つ神事なんだ。年六回ある本場所は神様への興行なんだよ。たとえお客さんが来なくても場所を中止にしてはならない』
 これを人は情緒的に過ぎる判断だ,と笑い飛ばすかもしれません。しかし普段はガラッパチな私でさえも,この話を聞いて思わず『ああ,なんてロマンチックな話なの』とうっとりしてしまった。日本の国技,相撲には神様との切っても切れない関係があるのです。」
 元力士の出羽海親方が「千三百年の歴史を持つ神事なんだ」と信じていることも,「年六回ある本場所は神様への興行なんだ」と信じていることも,わたしには理解不能です。ひょっとすると,力士になる前の新弟子たちがみんな学ぶ「相撲教習所」で,このようなことを教えているのでしょうか。この「相撲教習所」のカリキュラムには「相撲の歴史」という授業があります。それを担当する先生は,これまでは日本史の専門家でした。そういう日本史の専門家が「千三百年の歴史を持つ神事だ」と教えるはずはありません。そんな事実はどこにもないからです。
 よく引き合いに出される「相撲節」(すまいのせち)にしたところで,天皇が宮中で行う年中行事の一つにすぎません。その内実は,全国に割拠している豪族たちに対する服属儀礼(天皇に仕えますという誓いの儀礼)であり,つわもの(強者,兵)を集めて優秀な者を選抜して手元に置くための制度であった,と新田一郎さんの『相撲の歴史』は教えてくれます。これが日本史(あるいは,相撲の歴史)の専門家の認識です。
 もし,相撲が神事となんらかの関係があったとすれば,祭礼相撲と勧進相撲くらいのものでしょう。祭礼相撲というのは,相撲節が廃止され,食えなくなった相撲人(すまいびと)たちが地方の神社の祭礼を巡回しながら相撲をとって「見せた」(ショウ)にすぎません。それは,猿楽や物まねなどを演ずる賤民たちと行動をともにしたものでした。つまり,神社の祭礼で行われる「見せ物」でしかなかったわけです。勧進相撲もまた,江戸の大火などで神社が焼けてしまったようなときに,神社を再建するための資金集めのために行われたのが,ことのはじまりです。やがては,純然たる興行相撲に変化していきます。したがって,神事とはなんの関係もありません。この興行相撲の流れが,こんにちの大相撲の興行につながってきます。
 あえてこじつければ,横綱免許を出していた吉田司家(吉田神道)との接触が考えられますが,この横綱免許という制度も,吉田司家の「創作」であって,なんの根拠もないものでした。ですから,いまでは吉田司家の横綱免許制は廃止となり,横綱審議委員会の推薦を受けて,日本相撲協会の理事会が決定するようになっています。
 これ以外の相撲の来歴をたずねていくと,ますます,神事からは遠ざかっていきます。「相撲は国技だ」という根拠として引き合いに出される野見宿禰と当麻蹴速の相撲は「決闘」であり,相手を蹴り殺しています。これもまた,新田一郎さんの本によりますと,やはり,土着の豪族に対する外来勢力の力による征服,すなわち,土着の豪族の「服属」儀礼であったとするのが,ことの真相であろうということです。これを「国技」の根拠にするのであれば,このときの「国」とはなにを意味しているのか,よく考えてみてほしいものです。あるいは,日本という国はこのようにして成立したのだ,ということを再確認するというのであれば,また,話は別です。それは同時に,「日本」とはなにか,という根源的な問いを引き出すことにもなります。それはそれで,また,とてつもなく面白い話にはなるのですが・・・。
 この相撲の前の話は,タケミカヅチとタケミナカタの相撲になります。これもまた,出雲のオオクニヌシ一族に対する外来勢力による征服の物語が,その背景になっているというわけです(「国譲り」神話)。
 まあ,とにかく,相撲の歴史を繙けばひもとくほどに,相撲は「神事」とはなんの関係もない,ということが明らかになってきます。ましてや,「国技」ということば自体も,明治45年に国技館が建造されてから,人びとの口にのぼるようになっただけの話です。まだ百年にも満たない,ついこの間のことなのです。
 この程度のことは,少なくとも「特別調査委員会座長」を引き受けるのであれば,一夜漬けでもいい,勉強してほしいものです。でなければ,世界に知られる都市計画学者であり,東京大学名誉教授の名が廃ります。しかも,伊藤滋さんは,日本相撲協会のたった二人しかいない「外部理事」をも兼務する人なのです。そういう人が,出羽海親方のことばをそのまま鵜呑みにして,感動までしているのですから・・・。おまけに,「日本の国技,相撲には神事との切っても切れない関係があるのです」とまで書き残すにいたってはなにをかいわんや・・・・というところです。
 こうしてまた,事実無根の神話が拡大再生産されて,人びとを洗脳していくことになるのです。『文藝春秋』という雑誌には「校閲」という部門はないのでしょうか,偉い先生が書いたことは事実関係についてのなんらのチェックもなしにそのまま掲載するのでしょうか。だとしたら,これもまた無責任な話ではあります。少し良心的な雑誌なら,みんな「校閲」を通過させて,少なくとも「事実誤認」を未然に防ぐシステムをもっています。これは新聞も同じです。いまや,新聞も,根拠のない情報の垂れ流しが多くなってきて,困ったものです。
 とまあ,日頃のうっぷんが一気に噴出。あまり書くと「見苦しい」とお叱りを受けそうなので,今日のところはこのあたりで終わりにしておくことにしよう。
 

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