2010年10月5日火曜日

『キリストの身体』(岡田温司著,中公新書)を読む。

 「血と肉と愛の傷」というサブタイトルのついた『キリストの身体』を一気に読みました。いや,読まされました。途中でやめられなくなってしまう,そういう強烈なインパクトのある本でした。
 岡田温司さんとは,5月の神戸大学で開催された「日本記号学会」でお会いして,初めてご挨拶をさせていただきました。最初は,どういう人かわからずに,とにかく存在感のある人で,この人はどんな研究をしている人なんだろうなぁ,と気がかりになっていました。が,二日目の第二セッションのシンポジストでした。大阪大学の檜垣立哉さんとのトークが,それもとてつもなくテンポの早い,機関銃のようなことばの連発に,わたしなどはほとんどついていかれないほどのものでした。記号学会の人たちというのは,ああいうやりとりを日常的になさっているのか,といささかあきれてしまうほどのものでした。ですから,岡田さんのおっしゃることは,わたしにはほとんど理解不能でした。京都大学の美術史の先生の世界は,わたしには理解不能である,と。
 ところが,この本,『キリストの身体』は,じつにわかりやすい文章で,しかも,リズムがあって説得力があります。膨大な資料を渉猟した上で,それらをみごとに咀嚼して,まったく新しい視点から論を展開してくれる,それはそれはみごとなものです。しかも,図像がふんだんに散りばめられていますので,理解を大いに助けてくれます。まあ,だまされたと思って読んでみてください。
 まず,「はじめに」の冒頭の書き出しからして,わたしはノック・アウトをくらってしまいました。この鮮明な問題意識と切り口・・・。これは大いに参考にさせていただこうと思うほどのものです。それをまずは,紹介しておきましょう。
 「そもそも,いったいなぜキリストの身体なのだろうか。身体というのは,この宗教にとって,重要でも本質的でもないばかりか,むしろ忌避されるか蔑視されるべきものではなかったのか。大切なのは,身体ではなく精神,肉体ではなく霊魂ではないのか。そういう疑問の声が読者の皆さんからあがってくるのが,いまにもこの耳に届いてきそうである。だが,本当にそうなのだろうか。
 本書でわたしが示そうとしたのは,逆に,(キリストの)身体をめぐるイメージこそが,この宗教──とりわけカトリック──の根幹にあるということである。受難,磔刑,復活という出来事が,キリスト伝のまさにクライマックスをなすというのが,何よりもその雄弁な証拠であろう。ほかでもなくその身体は,西洋の人びとの,宗教観のみならず,アイデンティティの形成,共同体や社会の意識,さらには美意識や愛と性をめぐる考え方すらも根底で規定してきた,もっとも重要な契機だったといっても,けっして過言ではないのである。本書は,この西洋における根本的な問題に,五つの切り口からアプローチしようとするものである。」
 という調子です。この短い文章のなかに,この本の意図するところは言い尽くされています。もう,わたしから付け加えることはなにもありません。岡田さんという人は,こういう芸をもった人なんだ,とこころの底から感動しています。妙なアカデミズムを振りかざして,わけのわからない文章を書く,通称,立派な学者さんが多いなかで,そんなことよりなによりも,自分のなかに沸き起こってくる素直な疑問にそのまま答えを見つけ出していく,そのためにはありとあらゆる方法を用いていく,ある意味では子供のような感性に身をゆだねつつ,ことの本質に迫っていく,そんな岡田さんの姿勢にこころから敬意を表したいと思います。
 美術史の方法論というものについては,わたしはまったくの素人ですが,スポーツ史はもっともっとどん欲に新しい方法論を開拓していかなくてはならない,と岡田さんの本を読みながらしみじみ感じました。わたしも,かなり思い切った仮説を提示しながら,新しいスポーツ史研究の地平を切り開こうと,いまもどん欲に頑張っているつもりですが,まだまだ,とてもではないが足りない,と深く反省するばかりです。
 この本は,岡田さんのキリスト教三部作の「完結編」に相当するそうで,同じ中公新書から『マグダラのマリア』『処女懐胎』がでています。引きつづき,岡田さんの本の虜になりそうです。やらなくてはならないことが山のように待っているというのに,それでも,ほんのわずかなスキをみつけて読む本,この愉悦なしには,いまのわたしは生きてはいけません。また,ひとり,限りない愉悦をわたしに贈与してくださる方の登場というわけです。ありがたいことです。
 「キリスト教と近代競技スポーツ」は長年にわたるわたしの研究テーマのひとつです。岡田さんの著作をとおして,また一歩前進して,さらに踏み込んだ「近代競技スポーツ」批判ができそうです。いまや,キリスト教文化圏が世界を支配しようという勢いです。いや,もはや,完全に支配されつつある,というべきでしょう。そのキリスト教文化に秘められた,恐るべき鍵を,わたしは岡田さんからいただいたように思います。少し,本気で,スポーツ文化に及ぼしたキリスト教の影響について,言及していこうと,勇気づけられました。
 岡田温司さんにこころから感謝です。
 ありがとうございました。と同時に,いつか,もっと踏み込んだお話を聞かせていただきたいと願っています。その節には,よろしくお願いいたします。
 

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