2010年11月19日金曜日

比嘉豊光・西谷修編『骨の戦世』(岩波ブックレット)を読む。

 最新刊のフォト・ドキュメント『骨の戦世(イクサユ)』65年目の沖縄戦,比嘉豊光・西谷修編,岩波ブックレットを,西谷さんからいただいた。早速,読んでみた。
 すでに,このブログでも比嘉豊光さんの「骨の戦世」に関する写真展やシンポジウムについてはかなりのことまで書いているので,重複する部分は避けて,岩波ブックレットとして刊行された本についての感想を述べておきたい。
 まずは,本の帯に記されたコピーから。
 「沖縄の地にいまも埋もれているもの,それは戦死者の骨と不発弾」
 「再開発が進む沖縄の激戦地跡から次々と発見される日本兵の遺骨は,何を問いかけるのか。その一体の頭蓋骨から,ミイラ化した脳髄が転がり出た──。65年目の骨の告発。」
 「執筆者:比嘉豊光,西谷修,仲里効,新城和博,宮城晴美,北村毅,小森陽一」
 いまのわたしには,とてつもない強度とともに,これらの文字が飛び込んでくる。この数カ月の間に,比嘉豊光さんの「骨の戦世」の展覧会をめぐる話題が,その強烈な批判もふくめて,繰り返しわたしの身辺に押し寄せていたからだ。わたしも可能なかぎり考え,それらの写真はもとより,関連の論考も読み返したりしてきた。それでも,生来の感度の悪さもあって,いま一つ焦点の定まらないところがあった。しかし,このブックレットを一読して,自分なりの考えがすっきりとしたようにおもう。コンパクトな冊子ながら(あるいは,コンパクトだからこそ,というべきか),そこに籠められたインパクトは相当なものである。これまでバラバラに入ってきた「骨の戦世」に関する情報が,このブックレットで整理されたことによって,より一層インパクトを増したということなのだろう。その意味で,ブックレットとしての役割を十全にはたしているようにおもう。
 31ページにわたる写真には,ひとことも説明はない。それがかえって不気味でもある。すでに,写真展などである程度見慣れているわたしにも(それらの写真には,かんたんなキャプションがついていた),あらためて,これまでの印象とは異なる想像力を煽り立ててくる。それが,また,どうしてなのか,わたし自身にもわからない。深く考えれば考えるほど,これらの写真が「動きはじめる」のだ。見なおすたびに,骨たちの表情が変化する。明らかに,見る者の意識の変化とともに骨たちの発信する情報が,いかようにも変化していく。
 見る者,すなわち,わたしの意識を変化させるもの,それはこの豪華な執筆陣による論考のなかに仕掛けられている。
 まず,巻頭を飾る仲里論文が,衝撃的である。そして,中締め的な展望の広がりを西谷論文が請け負い,最後の落しどころを小森論文がみごとに引き受けている。これらの論考の骨格ががっしりしているために,読む者をして逃れようのない位置に立たしめ,しかも,こころの底からゆさぶりをかけてくる。その証拠に,これらの人々の論考を一つ読むたびに,写真をめくり直してみるとよい。そのたびに写真は,まったくあらたな顔を魅せはじめる。写真の威力というほかはない。
 仲里論文と西谷論文は,すでに,雑誌『世界』に掲載されたものの再録なのだが,こうして一冊の単行本のなかに収められると,また,一段と輝きを増してくるのだから不思議だ。そこに小森論文が加わることによって,相乗作用どころか,オーケストラが奏でるシンフォニーのように,交互に主旋律を奏で,その間に割って入るかのように,新城,宮城,北村論文が旋律の不足を補いつつ響き合い,お互いを補完し合って,みごとな「音」を創り出している。
 岩波ブックレットには,時折,これは・・・というすごいものがあって,いままでにも何回か驚かされたことがある。今回のこの『骨の戦世』もまた,まぎれもなく,名著として多くの人々の記憶に残るだろう。それほどにコンパクトでインパクトが強い。沖縄で展開された「戦争」がどのようなものであったのか,手っとり早く知るには,これほどよくできたテクストはないだろう。
 沖縄の激戦を生き延びた人々の子孫であるウチナンチュが,65年ぶりに日の目をみることになった旧日本兵の遺骨をみる眼は,わたしたちヤマトンチュとはまるで違う。今回の遺骨は,ウチナンチュの先祖の墓のなかから掘り出されたものだ。しかも,立派な石組みのある相当に大きな空間をもつ墓から見つかっている。
 これまでに収録された,あの激戦を生き延びたウチナンチュの証言によれば,戦闘が激しくなってきてお墓の中に逃げ込んだ(沖縄の典型的な墓は亀甲墓といって,大勢の親族の人々が集まって中に入れるほどの空間がある)ウチナンチュの多くは友軍である旧日本兵に追い出され,銃弾や爆撃の中を逃げまどいながら,倒れていったという。そして,ウチナンチュを追い出したあと,その墓の中に立て籠もったのは旧日本兵だ,という。だから,今回,見つかった遺骨も,ひょっとしたらそういう日本兵だったかもしれない。墓の中にいたからこそ,日の目をみることができた。
 しかし,その一方で,戦争の犠牲者となったウチナンチュの遺骨はほとんど見つけることができないままになっている。浜辺を逃げまどって行方不明になってしまったウチナンチュの遺族は,珊瑚のかけらを遺骨代わりにして祀ったという(仲里論文)。あるいは,広大な敷地を占めている米軍基地の土中に埋まったままの人も,相当の数になると言われている。そこは,発掘することすら許されないまま,65年が経過しているのである。
 こういう事例を一つひとつ思い起こしながら考えていくと,この旧日本兵の遺骨は,沖縄戦がなにであったのかを想起させるだけではなく,さらに,この65年の間に沖縄がどのような歴史を刻んできたのか,そして,その背景にはなにがあったのか,といったきわめて複雑な記憶・記録までをも呼び覚ましながら,執拗にわたしたちの眼に食い入ってくる。いや,わたしたちの方が骸骨となった眼窩の奥底から見つめられてしまう(小森論文)。
 沖縄の戦後はいまも終わってはいない。いま,まさに,基地移転をめぐる「日米合意」に対して,沖縄県民が総意を結集して,それに「NO」をつきつけ,独自の道を選択するという重大な局面を迎えようとしている。ヤマトンチュのひとりとして,ウチナンチュの人びとに恥ずかしくない「覚悟」と「行動」が求められている。そのための一助としても,このブックレットのもつ意義は大きいとおもう。久々の画期(活気)である。ぜひ,ご一読をお薦めしたい。

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