2010年12月5日日曜日

神戸市外国語大学の集中講義について。

 12月20日(月)8時50分から,神戸市外国語大学の後期の集中講義がはじまる。その準備のことが少しずつ気になりはじめている。
 前期の集中講義では,マルセル・モースの『贈与論』をテクストにして,スポーツ文化を「贈与」として読み解くとどうなるのか,という大いなる冒険を試みてみた。途中で空中分解してしまうのではないかと危惧したが,神外大の学生さんたちはよく頑張ってくれて,予想外の成果をあげることができた。それは提出されたレポートをみて,確認できたことだ。授業中のプレゼンテーションやディスカッションなどでは,どこか自信なさげにやや腰が引けていて,暗中模索的なところがあった。だから,わたしの試みはうまく伝わっているのだろうか,といささか心配ではあった。しかし,三日間の,朝から晩まで,ぶっ通しの授業を最後までたどりついたところで,全体のイメージがようやく視野に入ってきたようで,一気に展望がひらけたようだ。レポートを読むかぎりは,そういう印象が強い。だから,その大半のレポートが,わたしの予測とはまったく正反対に秀逸のできばえになっていた。読む方のわたしが驚いたほどだ。
 若い頭脳というものはいいなぁ,といまさらのようにおもう。とても純粋で柔軟だから,相当にややこしい議論であっても,とまどいながらも追いかけてくる。そうして,いつのまにかぼんやりとしたイメージを構築しはじめる。そして,最後の授業が終わるころには,みごとにそのイメージが明確となり,そのロジックもまた完結しているのである。だから,レポートを書く段階には,相当に体重をかけて自己主張をすることができるようになる。
 ならば,ということで,後期は,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をテクストにして,これをスポーツ史・スポーツ文化論の視点から読み解くことにした。さて,そろそろ学生さんたちもこのテクストの読解にとりかかっているはずなので,どうしているだろうか,と気がかりになっている。で,まずは,その読解のための手がかりになりそうなことを,わたしの方から提示しておきたいとおもう。つまり,わたしの関心事から読み解くと,こういう具合になる,というサンプルの提示である。それをきっかけにして,学生さんたちが,さらに個別の読解を展開してくれればいいなぁ,と考えている。前期にも,この方法をとったので,たぶん,学生さんたちの読解に役立ったのではないかと推測している。いいと思われることは継承するにかぎる。

 後期の集中講義で用いるテクストは精確には,以下のとおり。
 ジョルジュ・バタイユ著/湯浅博雄訳『宗教の理論』,ちくま学芸文庫,2002年,第1刷。
 テクストを開くと,まず,目次にも載っていないアレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』からの引用文が提示されている。いきなり,この文章に出会う人は,まずは一様に度胆を抜かれるに違いない。この文章はいったいなにを言わんとしているのか,と。それほどに難解きわまりないのである。しかし,こころを落ち着けて,何回も何回も読み返しながら,それこそ熟読玩味していくうちに,最初の疑問はおのずから氷解をはじめる。「読書百回,意,自ずから通ず」である。そのときの爽快感もまた抜群だ。
 結論から言ってしまえば,この引用文に,じつはバタイユが仕掛けようとしている議論(=「宗教の理論』)のエキスが,濃密に書き込まれているのである。だから,この引用文の読解ができれば,そのあとに展開されるバタイユの議論は,ほとんど間違いなく読み解くことができることになる。それほどに,この引用文は重要な役割をはたしているのだ。
 もう少し詳しく注釈として付け加えておけば,以下のとおり。
 バタイユは,ヘーゲルの『精神現象学』を徹底的に読み込んで,そこを通過することによって,かれ固有の思想・哲学のよって立つべき根拠を見出すにいたったのである。若き日のバタイユにヘーゲルの『精神現象学』読解の手ほどきをしてくれたのが,この引用文の著者であるアレクサンドル・コジェーヴである。バタイユの思想・哲学は,あまりに特異な展開をみせたために,いまでも,これを敬遠する一般的傾向は強いが,さりとて,これを完全に否定することはだれにもできないのである。それほどに,特異であり,しかも,深く本質的な思考を展開している,ということでもある。にもかかわらず,そこを避けて通ろうとする人が多い。しかし,それは間違いだろう,とわたしは考える。その最大の根拠の一つが,ヘーゲルの哲学をきちんと踏まえた上での,つまり,それを批判的に継承しつつ,それを超克するための思想・哲学の地平を切り開いた,という点にある。その到達点の一つとして,ヘーゲルの「絶対知」に対して,バタイユは「非-知」という概念を立ち上げたことを指摘することができよう。このことの詳しいことは,いささか手間がかかるので,集中講義の授業の中で詳細に説明したいとおもう。
 というわけで,まずは,この引用文をどのように読み解くか,という作業からはじめよう。
 明日から,しばらくは,バタイユのテクスト読解という作業がつづくことになろうか。お付き合いいただければ幸いである。

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