2010年12月26日日曜日

「孤族の国の私たち」という記事について。

 このところ朝日新聞(もう何年も愛読してきた新聞)の悪口ばかり書いてきたので,今日は,珍しく褒めてみたいと思います。
 日曜日だから,ということでもないでしょうが,今日の朝日は読みごたえのある記事がたくさんありました。近頃久しくなかった珍事,と言ったら叱られるでしょうか。いやいや,やればできるではないか,というのがわたしの感想です。これまであまりに杜撰な編集に甘んじていただけの話ではないか,と。こういう気合の入った記事をわたしたちは期待しているのだから。
 「孤族の国の私たち」・・・これが一面トップの大見出し。「孤族」という表現がいいかどうかについては,若干,留保しておきたいところですが,少なくとも朝日新聞としては「孤族」という概念をあえて設定して(朝日新聞社のオリジナルな用語),いま,日本の社会で起きている「家族共同体」という基本的な共同体組織の崩壊現象にスポットを当てようというその気概は高く評価したいと思います。もちろん,これからどのような特集記事が連載されていくことになるのか,その成り行きを見届ける必要があるのは当然のことですが。なんといっても,一面,二面とつづき,さらに三面の半分を割いて「孤族の国の私たち」の記事で埋めているのですから,その気概を感じないわけにはいきません。しかも,4人の記者が「実名」で記事を書いているのです。こんなことが,これまでの朝日新聞にあったでしょうか。
 それから,日曜日は読書欄に,まず,眼が向かうことになります。ここがまた大幅に改善されたことに驚きました。もちろん,条件つきではありますが。これまでのような「おざなり」な書評が姿を消して,まったく違った視点からブック情報にスポットを当てようとする意欲だけは伝わってきました。しかし,全体の印象としては,どこかレベル・ダウンというか,大衆化路線というか,ライト・リーディングスへと軸足を移したというか,さらりと読めるわりには記憶に残らないという感じです。ここは勝負にでたというようにも読めるし,手抜きと読むこともできそうです。なぜなら,読書関連ページが7ページもあるのに,新聞社独自の記事は3ページで,あとの4ページは「広告特集」だからです。
 ただでさえ,新聞の広告が増えてきて,全面広告も珍しくなくなっている時代です。広告なしには新聞が成り立たなくなっているとは,ずいぶんむかしから聞いてはいました。が,これほどまでに酷いことになっているとは,いささか驚きです。結果的には,大部分のページは飛ばして,面白そうな記事だけを拾い読みして終わり,ということの繰り返しです。
 ならば,広告をどこかに限定して,ページ数を減らし,読みごたえのある記事だけを並べたらどうか,とわたしなどは思う。新聞がこんなにページ数を増やしたのは,バブル経済時代の名残でしょう。あの時代に,各新聞社はこぞってページ増に走りました。かつては,新年正月用だけの,お年玉つきかと思われる大サーヴィスとして,週刊誌ばりの厚さの新聞が配達されました。ここは大量の広告と同時に,ふだんの新聞ではできない「特集」を,ある意味では新聞社の総力を挙げて,新聞社独自の主張も籠めた内容のある記事を,組んでいました。だから,正月の新聞はある時期,とても楽しみにし,また,切り抜きもいっぱいつくって保存までしたものでした。しかし,ここしばらく前から,正月の新聞は,まったくの「手抜き」記事ばかり・・・・。なにをやってんだ!と正月早々から怒鳴り声をあげなければならない始末。
 そんなこともあって,「孤族の国の私たち」という連載記事のスタートには,これまでとは違う別の新鮮な風と気概を感じましたので,大いに期待したいと思います。同時に,年末にこんな特集記事をスタートさせるということは,正月の新聞にも,なにか新機軸が登場するのだろうか,という期待を呼び込むことにもなりました。それだけに,正月の新聞がずっこけたら,このときこそ朝日新聞とのお別れのときがきたと決断しなくては・・・・などと考えたりしています。
 まずは,「孤族の国の私たち」という特集記事が,どこまで問題の本質に迫ることができるのか,その取材能力と,その情報の分析能力と,そこから導き出される問題の所在の抉出,そして,その対策の提示・・・・などなどがどこまでできるのか,大いに楽しみにしてみたいと思います。
 新聞メディアは,このままの路線をいつまでも歩みつづけるかぎり,やがてメディアの舞台から退場を迫られることは間違いないと思っています。なぜなら,ひと時代を風靡した百貨店が,その役割を終えて退却路線に入ったことはよく知られるとおりです。新聞も,わたしの眼からみれば,同じ路線を歩んでいるようにみえるからです。
 そんなきびしい現実を見定めたとき,新聞が生き残る道は,徹底した取材にもとづく上質の情報を提供すること,他のメディアにはできないノウハウを活かした情報の分析と対策の提示(きちんとした思想・哲学にもとづくものであることは当然のこと),それしかない,とわたしは考えています。いまのような新聞メディアの体たらくであれば,インターネット情報で十分です。しかも,こちらの方がリアル・タイムで情報が流れ,新聞は一日遅れです。だったら,このハンディを超える情報の「質」を盛り込むことが不可欠です。でなければ,新聞の情報は不要。
 朝日新聞が,これからどのように戦略に打ってでるのか,その結果の一つがこの「孤族の国の私たち」であるとしたら,ここは朝日の試金石ということになろう。そして,日曜日の書評欄も同じ。さてはて,その結果やいかに,というところ。
 みなさんの意見も聞かせていただけると幸いです。

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