2011年2月18日金曜日

大相撲とは何か,という根源的な議論を。その5.相撲は「神事」であるという根拠も見当たらない。

 相撲は「神事」である,という俗説もまた一人歩きをしている。そして,多くの人びとがそれを信じている。のみならず,著名なジャーナリストまで,この俗説を固く信じて論陣まで張っている。
 そこで,もう一度,虚心坦懐にさまざまな文献を探索してみた。
 が,やはり,相撲が「神事」であるとする有力な根拠はどこにも見当たらない。
 で,仕方がないので,逆に,これが根拠になっているのではないか,と思われる事象を取り上げて考えてみることにする。
 一つは,神事相撲である。これは,すでに何日か前に書いたことがらである。だから,かんたんに触れておけば,神事相撲の根幹にあるものは「約束事」である,ということだ。この「約束事」を再現すること,そして,それをみんなの眼で再確認することに意味がある,ということだ。ここには,いわゆる「ガチンコの勝負」は認められない。それどころか「ガチンコ勝負」などあってはならない世界なのだ。なぜなら,神事相撲の原点にあるものは「神遊び」なのだから。つまり,神と人間との「交信」 「交感」「共振」「共鳴」なのだから。
 となると,こんどはこの「神遊び」をどのように考えるか,ということが大きなテーマになってくる。この「神遊び」については,それこそジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』まで立ち返って,しっかりとした議論をする必要がある,とわたしは考えている。じつは,わたしが「根源的な議論を」と言っているのは,ここまで降りていって議論するくらいの覚悟が必要だ,という意味なのである。ここの議論を通過すると,大相撲とは何か,という問いに対する応答の仕方が一変してしまうはずである。なぜなら,それは人間の「原罪」に触れることになるから。
 バタイユの『宗教の理論』については,すでに,かなりの分量のブログを書いているので,そちらを参照していただきたい。もちろん,また,チャンスがあれば,相撲─神遊び─動物性への回帰,というわたしの仮説について論じてみたいと思う。今回はこの程度にして。つぎの問題へ。
 二つめは,行司さんの役割があろう。烏帽子・直垂をつける衣装は,いかにも神官を想像させるに十分なものがある。この衣装は,さも,古くから用いられたような錯覚を起こすが,じつは,1926年以後のことである。しかも,吉田司家の創作だという。吉田神道の衣装をアレンジして,それをそのまま行司さんに着せてみたら,とても評判がよかったので,そのまま継承されることになった,という。行司さんは,もともと,相撲部屋に所属する人だったわけだから,吉田神道とは直接はなんの関係もない。もし,あっとしても,かつてむかしのこと,吉田司家で神官としての多少の作法や所作の仕方くらいは指導を受けたことがあったかもしれない(残念ながら,そういう記録を眼にしたことがない)。しかし,吉田神道と日本相撲協会とは,1945年に,完全に関係がなくなっている(GHQの指導により)。したがって,第二次世界大戦後は,大相撲と神道とはなんの関係もなくなっている。もちろん,神道的な様式の残像は否定すべくもないが,実態としては,ほとんど形骸化していて,それ以上のものではない。
 三つめは,土俵祭りがあろうか。土俵祭りは行司さんが最初から最後まで仕切る。新しく土俵をつくるための土を積み上げて,固め,そこに御幣を立てて,神々を降臨させるお祭りである。面白いことに,土俵にお招きする神々もまた,時代によって変化しているというのである。たとえば,江戸時代の土俵にお招きされた神々は「郡八幡宮,天照皇大神宮,春日大明神」の3人だったという(山田知子著『相撲の民俗史』東京書籍,平成8年)。なにゆえに,この三神だったのか,いささか理解に苦しむ。あるいはまた,1945年の敗戦までは,「天神(あまつかみ)七代」と「地神(くにつかみ)五代」の合計12柱の神々が土俵祭りの祝詞のなかで読み上げられていた,という。これは明らかに天皇制護持を万全なものにするための,一つの儀礼と考えることができよう。そして,敗戦後は,「戸隠大神(とがくしのおおかみ),鹿島大神(かしまのおおかみ),野見宿禰(のみのすくね)」の三神になったという。なぜ,この神々になったのかは不明だが,少なくともGHQに対して,天皇制とは関係がないということだけは意識していたのではないか,と思われる。あえて推測すれば,戸隠神社は「アメノタジカラオノミコト」,鹿島神社は「タケミカヅチノカミ」,野見宿禰は文字どおり相撲の神様,ということになろう。アメノタジカラオノミコトは,アマテラスオオミカミが隠れてしまったアメノイワヤドの岩をこじ開けた力自慢の神。タケミカヅチノカミは,国ゆずり神話のなかで,オオクニヌシの次男であるタケミナカタノカミと相撲をとった力自慢の神,そして,ノミノスクネである。これらの神々は,明らかに相撲に縁のある神様ばかりである。
 こんにちの大相撲の土俵にはこの三神をお招きして祀ってあるというのである。しかし,この三神をお迎えする行司さんたちは神官としての修行をしたわけでもないし,神官の資格をもっているわけでもない。ただ,相撲の行司をする専門職が,神官に成り代わって三神をお迎えするだけの話である。つまり,俗人が執り行う「神事」であって,特定の神道とはなんの関係もない。
 この他にも「神事」らしきことを挙げていけばないわけではない。しかし,それらはもはや大勢に影響はないだろうと思われるので割愛する(土俵入,塵手水,四股,塩,力水,など)。
 このように大相撲が「神事を積み上げてきて国技となった」とされる根拠はどこにも見当たらないのである。では,いったい大相撲とはなにか。
 もうしばらく,この問いをつづけていきたいと思う。

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