2011年2月27日日曜日

ペルー・リマのフィエスタで歌いつがれてきたクレオール音楽を聴く。

 このところ音楽とはとんと縁がなくなってしまっていたが,親しくしている編集者から突然CDが送られてきて,聴いてみてくれ,という。なんだろうと思って開けてみたら,ペルーの首都リマのバリオ(貧民窟)のフィエスタ(宴会)で歌い継がれてきた民衆音楽。
 さっそく無心で聴いてみる。にぎやかな雰囲気のなかで男性ボーカルがやさしい歌声を響かせている。ギターとリズム楽器だけの素朴な演奏がつづく。聴いていてとても心地よく響く。自然にからだが揺れ動きはじめる。だが,どこかでからだの動きが抑制されてしまう。動きたいのに,どこかちぐはぐなのである。気持ちはとてもなごんでいるのに,からだがぎこちない。おさまりが悪いのである。なんだろう,このぎこちなさは・・・と考える。
 そこで,やおら,折り込みの解説を読む。いきなり「8分の6拍子」ということばが眼に飛び込んできた。なんじゃ,これは?「4分の3拍子」でもない「8分の6拍子」。2拍子や3拍子,そして「4分の2拍子」くらいまでは小学校のときに教えてもらった記憶がある。がしかし,「8分の6拍子」とはなんじゃい?
 というわけで,もう一度,聴いてみる。しかし,わたしのようなリズム感のない人間にはしっかりとは聴きとれない。何回も何回もチャレンジしてみるが,どうも,いま一つしっくりこない。つまり,感覚的に,とても息が長く,「8分の6拍子」までついていかれないのである。たぶん,わかる人にはすぐにわかるのだろう。でも,わたしにはわからない。理性的に数えれば数えるほどに,わけがわからなくなる。もっと,ぼんやりと聴いていた方がいいのだろう。でも,なんとかして分かろうと努力してしまう。これが間違いのもと。
 男性ボーカルの声はとてもやさしく響いてくるし,メロディもそんなに難しいものはない。だれでも,すぐに口ずさみたくなるような,親しみのある旋律がつづく。だから,こころはとても気持ちよくなる。それにつられるようにしてからだが揺れはじめる。しかし,あるところで,からだは居心地が悪くなる。リズムに乗り切れないのである。妙なところで肩すかしをくってしまう。一種独特のリズムがわたしのからだを揺さぶる。しかし,そのリズムに乗れない。
 あきらめて,解説を読み込むことに。
 白人系の音楽(ワルツ,ポルカ)と黒人系の音楽とがミックスした,いわゆるクレオール音楽。人種も,スペイン系の白人を筆頭に,さまざまな白人と,アフリカから奴隷として移住させられた黒人と,さらには先住民とが混血をくり返していくうちに,何人でもないクレオール人が出現する。その人たちがバリオと呼ばれる貧民窟で世代を重ねていくうちに,フィエスタ(宴会)で即興的に歌われ,歌い継がれていくうちに,「8分の6拍子」という形式とともに誕生した民衆音楽。だから,バリオの住人以外の人に歌って聴かせる歌ではない。自分たちの,仲間うちの楽しみのためだけに歌われる音楽。いうなれば,音楽の源泉に現れる音楽。それが,この混血音楽(ムシカ・クリオーヤ)。
 ということは,白人の身体にも,黒人の身体にも快感を与えない「8分の6拍子」。ただ,ひたすら混血を重ねたバリオの住民にのみ快感を与える「8分の6拍子」。それでいて,わたしのような日本人(つまり,ほとんど日本の旋律しか知らない人間)にも,なにか惹きつける力をもっている,不思議な「8分の6拍子」。
 男性ボーカルの甘い声とメロディが,まずは,わたしたちを「歓待」してくれる。そして,うっとりと聞きほれてしまう。でも,からだまでは同調させてくれない。どこかで軽くいなされてしまう。それは,まるで,リマのバリオの住人としてのアイデンティティを主張しているかのように。歓待といなし,それがバリオの民衆音楽「ムシカ・クリオーヤ」(クレオール音楽)。
 さらに,解説には,19人の名人に1曲ずつ歌ってもらった,とある。しかも,2007年に録音をはじめてCDが完成する2009年までに,19人のうちの4人までもが鬼籍に入ったという。この男性ボーカリストたちの平均年齢がなんと「75歳」。それにしては若々しくて元気のいい声ばかり。この人たちは死の直前まで歌いつづけているということ。
 「8分の6拍子」の歌と踊り。踊りも,どうやら即興らしい。
 ふと,こどものころ,ラジオが我が家に入ったとき(戦後は焼け出されて,借家を転々としていて,とても貧乏だった),どこか遠くの方から聞こえてきたと錯覚を起こした,九州の民謡「五木子守歌」を思い出す。たしか,五木の老人が,その地に継承されてきた歌い方で歌ったものだった。「おど~まぼんぎりぼ~んぎり,ぼんからさきゃ~おらんと~」。ふつうの旋律とはまた違う,ほんの少しだけメロディもリズムも違う,なんとも不思議な歌に聴こえた。ことばも,なにを言っているのかさっぱりわからなかった。でも,なぜか,不思議に惹きつけられるものがあって,いまも,その声を鮮明に思い出すことができる。
 「8分の6拍子」は,西洋の近代音楽のような,形式が数学的に計算され,構成されたものとは違って,どこかリズムもメロディも間延びしつつ,崩れているようでいて崩れてはいない,そういう近代以前の人間の古層に宿る音感を呼び覚ましているのかもしれない。だから,どこか「懐かしい」という感情を呼び戻してくれるのかもしれない。
 それにしても,不思議な音楽に触れさせてもらった。しばらくは,この音楽を聴いて,楽しんでみようと思う。そうすれば,いつのまにか「8分の6拍子」が,わたしのからだと同調するようになるのかもしれない。そうなれたら,楽しさはまた倍増する。まあ,音楽なのだから,まずは,楽しむこと。
 ペルーの,リマの,バリオの,クレオール音楽の話,でした。

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