2011年3月10日木曜日

米沢唯さん,いよいよ第一線に。おめでとう!

 昨日の朝日新聞夕刊に,写真入り3段組みの大きなコラムとして「米沢唯」さんが紹介されていた。「新国立劇場バレエ団の新鋭・米沢唯」「存在の深さ 踊りたい」と大きな活字が躍っている。顔写真をみた瞬間にピンとくるものがあった。そして,嬉しかった。
 そう,故・竹内敏晴さんのお嬢さんである。竹内さんが生きていらっしゃったら,どれほど喜ばれたことかとついつい涙腺がゆるむ。母上の章子さんに似た美人で,竹内さんがいつも醸しだしていた懐の深さが,すでに滲み出ている。まさに,旬の人らしく,じつにさわやかな笑顔が美しい。
 ご生前の竹内さんは,プライバシーについてはほとんど語られることはなかったが,最晩年のころには,ちらりとお嬢さんのことを話されることがあった。そのときの竹内さんの笑顔は,いつものそれとはまるで違う,とっておきの笑顔だった。滅多にみることのない素朴な好々爺の素顔が全面に表出した「父親」のそれであった。で,ついついわたしたちは惹きこまれ,お嬢さんのお話をもっと聴かせてもらおうと思って,遠慮がちにお伺いを立てる。すると,さっとわれに戻られたかのように「まあまあ,これは個人的な話ですから」と仰って,さっと「普遍」につながる話題に切り替えられるのが,いつものパターンだった。
 そのときの竹内さんのお話で記憶に残っていることを一つだけ。たしか「からだ」というものは不思議なもので,無関心な人はいくら言っても,自分のからだと真っ正面から向き合おうとはしないものなんですよね,というような話の流れのなかでのことだった,と記憶する。「うちの娘は,こどものころからバレエを習っているんですが,どうも根っから好きなようで,家にいるときでも暇さえあればストレッチをして,からだのすみずみまで丹念にチェックをしているんですよね」「だから,いつのまにかバレエをするからだになっていくんですよね」という具合である。竹内さんが「バレエをするからだになっていく」というような言い方をされるときは,ことば面だけの意味ではなくて,もっともっと深い意味がこめられている(この話は,始めてしまうと,止まらなくなってしまうので,また,別の機会に)。だから,娘さんの話はそのための導入の話なのだが,わたしたちは,滅多に聴くことのない娘さんの話なので,俗人そのまま興味本位の問いをしてしまう。しかし,竹内さんは,けしてわたしたちの俗っぽい質問にまどわされることなく,さっと「普遍」の話題にもどっていかれる。
 このときの話題の主が,米沢唯さんである。唯さんにはまだお会いしたことはない。しかし,『環』(藤原書店)という雑誌が「竹内敏晴さんと私」という小特集を組んだときに,唯さんが短いエッセイを寄せていらっしゃる。それがまた,素晴らしい名文なのである。まだ,二十歳を少し超えたばかりの若さで,大好きな父親を見送った深い悲哀を随所ににじませながらも,じつに抑制の効いたことばづかいでつづった,美しい文章だ。わたしは,読み終わるまでに何回,嗚咽してしまったことだろうか。そのとき以来,わたしはすっかり米沢唯さんのファンになっていた。
 唯さんのこの名文は「父と私」というタイトルである。この名文は『レッスンする人』竹内敏晴語り下ろし自伝(藤原書店,2010年)の巻末に転載されている。わたしはこの本をとおして竹内さんの人生の前半生を初めて知った。その巻末に唯さんの名文が載録されている。いま,また,久しぶりにこの本をとりだしてきて唯さんの文章を読み,最初に読んだとき以上に,またまた嗚咽している自分がいる。そして,切り抜いた新聞の唯さんの笑顔が目の前にある。なんとさわやかな笑顔なんだろう,としみじみと眺めてしまう。「存在の深さ 踊りたい」という大見出しが,ずっしりと重い。この若さで,「存在の深さ」に触れていて,しかも,それを表現してみたいという。ああ,やはり,竹内敏晴さんのお嬢さんだなぁ,とみずからを納得させるほかはない。
 3月26日の公演には,ぜひ,でかけてみたいと考えている。そして,一番うしろにいらっしゃるはずの竹内さんと並んで・・・・。「黒い帽子に黒いコート」というわけにもいきませんが・・・・。3月26日はわたしの73回目目の誕生日。

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