2011年3月11日金曜日

玄侑宗求対談集『多生の縁』(文春文庫)を読む。

 玄侑宗求さんの本が定期的に読みたくなるという一種の「病い」がわたしにはある。なぜだかよくはわからない。しいて言えば,仏心のようなものが沸き起こったとき,あるいは,禅的なるものにこころが傾斜したとき,あるいはまた,原稿が書けなくて詰まってしまったとき,こんなときに玄侑宗求さんの本が頭に浮かんでくる。不思議だ。が,事実なのだから仕方ない。
 玄侑さんは臨済宗。わたしは曹洞宗。宗派の違いはあるものの,同じ禅宗ではある。もっとも,道元さんは「禅宗」などというものは存在しないし,そんなものに囲い込まれるのは御免蒙ると言ったという。そして,わたしが心がけていることは仏教そのものの教えをいかに正しく伝えるか,つまり,「正法」(しょうぼう)を伝えることにある,と。
 だから,臨済宗とか,曹洞宗とかにこだわる必要は毛頭ない。むしろ,禅宗なるものも忘れてしまった方がいいのだろう。道元にこころから心酔した良寛さんも,曹洞宗で修行をしたが,やがて寺をでて放浪の旅にでる。しかも,肌身離さずもっていたのは『法華経』の経本だった,とか。これは,どうやら道元さんの影響らしい。道元さんも『法華経』はとてもいいお経だと推奨している。日蓮さんはもとより,宮沢賢治もまた『法華経』を手離すことはなかったという。
 というわけで,仏教という基本に立てば,宗派などというものはほとんどなんの意味もないのである。玄侑さんも,いまは,実家の臨済宗のお寺を継いでいるので,立場上はそのようにふるまうことにしているだけであって,本心のところはかなり自由に仏教のことを,あるいは,宗教全般のことを考えている。そのことは,かれの書く小説を読めばすぐにわかる。
 玄侑さんのデビュー作となった『中陰の花』(直木賞受賞作)は,この世とあの世の中間の話だ。現世と来世の間を「中陰」という。もう少しわかりやすく言えば,49日のこと。つまり,人間が死んで仏さんになるまでの間。それまで,死霊はあちこちさまよい歩いているので,7日ごとにお経を上げる。葬式のすぐあとに行われる法事が「初七日」だ。無事に仏さんになれるように,途中で道に迷わないように,という気持ちを籠めて7日ごとに法事を行う。この49日までの間が「中陰」。「中有」(ちゅうう)ともいう。その世界を描いた小説が,玄侑さんのデビュー作となった。
 わたしの玄侑さん詣では,この『中陰の花』からはじまった。人間は死ぬとどうなるのか,とだれもが考える。しかし,だれもその答えを持ち合わせてはいない。あのお釈迦さんですら,「人間は死ぬとどうなるのですか」と聞かれても,無言をとおしたという。「わからないものはわからない」,これが仏教の基本だ。しかし,その「わからない」ことと向き合って生きていかなければならないのが,人間なのだから,困ったものだ。玄侑さんは,お坊さんとしてではなく,作家としてこの人間の大テーマに挑んでいく。
 もともと,玄侑さん自身は,お坊さんにはなりたくなくて,作家をめざしたそうだ。そのために家出までして,行方をくらまし,あちこちを放浪して歩く。その間に,ありとあらゆる仕事を経験した,という。ときには,新興宗教にも踏み込んでみたり,あるいは,キリスト教に接近したり,と宗教的な経験も豊富だ。そうしてようやくたどりついたのが,やはり,臨済宗の寺での修行だったという。でも,作家の夢も捨てきれなかった。尊敬していた哲学の先生のところに相談に行ったら,「両方やればいい」と言われ,憑き物が落ちた,という。そこからは一直線。
 だから,玄侑さんのこの対談集は,対談者に引き出されるかのようにして,さまざまな玄侑さんの顔が浮かび上がってくる。そこのところがこの対談集の最大の魅力となっている。京極夏彦,山折哲雄,鈴木秀子,山崎章郎,坪井栄孝,松原泰道,梅原猛,立松和平,五木寛之の9氏が登場して,それぞれに,とても面白い話が展開する。
 そこに流れている共通理解は,人間は矛盾した存在なのだから,そのまままるごと認めていかなくてはいけない,それを理性の側からだけ物差しを当てて,人間を裁くようなことをしてはいけない,つまり,科学的合理主義だけでものごとを決定してはいけない,ここに宗教的なものさしを,それはじつにいい加減なものさしだが,それを持ち込んできて,両方のバランスをとる智慧を働かせるべきではないか,というものだ。だから,わたしなどは,読んでいて,「そうだ,そうだ,そうなんだよ」と声を出しながら共感・共鳴している。
 具体的には,なにに,そんなに共感・共鳴したのか,いずれ機会をみつけて書いてみたいと思う。それまでの宿題として残しておこう。みなさんは,どうぞ,その前に読んでみてください。対談者によっては,お医者さんの方が仏教的で,玄侑さんの方が科学的であったりして,これまた面白い。
 読後の,はんなりとした,さわやかさがいい。
 つぎは,いつ,この本に手を伸ばすのだろうか。それもまた楽しみのひとつ。
 

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