2011年4月3日日曜日

「慣れる」とまたまたもとの「ゆで蛙」へ回帰か。

 人間には,adaptaion (生物学的には適応,社会学的には順応)という能力が備わっていて,そのお蔭で日々の困難もなんとか克服していくことができる。今回の東日本大震災(この正式名称が決まるのもあきれるほど遅かった)に対しても,この能力をフル回転させて対応していくことが求められている。そして,じつに多くの日本人が,真っ正面からこの大震災を受け止め,まじめにこの震災復興に向けて取り組みをはじめている。もっとも,東と西ではかなりの温度差があることは否めないところではあるが・・・・。
 が,にもかかわらず,今回は,原発事故という身動きできないほどの重い,重い足かせがはまってしまった。その結果が放射能汚染と電力不足という二重苦である。どちらも,わたしたちのほとんどの人たちにとっては初めての経験である。そのために,どのように対応したらいいのか,息をひそめて見守っている,というのが現実なのであろう。わたしもそのひとりだ(ただ,戦前・戦後の停電は経験している。ヒロシマ・ナガサキも子どもごころに深く突き刺さったままだ)。
 電力というものが,ここまでわたしたちの生活を支配してしまっているということを,再認識しながら,「計画停電」なる無計画性に我慢を重ねて,3週間がすぎた。わたしの眼のとどく範囲では,みんな必死になって「節電」に協力していた,と思う。これまで明るかったところが,ほぼ半分の灯に落として,じっとなりゆきを見守っていた。が,「計画停電」なるものも,鳴り物入りで喧伝されたわりには実行される回数も少なく,なんだ,電力は足りているではないか,というどこか拍子抜けの雰囲気が漂いはじめているようだ。「みなさんの節電のお蔭で,いまのところ電力はなんとか足りています。ご協力ありがとうございます」のひとこともないまま時間がすぎていく。
 「慣れる」ということは恐ろしい。いつのまにか「非常事態」が「当たり前」になってしまい,それで平気になってしまう。昨日,今日と新年度のはじまりの土・日ということもあってか,街中の人出は多い。えっ,どうしてこんなに人が出ているの?と思わず足を止めて考えてしまった。そして,いつも通り抜ける溝の口駅前の丸井の1階の灯が明かるくなっている。ここでも,あれっ?と思って立ち止まって考えてしまった。田園都市線に乗ったら,車内放送で,「明日から平常運転を再開します」と言っているではないか。またまた,えっ?である。
 朝夕のラッシュ・アワーは,できるだけ早く元通りにする必要がある,と思う。そして,公務員や企業や学校の通勤・通学が平常にもどる必要がある。そこを,まず,確保すること。それだけで充分。わたしのような昼中を移動している人間には,全線各駅停車で,しかも,7割くらいの本数で構わない。どうせ,ガラガラに空いているのだから。そうして,無駄な電力は使わない,という習慣を浸透させていくことが肝要だ。エスカレーターも昼中は不要。からだの不自由な人のためにエレベーターは動かす。自動改札も昼中は半分でいい。これをこの機会に徹底させること。非常時が与えてくれた絶好の教育のチャンスだ。それをみすみす見逃す手はない。節電教育のチャンスだ。そうして,少なくとも例年のこの時期の消費電力の「3割」節電をめざすこと。この「3割」には根拠がある。なぜなら,全国の電力の3割が原発に依存している,と広瀬隆の『原発時限爆弾』という著書に書いてあるからだ。まずは,「脱原発」を担保するためにも,「3割」節電に向けて努力してみること。そこからはじめることだ。
 このままでは,またまたもとの「ゆで蛙」へ回帰するだけだ。なんの反省もないままに。そして,なんの新たな教訓も身につかないままに。
 「3・11」以後を生きるとはどういうことなのか。それ以前のどこが間違っていたのか,なにゆえに原発に頼らなくてはならなかったのか,なにゆえに,原発建造に歯止めをかけることができなかったのか,出直しのために考えなくてはならないことが山ほどある。それをこれから復興の努力のプロセスのなかで一つひとつ確認しながら,新たな路線を引いていくしかないのだ。その第一歩が「節電」ではないのか。
 これまでのわたしたちは,あまりにも「私利私欲」(我利我欲)に走りすぎ,まことに狭い自己中心主義という隘路にはまり込んでしまっていたのではなかったか。それを大量生産・大量消費というこんにちの市場原理が支えてきた。そして,それらがことごとく叶えられてきてしまった。これは,そのほんの一因でしかないが,最終的には原発推進の後押しをすることになってしまったことは間違いないだろう。つまり,あまりの「贅沢」生活が原発を推進する誘因になった,ということだ。そこに,どうやって歯止めをかけていくか,これはとても難しい問題ではある。
 だから,いま,目の前に設定できる目標として「節電」がある。しかも,かなりの人が積極的に協力して,それなりの実績を,この3週間で示してきているではないか。それを,なんの説明もなく,なんの反省もなく,そして,なんの教訓も残すこともなく,旧に復すという。
 「3・11」以後を生きていく日本人としての指針を,政府は早急に提示すべきではないか。それが,いますぐに(「直ちに」という流行語は使いたくない)はできないというのであれば,できるところからはじめればいい。その第一歩が「節電」ではないのか。
 「節電」をキー・ワードにして,ものの見方・考え方を敷衍していくことによって,少なくとも「3・11」以前と以後とでは,まったくことなる価値観が立ち現れると,わたしは真剣に考えているのだが・・・。
 いかがなものだろうか。

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