2011年4月11日月曜日

三春町に「春風」よ,吹いてくれるな(玄侑宗久)。

 恥ずかしい話ではあるが,数年前にテレビが「ボン!」という大きな音とともに寿命がきて以来,わが家にはテレビがない。だから,テレビに代わる情報はすべてインターネットでアンテナを張っている。これで充分暮らすことはできる,と思っている。
しかし,テレビがあったらいいなぁ,と思うことはしばしばである。友人から,ETV特集「原発災害の地にて~対談 玄侑宗久・吉岡忍」が放映されるよ,と教えられたが手も足もでない。ひとりで地団駄を踏むのみ。そこで,仕方がないので,これまた別の親しい友人たちに,この情報を流して,だれかDVDにして送ってほしいと依頼する。もつべきものは友。
ほどなく待望のDVDがとどく。が,昨日,一昨日と所要があって,これをみる時間がとれなかった。今日,ようやくそれをみた。
玄侑宗久さんが住職をしている福聚寺(500年の歴史をもつ)は,福島第一原発の真西約50㎞ほどのところにある。原発と猪苗代湖の間,やや猪苗代湖に近いところ。三春町。
三春町は,室町時代には御春町と書いたと玄侑さん。三春の意味は,梅と桜と桃の花がいちどきに開花するからだ,と。この土地の人びとはむかしから,雪が溶けて春風が吹いて,いっせいに花が咲くのを心待ちにしてきた。しかし,ことしばかりは「春風」よ,吹いてくれるな,と願わずにはいられない,と玄侑さんは声をしぼりだすように語る。この土地の「春風」は,いつも東から吹いてくるからだ,と玄侑さん。
三春町は福島第一原発から50㎞離れているので,政府発表では安全圏。しかし,風の吹き方によっては危険な地域。小さな子どもをもつ若者たちは,一時,避難しようと考え,行動もする。しかし,老夫婦(両親)は,この土地から離れようとはしない。つまり,家族の離散が起きている。そうして,ほとんどの若者たちはこの町から出ていく。しかし,老人たちは残る。これが,福島第一原発から50㎞の町の,ひとつの現実だ,と玄侑さん。
それに対して,インタヴューアーの吉岡さんは「なぜ,玄侑さんは避難しないのですか」と問う。なんたる「愚問」とわたしのハラワタが造反を起こす。恐れ多くも禅寺の住職(臨済宗)。僧職というのは,この世とあの世とを「橋渡し」する人のこと。もっと言ってしまえば,僧籍に入るということは,一度,死ぬことを意味している。お坊さんとは,あの世からの遣い人だ,と考えた方がいい。墓を守るということは死者の霊を守るということ。そして,つぎに死ぬ人に引導をわたすこと。生きている人がいるかぎり,その人のお別れの儀礼を執り行わなくてはならない。三春町に老人たちが居残っているかぎり,住職が避難するわけにはいかない。(じつは,わたしも禅寺に生まれ育った人間なので,こういうことは知らずしらずのうちに身についている。)
しかし,玄侑さんは,こういうことはひとまず「呑み込んで」おいて(つまり,当たり前のこととした上で),お墓にお参りにくる人がいるかぎり,わたしはこの土地から離れるわけにはいきません,と軽く受け流しておいて,さらに,もし,わたしがこの土地に残っている老人を置き去りにして,この町を離れてしまったら,わたしは「もはや,ことばを発することはできません」と。ここに,みごとに玄侑宗久さんが「ことばを発する」根拠が提示されている。しかも,この土地に居残っている人たちよりも,この土地から避難して,出ていった人たちの方がはるかにストレスは大きいと思います,とまで玄侑さんは思いやる。

じつは,わたしは玄侑宗久さんの小説のファンである,と告白しておかなくてはなるまい。もちろん,玄侑さんの禅僧としての視線が,わたしには心地よく伝わってくるからだと思う。それ以上に,わたしは,玄侑さんが理系(現代科学の最先端)の知識に造詣が深いというところに,わたしにはない憧れのようなものを感じている。のみならず,玄侑さんは,現代科学の最先端のゆきついている結論部分は,仏教の教えとなんの矛盾もない,ということを小説作品のなかで展開している。ここに,わたしはもっともつよく惹きつけられているのだろうと思う。
わたしにはそれはできない芸当なので,あきらめている。しかし,いつのまにかわたしは仏教の教えと哲学・思想との関係に引きこまれるようになっていて,それがまた,ほとんど同じ結論に到達していくことの不思議に,いまは夢中である。たとえば,『般若心経』の世界と西田幾多郎の哲学(『善の研究』の善は禅でもある)はなんの矛盾もない。この西田幾多郎が眺めていた世界は,意外なことに,ジョルジュ・バタイユのとく『宗教の理論』と通底している,とわたしは読み解いている。玄侑さんの到達している禅的世界も,この人たちとなんの矛盾もしない。しかも,玄侑さんは,そこに最先端科学の理論を持ち込んでくる。ここが,わたしには堪らない魅力なのだ。

この番組の最後のところで,「想定外」の話がでてくる。それに対して,玄侑さんは,なにごとにつけ「想定内」でものごとを片づけようとしてきた人間の思い上がり,これが根本的に間違っていたのだ,と声に力が入る。この世で起きることはすべて「想定外」なのだ,と。いま,元気そのものであっても,夕方には死ぬかもしれない。人生はなにも想定できないからこそ,苦しくもあり,また,楽しくもあるのだ,と。人間は大自然という懐に抱かれて,束の間の生をまっとうする,ただ,それだけの存在なのだ,と玄侑さん。そういう存在にすぎない人間が,大自然の活動を「想定内」に収めようとするこの不遜な態度,これを改めなくてはいけない,と。
こんどというこんどは,このことを多くの人が学んで,これからの時代に生かしていくに違いない,と。そして,必ず,日本は再生する,と。このことだけは肯定的に信じて生きていきたい。そこに夢を託したい,と。
こんな話を聴きながら,わたしはまた,バタイユの『宗教の理論』を思い浮かべている。この「想定内」的な発想は,人間が,「動物性」の世界から離脱し,「人間性」の世界に移行しはじめたときからはじまる。つまり,人間であるかぎり背負わなくてはならない業(ごう)のようなものだ。その業との新しい「折り合い」のつけ方を,わたしたちはこれから衆知を集めて編み出していかなくてはならないのだ。
玄侑宗久さんの小説の根源はここにある,とわたしは理解する。
だから,わたしは玄侑宗久さんの小説が好きなのだ。
このテーマは玄侑さんのデビュー作『中陰の花』(芥川賞作品)以来,変わってはいない。

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