2011年4月17日日曜日

大相撲の「八百長」問題,いよいよ最悪のシナリオのはじまり。残念。

大相撲の八百長問題に,一応の結着がついたかにみえる。しかし,これで一件落着ということにはならないだろう。むしろ,最悪のシナリオのはじまりではないか,とわたしの眼にはみえる。まことに残念なことなのだが・・・・。
いくつか問題点はあるが,それらについては追々,このブログでも書いていこうと思う。
その中のひとつ。星風(元十両)の除名処分について,少しだけ,所見を明らかにしておきたい。
以前にも書いたように,星風の八百長は,どう考えても成立しない,とわたしは考えている。なぜなら,その疑惑をもたれた取り組みは「もの言い」のついた一番だったからだ。星風の師匠である尾車親方(元大関琴風)が,調査特別委員会に乗り込んでいって,「もの言いのついた一番がなぜ八百長といえるのか」とねじ込んで,一次調査結果からははずされていたことは,よく知られているとおりだ。しかし,二次調査の結果,なぜか「クロ」と判定されて「引退勧告」ということになった。しかし,その経緯は詳らかではない。
星風は,終始一貫して,「八百長は一度もやったことはない」と主張している。そして,「除名」覚悟で「引退勧告」を拒否した。しかも,ただちに処分撤回を求める法的手続きをとるという。この潔さに,わたしは注目したい。なぜなら,こころの片隅に「疚しさ」があったら,こんなに潔い行動はとれない,と考えるからだ。
ここには,もうひとつの付随した問題がある。調査特別委員会の「引退勧告」どおりに親方が弟子を説得できなかった場合には,親方にも処分が及ぶという約束事がある。これを承知で,星風は行動を起こしていること,そして,それに対して尾車親方はどのように対応しているのか,という点だ。数日前の尾車親方の談話(新聞)では,「こうなったら引退させるしかない。ここまできてしまったら,もはや,相撲がとれる情況にはない」ということだった。このことばどおりだったとしたら,親方は説得に失敗したことになる。しかし,尾車親方は,星風の心情を察して,弟子擁護にまわったのではないか,とわたしは推測している。親方として日本相撲協会の側に立つことよりも,人間として弟子を守る側に立ったのではないか,とわたしは考えたい。なぜなら,尾車親方の人間性を信じたいからだ。相撲解説をとおして伝わってくるかれの人柄が,わたしをそう思わせるからだ。
もし,この類推が正しいとしたら,ことは重大だ。
この動向を見据えたかのようにして,元大関琴光喜が裁判手続きをとった。いよいよ力士の側から法廷に訴える人間が現れた。となると,これまで手も足も出せなかった相撲界の暗部が明るみに出されることになる。
特別調査委員会(委員長・伊藤滋)は「ここは法廷ではない」という立場を貫いた。そして,それを口実にして委員会独自の「処分」を行った。それも,ほとんどは元力士たちの「記憶」にもとづく証言に頼ったものだった。なかには,きわめて曖昧な証言もあったようだ。たとえば,「処分」につながった証言について,最終的に証言者の「署名」がえられなかったものもあった,という。だとしたら,こんないい加減な証言を根拠にして「処分」された力士は,死んでも死に切れないだろう。その一人が星風だ。かれは,このままでは,母国のモンゴルに帰国することすらできないだろう。もし,星風の主張が正しいものだとしたら,どこまでも身の潔白を明らかにしないことにはこのさきの人生はない。
これまでにも「泣き寝入り」させられ,闇から闇へと捨て去られた元力士は数えられないほどいることだろう。そうした人たちも,新たな証言者として立ち上がることも考えられる。となると,八百長問題は完全に泥沼化していくことが予想される。場合によっては,日本相撲協会は一度,解散しなければならないような事態も考えられる。それほどに「八百長」問題の根は深いのだ。
メスを入れてはいけないところにメスを入れてしまった。末期癌患者の患部にメスを入れてしまったようなものだ。むしろ,そういう患者にはヒマラヤ登山に挑戦させるというような治療法を適用した方がいい場合もある。まことに残念ながら,日本相撲協会は「最悪のシナリオ」に向って,その第一歩を踏み出してしまった。合理化が命取りになる典型的な事例になるのでは・・・・・?

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