2011年4月29日金曜日

中部電力が浜岡原発,再開の方針とか。正気の沙汰か?

国が東電に「甘い」ことを見届けたかのようにして,中部電力が浜岡原発再開の方針を打ち出した。「想定外」の事故であれば,「免責」され,国がすべて面倒をみてくれる,と言わぬばかりに。
地獄から便りがとどいたような気分。とても正気の沙汰とは思えない。この人たちは病んでいる。なにに?金に。どう考えても金の亡者に違いない。「命」よりも「金」の方が大事なのだ。
中部電力の言い分は,安全運転の目処がついた,防波堤を急遽(数カ月),設置して安全を確保する,夏の電力不足を確保する,など。これもまた「思い切り」(斑目)的発想の典型。そして,「想定外」で逃げきる。みえみえの発想。信じられない。
安全基準の見直し(再検討)が叫ばれている最中に,新たな,厳しい「基準」が決まる前に「見切り発車」をしておこう,という魂胆。数カ月で設置できるような防波堤がなんの役に立つというのか。夏の電力不足は代替エネルギーで乗り越えられると,多くの識者が裏付けてくれている。
にもかかわらず「原発」でなくてはならないのだ。
なにゆえに,「原発」にここまでこだわらなくてはならないのか。
とても甘くて,おいしい汁を吸うことができるからだ。
だれが?
電力会社の幹部(患部)連中と政治家と官僚と学者先生と評論家とマスメディアと・・・・,つまり,権力に寄りかかってゴマを吸って生き延びていこうという連中だ。
だから,「原発」で金を稼いで,ばらまく必要がある。
節電などしてくれては困る,というのが本音。どんどん使ってもらって,電気料を稼いで,身の保全をはかる。この悪循環から足を洗うことができなくなってしまった「病んだ人びと」。
「計画停電」などをやって,脅しをかけてみたものの,みんなせっせと節電に励むようになってしまい,いまごろになって「しまった」と臍を噛んでいる。だから,電力は十分確保できますよ,運転休止している「原発」の運転を再開すれば,というわけだ。

まずは,東電の「病んだ人びと」を入院させること。その人たちを支えてきた人たち(自民党の先生方,原発推進に力を貸した学者先生方,その他もろもろ)は,すべて,今回の原発事故の責任をとって,入院させること。重い,重い「病気」なのだから。こんな重篤な病人だったとはつゆ知らず,愚かだったわが身を恥じる。この場合の「入院」とは,つまり,辞表を出して退職してもらうこと。退職金はすべて義援金として寄付すること。
その上で,東電を国有化すること。それなら,いまの政府の「大甘」を許すこともできよう。そうでないかぎり,断固,許せない。税金をそんなにたやすく一企業のために使ってくれては困る。いつから,日本国は社会主義の国になったのか。そうではないだろう。だとしたら,一度,東電に破産宣言をしてもらって(実際に全額補償をしていったら破産することは眼にみえている。原発はこれほどのコストがかかるということを認識すべし),執行部を総入れ換えし,管理会社にし,そこから出直すしかあるまい。

いけない,いけない。ちかごろは「我慢」ということができなくなってしまった。わたしもまた「病気」になってしまったのだろうか。そう,「金」よりも「命」の方が大事だと信ずる「病気」に。それは間違いない。しかし,「命」を守るために「我慢」する必要はない。こと「原発」に関しては黙っていてはいけない。だから,ついつい,勢い余って,過激な発言になってしまう。いや,過激に発言させられてしまう。中部電力が浜岡原発の運転を再開するなどと聞いたら。とてもではない,黙っているわけにはいかない。お許しくだされたし。

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