2011年5月1日日曜日

節電の切り札「夏時間導入と自販機撤去で」(岩国哲人)に大賛成。

昨日のブログでとりあげた「耕論」の下段に,「私の視点」というコラムがあり,表記のような見出しがわたしの眼を惹いた。
岩国哲人さんは,いうまでもないが,前衆議院議員・元島根県出雲市長。たしか公募に応じて出雲市長に立候補して当選し,政治家としてのスタートを切った人。この人が2008年4月の衆院環境委員会で議論したときの二つの提案を,いまこそ実現してほしいと訴えている。
それが,サマータイム(夏時間)の導入と自販機の撤去である。これこそが「節電」の切り札だ,というわけである。
サマータイムの導入は,すでに節電目的で,世界の約70カ国が実施している,という。岩国さんは,日本生産性本部の試算を根拠として提示している。それによると,「夏時間で節約できる電力は100万キロワット級の原発のおよそ1基分に相当する。経済協力開発機構(OECD)加盟国で夏時間を導入していない国は日本と韓国とアイスランドだけ。白夜のアイスランドは夏時間の必要がない。韓国は日本より西にあるにもかかわらず日本との時差はないので,いわば一年中,夏時間を行っている」という次第だ。つまり,夏時間を導入していない国は日本だけだ,ということになる。こんなにわかりやすい議論はない。この夏の電力不足が叫ばれているにもかかわらず(実際には十分に足りるという説もある),サマータイムに踏み切ろうとしないのは,なぜか。ここに大きな問題がある。利害得失だ。計算と打算が渦巻いている。ここの主語は想像力で埋め合わせてみていただきたい。だれが?と問いながら。
やろうと思えばすぐにできる。なのに,やろうとしない。やらせない。だれが? なぜ? もう説明する必要もないことだ。かりに,時限立法でもいい。非常時の臨時措置として。とりあえず,ことしの夏はサマータイムを導入してみてはどうか。その上で,問題点がでてきたら,そこで議論を起こせばいい。なのに,この議論がまったく聞かれない。情けない。
もうひとつは,自販機の撤去。これも,もはや不要の長物となった。コンビニがこれだけ普及しているのだから,自販機は不要。岩国さんは,その根拠をつぎのように提示している。
「私が島根県出雲市の市長だった1994年12月,同市議会は酒や成人向け雑誌などの有害図書を販売する自販機を撤去する条例を全会一致で可決した。全国初となる条例だった。出雲市でできたことが,国や他の自治体でやれないはずがない。──中略。日本中の自販機が年間で消費する電力は原発1基分を超えるという試算もある。ちょっとした便利さのためにエネルギーを浪費してしまう象徴が自販機であり・・・・。」
さらに,つづけてつぎのようにいう。
「・・・・08年1月の朝日新聞の世論調査では84%の人が『自販機がなくても我慢できる』と答えている。その割合は,節電意識が高まったこの状況下ならもっと高いのではないか。」

岩国哲人さんの提案にわたしは諸手を挙げて賛成である。
こんなにわかりやすい議論がなぜ世の中に通用しないのか。なにが,通用させようとしないのか。このことをよくよく考えてみる必要があろう。ここにこそ,日本の現代社会が抱え込んでいる「病理」の根源がある,とわたしは思う。
ほんとうに「病んだ人びと」が日本を支配している。その「病んだ人びと」の多くは,わたしたち自身が選んだり,黙認したりすることによって,世にはばかっている。この「病理」にメスを入れるのはわれわれ国民なのだ。ひとりでも多くの人がこの事実に気づいて,これからの行動を起こすべきときだ。が,しかし,まだまだ少数にすぎない。東京都民がイシハラ君を選んでしまったことの責任は重大だ。またぞろ「原発推進」が根を張る根拠を与えてしまった。「脱原発」を掲げて当選した「区長」さんは,早速,「イシハラ君」にやり玉に挙げられている。区民は「イシハラ君」に向けて大いに反論を展開してほしい。獅子身中の虫として,これから大いに活躍してほしいものだ。「区長」さんのレベルでもいい。ひとつでも「脱原発」を掲げる根拠を増やしていくことがこれからは大事だ。

岩国哲人さんのような「正論」がとおる世の中を,みんなでつくっていくしか方法はない。そこに夢をかけて,頑張りたいものだ。日本の未来は遠い。しかし,一歩ずつ前に足を踏み出すしか方法はないのだ。その一歩が時代や社会を動かす原動力なのだから。

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