2011年5月27日金曜日

山本太郎のツイッター発言を所属事務所が否定とか?!ナヌッ?

インターネット情報はリアル・タイムで流れてくるので,とても面白い。空き時間があると,すぐにあちこち面白そうな情報を探して歩いている。

と,早速,山本太郎のツイッターでのつぶやきが,すでに取消になっていて,山本太郎も「つぶやかない」宣言をしたという。しかも,所属事務所は,山本太郎のつぶやきを「事実ではない」と否定しているという。ここまで魔の手は延びてきているということを実証したようなものだ。おもしろいのは,所属事務所の応答の仕方。事務所の電話番の女性が「事実ではない,と応答するようにといわれています」の一点張りで,それ以上のことはなにもわからないということ。

もし,ほんとうに「事実でない」というのであれば,きちんと説明すれば済むこと。それを事務の女性に代弁させて,おうむ返しの応答しかしていない,というこの事実がすべてを語っているとわたしは受け止める。で,もし,ほんとうに「事実」ではなかったとすれば,山本太郎君自身がツイッターで釈明すれば済む。それもさせないで,ツイッターを消去させ,しかも,ツイッターを中止させた,この不自然な力学を考えれば,だれが,どのようにプレッシャーをかけているは歴然としている。こんな子どもだましのようなことをやるところが,まさに,原子力村の応対ととてもよく似ている。

つまり,責任のなすり合い。だれも責任をとろうとはしない。お互いに,だれかに責任を押しつけ合っている舞台裏がいまでは丸見えだ。で,結局,関係者は全員,貝のように口を閉じてしまい,ただ事務所の女性に「事実ではない」と言わせて終わりにしようという魂胆まで丸見えだ。そして,最後は,山本太郎君に責任をとらせようということ。しかし,太郎君のツイッターまで「口止め」してしまった,この恐るべき「暴力」がまかりとおること自体がおかしい。こういう言論弾圧が,日本の社会ではまかりとおる,ということを見逃してはなるまい。

じつは,この構造は,芸能界という特殊な世界にかぎられたことではなくて,ごくふつうの会社でも,大学でも同じだ,ということが恐ろしい。日本の社会のすみずみまで浸透している,という事実。これは,みなさんの身近にもいっぱい思い当たることがあると思う。この「壁」をいかに突き破っていくかということも,じつは,「3・11」以後を生きるわたしたちの大きな課題なのだ。それもこれも,みんな福島原発の事故が引き金となって,長年培ってきた都合の悪いことは「隠蔽」するという日本の悪しき慣習行動が,ようやく明るみにでてくるのだから。

その意味で,山本太郎君,もう一踏ん張りしませんか,と呼びかけたいし,みんなで支援していきたいと思う。福島のご両親やファンの人たちは憤懣やるかたなし,というところでしょう。日本人として,しかも基本的人権を守る立場からして,きわめてまっとうな発言をし,姿勢を貫くことに,闇の世界から意味不明なプレッシャーがかかってきて,ものも言えなくしてしまう。この構造が厳然と存在し,いまも大きな力をもっている。

あなおそろし,あなおそろし・・・・。

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