2011年7月1日金曜日

衝撃の三日間・東北被災地を巡る。

6月28・29・30日の三日間,東北の被災地を巡ってきました。
仙台大学に勤務する友人のNさんが,わたしのために時間を割いてくださり,精力的にあちこち案内してくれました。やはり,こちらにやって来て,現場に立ち,じかに空気に触れ,匂いを嗅ぎ,じっと見つめ,思いをいたし,呼吸をする,そして,時間経過とともにからだに記憶を刻み込む・・・・このことの重要性についていまさらのように思い知らされました。

フル・タイムでわたしを案内してくださった友人のNさんにこころから感謝したいと思います。お蔭さまで,出かける前と後とでは,わたしの見方・考え方に大きな変化が生まれました。またひとつ,自分を「超えでる」経験をすることができました。ありがとうございました。

テレビや新聞,雑誌などでえられる情報は,どこまでいっても,それは「与えられる情報」でしかありません。つまり,ある特定個人によって切り取られ,演出された情報でしかありません。今回は,わたしの注文とNさんの見せたいところとがうまくマッチしていて,ありがたいことでした。

これから,このブログをとおして,印象に残ったこと,考えたこと,感じたことなどを少しずつ報告したいと思っています。ですので,細部については,のちほど・・・ということにして,今回の旅の大枠を報告させていただきます。

初日の午後に仙台大学に到着(船岡駅にNさんが待っていてくれました)。そこで,岩瀬さんという女性との出会いがありました。この人の話もまた,のちほど。Nさんは,すぐに会議があって,その終わりを待ちながら,岩瀬さんとずいぶんとおしゃべりを楽しむことができました。才気煥発の女性で,とても楽しく会話がはずみました。ほどなく,Nさんが会議からもどり,日和山公園に向かいました。それは,わたしの注文でした。もっと近いと思っていたら,船岡からはとんでもなく遠く,わたしの誤算でした。が,ここからの眺望は,やはり,衝撃的でした。山の頂上には鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)が祀ってあって,ここから文字通り海の「日和」を見定めていたことが,からだをとおして納得できました。この帰路には日が暮れてしまい,周囲は真っ暗。途中の松島のあたりも電気の回復が遅れていて,どこもかしこも真っ暗。もちろん,交差点の信号機も作動していません。出会った車同士がお互いに判断して,優先順位を決めています。この「暗さ」のなかに,車のライトに照らされて,根こそぎになった松の大木が道路のすぐわきに姿をみせたりします。転々と家があるのに,どこも「真っ暗」。もちろん,人は住んでいません。こういう光景もまた異様でした。

翌日の29日は午前6時にホテルまでNさんが迎えにきてくださり,行動開始です。この日はまる一日,岩沼市の海岸線を北上し,仙台空港をとおり,どんどん北上。気仙沼から陸前高田まで行って,折り返しました。帰路,一関をとおるというので,世界遺産になったばかりの中尊寺をお参りして帰ってきました。ホテルにもどったのは午後6時をすぎていました。まるまる12時間以上も車で移動していたことになります。この詳細な報告もまた,のちほど。

最後の30日は,午前7時にホテルを出発。こんどは海岸線を南下して,南相馬に向かいました。その途中,二カ所ほど役場に立ち寄り,ボランティア活動の拠点を見学させてもらいました。そして,相馬市を通過して,南相馬に入り,20キロ圏内の関門所まで行きました。放射線の計数器をNさんがとりだし,その数字とにらめっこしながらの旅でした。0.50マイクロ・シーベルトに設定してある計数器が,途中で鳴りはじめ,ドキッとしました。が,まもなく鳴りやみ,ほっと一息。関門所は,近くのコンビニ店の駐車場から観察。警察官の許可をもらって,20キロ圏内に入っていく車が相当数あり,なんとも複雑な気持ちにさせられました。おそらくは,そこに家のある人たちがほとんどでしょう。中に入れば入るほど放射能の値は高くなるわけです。それを承知で入っていく,入っていかなくてはいられない,そういう人たちの思いを,これはその場に立ち尽くしたまま憶測するのみでした。

ここから折り返しですが,南相馬から飯館村を通過して福島市に向かいました。が,これは,言語につくし難い恐怖体験でした。20キロの関門所では,0.50マイクロ・シーベルトよりも値が低かったので,ある程度は冷静にいられました。が,福島市に向かう方向にハンドルを切ったとたんに,計数器が断続的に鳴りはじめました。が,山に近づくにしたがって,断続的ではなく,ひっきりなしに鳴りつづけです。しかも,その値はどんどん上がっていきます。1.00を超えたところで,大丈夫なのかなと思っていましたが,飯館村の前後の山の中では,どんどんその値が上がっていき,とうとう4.80まで上がったときにはわたしの前腕の血液が逆流しはじめました。もう,引き返すに引き返せません。福島市に向かう一本道をひたすら車を走らせるのみです。この道は相馬市と福島市を結ぶ幹線道路で,多くの車が往来しています。みんな,どんな気持ちで運転しているのだろうか,考えてしまいました。

福島市に到着しても,計数器は鳴りっぱなしです。1.80から2.50くらいの間を行ったりきたりしています。福島市を通過して高速道路にのって北上をはじめたら,値が一気にさがり,計数器も鳴らなくなりました。途中で,昼食を済ませ,一路,こんどは東北福祉大に向かいました。午後から,Nさんの講義(非常勤講師)があるからです。Nさんに誘われて,一緒に授業をやりませんか,ということになり,わたしも参入(乱入?)。30分くらい話をしてくれ,ということだったのに気づいたら40分も話していました。この話もいずれのちほど。

この授業を終えて,仙台駅まで送ってもらって,東北新幹線で帰ってきました。
以上が,この三日間の大枠の報告です。
密度の濃い,自己を「超えでる」経験の連続でした。
やはり,思い切って出かけてよかった,といましみじみと思っています。
これから,少しずつ,詳しい報告を書きたいと思っています。
とりあえず,この三日間のご報告まで。

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