2011年7月14日木曜日

東京にオリンピックだって?ならば東京に原発を!。

「日本も原爆をもつべきだ」,だから「原発は必要なのだ」と公言してはばからないイシハラ君が「東京にオリンピックを」という。ならば,東京に原発を!それをも東京都民が賛成するなら,東京にオリンピックをどうぞ。

原爆は既得権を根拠に保有していい国だけがあって,その他の国は保有してはならない,という国際条約のもとに管理・支配されている。明らかに「差別」だ。こんなことがまかり通っている。
「原発は差別のもとにつくられた」(小出裕章)ことは,日々,明らかになってきている。もはや繰り返す必要もなかろう。いつも犠牲者は弱者だ。こんなことがまかり通ってきた。
「オリンピックもまた差別の構造の上に成り立っている」ことも次第に知られるようになってきた。何故に,世界の平和の祭典であるはずのオリンピックがテロリストの攻撃の対象になるのか,考えてみればわかる。文明先進国しか参加できない仕組みをでっちあげておいて,それ以外の国はオリンピックから排除してしまっている。たとえば,オリンピックに参加するには「標準記録」を突破しなければならない。圧倒的多数の発展途上国は,この時点ですでに「差別」「排除」されてしまっている。こんなことがまかり通っている。

原爆も原発もオリンピックも「差別の構造」はまったく同じなのだ。
原爆実験を繰り返した国,原発を推進した国,そして,近代オリンピックを提唱した国,これがフランスという国だ。もちろん,フランスにはこれらとは違う,別のもっともっと素晴らしい顔があることも事実だ。が,それはひとまず措くとして,フランスのクーベルタンが近代オリンピックを復活させた野望がどこにあったかは,すでに,よく知られたとおりである。

にもかかわらず,東京にオリンピックを招聘するためのキャンペーンの一環として,この近代オリンピックを礼賛する記事が,つい最近の新聞に掲載された。しかも,新聞記者が二人の専門家を取材してまとめたものだ。幸か不幸か,この二人の専門家はわたしと同業者でよく知っている人たちだ。ひとりはオリンピック史の研究者と自称するWさん。クーベルタンを取り上げて,オリンピックは素晴らしいと説く。もうひとりはスポーツ人類学の専門家と自称するSさん。嘉納治五郎の精神はいまも立派に生きていると説く。そして,東京にオリンピックを招聘することに賛意を示している(ことになっている)。

こんな記事がまかり通っている。
いいたいことは山ほどある。
が,ここでは,ごく簡単に要点だけを書いておく。

近代オリンピックを立ち上げるときの,最初のIOC委員はクーベルタンの「お友だち」(ヨーロッパの貴族ばかり)に声をかけて選ばれた人たちである。ヨーロッパの貴族たちが集まって,自分たちの意志で,つまり,きわめて恣意的な貴族趣味のもとで,最初の骨格をつくりあげたのだ。だから,最初から「差別の構造」をもっていた。しかも,この構造はいまも基本的に変わってはいない。たとえば,ヨーロッパ出身のIOC委員が全体的には圧倒的多数を占める。いうまでもなく,ヨーロッパの意志を体現したIOC委員たちによって思うままにオリンピックは運営できるようになっている。つまり,オリンピックはユーロセントリズムによる「世界支配」という企みを背後に隠した世界の「平和の祭典」という構造をもっている。こういう「差別構造」を容認していることの結果として「抑圧」「隠蔽」「排除」されてしまう集団の中から,それこそヨーロッパが「テロリスト」(このことばを安易に用いたくはないが)と名づける人たちが現れる。つまり,オリンピックの現体制が維持されるかぎり,そこから「排除」されてしまう人たちの不満は解消されることはない。そのことに怯えながらも,しかも巨額なテロ防衛策を講じてまで,オリンピックを維持しようというこの体質,発想は,まさに「原発推進」の構造そのものである。

現段階でのオリンピック・ムーブメント推進は,原発推進と変わらない。なぜなら,オリンピックには「美味しい蜜」がいっぱいだから。「原発金」(ゲンパツ・マネー)と同じ「五輪金」(オリンピック・マネー)が飛び交っているのだ。その「美味しい蜜」に「汚染」されてしまった人たちが必死になって大義名分を歌い,ウソの上塗りをしているにすぎない。

クーベルタンも嘉納治五郎も,近代国民国家を立ち上げ,その国民国家を支える「有能な国民」形成のために役立つ「青少年教育」の一環としてスポーツをとらえ,柔道を考えてきた人たちだ。いまや,そんな時代ではない。そんな精神が,いまも生きている,役に立つ,と考える「専門家」とはいったいどういう頭脳の構造をもった人びとなのだろうか,と考えてしまう。やはり,「原発は安全です」と証言してきた東大の学者先生たちと同じ体質の「アカデミズム」を呼吸している人たちなのだろう。象牙の塔に籠もって研究一筋で生きた東大教授が,第二次世界大戦が終わったときに,「戦争をやっているとは知らなかった」という有名な話があるが,それと五十歩百歩というべきだろう。いまも,そういう「専門家」はうようよいる。いな,そういう「専門家」の方が圧倒的多数なのだ。なぜなら,そういう研究をやっている方が身の安全を保てるし,教授会という組織のもとでの「昇任人事」をうまくすり抜けるのに必要だから。(ここで引き合いに出してはまことに失礼だが,つねに現実を見極め,ほんとうのことを発言し,行動する人,小出裕章さんは助教である。申し添えておくが,小出さんは自分の身分になんの不満もいだいているわけではない)

最後に新聞記者さんにお願い。専門家を取材するときには,すくなくとも,その専門家の書いたものを読んで,自分なりに大丈夫だという展望をえてから,記事を書いていただきたい。そうしないと,読者はそのまま「鵜呑み」にする人が多いのだから。しかも,そうして「世論」というものが構築されていくのだから。

そして,最後にもうひとこと。
東京にオリンピック?ならば,東京に原発を!

0 件のコメント: