2011年7月18日月曜日

キジマヤーが棲む世界(沖縄のこころ)

久しぶりに牧志の公設市場を通り抜けて,やちむん通りを散策。やちむんとは焼き物のこと。この通りを歩きながら,これはと思う焼き物屋の店内をみせてもらう。これがなかなか楽しい。今は亡き金城次郎(人間国宝)の作品に出会うことも少なくなったが,それでもところどころに置いてある。さすがに,金城次郎の作品はガラス・ケースの中にしまってあって,鍵がかかっている。しかも,値段はついていない。

しかし,金城一門の作品はどこに行ってもみることができる。いわゆる「魚紋」(金城次郎の創作)がトレードマークになっているので,すぐにわかる。金城次郎の三人の子どもさん(2男,1女)はみんな焼き物作家となって活躍している。また,金城次郎の甥やその子どもさんたちも,金城一門に入門し,腕を磨いて活躍している。同じ「魚紋」を描いていても,一人ひとり微妙に違う。手が違えば,それぞれの個性がおのずからにじみでてくる。だから,楽しい。

そんな店の一軒に,創作ものが並んでいるところがある。一本の大きな木に,不思議なかたちをした動物が群がっている。最初は,シーサーがモディファイされたものかなと思って眺めていたがどうも違う。ひょっとするとカッパかな,と想像しながら眺めてみたが,それも違うようだ。なんだろうと思って店番をしていた中年の女性に聞いてみた。そうしたら,これは「キジムナー」です,という。あっ,そうか,と納得。

キジムナーとはガジュマルの巨木に棲むといわれている精霊。だから,じっさいにその姿を確認した人はいない。それぞれ個々人が思いおもいに想像するイメージがあるだけである。ガジュマルの巨木は,那覇のような都市で見かけることは少なくなったが,郊外にでればあちこちで見ることができる。離島に行けばもっと自然がゆたかなので,たくさんのガジュマルの巨木に出会うことができる。また,そういうこんもりとした茂みがあちこちにある。そんなところの巨木には一種異様な神々しい雰囲気があって,なにも知らないわたしたちのような者でも,おやっ,となにかを感じることがある。それがキジムナーだ。

こんなアニミズム的な世界が,まだ,沖縄では大事にされている。とりわけ,幼い子どもたちにとっては,一度は真剣に向き合うことになる大事な存在だという。こういうところを通過して大人になる人たちと,まったく文明化してしまった世界,つまり,自然との触れ合いがほとんどないまま,ましてやキジムナーと向き合うこともなく大人になる人たちとは,大げさにいえば人種が違うとわたしは思う。そこに,わたしなどは,人間の情愛の深さの違いを感じてしまう。

とにかく,沖縄の人たちは「情が深い」。一見したところ,淡々としていて,冷たい態度にみえる。顔の表情もどこか厳しい目つきをしていて,人を寄せつけないものを感ずる。が,ひとたび胸襟を開いて語りはじめると,それはそれはハートの温かい人たちばかりである。この落差にも一瞬驚くことがあるが,まあ,なんとハートのいい人たちなのだろうとしみじみ思う。そんなハートの温かさを形成するひとつの要素として「カジマヤーの棲む世界」を共有し,そこを通過する経験があるのではないか,と考えたりしている。

キジマヤーとガジュマルの木とを一体化させた創作の焼き物を眺めながら,また,ひとつ沖縄のこころの懐の深さを感じた次第。

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