2011年8月1日月曜日

われわれは「災厄の翌日」を生きている。「未来」はすでにここにある。(西谷修)

タイトルの文章をもう一度ここに書いてみよう。
われわれは「災厄の翌日」を生きている。「未来」はすでにここにある。
と西谷修は気合を入れて書いた。

わたしは震撼した。いままでぼんやりしたイメージのなかにあったわたしの意識が,みごとに「言説化」されていたからだ。前半の文章はそのまま素直に受け入れ可能であったとしても,後半の,「未来」はすでにここにある,と断言されて身動きがとれなくなった。なるほど,「未来」は無限にひろがる可能性だと思って生きてきたが,もはや,「未来」はない。これまであった「未来」は「3・11」以後,有限のなかに囲い込まれてしまって,それ以外の選択肢はない。わたしたちは,いま,すでに「未来」を生きているのだ。

書いたのは『ツナミの小形而上学』(ジャン-ピエール・デュピュイ著,嶋崎正樹訳,岩波書店,2011年7月28日刊)の巻末によせた解説「大洪水」の翌日を生きる─デュピュイ『ツナミの小形而上学』によせて,のなかで(P.149)。

ジャン-ピエール・デュピュイについては,『世界』(岩波書店,5月号,P.89~95.)で,すでに取り上げられ,紹介されている。「未来の追悼」,『ツナミの小形而上学』より,と題した橋本一径さんの訳文がそれである。この部分は,こんどの嶋崎訳の単行本の冒頭の論文として収められている。(翻訳ということに興味のある人は,この両者の訳文を比較してみるといい。かつて,ドイツ語からの翻訳にたずさわったことのあるわたしは,そのときの苦労をまざまざと思い出す。)

この『世界』に紹介された橋本訳の末尾に,〔解説〕ジャン=ピエール・デュピュイについて,という短い文章を西谷修が書いている。ついでに触れておけば,同じ『世界』の5月号のなかで,西谷修は「近代産業文明の最前線に立つ」という論考を寄せている(P.80~88.)。こうした論考を通過して,さらに大局的な歴史観に立って,デュピュイの思考を紹介しつつ,西谷修みずからの思想がおのずから噴出するかたちでまとめられたものが,今回の単行本の「解説」である。

細部については「解説」にゆずるとして,わたしの読後の,強烈な印象のいくつかを紹介しておこう。
ひとつは,「3・11」以後を生きるとはどういうことなのか,とわたしなりに自問自答をくり返してきた。そして,それに応答する識者の論考もそれなりに読んできていた。しかし,いま一つ,こころの底からの納得というところには届かなかった。その,なんとも歯がゆい思いをしていたところに,西谷修の「解説」はみごとに応答してくれた。だから,わたしは震撼した,と書いた。

「災厄の翌日」を生きている,という意識はもちろん,わたしのなかにもあった。そして,もはや,それは,これまでのいかなる「災厄の翌日」とも違うものだ,ということも自覚していた。では,なにが,どのように違うのか,ということを自分のなかで整理できないままでいた。それを,みごとに言い当ててくれたのが,「未来」はすでにここにある,というこの一文である。これには参った。

そうか,「未来」はすでにここにある,のか・・・・と。人類の「未来」は,いつも遠い「夢物語」のなかにあった。少なくともわたしの頭のなかではそうであった。しかし,「未来」はすでにここにある,という自覚に立つとき,わたしがこれまで思い描いてきた世界観なり,歴史観が一変してしまった。そうか,もはや人類の終焉のシナリオがはじまったのか・・・と。だとしたら,これからの「世界」をどのように思い描けばいいのか,そして,これからの「歴史」をどのように構想し,記述すればいいのか(もちろん,わたしの場合には「スポーツ史」であるが)。

少なくとも「3・11」以前とはまったく次元の違う,まったく未知の<外部>に投げ出されてしまったことは間違いない。「3・11」以前まではヨーロッパの伝統的な思考にもとづく形而上学の<内>に身をゆだねておけば,それなりの安寧を確保することはできた。しかし,その安寧は崩壊してしまった。そして,その<外>に飛びだしてしまった。好むと好まざるとにかかわりなく。もはや,後戻りはできない。だとすれば,どうすればいいのか。

不遜で傲慢な近代的人間であることを封印して,もう一度,人類が生き延びるための「理性」をとりもどすこと,ここからの再出発しかない。そして,人類の終焉のシナリオを,どこまで「先送り」にすることができるか,そのための「理性」の回復が求められている。このことを,すでに,西谷修は『理性の探求』(岩波書店)のなかで明らかにしている。そして,とうとう『世界史の臨界』(西谷修著,岩波書店)が現実のものとなってしまった。

この巻末によせられた西谷修の「解説」は,小論ながら,コンパクトにいまわたしたちが立たされている位置を,じつにわかりやすく,しかも力強く解きあかしてくれる。ぜひとも,ご一読をお薦めしたい。

わたしは,「未来」はすでにここにある,のひとことで目が覚めた。
これからは人類が一度も経験したことのない未知の世界との闘いだ。その世界が,いま眼前にひろがっている。しかも,そこへの一歩を否応なく踏み出さなくてはならない。その最初の一歩をどのように踏み出すかが問われている。いまこそ,全人類の叡智を結集して,その態度決定をしていかなくてはならない。そのためのわたしたち一人ひとりの「理性」が問われている。と同時に,覚悟と勇気が必要だ。

禅語にいう「百尺竿頭,一歩を出ずる」の覚悟が求められている。

1 件のコメント:

まゆのほっぺ さんのコメント...

文末の「百尺竿頭,一歩を出ずる」という禅語は私の旦那の口からもよく出ます…(笑)