2011年8月2日火曜日

「なでしこ」に国民栄誉賞,おめでとう!

今日の午前中の閣議で,女子サッカーのナショナル・チーム「なでしこ」に国民栄誉賞を授与することが決まった。早速,高木文部科学大臣は,チームの運営や助成のための予算の増額を検討する,と談話を発表した。これで,女子サッカーも一歩前進である。

しばらく前から,民主党政権の人気とりにすぎないとか,大盤振る舞いだとか,チームに国民栄誉賞を授与するのはいかがなものかとか・・・まあ,言いたい人はなんでもいう。もともと政府が決定する国民栄誉賞などというものは,政権の人気とりであり,大盤振る舞いであることはわかりきったことだ。王貞治さんには悪いが,ときの自民党政権の道具に使われたことに変わりはない。だから,もっともっと大盤振る舞いをしてもらって結構。たかがスポーツの話ではないか(されど,スポーツだとも,かつての朝日の名物スポーツ記者中条一雄さんは言った。これは名言。)。

個人であれ,チームであれ,一瞬とはいえ,国民にこれだけのインパクトを与えた功績は高く評価されていい,とわたしは考える。

PK戦でのゴールキーパーのみごとな3セーブにも感動したが,その前の沢選手が入れた同点ゴールは,まさに神技と言ってよい。あのときばかりは,さすがのわたしも,ピッチには神がいる,と確信した。まさに,「神の降臨をみた」。蓮實重彦さんは「潜在的なるものが顕在化する瞬間を擁護すること」「これがわたしのスポーツ批評の基本的姿勢である」と,かれの著書『スポーツ批評宣言』で書いている。

神がいるかどうかはどちらでもいい。しかし,まさに,神がいるのではないか,と思わせるシーンがスポーツの場面ではしばしば現出する。そのとき,多くの人は感動し,ストレスを発散させ,こころをリフレッシュし,大きな勇気をもらう。この瞬間に立ち合うために多くのスポーツ・ファンはスタジアムに足を運ぶし,テレビの前に釘付けとなる。そして,この瞬間を創出するために選手たちは日々トレーニングを重ね,練習に励む。それには涙ぐましいまでの努力と忍耐を必要とする。

そのためには莫大な時間とお金を必要とする。ナショナル・チームに選抜された「なでしこ」の選手たちとはいえ,経済的にめぐまれている選手ばかりではない。ほとんどの選手たちが,アルバイトで資金を稼ぎ,その金を惜しみなくサッカーのためにそそぐ。だから,同じ世代の女の子のような世俗的な楽しみのすべてに目をつむり,サッカーひとすじに打ち込んできた。男子サッカーとは天と地ほどの違いがある。そこを耐えて,今回の世界選手権での優勝である。

神さまは,そういう「なでしこ」たちに味方をしてくれた。神さまはいたずらが好きだから,ときにはとんでもないこともする。だから,時折,そのときの気まぐれで「弱きを助ける」こともする。今回は,実力的には,ドイツ戦以後の闘いは,いつ負けてもおかしくはなかった。にもかかわらず,神さまはなにをお考えになったのか,「なでしこ」の努力に味方した。そして,チームをみごとに生まれ変わらせてしまった。ほんとうに気持を一つにして,みんなが力を合わせた。控えの選手たちもピッチに立つ選手たちと一体化して,試合を闘っていた。

折しも,東日本大震災とフクシマ原発事故のダブルパンチに見舞われ,わたしたちが茫然自失しているこのときに,この快挙である。これが国民栄誉賞でなくて,なにがあろうか。

できることなら,民主党政権のみならず,すべての政党が「なでしこ」に見倣ってほしいものだ。なでしこの選手たちの間にも,そして,監督との間にも,いろいろの葛藤があったと聞く。しかし,ひとたび,ピッチに立ったときにはさまざまな葛藤のすべてをかなぐり捨てて一致団結した。政治家こそ,この「なでしこ」の選手たちを見倣うべきだ。議論はいくら激しくやってもいい。しかし,その目的は,まずは原発制御のためであり,大震災からの復興のためでなければならない。

にもかかわらず,政界(どの政党に限らず)のみならず,財界(電力業界を筆頭に)も,官僚(天下り待ちの)も,学界(とりわけ,御用学者の集団)も,みんな自分たちの利害でしかものごとを考えようとはしない。つまり,「思考停止」状態に入ってしまっている。そこに,メディアが加担している(最近,朝日が脱原発にシフトし,その路線で記事を書きはじめると,こんどはカン君との癒着だと言って叩く)。のみならず,原発安全神話も,東電が公表するデータも,そして民意も,みんな「ウソ」で固めて,「やらせ」までしていたことが,ここにきてみんなバレてしまった。なんとも情けない話である(この情けないは,こんな人たちに騙されつづけてきたわたし自身のことだ)。情けないどころか,自分自身に腹が立ってくる。なんと愚かであったことか,と。

こういう「思考停止」状態の人たちが日本の命運を分ける舵をにぎっている。だから,危なくて仕方がない。「親はあっても子は育つ」と西谷さんは皮肉たっぷりに書いたことがある。親がダメなら子どもが頑張るしかない。これからは親に任せておくのではなくて,われわれ「子ども」たちが力を合わせて舵とりをしていかなくてはならない。

「なでしこ」の国民栄誉賞受賞を契機にして,わたしは,やはりこんなことを考えてしまう。そして,できることなら,「なでしこ」とは,いまの日本にとっていかなる存在なのか,という議論がもっともっとまじめに立ち上がることを期待したい。

その意味でも,「なでしこ」の国民栄誉賞の受賞をこころから祝福したい。
「なでしこ」のみなさん,おめでとう!ほんとうに,おめでとう!
よく頑張った,その臥薪嘗胆の努力に対して,おめでとう,を。そして,歓喜を与えてくれたことに,ありがとう,を。


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