2011年8月7日日曜日

阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」を見学。

8月6日。ヒロシマのことを思い出しながら神戸にやってきた。神戸は夜の花火祭りをお目当てにした観光客が目立つ。それ以上にわたしの目を驚かせたのは若者たちのゆかた姿。若い男女のペアが圧倒的に多かったが,なかには中年の男女のゆかた姿もあって,微笑ましい。東京でも,最近は若者たちの間でゆかたを着るのが一種の流行のようになっているが,よくよくみると,これは単なる流行ではないなと思う。どうやら,いまの若者たちにとっては「ニュー・ファッション」なのではないか,と思う。つまり,「新しい」もの。だから,とても楽しそうにみえる。

そういう楽しそうな若者たちのおしゃれの集団をかわすようにして,わたしたちはまったく別の目的地をめざした。わたしたちとは,むかしの教え子たち。いまは立派な教員。中堅をささえる大事なポジションにいる。その彼らと年に一度,集まって,さまざまな情報交換をする。今回は,神戸に集まった。夜の懇親会までの間,どこに行こうかといくつかの提案があったが,わたしは躊躇することなく,神戸・淡路大震災記念「人と防災未来センター」を選ぶ。

三宮から一駅の春日野道で下車。徒歩10分。6階建てのとてもモダーンなおしゃれな建物。西館と東館の二棟が並んで建っている。その間は広いスペースになっていて,ここでもくつろげるようになっている。料金は大人600円。小中学生は無料。老人(60歳以上)は300円。

1995.1.17。We don't forget.  ~1.17は忘れない~,と配布されたリーフレットの表紙に書いてある。そうだ,寒い冬のできごとだったと思い出す。早朝,夜明け前。まだ深い眠りのなかにいた。突然の横揺れに眼が覚めた。一瞬,30センチほど頭の方に横滑りしたか,と思った。それから激震がつづく。わたしは,奈良の学園前に住んでいた。

あわてて飛び起きて,すぐにテレビをつける。臨時ニュースが流れ,まもなくヘリコプターからの夜景が映し出される。そのとき,すでに2箇所から火がでていた。まだ,小さな炎だった。それに引き換え,数えきれないほどの報道関係と思われるヘリコプターが飛んでいる。わたしは思わずテレビに向って吼えた。報道ヘリは2~3機でいい。あとのヘリは消火に当たれ。いまのうちなら消すことができる。自衛隊もただちにヘリコプターを出動させて消火に当たれ,とわたしは吼えつづけた。が,むなしいかな,火の手はつぎつぎに上り,あっという間に火災の海に変化。

たしか,死者は6千人を越えたと記憶する。
そのときの記憶をよみがえらせてくれるさまざまな展示が,全部で7フロアーにわたってセットされている。とても贅沢な空間である。映像あり,パソコンあり,記録あり,遺物あり,写真あり,・・・・となんでも並んでいる。が,どこか居心地が悪い。展示されている内容が内容だから・・・ということもあるかも知れない。「1.17」を再現する映像室では,「気分の悪くなった人は係員にお知らせください」という予告まであった。が,どうもそれだけではない。

わたしの場合に限ってと限定しておくが,博物館や美術館は見慣れてきているので,かなり風変わりな特別展であっても,それなりに「なるほど」と思うことがある。郷土資料館なども好きで,機会があれば覗くことにしている。しかし,それらともどこか違う。なぜだろう,と考える。

結論。多くのものを見せすぎる。あれもこれもみんな並べてある。雑然と。言ってしまえば,展示のコンセプトが不鮮明。つまり,「人と防災」の未来を指し示す具体的なイメージがみえてこない。むしろ,こんなに「悲惨」だったのだ,ということばかりが印象に残る。それはそれでいい。ならば,もっと徹底してそこに焦点を当てるべきではなかったか。

ご丁寧にも,今回の「東日本大震災」の「津波」被害の展示も,一番目立つ一階フロアーでなされている。ここから入るのか?と最初から,わたしは違和感をもった。違うだろう?と。そして,もっと違和感をいだいたのは,では,なぜ,フクシマは展示しないのか?ということだった。どこか,ちぐはぐしている。せっかく,「人と防災未来センター」とうたっているのだから,もう少しコンセプトを明確にすることができるはずだ。「防災未来」の最先端のテーマは,いまは「フクシマ」にある。

このセンターの管理主体を確認してみたら,(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構,とある。思わず,これはなんだ?と首をかしげてしまった。この研究機構については,いずれ,きちんと調べてみようと思う。ここになにかがある・・・・と,とこれはわたしの直感。

こういう展示館では,出口にはミュージアム・ショップと軽食がとれるカフェがあるのがふつうだ。ここにも,やはり,同じようなものがある。しかし,ショップはお土産品のみ。わたしのお目当ては「図録」だった。が,それはない。あわてて,入り口まで確認に行った。「このセンターの図録のような,なにか刊行物はありませんか」「このセンターを紹介するリーフレットでもいい」,と。受け付けのお嬢さん二人は「まことに申し訳ございません。当センターでは,そのような刊行物はございません」とまことに丁寧。

そうか,このセンターには「学芸員」のような資格をもった人はいないのだな,と納得。まことに贅沢のかぎりをつくした建物。そこに施された設備も一流。しかし,展示に関してはコンセプトがない。この(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構というものものしいネーミングの影になにかが隠されているのでは・・・・と余分なかんぐりまでしてしまった。残念ながら。美名の影に・・・・?

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