2011年8月12日金曜日

スペイン・バスク大学のアシエール教授と大阪で再会。

8月8日(月)から三日間の神戸市外国語大学の集中講義をなんとか無事に終え,その翌日の11日(木)にアシエール教授と大阪で再会した。2007年にスペインで開催された第一回日本・バスク国際セミナー(1週間)のときにはじめて会って以来,意気投合しすっかり仲良しになった。かれもまた日本文化につよく惹かれるようになり,日本語の勉強もはじめた。

以来,第一回セミナーのときに仲良しになった日本人研究者たちと,さまざまなかたちで接触を保ちながら,二度ほど来日し,今回は三度目の来日と記憶する。そのうちの一回は,沖縄の渡嘉敷島でのダイビングと綱引き儀礼のフィールドワークだった。このときは,わたしも参加し,楽しい経験をともにした。もう一回は,安曇野で開催されていた柏木裕美さんの能面展を中心にした安曇野ツアーと,その帰路,わたしの鷺沼の事務所で3,4日の合宿をしながら東京観光を楽しんだ。

アシエール教授は11日の朝8時ころに関西空港に到着して,入国手続に手間取り(どうやら麻薬運搬人と勘違いされたらしく,警察官まで現れたという)相当に疲れているはずなのに,元気に応答してくれた。場所は,大阪のM教授宅。もっとも,わたしと神戸のT教授がやってくることは内緒にして「サプライズ」が仕掛けてあったので,アシエール教授はビックリ仰天。でも,こころからの喜びを全身で表現してくれた。ありがたいことである。

早速,シャンパンが抜かれ,歓迎のパーティとなった。アシエール教授は,すぐに,脱原発デモでインタヴューされたわたしの映像をスペイン国営放送でみて,とても感動した,と切り出した。そのまなざしにとても温かいものを感じ,いい男だなぁ,と感心してしまった。そして,いきなり東日本大震災のことからフクシマの問題へと,一気に問題の核心に触れる話題へと入っていった。こんなときに,やはり,被災地に立ち,フクシマの20キロ地点に立ち,放射能のホット・スポットを通過した経験をしておいてよかった,としみじみ思う。これらの話にアシエール教授はいつもにもまして集中力をそそいで耳を傾けてくれた。かれは,来日の最大のテーマが初日から聞けて,こんなに嬉しいことはないと喜んでくれた。

疲れていませんか,と聞いたら,疲れてなどいられない,と笑う。では,もう少し,ということでセミナーのときに会った友人たちのその後の様子について質問。わずかな間に,人それぞれのドラマがあって,いいこともよくないことも起きている。まあ,それが人生なのだよ,とまじめに語り合う。そして,わたしが日本に滞在している間に研究会はないのか,とアシエール教授の問い。残念ながら,つい4日前に終ったところだ,と応答。でも,いま,ここで,このまま研究会に切り換えればすぐにはじめることができる,とわたし。

では,ということで,アシエール教授ご持参のワイン(バスク地区の名産「リオハ」というとても美味しいワイン)をとりだし,それを呑みながら,ほんとうの「シュンポシオーン」(プラトンの『饗宴』)をはじめることに。そして,いきなり飛び出した話題は「禅」の話だった。アシエール教授は,ヨーロッパでは禅はネガティーブなものだという受け止めかたがされているけれども,わたしはポジティーブなものだと考えるが,どうか,と問う。そこで,禅はネガティーブでもないし,ポジティーブでもない,そういう二項対立的な思考の外に立つものだ,とわたし。いきなりの「禅問答」となる。

アシエール教授のあだ名は「ザビエル」。わたしが命名した。その根拠は,スペインにあるザビエル城(ザビエルの生まれた家,かれは貴族)の中の一室に飾ってあったザビエルが祈りながら上の方を見つめている絵が,かれに似ていたから。かれはそれをとても光栄だけれども,ザビエルは偉大すぎてわたしとはとてもとても・・・・と謙遜。

が,そのザビエルも,じつは日本にやってきて禅僧と会って話をしている。当時の薩摩藩の役人がザビエルに会って話を聞いたけれども,なにを言っているのかさっぱりわからず困りはてた。そこで,一計を案じて,禅僧を会わせてみようということになり,その会見が成立した。しかし,お互いになにを言っているのやら,さっぱりわけがわからなかったらしい。そんな逸話が残っている。

アシエール教授のキリスト教信仰がどの程度のものであるかはわからないけれども(どっぷりではなくて,いくらか距離をおいているように感じている),ものの見方・考え方の基本のところはそこにある。それに対して,わたしの立場は曲がりなりにも禅寺で育ったという経緯もあり,いつのまにか禅仏教の関係の本になじんできたし,いまも道元さんの『正法眼蔵』とは格闘中。そして,わたしなりに信仰の「信」を置いている。だから,ある意味では,キリスト教的発想の人と禅仏教的発想の人との対話ということになる。

話は,当然のことながら,「無」とか,「空」という話になっていく。たとえば,ザビエルも最初に行った修行であるイグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」では,イエス・キリストとの一体化がその目的となっている。それに合わせて説明してみれば,禅の修行は,自然との一体化がそのゴールとなる。この話はいくらかわかってくれたようだが,納得はできなかったようだ。だから,自己が自然と一つになりきることが「無」であり,「空」の世界だ,といってもイメージができなかったようだ。この話は奥が深いので,そんなに単純な話ではないので,また,いつか,じっくりと話をしましょう,というところでお暇をした。

6日(土)から6日間も旅にでているので,こちらもそろそろ限界だ。しかも,午前中からアルコールが入った。こんなことはまことに珍しいことで,わたしのからだの方がビックリ仰天している。午後3時すぎにお暇。またの再会を約して。

アシエール教授は,このあと日本の各地を旅行しながら,屋久島に渡り,屋久杉と対面する。これが今回の旅の一つのクライマックスだ,ととても楽しそう。
楽しい旅ができますように。
Guter reise !

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