2011年8月30日火曜日

両足義足の400mランナーが世界選手権大会で活躍。

生まれたときからむこうずねの骨(脛骨)がなく,11カ月後には両足とも切断した赤ん坊が,いま,陸上競技の世界選手権で大活躍。一次予選を通過して,その堂々たる走りが注目を浴びている。両足義足の400mランナーのオスカー・ビストリウス選手(南アフリカ・24歳)。その義足が,競技を有利にする「補助具」であるかどうか,が大きな論点のひとつになっている。

かれにとっては,ものごころついたときから,その義足が自分の足だった。補助具でもなんでもない。まぎれもなく自分の足だった。その足で立ち上がり,その足で歩くことを覚えた。ふつうの赤ん坊と同じように。やがて,近所の子どもたちと同じように走りまわって遊んだ。成長とともに,その足も大きくなっていった。やがて,駆けっこの面白さに目覚め,走ることに夢中になる。

努力すれば健常者と対等に走ることができるようになると確信したかれは,いよいよ,本格的なトレーニングをはじめる。そのために,かれは桁外れの練習量をこなしたという。トップ・アスリートをめざして,どんなに辛い練習にも耐えた。少しずつ記録が伸びていくのが嬉しくて,歯をくいしばって,みずから立てた練習計画に耐えた。そこを耐え忍んだ結果が,こんにちの姿である。その義足のランナーを排除しようとする動きが一部にある。

この問題を考える上で欠かすことのできない,もうひとつの話がある。
2008年,国際陸上競技連盟は,「同選手の義足は,反発力などで健常者に比べて少ないエネルギーでスピードを維持でき,装置による助力に当たる」という理由でオリンピックや世界選手権への出場を禁止した。しかし,オスカー・ビストリウス選手はそれを不服として,スポーツ仲裁裁判所に提訴した。その結果,「有利となる十分な根拠がない」として,出場が認められることになった。

こうして,晴れて競技会に復帰したかれは,ことしの7月に参加標準記録を上回る45秒07をマーク。いま,韓国のテグで開催されている世界陸上選手権大会に南アフリカ代表選手として乗り込んできた。400mと1600mリレーの選手として。そして,400mの一次予選を通過したことによって,一段と脚光を浴びることになった(今日30日の新聞によれば,残念ながら二次予選を通過することはできなかった)。

さて,テグに乗り込んできてからの,かれの談話に耳を傾けてみよう。
「歴史的な瞬間。世界のトップ選手と競えることを誇りに思う」
「この舞台に立つことで健常者と障害者スポーツの融合の象徴となれることを誇りに思う」
「陸上のようなスポーツでもっとも重要なのは自分に勝つこと。自分との闘いに勝つとき,記録は更新されるだろう」

このオスカー・ピストリウス選手の活躍をこころよく思っていない,競技役員や選手たちも少なくない,という情報が流れている。その理由は「公平性を欠く」というのである。つまり,「平等ではない」というのである。はたして,どうか。この点については,これからオスカー・ビストリウス選手が活躍すればするほど話題になり,議論になるところだろう。メダリストになったら,間違いなく大議論が沸き起こることだろう。

わたしの結論はこうだ。もし,かりに,オスカー・ピストリウス選手が金メダリストになったとしても,かれを排除すべきではない。その理由は,かれにとっては「自分の足」を鍛えに鍛えて,その上で走ったその努力の結果の精華なのだから。もうひとつの理由は,スポーツにおける「公平性」とか,「平等」というものに懐疑的だから。

詳しくは,いずれ機会をみて語ってみたいと思う。今回はとりあえずの頭出しまで。
みなさんのご意見をお聞かせいただければ幸いである。

1 件のコメント:

大仏 さんのコメント...

 見ました。義足のランナー。コーナーで自由のきかない足をうまく操り、見事に走る姿は、義足ではない人とは違う努力が必用だったでしょうね。
 一つ疑問なのですが、世界記録を塗り替えたとしても、やはり、世界記録として認めるべきなんでしょうか。本文にあったように高反発の足になってきたら、不可能ではありませんよね。
 そうなると、陸上競技史上大きな転換点になると思うのですが・・・。ドーピング問題はじめいろんな問題が一挙に議論されることになってくると思うのですが。
 自分の中では、整理がつきません。