2011年9月5日月曜日

「奄美自由大学」(今福龍太主宰)からもどりました。濃密な時間に感動。

奄美大島は山また山の,とても神秘的な島でした。
移動は自動車と船,そして脚。

平地があるのは,飛行場のある島の北部だけ。あとは,全部,切り立った山また山。そして,山から海に一直線に山の傾斜が切り込んでいる。岬はどこも山から海へ一直線。そして,入り組んだ海岸線の入江のあたりにわずかに砂浜(珊瑚の砂)があり,わずかな平地がある。その背後はすぐに大きな山裾につながっている。そういうところに小さな集落がこじんまりと形成されている。そんな可愛らしい集落が海岸線にポツン,ポツンと点在している。

あとは,山。それも尋常の山ではない。島とは思えない高さと深さなのである。だから,うっかりすると長野県の上高地あたりを車で走っているような錯覚に陥る。あるいは,箱根の山の渓谷を登っていくような・・・。ここはいったいどこなんだろうか,と。その山懐の深さが並みではない。ときおり通過する峠の見晴らしをとおして,山また山の奥山の真っ只中にいることがわかる。そこから海はみえない。みえるのは天空のみ。だから,とても,島とは思えない。

むかしの人は歩いて山越えをするか,あるいは,船で海岸線をわたるしか移動の方法はなかったはずだ。だから,隣の集落に行くのもひとしごとどころではない。文字どおりの大仕事だったはず。こんなことを考えると,この島の名前が「奄美大島」となづけられたのも,からだで感ずることができる。それは実感そのままだったこともわかる。とにかく「大きい」。それも,けたはずれに「大きい」。地図でみるとそれほどでもないようにみえるが,島の中を移動してみれば,間違いなくその「大きさ」がからだにしみこんでくる。

この山の大きさ(深さと高さ)は,人間を寄せつけないような,そこはかとない迫力を感じさせるものがある。島全体が山また山だ。北部のわずかな平地を除けば。あとは,入江のほんの小さな平地だけだ。その小さな集落に人びとが身を寄せ合って,ひっそりと暮らしている。そこには人間が「生きる」基本形が,しっかりと残っているように思われる。いや,間違いなく「生きる」基本形が守られ,大切に伝承されている。でなければ,とても安心立命して,生きてはいけないはずだから。

「生きる」基本形とはなにか。背中に大きな山を背負い,眼前にはどこまでも広がる無限の大海がある。この山と海と,いかに「折り合い」をつけながら生きるか。これが,この地で産み出された「生きる」基本形だ。そのために導きだされた「経験知」の集積。


山は大雨が降れば,どこからでも崩れ落ちてくる(今回の移動中も,あちこちで山が崩落している生々しい爪痕をみることができた)。そうなれば,あっという間に道路は遮断され,孤立する。海も荒れれば,いつでも,牙を剥いて襲いかかってくる。この山と海という大自然とどのようにして「折り合い」をつけながら生きていくのか。

その基本は,大自然への畏敬の念だ。人びとは大自然のあらゆるところに「神」を感じ,その「声」を聞く。そして,その存在に「ホーッ」と声を発して応答する。ときには襟を糺して「祈り」を捧げる。その祈りは,やがて歌となり,踊りとなる。そして,旧暦の8月15夜の真夜中の「神々との交信」が年中行事の重要な催し物となる。昼には「相撲」がとられ,「綱引き」が行われ,夜には「舞い踊り」が歌とともに奉納される。そして,「五穀豊穣,子孫繁栄」が祈願される。これが厳しい大自然と「折り合い」をつけながら「生きる」ための人間の「経験知」だ。

このことを車で移動したり,船で離島に渡ったりしながら,ずーっと考えていた。いや,考えるというよりも,自然に思いがそこにたどりついてしまう。だから,気がつくと,そんなことをぼんやりと思い描いていた。どんなに小さな集落にも公民館があって,そこの庭には土俵がある。そして,そのうちの何カ所かでは車を止めることがあったので,わたしの足は一直線に土俵に向う。ちょうど,旧暦の8月15日が近いせいか,土俵の手入れをしている集落の人たちに会うことができ,直接,相撲の話を聞くこともできた。

いまは,勤めの関係で,旧暦に関係なく,それに近い日の「日曜日」に相撲は行われるという。人数も少なくなってしまったので,ことしは何組の取組ができるかはわからない,という。でも,これはむかしから大事にされてきたことだから,止めるわけにはいかない,と。

ある公民館では,おばあたちが「歌と踊り」の練習をしていた。しばらく歓談しながら(今福さんや,毎年参加している人たちはみんな顔馴染なのだ),「歌と踊り」の練習を見せてもらった。途中で,お礼を言って帰ろうとしたら,別れのための歌と踊りをしながら見送ってくださった。「また,いらっしゃい」ということばとはまったく次元の違うところから,このおばあたちの「気持」がストレートに伝わってきた。ああ,なんと気持ちの温かい人たちなんだろう,と。そして,ことばのふくみ持つ意味は,なんと薄っぺらくて,形骸化していることか,と。それに引き換え,生活のなかにしみこんだおばあたちの全身をとおして表出する「歌と踊り」のもつ威力に,わたしのからだは震撼した。初めての経験だった。自分のからだのなかでなにが起きたのだろうか,としばらく呆然としてしまった。

そんなわたしの様子を感じ取られたのか,今福さんがそっと寄ってきて,つぎのような話をしてくださった。
「今日は,おばあたちはみんな気楽に歌と踊りの復習をしていたけれども,本番になるとまるで別人になってしまうんですよ。真夜中の真っ暗闇(ほんとうになにも見えない漆黒の闇だそうです)のなかで歌い,踊りはじめると,昼間,顔馴染だったおばあたちとはとても思えないような雰囲気が立ち現れ,まさにこの世ではない異界に一歩ずつ分け入っていくような気分になってしまいます。それは,もはや人間の世界ではありません。
若いころにメキシコの山奥で同じような歌と踊りに出会ったことがあって,それとまったく同じだと知ったとき,こころの底から感動しました。人間の始原の「祈り」の形態は,どこの地域もみんな同じなんだ,と。そのことを知ったとき,この奄美は自分のからだの奥底に深く浸透していくことになりました。その一環として,この巡礼があるわけです。」

なるほど,今福さんがこの奄美大島に惹きつけられていくひとつのきっかけはこんなところにもあったのか,とわたしはすっかり納得。わたしの長年の研究テーマのひとつでもある「武」と「舞」の同根性とも,みごとに共鳴するものがあって,強く印象に残りました。もう一言付け加えておけば,「スポーツ文化」の始原をみとどけてみたいという強い願望がわたしの中にはいつも働いています。ですから,今福さんのお話からも,その原風景をみる思いがしました。そして,わたしの抱いてきた仮説は間違ってはいない,とも。

ことしの「奄美自由大学」のテーマは,「群島創世記」──アブグイの谺を探して。「アブグイ」のことについては,この前のブログで書きましたので,そちらで確認してください。また,いつか,このブログの中でもあらためて書いてみたいと思っています。

奄美大島は山また山の大きな,大きな島でした。そして,どちらに向って車を走らせても,その山を越えれば,いつかは必ず海に出会います。その海がまた尋常一様ではありません。そして,その先の離島に行くには船しかありません。船に乗ると,それもフェリーのような大きな船ではなく,海上タクシーなる定員14名の,小さな船に乗ると,海との一体感がひしひしと伝わってきます。

乗せてもらっているわたしのからだも,船も,海と同調しないことには,なにもはじまりません。折しも台風12号の余波を受けて,海はまだ荒れていました。が,入り江を離れたばかりの海は静かでした。が,入り江から出て,海峡にさしかかったとたんに海は暴れ出しました。そんなこととはつゆ知らず,船の前方の甲板に居場所を定めて海を眺めていました。ですから,あっという間に波しぶきの洗礼を受けることになりました。しかし,当初はときおり襲ってくる波しぶきに歓声をあげて喜んでいました。ところが,そのうちに,間断なく波しぶきがやってきて,とうとう全身,びしょ濡れになる快感まで味わいました。ふとみると,今福さんも帽子を手で抑えながら,わたしのすぐ後ろで,にこにこしながら波しぶきを浴びていました。

この報告はエンドレス。

とりあえず,無事に「奄美自由大学」からもどってきました,という第一回目のご報告まで。
奄美は大きな,大きな「島」でした。そして,その「懐」の深さが強烈に印象に残りました。

0 件のコメント: