2011年9月8日木曜日

島尾敏雄文学碑・第18震洋特攻隊基地・島尾ミホ生誕地などを巡る(奄美自由大学で)

初日(9月2日),奄美大島から加計呂麻島に渡り,一直線で向かったのは島尾敏雄文学碑の立っている呑之浦でした。代表作の『死の棘』くらいは読み返してからくるべきだった,とこれはあとの祭り。でも,あの作品の舞台になった地に立つことができ感動。

入江沿いの道路から山側のやや奥まった丘陵のとっつきの傾斜地に島尾敏雄文学碑がありました。正面の一番奥まったところにお墓があり,その一つ下の段に御影石でできたアーティスティックなモニュメントがあり,その手前のところにはやはり御影石でできた比較的大きな丸い円環を乗せたモニュメントがあり,その周辺にいくつもの黒御影石に彫り込まれた島尾敏雄の文学碑が,あちこちに建てられていました。道路からアプローチの雑木林のなかを抜けて,真っ正面に立つと,二つのモニュメントとお墓は一直線になっていて,その周囲に文学碑が建っている,という具合になっていました。雑木林の中をわたってくる風は涼しく,そして,とても静かなところでした。島尾敏雄さんという方はこんな感じの人だったんだろうなぁ,と勝手な想像をしていました。

今福さんは,早速,その円環のモニュメントの前にしゃがみこんで,さりげなくお祈り。それに倣う人もいれば,なにもしない人もいれば,人さまざま。わたしは正面に立ったまま,一礼だけして,少し離れたところから気持をこめて『般若心経』を唱えました。すると,島尾敏雄という人がなんだか急に親しい人に思えてきました。不思議です。

その文学碑のあるところから,入江沿いにさらにさきに行くと,そこには第18震洋特攻隊が用いた魚雷船が横穴の中に保存されていました。それも小さな船でした。こんな船に魚雷を積んで若者たちが命懸けで体当たりしていったのかと思うと,情けなくなってきました。その隊長が島尾敏雄でした。ですから,島尾敏雄も,いつかは必ず自分の順番がくる,と承知していました。そんなことを思い描いていたら,ふと,靖国神社に展示してある特攻隊用の飛行機を思い出していました。こちらもまた,まことにちゃちな飛行機で,こんなもので体当たりできたのだろうか,と不思議に思ったものでした。文献によれば,大半の飛行機は敵機に接近する前に墜落してしまった,とあります。この船もまた,そうだったのではないか,と哀しい想像をしてしまいました。

この呑之浦から山一つ越えた入江が押角(おしかく,島口では「おしゅかく」)という集落がありました。ここが,島尾ミホさんの生まれ育ったところです。この集落のかなり奥まったところに道路よりは一段高く土盛りをした空き地(とはいえ,ブッシュに覆われていました)があり,ここにミホさんの生家があったとのことです。ぐるっと回って一番奥まで行ってみると,門柱が一本だけ残っていました。その門柱と道路を挟むようにして小さな川が流れていました。ここが,ミホさんのエッセイにもでてくる思い出の川なんだなぁ,と装像をたくましくしていました。折しも,夕闇がせまり,たそがれどき。まさに「薄墨色」のとき。思いを馳せるには絶好の時間帯。

たっぷりと時間をとって,あちこち集落を散策。といっても,ほんとうに小さな集落ですので,すぐに突き抜けてしまいます。また,住宅であったと思われる空き地もあちこちにあって,若者たちはこの集落からでていく人の方が多いのだろうなぁ,とこれもわたしの想像。押角の船着場の少しさきの方に,ミホさんが勤めていた小学校の跡地があります,と情報通のMさんが教えてくださいました。そのとき,ちょうど,わたしはわたしで,まったく別のことを思い浮かべていました。

もはや,どの作品であったかどうかも定かではありませんが,ミホさんが島尾隊長と密会するときの情景です。夜陰にまぎれてミホさんが島尾隊長に遇いにいくときのシーンです。戦争末期も末期,島尾隊長もまもなく特攻隊員として出撃するということを知ったミホさんは,いてもたってもいられません。もし,出撃したと聞いたら,自分も死ぬつもりだった,とミホさんは書いています。そんなときの密会です。

真夜中とはいえ,だれにも気づかれないように,干上がった珊瑚の海を匍匐前進しながら約束の場に向かいます。到着したときには,腕も腹も脚も擦り傷だらけになっていた,と書いています。そして,帰りもまた同じようにして,擦り傷だらけのからだを海水に浸しながら,匍匐前進です。その場所は,はたして,この押角の海からどちらに向ったのだろうか,と。あるいは,どこか別のところまで陸路を行って,途中から海の干潟を進んだのだろうか,と。いずれにしても,お互いに命懸けの密会です。

そんなことを想像している間に,いつしか夜の時間帯に突入。
駐車場までもどってきたら,地元の若き唄者が車の陰で三線を弾きながら島唄を歌っていました。すると,そこに今福さんが絡み,そして,今福さんの三線の師匠の娘さん(といっても,かなりの高齢者)という人が絡み,3人で,リレーしながら唄がつづきます。突然のことで驚きました。夜の宴会の部で,島唄のインプロビゼーションがある,と聞いていましたが,まさか,ここでもう始まるとは・・・。これもまた今福流?奄美自由大学の流儀?

車に乗って移動を開始したとたんにこんどは空腹感に襲われました。時計をみると,もう午後8時をまわっています。あれあれ,です。そうか,加計呂麻島までくると,日没の時間はこんなに遅いのか,と納得。さあ,今夜の宿は「スリ浜」だ。あと,どのくらい車に乗るのだろうか,と地図を頭のなかに描いてみますが,所要時間まではわかりません。あとは,車に身をゆだねるのみ。夜の宴会思い描きながら・・・・。

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