2011年9月17日土曜日

「3・11」はスポーツを変えるか(中房敏朗)への応答

わたしが主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)のホーム・ページには「掲示板」というページが用意されています。そこには,だれでも書き込みができるようになっています。そこに,わたしたちの研究者仲間のひとりである中房敏朗さんが「『3・11』はスポーツを変えるか」という小論を寄せてくれました。

中房敏朗さんは,仙台大学に勤務するスポーツ史・スポーツ文化論の研究者です。そして,この掲示板には,中房敏朗さん自身が「3・11」以後,語るべきことばを失った辛い経験について,少しずつ書いてくれるようになりました。すでに,その量も膨大なものになっています。一つひとつ応答したいという気持ちがつねにありましたが,同時に,そんなにたやすいことではないということもあって,わたし自身は,しばらく,みなさんの反応を待とうと思っていました。

わたし自身は,このブログにも書きましたが,初期のころの中房さんの呼びかけ(被災地の現場に立ってほしい)に応じて,仙台大学を訪れました。そして,二日間にわたって被災地をくまなく案内してもらいました。やはり,「現場に立つ」ということの意味の深さをからだをとおして知りました。この経験によっななにが変わったか。メディアを流れる情報の受け止め方が変わりました。そして,わたし自身のライフ・スタイルが変わりました。

結論的に言ってしまえば,「3・11」以前のライフ・スタイルに大きな誤りがあったのだ,と。そのトータルな決算報告が,今回の大震災であり,フクシマの原発事故である,と。ですから,まずは,身近なところから,気づくこと,可能なことから,一つずつ,ライフ・スタイルを変えていくことに取り組んでいます。一気になにもかもというわけにはいきません。まずは可能なところから,というわけです。

たとえば,パソコンで仕事をしているときは,部屋の灯はほとんど不要です。小出裕章さんは,もう,20年も前から,つまり,原発に異議をとなえはじめたときから,それ(節電)を実施していると知り,これならわたしもできる,と考え,実行に移しています。食べ物も余分なものを買い込まない,冷蔵庫の負担はできるだけ軽くしてやる,いまは,都会の便利なところに住んでいますので,冷蔵庫はスーバーやコンビニに頼ればいい,という具合です。

こんなことはだれにもできます。しかし,贅沢に慣らされてしまったからだは,それを拒否します。ここに大きなカベがあります。このカベをどうするか,これからみんなで考えていくしかないでしょう。そのためには,もっとも基本的な「生きる」ということ,「人間が生きる」ということはどういうことなのか,という考え方(少し,オーバーにいえば「思想・哲学」)を鍛える必要がある,とわたしは考えています。それなしには,新たなライフ・スタイルを身につけていくことはできません。

こんなことも考えた上で,昨日のブログにも「安易に『3・11』以前のライフ・スタイルにもどってはいけない」と書きました。こうして,生活のすみずみから,みずからのライフ・スタイルを点検し,評価し,改めるべきは改める,いいことはますますいいことになるようにしていく,これしかないと思っています。かつて,大学に勤務していたころに,この悪評高き「点検・評価」に出会い,「こんなことは当たり前のことではないか。おれはずっと以前からやってきたことであって,他人から指図されることではない」と反抗したことがあります。その考え方はいまでも変わってはいません。自分の生活をより充実させるにはどうしたらいいか,はマニュアルに頼るべきものではなくて,みずからの「創意工夫」によるしかありません。

いささか脱線してしまいました。
「3・11」以後のわたしたち(とくに東京周辺に住む人間たち)にとって,まず,取り組まなくてはならないことは,「3・11」以前までのライフ・スタイルの再検討です。電力は無尽蔵に提供されるもの,お金さえ払えばいくらでも使えるもの,という前提に立ち,贅沢のかぎりをつくしてきました。しかも,電力は「原発」というきわめて「安全」な装置によっていくらでも生産できる,と思い込まされてきました。これが,みごとに「創られた」物語であったことが露呈してしまいました。しかも,きわめて「危険」なものという証明書付きで。おまけに,一度,暴走をはじめたら人間の手(技術)ではコントロール不能であるということまでも。

この話をはじめてしまうと際限がなくなってしまいます。
わたしたちの至りついた結論は「脱原発」です。そのためには,まずは,一人ひとりが,できるだけ電気を消費しない生活をめざすことです。そのためのライフ・スタイルの転換が,いま,最大の課題である,とわたしは考えています。ここを改めもしないで「脱原発」はありえないでしょう。

似非インテリゲンチャたちは,自分の贅沢三昧の生活は存分に確保したいために,「経済」重視を理由に,「原発推進でもない,脱原発でもない」という不思議なスタンスをとっています。これは明らかに怠慢です。ここには「思想・哲学」のかけらもみられません。たんなる「わがまま」(my mother=わがママ)にすぎません。そんな人がメディアでは重宝されて,メディアにとってつごうのいい言論を展開させられている,つまり,ロボットです。テレビに登場した,間抜け顔の学者先生たちのことです。それに類する人たちがゴマンといます。いま,その腑分けがもののみごとに進展しています。あと,2,3年経てば,はっきり色分けがなされることでしょう。

そういう大転換期にわたしたちは,いま,立ち会っているわけです。
にもかかわらず,そういう認識の欠落した人たちが圧倒的多数を占めていますので,「この夏の電力危機」は終った,だから順次「3・11」以前の状態にもどしていく,ということが当たり前のように受け止められています。そして,ふたたび旧態依然たるライフ・スタイルにもどりつつあります。ここが大問題である,というわけです。

その意味では「スポーツ」はその最先端を走っているかのように,わたしには写ります。しかし,よくよくみると,プロ・スポーツを中心とした近代スポーツ競技だけが復活していて,順次,そのつぎのランクに降りて行っているようです。そこにはなんの反省もありません。その一方で,被災地(とくにフクシマ周辺)では,まるで取り残されたかのように,スポーツの「ス」の字すら考えることはできない現状があります。このことは,中房さんの論考から,よく伝わってきます。そして,スポーツなるものの無力さも。

そのとおりだとわたしも思います。「3・11」以前までのスポーツの考え方を,そのまま被災地に持ち込むことはもはや不可能です。もちろん,一部では被災の程度によっては,可能なところもあるでしょう。しかし,そのベクトルは,ふたたび「原発推進」への道であることを,わたしたちは忘れてはなりません。そして,そのロジックをわかりやすく提示すること,これがわたしたちの喫緊の課題です。その上で,「脱原発」に向かう新たな「スポーツ文化」を提示していくことだ,とわたしは考えています。つまり,それこそが「21世紀スポーツ文化研究所」の仕事である,と。

わたしたちのライフ・スタイルが変われば,「スポーツ」は変わる。「3・11」は,明らかに現代文明社会の「分水嶺」であった,とわたしは認識しています。ですから,もはや「3・11」以前にはもどれない。もどれたとしても,それは仮の姿でしかない。徐々に,諸矛盾がふたたび露呈してきて,瓦解をはじめることでしょう。多くの人たちがそのことに気づいたとき,一気に,流れが変わるでしょう。そのとき,はじめて「スポーツ」は変わるんだ,と認識されることでしょう。

そのための「道しるべ」をつけること,それがわたしたちの仕事です。そのためにこそ「いま」という時代を生きているのだ,とわたしは考えています。

以上が,とりあえずの,中房さんへの応答です。
なぜなら,まだまだ,書き残していることがらが,あまりにも多すぎるからです。
これまでにも,かなりのところまでは書いてきているつもりです。が,これからはもっと具体的に,あるいは,意識的に「3・11」以後のスポーツ文化のイメージについて記述してみたいと思っています。できれば,コメントを入れていただけると幸いです。











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