2011年9月26日月曜日

北京の街路灯にソーラー・パネル。

25日の夜,中国旅行から無事にもどりました。
大脳新皮質の皮がひんめくられるほどの大きな衝撃を受けて帰ってきました。正直に言って,参りました,というところです。そして,「中国,恐るべし」というのが,いつわらざるいま現在の印象です。
これから,一つずつ,いくつかのトピックスの中から面白そうなものを拾って,このブログでも紹介していきたいと思います。

そのうちの一つ。
北京の街路灯の頭の上に一つずつソーラー・パネルが乗っているのをみて,びっくり仰天してしまいました。もちろん,全部の街路灯についているわけではありませんが,大通りから細い路地にいたるまで,かなりのところまで,みんなソーラー・パネルがついていました。

もう一つは,道路の信号機の上にも,ソーラー・パネルが乗っていました。

また,雲南省の昆明市で宿泊したホテルの部屋は22階でしたので,昆明市の市街を一望のもとに眺めることができました。ここでも,一般家庭の屋根や,マンションの屋上や,役所・病院などの屋上には,ほとんどのところにソーラー・パネルがついていました。このときもびっくり仰天でした。

さらには,風力発電にも相当の力を入れていることも,移動中の山の中の風景を眺めていて確認することができました。たぶん,風通しのいいところを調べて,そこに集中的に風力発電の,あのプロペラが回っていました。そうなんだ,中国は風力にも力を入れているんだ,と再認識しました。

情けないことに,わたしの認識は,中国は原発依存国,という単純なものでした。そして,こんご大量の原発を建設する計画がある,というものでした。その計画に対する危惧が,日本のメディアでは大きく取り上げられていましたので,わたしはそれを丸飲みしていた,という次第です。

ところがそうではありませんでした。
それ以前にやれることはやっていたという次第です。
それも,旅をしていて眼についたからわかったというだけの話です。ひょっとしたら,地熱だとか海流だとかも利用して発電をやっているのではないか,とさえ想像してしまいました。

こういう情報を,なぜ,メディアは報道しないのでしょう。
日本のメディアが,こんな事実を知らないでいるはずはありません。もし,知らないでいるとしたら,とんでもない怠慢です。もし,知っていて報道しないとしたら・・・・これはもっと恐ろしいことです。どうも,こちらの方ではないか,というのがわたしの推測です。

このことはひとまず措くとしましょう。それよりも,北京の街路灯の一本,一本の上に一つずつソーラー・パネルが乗っているという事実を,注視すべきでしょう。そして,信号機の上にも,屋根の上にも,マンションの屋上にも,ソーラー・パネルが乗っているという事実を。

やればできることなのです。
こんな簡単なことを,日本では,なぜ,やろうとはしないのでしょうか。
原発一基を建造し,そこからでてくる使用済み燃料棒を冷やしつづける経費を,そっくりそのままソーラー・パネルの設置費用に振り向けるだけで,クリーン・エネルギーの確保に大きく貢献できるはずなのに・・・・。なぜ?

ここでは,疑問を投げかけるだけにしておきます。
こんなに単純なことを,なぜ,やろうとはしないのか,と。

中国では,やれることはやっている,その上で,原発の議論を展開している,という事実。
他方,日本では,やれることもやらないで,ただひたすら原発推進が議論されている,という事実。

なんだか,情けなくなってしまいます。
みなさんはどうお考えでしょうか。

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