2011年9月27日火曜日

白鵬20回目の優勝。透けてみえてくるシナリオ。

中国に行っている間に大相撲は千秋楽を迎えていました。
そして,白鵬の20回目の優勝。まずは,おめでとう。これで,かれの念願であった大横綱への階段をひとつクリアしたことになります。モンゴル相撲の大横綱だった父親への最大のプレゼント。新聞によれば,初めて優勝パレードの車に父親を乗せたという。よほど嬉しかったのでしょう。

それと,もうひとつ,今場所の話題は琴奨菊。大関とりの場所。それも,みごとに12勝をあげて達成。そのあとを追うようにして,稀勢里も12勝をあげ,来場所の大関とりに名乗りをあげました。後半戦は大いに盛り上がっただろうなぁ,と取組み表一覧をみて,そう思いました。

ひとつだけ残念だったのは,日馬富士。前半戦,気負いすぎたのか,無駄な星をいくつも落としてしまいました。やはり,大関,横綱をねらう場所の「こころ」の置き所がいかにむつかしいか,ということがよくわかります。そこを通過してこそ,大関,横綱と呼ばれるに値するというもの。何回もの試練を一つずつクリアして,最終的に突破すればいい。日馬富士にはそれだけの素質がある。あとは「こころ」の問題を時間をかけて向かい合うこと。そこをクリアした暁には,日馬富士は白鵬にとって恐るべき脅威となろう。

一つひとつの取組みの映像をみる機会を失してしまいましたので,仕方がありません,星勘定をじっと眺めながら,もうひとつの大相撲の楽しみ方を味わってみることにしました。

ここからは,完全なるわたしの個人的なアナロジー。透視術。
対象は,白鵬の13勝2敗,琴奨菊の12勝3敗,稀勢里の12勝3敗,そして,日馬富士の星の内容。この4者の星勘定をよくよく眺めてみると,まことに面白い大相撲のもうひとつの世界が透けてみえてくるように,わたしには思えました。

まずは,白鵬の二つの黒星。いずれも,次期大関と角界が期待する琴奨菊と稀勢里の2力士に献上したものだ。わたしは思わず「白鵬は大人になったなぁ」と唸ってしまいました。そして,文字どおりの「大横綱」になった,と感心してしまいました。なぜなら,横綱はただ強ければいいということではないからです。むしろ,後輩を本場所の土俵の上で育てながら(星を譲りながら),最終的には「優勝」をわがものとすること,これこそが「大横綱」への道なのだ。

かつて,千代の富士は,貴乃花に星を譲って(まことに不思議な負け方をして),その一番を最後に引退しました。あまりにあっけない幕切れではありましたが,他方では「なるほどなぁ」と感心もしました。こんな例はほかにもあります。が,ここではこの一番だけにとどめておくことにしましょう。

そして,千秋楽の白鵬と日馬富士の一戦。この一番は,なにがなんでも日馬富士は勝ってはならない一番であるということを,日馬富士はわかっていたと思います。ですから,がっぷり右四つとなり,左からの上手投げに転がっていきました。これでいいのです。問題は,右四つの態勢で,どこまで抵抗することができたか,そこにあります。おそらく,日馬富士のことだから,このときの態勢について十分にからだに記憶を叩き込んだことでしょう。その経験が,つぎの場所に生きてきます。

もし,このとき,日馬富士が勝ってしまうと,白鵬,琴奨菊,稀勢里の3力士が12勝3敗となり,優勝決定戦へとなだれこみます。観客はそれを大いに期待しただろうと思います。が,それはまずいのです。それをやってしまうと,のちのちに,ややこしいことが起きてしまいます。なぜなら,大相撲の力士たちは,みんな「仲良し」なのです。その「和」をくずすようなことはしてはならないのです。ですから,もし,優勝決定戦になったとしても,みるべき相撲内容にはならなかったでしょう。しかも,いとも簡単に白鵬の優勝が決まってしまうはずです。このからくりを知らない観客は喜んだとしても,玄人すじは喜びはしません。

日馬富士はそこまで読み切った上で,みずからのはたすべき役割の相撲をとりました。これがわたしのアナロジー。だとすれば,来場所,来々場所の日馬富士の相撲に注目が集まります。そして,おそらく,3場所後には横綱になっているでしょう。白鵬もその後押しをするでしょう。そして,稀勢里も,来場所に12勝をあげて大関へ。

これが,わたしの考える「シナリオ」。幕内の力士であれば,このくらいのことは十分に承知していることでしょう。そうして,大相撲全体が盛り上がらないかぎり,二度と「満員御礼」の垂れ幕は下がらなくなってしまうでしょう。それは,自分たちのおまんまの食い上げになってしまうことを意味します。ですから,そのことのためには,みんなが無言で協力する。これを,間違っても「八百長」と呼んではなりません。

もし,これを「八百長」と呼ぶのであれば,政界,財界,学界,メディア界は「八百長」だらけの「ドロ沼」そのものだ,と言わなければなりません。むしろ,こちらの方がはるかに罪が深いと言わなければなりません。メディアに大相撲を断罪するエネルギーが残っているのなら,それよりさきに,フクシマ原発をめぐる責任問題を弾劾してほしい,とわたしは考えています。

さてはて,来場所がどのような展開になるのか,わたしはいまから胸がどきどきしてきます。わたしの描いたシナリオどおりに展開するのか,はたまた,それとはまったく別のシナリオが展開することになるのか,興味は尽きません。

実力と演出という,虚実皮膜の間(あわい)にこそ「真実」は宿る,といいます。大相撲の面白さは,ひとくちに言ってしまえば,まさに,ここにある,という次第です。たんなる勝ち負けだけではなく,職業として角力社会を生きるということは,ことほど左様に単純ではありません。それらのすべてを視野にいれて大相撲を堪能すること,これが日本文化としての大相撲を観照するための基本ではないか,とわたしは考えています。

来場所の大相撲は間違いなく面白くなりそうです。
注目は,日馬富士と稀勢里です。とりわけ,後半戦が楽しみです。
日本相撲協会に成り代わって,乞う! ご期待!

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