2011年10月18日火曜日

西谷修さんのブログで「第5回世界のウチナンチュ大会」を知りました。

西谷修さんのブログはお薦めです,と以前,書いたことがあります。超多忙の日々を送っている人ですので,ブログを書くのはとびとびです。しかし,西谷さんのブログは,まことに時宜をえた鋭いまなざしから問題の本質をみごとに描き出してくれますので,わたしにとっては必見のブログです。そんなブログの最新のものが,「第5回世界のウチナンチュ大会」の話でした。

ウチナンチュとは「沖縄の人」のこと。ウチナンは「沖縄の」,チュは「人」。わたしのような本土にいる人間のことは「ヤマトンチュ」。ヤマトンは「大和の」,チュは「人」。ひところ「海人」と書かれたTシャツが流行しましたが,これはウミンチュと読みます。ウミンは「海の」,チュは「人」。つまり,むかしから海を生業の場として生きてきた人。すなわち,沖縄の男性のこと。

このウチナンチュの第5回目の世界大会が開催された,というお話が西谷さんのブログに,かなりの思い入れをこめて書かれていました。詳しいことは西谷さんのブログで確認してみてください。要点だけ書いておきますと,かつて,沖縄から世界に移民して行った人がたくさんいて,その人たちの二世,三世,四世の人たちが「お里帰り」をするイベントです。5年に一回くらいの間隔で開催されています。それはそれは大きなお祭りです。

たまたま,偶然にも第4回大会のときに沖縄に居合わせて,最後の二日間ほど本部会場に通いました。が,ちょっと筆舌につくしがたい一種独特の熱気のようなものが漲っていて,その熱気に圧倒されてしまいました。沖縄の人たちの,あの情熱というか,熱いハートはどこからくるのだろうか,としばし茫然としてしまったことを記憶しています。やはり,長い苦難の歴史をかいくぐって生き延びてきた人たちだからこそ持ち合わせることのできる「ハート」なのだろうなぁ,と憶測する以外にありませんでした。

このときのことを,西谷さんのブログが,生々しく思い起こさせてくれたという次第です。いろいろの記憶が甦ってきましたが,なかでも,エイサーのもつ懐の深さのようなものが,わたしには強烈でした。その様子は,西谷さんのブログにリンクされている「You Tube」をとおして確認することができます。わたしは昨日も一昨日も,時間の許すかぎり,You Tube の伝える「第5回世界ウチナンチュー大会」の映像を食い入るように眺めていました。そして,ウチナンチュの人たちのこころの奥底に宿っている先祖伝来の,もはや遺伝子としかいいようのない,全身の細胞の一つひとつから表出してくるような,エイサーに寄せる「思い」に圧倒されていました。

なぜか,涙が流れてきて仕方がないのです。その理由も説明のしようがありません。気づけば涙が流れているのです。そして,何回も声を出して慟哭しているのです。こんな「わたし」がわたしの中にいたことも驚きでした。

エイサーは,もうよくご存知のように,団扇のような小さな太鼓と,肩からぶら下げる大太鼓を打ち鳴らしながら,舞い踊る(躍る),とても勇壮なパフォーマンスです。しかし,よくみていると,とても不思議な所作に満ち満ちているのです。勇壮でいて,どこかもの悲しい。そのもの悲しさを吹き飛ばさんとばかりに,躍動しながら舞い,かつ躍ります。

しかも,このエイサーの主役は若い人たちです。しかも,男も女も区別はありません。男女混合の集団を形成して,太鼓を打ち鳴らします。そこに,もちろん沖縄民謡が,伴奏音楽として後押しをします。沖縄民謡の歌詞は,わたしたちヤマトンチュには理解不能です。英語の歌詞よりもむつかしい。ときおり,テロップが流れて,歌詞の一部を理解することができます。しかし,このテロップをみて,わたしなどは,またまた「ドキリ」とし,涙腺がゆるんでしまいます。こんな「意味深」な歌が,いまも歌われているのだ・・・・と。その歌詞は人生の喜怒哀楽をそのまま写し取ったものばかりです。こうしてウチナンチュのハートの温かさは伝承されてきたのだ,と納得です。

歌と踊り,これが人類に共通の「こころの故郷」であり,「ことば」であり,共同体を形成する根源にあるものだ,としみじみ思いました。

そういう映像がつぎからつぎへと連なっています。ぜひ,お試しください。
ただし,時間は限りなく奪われることを覚悟で。
いやいや,そんな時間から解き放たれるためにこそ。
そこに,わたしたちが遠い忘却のかなたに置き忘れてきた,人生にとってもっとも大事な時空間が無限に広がっています。
わたしの涙腺がゆるむ reason (原因,理由,根拠,理性,道理,理屈)も・・・・。



0 件のコメント: