2011年10月27日木曜日

サクセスフル・エイジングということばが,すでに認知されているとか。

木直木寸十具也さんからのコメントで,サクセスフル・エンジングということばが,すでに,介護福祉の資格をとるための授業のなかでとりあげられていて,しかも立派な概念規定までされていて,かなり詳しく説明されているということを知りました。わたしの不勉強が露呈した一幕でした。

しかし,そのコメントに書いてあることを一見した瞬間から,わたしはフリーズしてしまいました。エーッ,こんな意味内容で,このことばが世間に認知されているとは・・・? おまけに,専門家といわれる人たちがもっともらしくこのことばの解説をし,それをそのまま学んでいる人たちがいるという事実にまたまたびっくり仰天です。そして,このようにして,このことばが社会のなかに浸透していくのだ・・・と考えたときから,わたしは絶望のどん底に落ち込んでいます。

そのコメントによれば(ぜひともご参照のこと),サクセスフル・エイジングとアンチ・エイジングが対比されていて,さらに,プロダクティーブ・エイジングということばまで説明されているとのこと。またまた,「エーッ?!」と声をあげてしまったほどです。(いつもだと,ここは「ビックリ仰天」と書くところ。今回は自重しました。すでに,一度,使っていますし・・・。)

プロダクティーブ・エイジング。じっと,このことばをみつめてしまいました。エイジングとは「加齢」。だとすれば,直訳して「生産的な加齢」とはどういうことを意味するのだろうか,と。これは英語圏で用いられている生きた英語なのだろうか。それとも日本人が得意とする和製英語なのだろうか。とまあ,いつものように考えてしました。この点について,木直木寸さん,わかっていることがありましたら,ぜひとも教えてください。

プロダクティーブ・エイジング。「生産的に加齢すること」。他人よりも早くどんどん歳とっていくってこと?生産性・効率性を高めて加齢するって,どういうことなの?やはり,早く死ね,ということ?という具合にひねくれ者の(いやいや,まことに素直にものごとを考える)わたしは「ことばが意味しているとおり」の解釈をあれこれ思い巡らせてしまいます。

ですから,これは,ひょっとしたらお釈迦さんの説いた初期の仏教思想を反映しているのではないか,というところまで到達してしまいます。なぜなら,お釈迦さんが説いた仏教の根本にある思想は「死の奨め」です。つまり,潔く,綺麗に死になさい,ということ。人生のなかにうしろめたさを残すことのない,清浄そのものの,ごくごく自然体の生をまっとうしなさい,という教え。そうすれば,あなたは「浄土」にいくことができますよ,とお釈迦さんは説いています。あまり出すぎた余分なことをすると,もう一度,やり直しなさい,というわけで輪廻転生の循環から抜け出せなくなってしまい,永遠に「浄土」に到達することはできなくなってしまいますよ,とお釈迦さんは言います。

これともちょっと違うなぁ,プロダクティーブ・エイジング・・・・。あっ,そうか。日本にもむかしはあったと聞いている「飛び級」のことかな?外国にはいまもこの制度がかなり残っていて,天才的な知能をもったこどもたちは「飛び級」をして,上の学年に入れてもらえるという。でも,これは制度上の物理的な時間を飛び越えるだけであって,生物学的な意味での「加齢」ではないですよね。これも違うとすれば,いったい,どういう意味なんだろう。

コメントを入れてくれた木直木寸さんの説明によれば「高齢になってからも生産的かつ創造的な生き方を目指す」のが,プロダクティーブ・エイジングだということだそうです。しかし,これではプロダクティーブ・エイジングの説明にはなっていませんよね。加齢ではなく「生き方」のことを言っているだけです。ですから,もし,この意味のことをカタカナ語で表記するとすれば,それは「プロダクティーブ・ライフ」かな。

ことほど左様に,コメントしてくれた「サクセスフル・エイジング」の意味も,わたしにはよくわかりません。すなわち,「長寿で,生活の質が高く,社会貢献をしていることを構成要素とする」のがサクセスフル・エイジングだというのですから。これも,カタカナ語を当てるとすれば「サクセスフル・ライフ」でしょう。ただ,それだけの意味だとしたら,「サクセスフル・エイジング」とはなんの関係もない無縁のことのはずです。

このように考えてきますと,「アンチ・エイジング」ということばだけが,すんなり理解できます。「老化に抵抗して健康長寿を目指す」はそのとおりだと思います。しかし,このことばも,よくよく考えていきますと,いかに矛盾に満ちた意味内容のまま,世間に認知されつつあるか,ということがわかってきます。つまり,「加齢」することは「悪」である,だから,これには「アンチ」(抵抗)しなければならない,でないと早く死んでしまいますよ,すなわち,死ぬことは「悪」である・・・と。これはとても恐ろしい考え方ではないでしょうか。いったい,いつ,だれが「加齢」を「悪」と断定したのでしょうか。

この答えはかんたんです。あらゆることがらが「右肩あがり」に,進歩発展していくことが「善」であって,下降線をたどることは「悪」である,と断定したのはヨーロッパ近代の合理主義の考え方です。この考え方が,明治になって日本にも移入され,あっという間に広まってしまいました。ですから,現代を生きているわたしたちは,無意識のうちに「加齢」,すなわち「右肩さがり」は「悪」であると思うようになってしまったというわけです。

「加齢」が「悪」であるとすれば,長生きをすること,すなわち「健康長寿」も「悪」だということになってしまいます。そうなりますと,木直木寸さんが学んだという「エイジング」の三つの考え方そのものが,根底から崩れ落ちていくことになります。

長くなってしまいましたので,このあたりでひとつのまとめをしておきたいと思います。
「エイジング」とは,生まれたときからじっくり時間をかけて発育・発達し,やがて成長曲線のピークに達し,そのピークを経過すると,こんどは老化しながら,徐々に「死」に向かって進んでいくこと,ただ,それだけのことです。ですから,サクセスフルのもつ一番大事な意味は,「死を恐れなくなる」エイジングにあります。エイジングを上手に重ねていきますと,やがて,「死」を恐れることなく,心安らかに「死」を受け入れることができるようになります。このようなエイジングが「サクセスフル」なのです。

というように,わたしは考えています。
サクセスフル・エイジング講座のすすめ,の具体的な内容については,これから折にふれて少しずつ書いてみたいと思います。

ということで,今日のところはここまで。

1 件のコメント:

木直木寸十具也 さんのコメント...

3つのエイジングにつきまして、わたくしの知りうる、教わった限りのことを書きます。
サクセスフルエイジングについて、テキストでは「老化にうまく適応した幸せな老年期の生き方」のことであり、「その構成要素は、長寿であること、生活の質が高いこと、社会貢献をしていること、とされており、身体的健康、精神的健康、社会的機能や生産性、主観的幸福などが指標である」と説明されています。アンチエイジングとプロダクティブエイジングは、以前書き込んだ内容の通りです。
これらの言葉は、「老いをいかに受け入れるか」という文脈から出てきたものです。老いの喪失体験(心身機能の低下、社会的地位や近親者の喪失など、孤独感や不安につながりやすい体験)に直面する中で、老いを受け入れて幸福度の高い生活を目指す、という考え方の例として、3つのエイジングが紹介されているようです。つまり加齢によって生活が変化しても、生活の質(生活環境や幸福感など)を低下させないようにする、ということなのでしょう。介護福祉では利用者がなるべく介助なしに、残存する機能を生かして生活できるように手助けすることが基本とされているので、このような考え方も紹介されたのではないかと思います。
ちなみに、productive agingをgoogleで検索したところでは、どうやらこの言葉は和製英語ではなさそうに思われます。