2011年11月2日水曜日

「毎日,毎日,憂鬱で仕方がない」「それはまともな人間であることの証です」

今日は太極拳の稽古の日。いつものように稽古のあとの「ハヤシライス」の時間,例によってNさんを囲んで,とても有意義な会話を楽しむことができました。この時間が,ひょっとしたら,一週間で唯一,もっともくつろぎつつ,密度の濃い時空間を堪能しているのではないか,そして,この時間があるから,また,一週間がやっていけるのではないか,とわたしは感じています。とても,ありがたいとこだと思っています。

「最近,毎日,毎日,いやなニュースばかりで,考えれば考えるほど憂鬱になってきて,そのうち,ほんとうの<鬱>になってまいそうです」とわたし。「それはまともな人間であることの証です」とNさん。「わたしなどは,食べたものを吐いてしまって,月曜日はまる一日,寝てました」とNさんがつづける。「いまどき,なにも感じないで平気でいられる人の方が異常です」とも。「ああ,そうなんだ。わたしはまともな人間の方に属しているんだ」と,少しばかり安心。でも,だからといって,こころは少しも晴れません。

制御不能となった原発の後始末の方途もみえないというのに,平気で原発をベトナムに売りつける政府・財界・官僚。止まっていた「玄海」の再稼働を,知事・市長・町長が手を結んで,許可したという。地域住民の意志をまったく無視して。この時期に。全国の国民の8割を超える「脱原発」の意志を,まったく無視して平気でいられる,とても人間とは思えない無神経な政治家たち。そして,東電・九電・・・・。この人たちもまた,どこまで壊れてしまっているのだろうか,と。アメリカのご機嫌伺いしかしない政府の「自発的隷従」,そして「思考停止」・・・・。

しかも,こんな,どうしようもない現実を前にして,われ関せずという顔をして平気でいられる人のなんと多いことか。「脱原発」といいつつ,なにもしない人たち。こちらサイドも「思考停止」状態に慣れっこになっている。そして,自分の身を守るために抵抗するどころか,いとも簡単に「自発的隷従」の姿勢をとる。それも無意識のうちに・・・・。救いようがない。そんな空気がいま社会の隅々にまで浸透してしまっている。

あー,いけない,いけない。こんなことを書きはじめるとまたまた憂鬱になり,ほんとうの「鬱」になってしまいます。でも,こんなことで鬱になっていてはいけません。世の中には,住み慣れた土地を追われ,あてのない,なんの展望もえられないまま,流浪させられている人たちを筆頭に,程度の差こそあれ,夢も希望もない日々を無為にやりすごすしかない生活を強いられている人たちがいっぱいです。その人たちに比べたら,わたしなどは,まだまだ贅沢というものです。いっそのこと,もう少し本気で憤ってしまえば,鬱などはすっとんでいくかもしれません。その意味では中途半端なのでしょう。鬱を気にすることができる・・・・というのは。

「3・11」を通過して,これからのわたしがなにをなすべきかははっきりしているはず。なのに,動き出そうとしない。からだが動かない。「21世紀スポーツ文化研究所」を立ち上げた,その原点を忘れてしまったかのように。まずは,小さいことからはじめよう,とあのとき考えていたではないか。そして,このブログを書くということも,その延長線上にあるはず。さらには,月例研究会もそのひとつ。その他のことも,そこそこ順調にきているではないか。しかし,なにかかがいま一つ足りない。つまりは「パッション」。

「今日は太極拳のとき,手が止まってましたよ」と感度のいいKさんは見抜いている。あー,そうなんだぁ,見破られている。そういえば,途中で,順番も間違えた。でも,これではいけないと気を取り直して一生懸命に稽古をしたのだが・・・・・。

そういえば,このブログの文体もおかしい。「である調」と「ですます調」がごちゃまぜのままだ。気持か,あちこちに揺れ動いている。おやおや,どうやら本格的な「ウツ」に罹ってしまっているらしい。取り戻そう!「パッション」を。

この「パッション」のことはいつかまた,きちんと書いておきたいと思っています。ので,今日のところは,このあたりでお許しください。

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