2011年12月4日日曜日

快晴。真っ白に冠雪した富士山が部屋の窓からみえます。

朝,起きたら,快晴。雲ひとつない上天気。部屋の窓から,真っ白に冠雪した富士山がみえます。久しぶりに清々しい気分。晴れ男は,こういう天気が大好きです。

11月30日・12月1日に名古屋を往復したときには,富士山には頂上付近にほんのわずかな雪しかなくて,ことしの冠雪は遅いなぁと思っていました。しかも気温は高く,とても冬とは思えないほど。でも,2日には冬将軍がやってきて,ぐっと冷え込みました。そして,また,3日には低気圧の通過で,雨こそ降ったものの,気温は高め。このとき,富士山は雪だったのでしょう。今日,みるかぎりではかなり下の方まで真っ白。これでいよいよ冬化粧ができあがりました。

わたしの部屋からみえる富士山も,ビルとビルの谷間にかろうじて姿を現しているだけで,その他の周囲の山はみえません。いまのところ運がいいということなのでしょう。この眺めも時間の問題でしょう。それまでの間,堪能できることは幸せです。

そのむかし,江戸の人びとは,東京のちょっとした高みからみえる富士山をこよなく愛していたのでしょう。いまでも,東京のここかしこに「富士見坂」という地名が残っています。つい,この間の新聞によれば,富士見坂という地名のあるところから富士山がみえる最後の場所も,まもなく高層ビルが建って,みえなくなるとのこと。地域の住民が必死になってビル建設反対運動を展開して,建設中止を懇願しているものの,それを規制する法律はないので,いずれ,みえなくなってしまうだろうという。

関東平野とはいえ,東京はとても起伏の多い地形です。言ってみれば,坂道だらけです。ですから,低地では富士山を仰ぐことはできなかったものの,ちょっとした坂道を上がっていけば,どこからでも富士山はみえたといいます。いまでは,高層ビルが立ち並び,地上から富士山を仰ぐことはもはや不可能となってしまいました。

この間,横浜のランドマーク・タワーの最上階展望台に昇る機会があり,この日も天気がよかったので,夕刻から日没までの展望を楽しんできました。ちょうど,富士山側は夕日が沈む方向ですので,とても大きくて,真っ黒になっていくシルエットの富士山を存分に堪能してきました。朝早くここに立つことができれば,おそらく朝日にかがやく「赤富士」が眺められるのだろうなぁ,と想像していました。このときも,ことしの富士山は雪がないなぁ,と思っていました。

日本列島のみならず,地球全体が地震の活動期に入ったようで,あちこちで揺れているようです。これは,大昔からつづいている地球の活動ですから,いたし方ありません。これが自然の活動なのですから。日本列島は,統計的にみても,とくに,著しい活動期に入ったといわれています。場合によっては,富士山も,いまは休火山になっていますが,活火山になる可能性もあると専門家は言っています。

鹿児島の活火山・桜島では,11月だけで何万回という活動(小爆発)が記録されている,といわれています。この間の東日本大震災の折の大きな揺れで,日本列島には相当に大きな歪みが起きていて,貯えられたエネルギーも相当なレベルに達しているとも聞きます。松本市では,局地的に地鳴りがしたり,局地的な地震が何回も起きているため,そのための対策に市を挙げて全力で取り組んでいるといいます。松本市民の地震避難に対する意識はとても高い,とも聞いています。同時に,原発に関する市民講座も何回も開かれ,こちらの意識もとても高いとのことです。なにせ,市長さんがその道の専門家ですから。

快晴の冬空に映える富士山はまぶしいほどに美しい。しかし,ひとたび活火山になれば,大暴れする火山です。富士山の肩のあたりにある宝永山は,宝永4年(1707年)の噴火によってできた「新山」であることはよく知られているとおりです。富士山の頂上には,いまも220メートルにおよぶ火口があり,いつ噴火しても奇怪しくはないとのこと。

関東ローム層と呼ばれる黒い土は,富士山がたびたび爆発を繰り返した結果の痕跡として,いまもしっかり残っています。富士山から吹き飛んできた火山灰です。それが,数メートルの層をなしているというのですから,大変です。

鹿児島の桜島は,いまも活火山ですので,周期的に大爆発を起こしています。一度,大きな爆発を起こすと鹿児島市内は真昼でも夜のように暗くなり,地上に数センチにもおよぶ火山灰が積もるといいます。富士山が,もし,活火山になって大爆発を起こしたら,東京も火山灰に埋まってしまい,首都としての機能もマヒするといわれています。これは,いつ起こるかは予測がつきませんが,明らかに「想定」できる範囲内のことです。

そういう世界にも名だたる火山列島・日本に原発が54基も据えられているのです。それも,すでに老朽化して,廃炉にすべき年限にきているにもかかわらず,なおも稼働させようとしている人びとが日本の支配層をなしています。

今朝の美しい富士山を眺めながら,せっかくの清々しい気分が,いつのまにやら,またまた憂鬱な気分にすれ代わってしまいます。なんとかしなければ・・・・と今日も頭を悩ますことになりそうです。せっかくの美しい富士山なのに・・・。

1 件のコメント:

柴田晴廣 さんのコメント...

画像が入りましたね。
 これはいいです。
 以下近況です。
 昨日は秋葉山(東三河式にいうと「あきやさま」ですね)にお参りに行ってきました。
 毎年母が伯母あるいは叔母たちと行っていたのですが、今年は私が代參しました。
 帰りは、遠州森の知人のところに寄り、森の石松の墓(母の祖母はどうも石松と血縁にあったようです。母のあのキャラも石松譲りなのかも?)を詣り、遠州一宮・小国神社の紅葉を見てきました。
 ちなみに浪曲の世界での石松は、三保の豚松のキャラが影響しており、実際には長身色白の美男子だったようです。新城の富岡で生まれ、幼少時に火事で焼け出され、遠州森へ。その火事の影響で吃音があったようですが、「バカは死ななきゃ治らない」といったことはなく、それは上述の豚松との混同のようです。