2011年12月28日水曜日

『東京新聞』の新規の購読者が増えているそうです。

数カ月前に『東京新聞』の集金にきた若いお兄ちゃんに,「『東京新聞』応援しているからね。頑張って!」と声をかけたら,「ありがとうございます」と言って,ペコリと頭を下げたことがある。その頭の下げ方が気に入ったので,「ブログでも応援してるんだよ」と言ったら,「えっ,そうなんですか?ありがとうございます」と,ふたたび,こんどはもっと深く,ペコリと頭を下げた。いまどきの若者にしては珍しいなぁ,と思っていた。

数日前,ふたたび,そのお兄ちゃんが集金にやってきた。嬉しそうに,ニコニコしている。だから,「調子はどう?購読者は増えている?」と声をかけた。そうしたら,「ありがとうございます。昨日3軒,今日も2軒,購読の申込みがありました」という。「それって,凄いことじゃないの?」とわたし。「はい,そうだと思います」とお兄ちゃん。

「最初のころにはゴタゴタがあってご迷惑をおかけしました」とお兄ちゃん。このゴタゴタとは,『東京新聞』がこれまでの新聞配達店から独立して,独自に新聞配達と集金をはじめたことに対する,それまでの新聞配達店がとった妨害行為(じつに,いやらしい「イジメ」のビラを配布したこと)のこと。「最初はなんだろう?なにごとだろう,と不思議だったけれども,すぐに,単なる「イジメ」だということはわかったよ」とわたし。そして,「そんなことは,もう,心配することはないよ」と。「それを聞いて安心しました」とお兄ちゃん。

「ところで,『東京新聞』の購読者が増えていくのは,なぜか,知っている?」とわたし。「さぁ?」と言って首を傾げるお兄ちゃん。「『東京新聞』が脱原発を宣言して,その方針に添って記事が書かれるようになったからだよ」とわたし。「ああ,そうなんですか」とお兄ちゃん。なんだ,そんなことも知らずに新聞を配達しているのか,とちょっと「ムッ」ときたわたし。折角,いい会話ができているのに・・・,そんなものかなぁ,と。

しかし,それは杞憂だった。というか,逆に驚いた。唐突に,「ぼく,福島出身なんです」という。「どこなの?」「福島第一原発から5キロのところにある村です」「えっ,じゃぁ,避難してきたの?」「そうです」「それで新聞配達をはじめたの?」「そうです」「そうかぁ,じゃぁ,大変だったんだねぇ」「ぼくらは帰ることができるでしょうか」「5キロかぁ,ちょっと大変だよねぇ」「南相馬でも,若い人たちはだれも戻っていない,と聞いています」「安心して住めるようになるまでには,ちょっと時間がかかるんだよねぇ」「もう,絶望でしょうか」。ここでちょっと詰まってしまったが,ここで怯んではいけないと自分を鼓舞して「いや,希望は捨てちゃァ駄目だよ。必ず故郷に戻るんだという希望はもちつづけていた方がいい。これを失ったら,生きがいをなくしてしまうからね」「ぼくもそう思います。でも,遠いさきのことですよね」「時間のことはわからない。でも,希望は持ちつづけようね」「ハイッ,ありがとうございます」と,またまた,ペコリと頭を下げた。そして,「済みません。自分のことをしゃべってしまって」「いやいや,そういう人に直接会って話を聞いたのは初めてだったので,とても勉強になったよ」「ありがとうございます。また,こんごともよろしくお願いします」と言って,帰っていった。

とても,爽やかな,いい青年だった。こうして頑張っている福島の若者が,こんな身近にいたということを知って,なんとなく「じーん」とくるものがあった。そして,しまった,名前を聞いておくのを忘れてしまった。こんど集金にきたら,もう少し話を聞いてみようと思う。できることなら,集金とは別に,ゆっくり話を聞いてみたいと思う。ひとりの人間として。

ほんとうに短い会話だったけれども,久しぶりになにも知らない若者と気持ちの通い合うものを感じて,ちょっとだけ嬉しくなった。こういう会話が,最近は,とみに減ってしまった。もっと積極的に,こういう会話ができる場を確保することが,これからの課題だ。やはり,被災地にでかけ,その現場に立ち,そこでの人との出会いをとおして,わたし自身にゆさぶりをかけていかなくては・・・・としみじみと思う。そうしないと,自閉したまま,自己完結してしまう。これではいけない。フットワーク軽く,ここぞと思うところにはでかけなくてはいけない。

この年の瀬に,こういう若者と出会うことができたのは,やはり,なにかの暗示とでもいうべきか。来年は,もう少しだけ「移動」することを考えてみよう。思い立ったが吉日ということばがある。そのとおりだと思う。忙しさにかまけて,自己のうちに閉じていてはいけない,と。

西谷修さんのブログをみると,じつに軽快に,動いている。有馬記念のレースもちゃんとみているし,ふっと思い立ったように仙台に1泊2日ででかけている。そして,ガンジー金田などという不思議なお坊さんとの出会いを楽しんでいる。漁民の話も書いている。人間だなぁ,としみじみ思う。わたしには,こういう素直な行動力が足りない。

来年は,「離脱」と「移動」──これは,西谷修さんの本のタイトルでもある──をテーマに,新たな人生設計をしてみようと思う。『東京新聞』の新規購読者も増えているというし,城南信用金庫も順調に伸びているというし,新聞配達のお兄さんも元気溌剌だし・・・・,こんどはわたしの順番だ。

来年に向けて大掃除でもしようか。

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