2011年12月31日土曜日

この一年を振り返って。露呈した日本のありのままの姿に茫然。

いよいよ,ことしも暮れていく。なにがあっても時間は過ぎていく。待ったなし,だ。年々歳々,人はむかしから,こんな風にして生きのびてきたのだろうか,と不思議な気さえする。でも,それが現実であり,ありのままの人間の生きる姿なのであろう,とも思う。

それにしても,この一年は,いつもとはまったく異なる年だった。しかも,ショックだった。もちろん「3・11」がその引き金になっていることは事実だが,それによって露呈してきた,あまりにも不甲斐ない日本という国を動かしている人びとの,犯罪にも等しい「無責任」体制を目の前にしたショックだ。おそらく,この感慨はわたしひとりだけのものではないだろう。

その一方では,哀しみを内に秘めて被災から立ち直るべく渾身の努力をつづけている人びとがいる。その人びとに,貧者の一灯をともすべく義援金を投じた人びとも少なくない。そして,いまもなお,フクシマでは線量計とにらめっこしながら,被曝覚悟で仕事に取り組む人たちがいる。さまざまなボランティア活動に新たな可能性を見出そうと踏ん張っている人たちもいる。なにもできないが,せめて,デモの行進に身を投じて,ささやかな意志表明をしようという人たちもいる。いろいろの人たちが身を寄せ合って,なんとかしてこの難局を乗り切ろうと必死に頑張っている。こちらに眼を向けると,日本も捨てたものではないなぁ,とも思う。

わたしも,ささやかながら,デモにも参加し,現地にも立ち,「3・11」をめぐる発言(講演,シンポ,など)もしてきた。そして,多くの人びとが,もっともっと積極的な意志表明をつづけている。新聞などのアンケート調査によれば,約7割の人が「原発推進」に反対しているというのに,日本を動かす立場にある人たちは,そういう国民の意志を無視して,原子力ムラの住民としての姿勢を崩さない。それどころか,アメリカの「いいなり」だ。

沖縄のアメリカ軍の基地移転問題も,「評価書」搬入に典型的に現れているように,一方的な押しつけをして頬被り。これでボールは投げた。あとは,打者の問題だ,と言わぬばかりに(アメリカに向けての体裁づくり)。敗戦後,すでに70年になろうとしているのに,わたしたちは,いまだにアメリカの軍事基地を沖縄県民に押しつけたままである。せめて県外移設を,という沖縄県民の意志(悲願というべきか)を,どうして酌み取ることができないのか。

「評価書」搬入が大きなニュースになりかけたところに,消費税の増税をタイミングよく打ち上げ,あっという間に「評価書」問題はニュースから消えてしまった。そして,正月を過ぎたころには,本土の人びとの意識からも消えてしまうだろう。こんなことの繰り返しばかりだ。こうして,沖縄だけは,ずっと「継子」扱いにされてきた。もっとも過酷な軍事基地を70年近くも背負わせて。

復興という,だれも否定できない大看板をかかげて,政府民主党は,かつての自民党政権ですらできなかったことを平気でやり通そうとしている。政権交代の大義名分はどこに行ってしまったのか。わたしたち選挙民の意志は,いつのまに「手品」のようにすり替えられてしまったのか。こんな政治をやっていいとはだれも認めてはいない(原子力ムラの住民を除いて)。

沖縄もフクシマもTPPも,みんな「復興」という大義名分のもとに,わたしたち国民はいいように翻弄されている。まさに,「眼くらまし」状態だ。そこから一刻も早く目覚めなくては・・・・と焦るばかり。

来年こそは,正念場だ。アメリカのいいなりになっている政府民主党の思考や眼を,そうではない,と声を大にして叫び,わたしたち国民に向けさせなくてはならない。これができなかったら,日本という国に夢も希望もなくなってしまう。そういう大転換期だ,とわたしは覚悟している。

なにはともあれ,ことしとの別れを惜しみつつも,来年に向けて身もこころも一新して,新たなスタートを切りたいものである。

みなさんも,よい新年をお迎えくだい。

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