2012年12月31日月曜日

西谷修編『<復帰>40年の沖縄と日本─自立の鉱脈を掘る』(せりか書房)を読む。

 奥付をみると,12月26日第一刷発行,とある。発行されたばかりのほやほやの本を,西谷さんが送ってくださった。いつもながらの温かい気配りが嬉しい。

 喜び勇んで,パッと開いたところが,偶然にも,真島一郎さんの「異族の論理─死者的な」の冒頭だった。このタイトルに惹きつけられるようにして,いきなり,ここから読みはじめた。沖縄を語るときに「異族の論理」と聞けば,わたしたちの年齢なら,まずは吉本隆明の名を思い浮かべるだろう。そして,吉本のこの論考が当時(1970年ころ)の沖縄の反復帰論に檄をとばすことになり,大きな運動の輪がひろがったはかりではなく,反復帰論の理論武装に火がつき,その思想的な深化を要請することになったことも,よく知られているとおりである。そして,それは恐るべき議論の深まりをみせることになり,結果的には,反復帰論の歴史的な論考がつぎつぎに生まれ,こんにちもなお読み継がれている。

 当時の沖縄の反復帰論を支えた3人の代表的な論者のうちのひとり,川満信一さんの論考に,真島さんが注目し,この人の論考をこのテクストのひとつの重要な柱に据えていることが,これまた無性に嬉しかった。というのも,これまでこのブログでもしばしば書いてきたように,この夏の奄美自由大学(今福龍太主宰)で川満さんと初めてお会いし,親しくお話をさせていただいたからである。しかも,その折に,川満さんの個人誌『カオスの貌』の最新号をいただいた。そこには,みずからの少年時代をふり返ったかのような自伝ともいうべき小説が収録されていた。そして,すぐに吸い込まれるようにして読んだ。ちょっと表現のしようがないほど,深く感動した。なぜなら,川満さんがこれまでいろいろのところで書かれてきた「宮古の原思想」ともいうべき「共生の紐帯」「相扶の力」の,原体験が少年の目をとおしてそのままリアルに描かれていたからである。その日暮らしの貧しさのなかで,お互いに生き延びるための村人たちの智慧の凝集がそこにはあった。ここが人間の生きる「根」なのだ,とじっと目を凝らしている川満さんのまなざしが痛いほどわたしのこころに伝わってくる。そうか,こういう「根」があってこそ,川満さんの「琉球共和社会憲法」の草案が起草されることになったのだ,とこころの底から納得してしまう。(「琉球共和社会」であって,「琉球共和国」ではないことに留意を)

 さらに,真島さんは,川満さんのこうした反復帰論と目取真俊の文学作品や評論とをリンクさせ,ここにも深く「異族の論理」が共振・共鳴しているとして,具体的な分析を試みている。目取真の作品は一度でも読んだことがある人なら,あの作品から伝わってくる異様な迫力をわすれることはないだろう。そして,つぎつぎに生み出されてくる目取真作品を追いつづけることになるだろう。かく申すわたしもそのひとりで,いつのまにか目取真作品を追いつづけている。だから,真島さんに導かれるようにして,わたしの理解をはるかに超えたところでの,川満さんと目取真さんの思想の深みへと誘われていく。そこにまた,仲里効さんの批評(『オキナワ,イメージの縁(エッジ)』2007,『フォトネシア』2009,『悲しき亜言語帯』2012,の批評三部作,いずれも未來社刊)を絡ませて,真島さんは反復帰論の「根」を探り当てようと試みる。

 等し並みにオキナワのことはある程度はわかっていたつもりでいたが,この真島さんの論考を読んで,木っ端みじんに打ち砕かれてしまった。深い思想に裏付けされたオキナワ論が自分のことばで語れないかぎり,それは素人の評論と変わらない。つまり,批評のレベルには達しないということだ。

 それから,あわてて,冒頭の編者(西谷修)のはしがきから慎重に読みはじめる。そこには,このテクストの成り立ちと吉本隆明との関連づけがきちんと述べられている。そして,冒頭論文の西谷修「擬制の終焉」──沖縄「復帰」40年も,それにつづく仲里効さんの「内的境界と自立の思想的拠点──ウンタマギルーの眉間の槍は抜かれたか?のいずれも,(そして,もちろん真島さんの「異族の論理──死者的な」も)吉本論文と連動するものであることが明かされている。つまり,「擬制の終焉」「自立の思想的拠点」「異族の論理」である。

 西谷さんと仲里さんの論考については,ここであえて指摘するまでもなく絶品である。西谷さんのいつものとおりの透徹したまなざしは,わたしにとってはいつものとおりのありがたい導きの糸(Leitfaden)であり,仲里さんの批評性に溢れる濃密な論考は,やはり,ウチナンチュとして苦楽をともにしてきた内側からのまなざしに支えられ,「内的境界」(フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』)ということばの意味をさらに深化させてくれている。そして,仲里さんの批評家としての「エッジ」に立つ鋭い問題の指摘は,ただただ感動するのみである。

 ここまで読んだときに,ふと,そのむかし,恩師の岸野雄三先生から「スポーツに思想はあるか」と問題を投げかけられ,その応答に窮したことを思い出す。そして,いまなら,わたしはなんと答えるだろうか,と腕を組んで考える。

 スポーツは政治とは無関係の,独立した文化領域である,などというユートピア的なスポーツ観(論)がまことしやかに語られ,教えられていた,のどかな時代に先生は「スポーツに思想はあるか」とわたしに問題を投げかけてこられたのである。その頃,先生はマルクスの『資本論』の世界に深く入り込んでいた。そして,「君,『資本論』,読んだ?」とも問われた。背中を冷や汗が流れた。以後,のどに魚の骨がひっかかったように,ことあるごとにこの二つの問いがわたしの意識に蘇ってくる。そして,そのたびに思想,思想と尋ね回るようになった。そのころに,西谷修さんとの出会いがあった。思い返せばもう長い時間が流れている。そして,ずいぶんといろいろのことをご教授いただいた。今回のこのテクストもまた,それである。

 そして,今回は,いきなり真島さんの論考との出会いであった。それも,「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定がかかっている」という強烈なことばが,シンポジウムのときの真島さんの発言のなかにあって,それがずっとわたしの頭のなかを渦巻いていた。だから,なおさらである。

 そうか,アフリカをフィールドにして研究してこられた真島さんは,沖縄の問題とアフリカの問題は多少の地平の違いはあるにしても,その根源にある人間の生きる「根」は同じだ,というところに視線を据えて微動だにしない。そんな強い信念・意志のようなものがわたしには伝わってきた。だから,逆に,ここで沖縄が議論されるのと同じ位相でスポーツ文化を語ることができるか,ときびしく問い詰められているようにも,わたしには聞こえてくる。つまり,いま,現実に世界のなかで起きていることは,沖縄であれ,スポーツであれ,アフリカのダン族のすもう「ゴン」であれ,みんな同じ力学のもとに置かれているということだ。それらを,いかに思想のことばで語ることができるのか,それが問われているのだ・・・・と。

 ここまで考えが及んだときに,わたしは恥ずかしくなって,急いで本屋に走った。もう,かなり前に真島一郎編『二〇世紀<アフリカ>の固体形成──南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』(平凡社,2011)を手にとり,すごい本がでているなぁと思いながら拾い読みをしていた。が,購入するにはいたらなかった。理由はかんたん。7,500円という値段に腰が引けてしまったのである。本との出会いというのは微妙である。タイミングというものが必要だ。つまり,こちらのレディネスがないと本の価値はまるで別のものになってしまう。

 が,今回は違う。こんな田舎の本屋にしては珍しく,本文だけで700ページを優に越える大部の本が置いてあるのだ。ひょっとしたら売れてしまっているのではないか,といささか焦りながら本屋に走る。久し振りのドキドキ体験である。いいなぁ,まるで少年時代にもどったようで・・・・。

 もちろん,本はあった。さて,こんどは真島さんの「序・固体形成論」に挑戦である。しっかり読み込んだ上で,年が明けたら,できるだけ早く真島さんに会いにいこう。そして,3月9日(土)にお願いがしてある講演とその後のディスカッションの進め方についてのご相談を・・・。楽しみである。
もちろん,テーマはコートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」について。このすもう「ゴン」がダン族にとっての「根」であることは間違いないのだから・・・・。

2012年12月30日日曜日

年賀状・雑感。

 正月の楽しみは,なんといっても賀状を読むことからはじまります。日頃,ご無沙汰している人からの賀状はとくに楽しみです。ああ,みんな元気にやっているんだ,と安心もします。

 なのに,昨年末には身辺に想定外のことが起こり,とうとう年賀状を欠礼してしまいました。少なくとも成人してから初めてのことでした。いつものように賀状をくださった方々にはたいへん申し訳ないことをした,といまも反省しています。

 ですから,ことしこそきちんと年賀状を出そうとこころに決めていました。が,情けないことに,ことしもとうとう間に合わず,正月になってからとりかかることになってしまいました。残念。

 ことしも,すでに,「喪中につき・・・」というご挨拶状をたくさんいただきました。考えてみれば,わたしもことしは「喪中」の人でした。ですから,賀状は控えるべきか,としばらく考えもしました。しかし,天寿をまっとうした人の場合には,むしろ誇りに思うべし,祝うべしとみずからに言い聞かせ,賀状を出そうと決めました。喪中でも賀状を出すことについては,賛否両論があることも,新聞などで読んで承知しています。そこで,一般論はともかくとして,自分にとって賀状とはなにかと考えました。その結論は,ただでさえ人と人とのつながりが希薄化している時代であるからこそ賀状を出すべし,というのがひとつ。もうひとつは,加齢とともに交際範囲もどんどん減っていく現状を鑑み,賀状は出すべし,というところに落ち着きました。

 それよりも,賀状の内容をどうするか,といろいろ考えてきました。
 若いころには,時間に余裕があったわけでもないのに,何日もかけて版画を彫り,それも何色もの色を重ねる凝った賀状にこだわっていました。また,そういう版画好きの仲間もいて,お互いに交換することを楽しみにもしていました。うーん,あいつ,腕を上げたなぁ,とか。ことしは手抜きをしたなぁ,とか。たぶん,お互いにそんな感想を共有していたのだろう,といまになっては懐かしい思い出です。が,そういう仲間もいつのまにか,出来合いの印刷賀状になり,表書きもパソコン印刷。そこに,ひとことふたこと添え書きがありました。その添え書きも,最近はなくなり,なんとも味わいのない賀状になっています。いまでは,その人の痕跡はどこにも見当たりません。せめて宛て名書きくらいは,手書きで書いてくれればいいのに,などと思ったりしています。そうすれば,相変わらず元気な字だから当分は大丈夫だろう,と想像することもできます。あるいは,字に力がなくなってきたなぁ,ことしは一度,顔をみにでかけようか,と思ったりすることもできます。が,パソコン印刷は,そういう情報もありません。

 人のふりみてわがふり糺せ,といいます。が,情けないことにわたしも,版画はとうに諦め,宛て名書きも毛筆から万年筆に,そして,いまではボールペン。ただ,出来合いの印刷だけはなんとか回避して,自分で文案を考え,パソコン印刷。そこに,干支のゴム印を押して,少しだけ体裁を整えるよう努力しています。さらに,できるだけ,その人に向けた気持ちを籠めたメッセージのある添え書きを書き込むことにしています。が,それでも,いつのまにかマンネリ化してしまい,同じパターンの繰り返しになっています。

 ことしも,そこから大きく抜け出すことはできそうにありませんが,なんとか頑張って毛筆で宛て名書きをすることに挑戦してみようと思っています。筆で文字を書くことは嫌いではありませんので,このあたりから,ことしは少しだけ自分を変えていこうかと考えています。

 気がつけば,戦後民主主義と同時に日本の社会に導入された「生活の合理化」の考え方,すなわち,数量的合理主義,効率主義に,わたし自身のライフ・スタイルも完全に毒されてしまっている,という次第です。その結果は,たとえば,年賀状の書き方に象徴的に現れている,というわけです。そこから抜け出すライフ・スタイルへの挑戦,その第一歩として毛筆の宛て名書きを,という次第です。

 賀状を手にとって,何秒,その人の目で眺めてもらえるか,そして,喜んでもらえるか,そこに思いを籠めて。表書きで「何秒」,裏の挨拶文で「何秒」,じっと眺めてもらえるに値する賀状をめざしたいと思います。できることなら,ひととおり全部の賀状を見終わったあとも,ふたたび,抜き出してきて,眺めてもらえたら・・・・などと夢想しています。

 賀状もまた「贈与」(マルセル・モース)の一種です。そう考えると,賀状なんか,などとないがしろにすることはできません。やはり,なんらかの意味が,このせちがらい現代社会にあっても,持ちつづけているからこそ賀状の交換はいまもなされるのだと思います。そして,そこに形骸化の波が押し寄せてきていますので,この波を押し返して,もっと「贈与」(Gift)としての「毒」(霊魂)を盛り込もう,という次第です。

 これもまた「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)のひとつの重要な営みではないか,と。ヴェイユのことばを借りれば,まさに「魂の欲求」を根づかせるための「義務」である,と。

 賀状をこんなところから,もう一度,考え直してみようと,いまのいま,考えているところです。

2012年12月29日土曜日

ことし最後の『週刊読書人』(新年特大号)がおもしろい。

 毎週金曜日に発行される『週刊読書人』のことし最後の号がとどいた。朝から興奮しながら読んだ。久し振りの快感。

 一面トップは「柄谷行人氏ロングインタビュー<『哲学の起源』刊行を機に>。大きな顔写真をみて,ああ,老人の顔になってきたなぁ,と思って年齢をみたらわたしより若いことを知り,びっくりである。これまでずっとわたしより年配の人だと思い込んでいた。が,そうではなかった。早くから注目され,多くの仕事をしてこられたので,わたしよりもずっと年上の人だと思っていた。が,そうではなかった。これは意外な発見。

いつも楽しみにしているのは,どの本を,だれが,どのように批評するのか,ということだ。今週は三つの書評がわたしの目を引いた。

 ひとつは,合田正人による鈴木順子著『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』(藤原書店)。最近,読んだばかりの本だったので,合田さんがどのような批評を展開するのか,とても興味があった。わずかしかないスペースに,あれもこれもと書き込んでいくので,かなり難解な,抽象的な表現が多くなる。これはある程度は仕方のないことだ。でも,前半部分のほめ言葉から,後半部分に入るとかなり手厳しくなる。わたしは,このブログでも取り上げだように,後半に入るにしたがって,鋭さと同時に,それはどうかと思う部分が多くなり,最後の終章にいたっては,ほとんど絶望的だった。さすがに合田さんはそこまでは書いていないが,それでもかなりそれに近い表現をしている。たとえば,「本書の最後の部分で言及されているバタイユやモースの「犠牲」ないし「供犠」との対決が今後要求されるかもしれない」は,わたしとまったく同感である。このことについても,わたしのブログで触れているので,参照していただきたい。

 ふたつには,やまだようこによる鎌田東二著『古事記ワンダーランド』(角川学芸出版発行)。鎌田さんは,もうずいぶん前になるが,わたしの所属しているスポーツ史学会で特別講演をしていただいたことがある。そのご縁で,この人の独特のコスモロジーに立つ論考を何冊か読ませてもらっている。ある意味では隠れファンのひとりでもある。そんな親しみをもっているので,やまだようこさんの書評をとても興味深く読んだ。「うた」の観点から読みほぐす,優れた入門書としても,という小見出しにも惹かれて,やはり,買って読もうという気にさせられてしまった。よく知られているように『古事記』をどう読むかはとてもむつかしい。つまり,虚と実の区別がつかないのである。そこを「うた」の観点から踏み込んでいこうとした鎌田さんの読解は,やはり,魅力的だ。いま,ちょうど野見宿禰のことを考えつづけているので,この本は参考になるかもしれない。

 みっつめは,姜信子さんによる辺見庸著『明日なき今日』(毎日新聞社)。冒頭の見出しに大きく「覚悟を迫る書」と黒地に白抜きの文字が躍る。「おまえはことばのために死ねるか?」という小見出しもあって,文字どおり迫力満点。姜さんの気魄が,この書評のどのことばにも乗り移り,一分の隙もなく,わたしに迫ってくる。いかにも姜さんらしい矜持が光る。ことしの奄美自由大学で初めてご本人にお会いし,ああ,こういう人だったのか,となぜかひどく納得させられた。とくに,深夜,みんな寝てしまってからもつづいた川満信一さんを囲む3人の女性の輪のなかにわたしも加わっていて,とても興奮したことを思い出す。そのとき,姜さんは,まわりの興奮とは別の世界にいるかのように耳を傾け,ことば少なに,これぞという決めのことばを発していたように記憶する。そのとき,姜さんは「わたしは徹底して頭の人間なので,そこからいかにして抜け出すか,そして魂(ということばを用いたかどうかは定かではない)の人間になりたい」という趣旨の発言をされた。このことばが強く印象に残っている。そんなことを思い出しながら,この書評を読んだ。

 姜さんはつぎのように書く。
 覚悟を迫る書である。
 辺見庸は言う。ニッポン人は,国に棄てられても,国にしがみつく。原発安全神話,米軍抑止力神話,経済成長神話,皇軍不敗神話,天皇神話,もう終わったはずの近代の発想と絡み合うさまざまな神話に身を委ねて,「個」であることをみずから捨てる。そして,いまや,目の前には虚無,真暗で何もない空虚。
 ほら3・11以降,福島の乳牛の廃棄処分の乳に白く濁った川のように,白濁したかのような世の中で,われらはますます目を白く濁らせて生きているじゃないか。悲惨なリアリティのその表面だけが見栄えよくコーティングされていくそのスピードで,なんの痛みもないかのように,あっという間に記憶も薄まっているじゃないか。すべての倫理も正義も飲みこんでゆく巨大な海綿のようなもののなかで,破滅の自覚のないまま滅びつつあるじゃないか。たちこめる死の匂いが見事に脱臭されてゆくなかで,ことばも嘘くさく脱臭されるばかりじゃないか。われわれは狂いつつあるじゃないか・・・。そんな辺見庸の声を,ひりひりと聴く自分がいる。

 じつは,辺見庸の本も,ほとんど欠かさず好んで読んできた。かれの全体重をかけた生きざまがそのまま文章になって紡ぎだされる,身を切るような文章に,いつも圧倒されてきた。だから,姜さんが「覚悟を迫る書である」と書いた瞬間から,なぜか,わたしのからだは身構えている。やはり,読まずにはすまされない,と。

 真っ正面から辺見と向き合った姜さんの批評。著者も著者なら評者も評者だ。一歩も譲ろうとはしない。真剣勝負がそこにある。そのピンと張りつめた緊張感が,わたしの怠惰な感性を目覚めさせる。こういう書評を,わたしもいつかは書けるようになるのだろうか。ほんとうに「批評」することのレベルに到達できるのだろうか,と考えてしまう。

 なぜなら,今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』サッカー批評原論を読んでから,「スポーツ批評」という土俵を遅ればせてがら,なにがなんでもつくらなくてはいけない,と考えはじめいまもその試行錯誤がつづいているからだ。

 こんなことまで思い起こさせる姜信子さんの書評に接して,わたしは幸せである。来年の奄美でふたたびお会いすることはできるのだろうか。楽しみである。

ということで,今日のところはここまで。

2012年12月28日金曜日

『相撲雑記』(柴田晴廣著,PDF私家版)を読む。野見宿禰の話題が満載。

 12月25日のわたしのブログ「上宮天満宮と野身神社で考える。「奴婢」という記録を社碑に刻んでいることの意味」にコメントを入れてくださった柴田晴廣さんが,表記のように『相撲雑記』(PDF私家版)を送信してくださいました。念入りにもCD版も郵送してくださいました。ありがたいことです。ちょっとだけ,余談ですが,柴田さんのように本名でコメントを入れてくれる人を熱烈歓迎したいと思います。

 じつは,柴田さんには大著『穂国幻史考』という入魂の著作があり,これもすでに送っていただいていました。この本のことについては,ほんの少しだけでしたが,このブログにも書かせていただきました。「穂国」(ほのくに)とは,愛知県三河地方の豊川(とよがわ・川の名前)の右岸にひろがる旧・宝飯郡の古代の名称(略称)です。この地域の歴史を古代から掘り起こしつつ,こんにちに伝承されている祭祀にいたるまで,文献とフィールドワークを重ね合わせながら考察した,もじどおりの力作です。

 この柴田さんの渾身の力作のなかに,野見宿禰の話が盛り沢山に記述されています。この本のなかにも,じつは,今回のブログにコメントを入れてくださったように,「野見」は韓国語の「奴の」の発音にきわめて近いので,野見の姓はそこからきているのではないか,というとても魅力的な仮説が提示されています。もちろん,著作のなかでは,もっと丁寧に順を追って詳しく論を展開しておられます。

 そこに今回は『相撲雑記』を送ってくださった,という次第です。もちろん,今回のこの私家版にも,野見宿禰に関する考察はてんこ盛りです。よくぞまあここまで調べ上げたものだと驚くばかりです。およそ,手にすることのできる文献はもれなく渉猟し,それらをベースにして,柴田さん独特の史観にたつ推理を展開していきます。これがまたきわめて魅力的です。えっ,そうなの?というような発見が随所に見られます。わたしのようなちょいかじりの日本古代史への関心から野見宿禰を推理するなどというレベルをはるかに超えでています。ですから,わたしにとってはとても参考になる,これからの調査のヒントになる,重要な指摘がふんだんに盛り込まれていますので,とても助かります。

 たとえば,愛知県にも野見宿禰がらみの土地や伝承があちこちに散在するという柴田さんの興味深いご指摘があります。それらも一つひとつ資料にもとづいて,地名や伝承が紹介されています。それどころか,柴田さんの生まれ育った土地であり,いまもそこに根を下ろして生活していらっしゃる「牛久保町」も,もともとは宝飯郡であり,つまり「穂国」です。その「穂国」と野見宿禰は切っても切れない関係がある,という柴田さんのご指摘は,初めて読んだときには眼からうろこでした。今回,再読してみて,ますます納得のいくものとなりました。穂国の隣の町が,わたしが小学校から高校卒業まで住んでいた故郷です。とても他人事ではありません。

 このブログにも書きましたが,笹踊りというお祭りのときに踊られるこの地域独特の伝統芸能がありますが,それも共有している土地柄です。つまり,文化圏としてはまったく同じです。そして,なぜ,この地にだけこの踊りが伝承されているのか,柴田さんは丹念に調べ上げて『穂国幻史考』のなかで論じておられます。まあ,言ってみれば,同じ三河弁で郷土史を語り合える,ありがたい友人がひとり増えたという思いです。

 いささか脱線してしまいましたが,もとにもどしましょう。ところで,全国に広がる天満宮の数の多さについては,つとに知られているとおりですが,野見神社の数も数えていくと相当のものになるのではないか,といまごろになって気づいた次第です。それも,柴田さんの研究をとおして,やっと気づいたことです。

 柴田さんのような,いわゆる郷土史家は,日本全国にかなりの方がいらっしゃると思います。が,柴田さんほど素直に,ご自分の興味・関心ひとすじに,とことんテーマを追いつづける方も少ないのではないかと思います。その情熱,バイタリティにはこころから敬意を表したいと思います。日本の権威主義的なアカデミズムは,こういう地道な研究者の存在を無視するのでしょうが,それは間違いだと思います。アカデミックな研究方法や目的意識にがちがちに縛られるあまりに,ほんとうの興味・関心とは遠ざかってしまう研究,つまり研究のための研究から,いかにして脱出するか,ということがこれからの重要な課題だと思います。とりわけ,「3・11」以後を生きるわたしたちにとっては,不可欠です。その意味で,柴田さんの存在は大きいと思います。

 これからの柴田さんのご活躍をこころから期待したいと思います。

 というところで,今日のところはここまで。

〔追記〕
 このブログに関して,柴田晴廣さんから,かなり手厳しいコメントをいただきました。かんたんに述べておけば,「わたしは単なる郷土史家ではない,そんなつもりは毛頭ない」というものです。この点については,柴田さんの名誉にもかかわる問題ですので,わたしなりの考えを応答として,補足のコメントをさせていただきました。とても,重要なことがらですので,ぜひ,ご確認くださるよう,お願いいたします。

2012年12月27日木曜日

野見宿禰・考。上宮天満宮の謎をめぐって。

 上宮天満宮が築造されたときの伝承の概略は以下のようです。

 菅原道真の子孫からは代々,立派な学者が輩出し,朝廷にも重く取り立てられていました。その功績によって,菅原道真の汚名はきれいに拭いさられ,ついには,朝廷から「正一位」の位が道真に追賜されることになります。そして,道真の何代目かの子孫の一人が(名前は調べればすぐにわかるのですが,省略),朝廷からの使者として太宰府に向かいます。その帰路,いまの高槻市に住む豪族のところに宿ります。そして,その翌朝,牛車で出発しようとしたところが,牛がうずくまったまま動こうとはしません。これは変だということになり,この牛の行為の意味を占ったところ,この地にも道真の霊を祀る社をつくるべし,とでます。そこで,大急ぎで道真を祀る社をつくることになります。それが,現在の上宮天満宮だ,というのです。しかも,そこには野見宿禰の墳墓があったというのです。それが,いまの野身神社です。


 この話はどう考えてみても,できすぎです。これだけうまくできているということは,なにか,理由があるはずです。
 ほんとうの話は以下のようではなかったか,とわたしは推測しています。

 菅原家(菅家)の子孫が代々優れた学者を輩出しているという事実から考えてみても,野見宿禰の墳墓がこの地に祀られているということは充分承知していたと思います。ですから,正一位の位を追賜されたのを機会に,始祖の野見宿禰の墳墓のある地に道真の社を築造しようと子孫たちが考えるのはきわめて自然です。その計画を朝廷に願いでて,その許可をえて実行した。だから,上宮天満宮と名づけられたのでしょう。そして,そののちに北野天満宮が朝廷によって築造されることになります。

 
ここにうずくまる牛の話を盛り込むところが,菅原家の智慧だったのかも知れません。つまり,菅家一族の一存で,野見宿禰の墳墓の地に天満宮を築造するのは憚られたのでしょう。そこで,一計を案じて「うずくまる牛」を演出し,菅家の意志ではなく,神の声,神のご意志によるとして,天満宮築造の許可を朝廷からえたのではないか,とまあ,これはわたしの勝手な想像です。そうすることによって,またまた,あらぬ讒言にさらされる愚を防止したのでは・・・?と。

 ですから,高槻市野見町に鎮座する野見神社が,上宮天満宮にある野身神社から野見宿禰を勧請して合祀し,社名を牛頭天王社から野見神社に変える・・・という一連の流れは,わたしにとってはごく自然なことだったと考えられます。が,なぜか,野見神社の社務所では,野見宿禰を合祀した理由はわかりません,と不思議な説明をしています。このことを秘さなければならない,なにか,とくべつの理由でもあるのだろうか,とわたしは逆に勘繰ってしまいます。

 今回のフィールドワークをとおして考えることはたくさんありました。しかも,まだまだ未解決なことばかりです。が,少なくとも,野見宿禰についての,これまでのわたしの理解をはるかに越える重要な情報がえられ,大満足でした。が,宿題も多くみつかりました。これからの楽しみにしておきたいと思います。

 なお,今城塚古墳をめぐる継体天皇に関する情報も,帰宅してから,いろいろの文献で確認してみました。なぜか,埴輪をつくる土師氏と継体天皇とは,これまた密接な関係があったこともわかってきました。しかも,その拠点は越の国であり,この天皇もまた忽然と歴史上に現れます。その天皇の墳墓が今城塚古墳として,なにゆえに高槻市に存在するのか,これもまた謎です。

 野見宿禰も,あるとき忽然と歴史上に登場します。そして,こちらは土師氏の名前を天皇から授かります。そして,埴輪と葬送儀礼の職能集団として大きな勢力を誇ることになります。継体天皇もまた忽然と現れ,なぜか埴輪と深い縁で結ばれています。しかも,この継体天皇がこんにちの天皇家の始祖ではないか,という説が根強く残っています。いまも,それを主張する学者もいます。なのに,なぜか今城塚古墳は宮内庁の管轄ではありません。長い間,放置されたままになっていいました。これもまた不思議なことのひとつです。

そのお蔭といってはなんですが,この古墳は広く市民に解放されていて,古墳の上を散策することもできます。また,発掘された埴輪の一部を模造して,オープン・スペースに展示してあります。それが,葬送の行列になっています。その中に,4体の力士埴輪が含まれています。古代にあっては,力士もまた葬送儀礼と深く結びついていました。野見宿禰が強い力士としてその名を馳せていたというのも故無しとしません。なお,葬祭儀礼と力士の関係は,世界的な現象でもあります。

 以上,とりあえず,今回のフィールドワークをきっかけに,わたしの思考を触発した,わたしにとってはとても面白いと思われることがらについて書き記してみました。この話題はひとまず,ここで終わりにしておきます。なお,ブログですので,資料や典拠についてはすべて割愛しました。お許しのほどを。
上宮天満宮の本殿。
屋根は竹でできているとても珍しい社殿のつくりです。
境内にはおびただしい竹林があるので,それを用いたとのこと。でも,それだけではない,というのがわたしの推理。この写真は,本殿の横から写したもの。正面は左側。







2012年12月26日水曜日

野見宿禰は野見姓を嫌い,菅原姓へ。それでも消えぬ蔑視を考える。

 野見宿禰の「野見」の姓は,なにか不都合があるのか,その字に当て字をして,野身,濃味,濃美,などヴァリエーションとして用いています。能見,能美,などもその流れを汲むヴァリエーションなのかな,とわたしは考えています。しかし,なぜ,「野見」という姓を,わざわざ当て字にして,別の名乗りをしなくてはならなかったのでしょうか。

 野見宿禰は,埴輪の提言(生き埋めという人身供犠を廃止)という功績が認められて,土師氏を名乗ることが許されます。土師氏とは,断るまでもなく,土器や埴輪を制作する専門家としての職称です。これによって,野見宿禰一族は土師氏として立派な職能集団として律令制のもとに公認されることになります。にもかかわらず,野身神社の社碑に記されているように,野見一族には奴婢として生きる野身・濃味・濃美を名乗る集団が誕生します。しかも,それらは東大寺の公奴婢(くぬひ)であり,良民と同格であるということを強く意識して刻まれたものだと考えられます。つまり,野見宿禰が垂仁天皇に取り立てられて立身出世していく片側では,まだまだ低い身分のまま苦労を重ねなくてはならない一族がいたということでもあります。これはとても不思議なことです。

 いったい野見宿禰の出自はどうだったのでしょうか。伝承されているのは,アマテラスとスサノオの誓約(うけい)の結果,生まれたとする天穂日之命ということになっています。そのつながりでしょうか,高槻市の野見神社の祭神は素盞鳴尊と野見宿禰です。しかも,野見神社となる前の名前は,牛頭天王社でした。スサノオ=牛頭天王は同一神と考えられていますから,なんの矛盾もありません。しかし,このような,ある種の操作はのちの人間にとって都合のいいように辻褄合わせをしたものであることは間違いありません。なぜなら,そんなに立派な出自の子孫が,奴婢として扱われたり,土師氏として名乗ることを認められる,ということは明らかに矛盾しています。しかも,野見一族の実態は,葬送儀礼に従事する職能集団にすぎません。

 野見宿禰の子孫は代々,優秀な人材が生まれたらしく,歴代の天皇に篤くもてなされています。それでも,何代目かの野見宿禰は当麻の地の代わりに菅原村への移住を天皇に懇願します。そして,その願いが叶い,菅原宿禰を名乗ることになります。これは明らかに葬送儀礼の職能集団である「野見」一族であるという人びとの記憶を断ち切ることが目的でした。しかし,人びとの記憶はそんなに簡単に消えるものではありません。

 それでも,野見一族,あるいは,それに代わる菅原一族からは続々と優れた人材が誕生します。そのピークをなした人物が菅原道真というわけです。とうとう右大臣にまでのぼり詰めます。ところが,平安貴族たちの妬みを買い,とうとうかれらの讒言により,太宰府に流されることになったことは,よく知られているとおりです。その根拠が,もとを糺せば奴婢であり,葬送儀礼の職能集団の出身ではないか,というものです。つまり,身分の低い者が・・・という蔑視です。

 「野見」という姓そのものが,どうやら葬送儀礼を連想させる身分と密接につながっていたように,いまになっては思われて仕方がありません。野見を,野身,濃味,濃美,と表記を変えてみても,音は同じです。つまり,どの音を当て字にして用いようが,意味は同じです。

 ここで考えなければならないことは,野見宿禰はたまたま天皇に見出され,立身出世をするけれども,その他の一党の人びとはきわめて身分の低い人びとのままだった,ということです。たぶん,もともとの出自は,奴婢にも入れてもらえない,いまでいえは,戸籍もない人びとだったのではないか。ひょっとしたら,河童の仲間?そこから,たまたま野見宿禰のような優秀な人材が輩出したということだったのではないか。と,このフィールドワークをとおして,そのように考えています。

 今城塚古墳から出土した膨大な量の葬送儀礼の行列をなす埴輪,継体天皇(継体大王)のものと考えられている前方後円墳=今城塚古墳,そこから南にくだった野見町に鎮座する野見神社,その野見神社の祭神はもともとは素盞鳴尊一人だったのですが,上宮天満宮の境内に鎮座する野身神社の祭神野見宿禰を勧請して合祀し,いまは二人の神さまが祀られています。野見町に住む氏地内氏子と呼ばれる人びとの思いが,ようやく叶えられたのではないか,というのがわたしの推測です。

 しかも,なによりも,上宮天満宮のこの地への造営の話と野見宿禰の古墳墓といわれる野身神社がここに存在するということの意味が,わたしにとってはきわめて重くのしかかってきます。つまり,伝承されている話は逆ではないか,というわけです。この話は,稿を改めて書いてみたいと思います。

 この謎解きは際限がありません。
 が,今回のフィールドワークをとおして,少しだけ深いところに足を踏み入れることができたかな,と思っています。そして,これからやらなくてはならないこともたくさん見えてきました。古代史の謎解きはまだまだつづきそうです。

 というところで,今日はここまで。

2012年12月25日火曜日

上宮天満宮と野身神社で考える。「奴婢」という記録を社碑に刻んでいることの意味。

 JRの高槻駅から北に向かって伸びている大通りをそのまま歩いていくと,ものの10分ほどで上宮天満宮に突き当たります。大きな鳥居があって,すぐに石の階段がはじまります。登り詰めたところから平らな境内に入っていきます。

 石の階段を登り詰めて,右側をややふり返るようなところに野身神社と書いた幟旗が立っています。幟旗から石段を登ると石の柵で周囲をしっかりと囲まれた中に小さな祠が立っているだけの神社です。ここが野見宿禰の墓で,もとは古墳になっていた,と信頼できる書籍に書かれています。初めてこの事実を知ったとき,わたしは大きな驚きを感じました。なぜなら,なぜ,野見宿禰がこの地に葬られなければならなかったのか,その理由がわからなかったからです。

 たとえば,『記紀』の記述のとおり,出雲出身の人であるなら,出雲の地に葬られているのが自然です。が,奇妙なことに,出雲と野見宿禰の関係性は,どう考えてみてもほとんどなにもありません。出雲には,一般に知られている野見神社もなければ,天満宮もありません。たぶん,なんの縁故関係もなかったのではないか,と最近では考えています。

 では,その出雲とはなにか。奈良県の長谷寺にいく途中に,そのむかし出雲と呼ばれていた土地があったといわれています。しかも,そこには「出雲」と書いた碑がぽつんと立っています。この出雲が,出雲大社のある出雲とどのような関係があったのかも,いまは,わかっていません。が,いずれにしても,野見宿禰が垂仁天皇に呼び出されて,当麻蹴速と相撲をとるときには,ここに住んでいたのではないか,というのがわたしたちの研究者仲間での合意点です。なぜなら,垂仁天皇に呼び出されて,その日のうちに相撲をとった,と記録されているからです。島根県の出雲からやってきたのでは,とても一日どころか,何日も要したことでしょう。

 今回のフィールドワークでは,いささか驚くべき発見がありました。野身神社の手前の石段の左側に「野身神社・野見神社」と書いた碑が立っています。以前,ここを訪れたときには,どうして二つの名前が彫ってあるのかなぁ,くらいの認識でした。でも,今回はちょっと違いました。「野身」と「野見」は同じ一族で,その両方の祖先神,すなわち,野見宿禰を祀っているのだということを,あえて明らかにしているんだなぁ,と納得。でも,あえてそのようにしなくてはならない理由がなにかあるな,と気づきました。

 しかし,です。まさに,しかし,です。この「野身神社・野見神社」と書かれた碑の横になにやら小さな文字が刻まれています。よく見ると,「野身郷・野身里・濃味里・濃美郷」と書かれていて,いずれも天平15年東大寺奴婢,とあります。

 こうなってきますと,わたしの推理は千々に乱れてきます。
 たとえば,野見宿禰は垂仁天皇に仕えることになりますが,聖武天皇の天平時代には,その一族の住む野身郷・野身里・濃味里・濃美郷は東大寺の奴婢であったというのです。奴婢というのは,古代の賤民の総称です。律令制では官有の公(く)奴婢と民有の私奴婢に分けられています。前者は口分田(くぶんでん)を良民なみ,後者は良民の三分の一と定められています。奴婢の総数は良民の10%足らずで,そのうちの大半は民有の奴婢だったと推定されています。この奴婢の制度は10世紀ころにはほぼ解放された,ということです。

 このことを念頭に置いて考えてみますと,野見宿禰とその家系だけは別格に扱われたようですが,それ以外の一族は奴婢として扱われ人たちがいた,ということがわかります。その差別化のためでしょうか,野見ではなく,野身,濃味,濃美,という当て字が用いられています。それでも東大寺の奴婢であったということは,公奴婢であったわけで,良民なみの口分田を与えられていた,ということがわかります。

 ということは,東大寺奴婢と,あえてここに彫り込んであるということは「良民」並の立派な身分であったということを立証するためだった,と読むことができます。ということは,なにを意味しているのだろうか,という新たな疑問が湧いてきます。

 そこには,野見宿禰の出自にまつわる蔑視の問題があるのでは,というのがわたしの推測です。この蔑視の問題は,上宮天満宮の祭神である菅原道真公にいたるまで,ずっとつづきます。昨日の野見神社の社務所の人の説明も,どこか釈然としないのは,どうやらこの蔑視観と関係があるようです。

 さて,ここからさきの推理については,稿を改めて,このブログで書いてみたいと思います。というところで,今日はここまで。
社碑の側面の記録
上の記録の下に刻まれている文字

2012年12月24日月曜日

野見神社(高槻市野見町に鎮座)で考える。野見宿禰を合祀したことの意味。

 今城塚古墳は高槻市の北側の山と南側の平地の中間くらいの台地に位置します。そこから平地に向かってくだって行ったところに野見神社があります。それが高槻市野見町に鎮座している野見神社です。小じんまりとした清楚な神社です。

 しかし,ここの神社の入り口に立っている碑文を読んで,おやっ,と思いました。それによると,上宮天満宮にある野身神社を合祀して,それ以後,この神社を野見神社と呼ぶことになった,と書いてあります。では,以前はなんという名の神社だったのか,という疑問がすぐにわきました。

 そこで社務所の窓口で聞いてみました。すると,以前は牛頭天王社と言っていました。祭神は須佐之尊(素盞鳴尊)です。スサノオノミコトと牛頭天王(ゴズテンノウ)とは同一神ですので,この名で呼ばれていたとのこと。しかし,そこに上宮天満宮にある野身神社の祭神である野見宿禰をこちらに移して合祀したので,それを機会に牛頭天王社から野見神社と名前を変更した,というのです。そして,驚いたのは,こちらから問う前に「なぜ,野見宿禰を祭神として合祀したのか,その理由はわかりません」と言って,ガラス戸を締められてしまいました。

 おやおやと思いましたが,同時に,「やはり」とひらめくものがありました。どこか奥歯にものがひっかかった印象が強く残りました。なぜか,野見宿禰の話には深入りしたくない,という話のようです。どうしてなのだろうか,わたしの疑問はますます増大していきます。なにかがそこに隠されている。秘密のなにかがある,と。

 たとえば,この野見神社(それまで牛頭天王社と呼ばれていた)のある地名は野見町といいます。しかも,この地に野見一族が住んでいたので,この地名が残ったという記録をわたしはすでに確認しています。ですから,いまもその流れを汲む人びとが大勢住んでいるとしてもなんの不思議もありません。むしろ,その方が自然です。でも,そのあたりのことは,これからの調査をまつしかありません。

 が,面白いことに,社務所の前に置いてあった野見神社の社報「斎ひ槻(いわいつき)」には,つぎのような記述があります。

 従来より氏地に居住されておられる方を対象とした氏子様には個別にご案内させていただいておりました諸活動の案内及び特典ですが,氏地外にお住まいの皆様に対しても,今後神社祭事の尚一層の充実・発展を図るため・・・・・

 という具合です。「氏地に居住している氏子様」という表現をみて,びっくり仰天です。ここで,わたしの脳裏にピンとくるのは,奈良県の柳生の里の話です。この柳生の里では,氏子以外の人は居住が許されていない,と聞いています。氏地内の学校に勤務している先生であっても,家を建ててそこに居住することは許されない,とか。ですから,氏地外から通うか,下宿をさせてもらうしか方法はありません。そして,氏地内で生まれ育った人であれば氏地の外で長く住んでいても,いつでももどってきて家を建てることはできる,という話です。奈良の山奥にいくと,氏子や垣内(かいと)だけで構成されている集落があちこちにいまも存在します。

 一般的に祭神を素盞鳴尊にしている小さな神社の多くは,最初にその地に住みついた祖先を祖神とする,といわれています。ですから,全国津々浦々にいたるまで「素盞鳴尊」を祭神とする小さな神社があります。

 このように考えてみますと,高槻市野見町の住民は,どういう人たちなのだろうか,とその内実が知りたくなります。これも,こんごの調査をまつことにしたいと思います。

 もし,野見町に住む氏子さんの多くが,野見宿禰にゆかりの人たちだとしたら,牛頭天王社の祭神に野見宿禰を合祀することになんの依存もないはずですし,むしろ,大歓迎だったのではないかと思います。いやいや,氏子さんたちの強い希望があって,この合祀がかなったのではないか,とわたしは考えたいところです。

 なぜ,このように考えるのか,その理由については,このつぎのブログで書いてみたいと思います。今日のところは,ここまで。

今城塚古墳で考える。力士埴輪と野見宿禰のことを。

 高槻市にある史跡今城塚古墳に行ってきました。そのついでに,野見神社と上宮天満宮をまわってきました。いずれも二回目のフィールド・ワークでしたが,新たにいろいろの発見(気づき)があって,大満足。やはり,現場に立つということの大切さをしみじみと感じました。

 今回のフィールド・ワークの主たる目的は,野見宿禰について考えることでした。野見宿禰については,出雲出身の人ということになっていますが,一説では大阪方面の出身という説があります。古代史は謎だらけですが,この人の存在も多くの謎につつまれています。

 『記紀』の記録を確認してみても,野見宿禰は突然,登場します。それも,よく知られているとおり力士として登場します。そして,その功績により,天皇に仕える重要な人物となり,その子孫も代々,天皇に仕えます。その末裔が菅原道真というわけです。この野見宿禰一族と菅原道真にいたるまでの謎解きをしてみたいとかねがね考えてきました。が,遅々としてその作業は進みません。そのうちに時間切れになってしまいそうですので,なんとか動けるうちに動こうというわけです。

 その手始めに,まずは,史跡今城塚古墳から出土している力士埴輪を,もう一度,この目で確かめることにしました。ここには4体の力士埴輪が,露天に展示されています。よくみると,嬉しそうな笑顔です。片手を挙げて,「やあ,久し振り」と友だちに声をかけているようにも見えます。この力士がなにを表現しているのか,もちろん,どこにも説明がありません。が,この問題は,もっとあとでしっかり考えてみることにします。

 その前に,この今城塚古墳の存在そのものが謎だらけですので,その周辺に思いを馳せてみたいと思います。とりあえず,今城塚古代歴史館で発行しているリーフレットによれば,以下のとおりです。

 今城塚古墳は,6世紀前半に築かれた,二重の濠をそなえる淀川流域最大の前方後円墳です。学術的には,継体大王(聖徳太子の直系の曾祖父)の真の陵墓といわれています。10年間にわたる発掘調査では,日本最大級の埴輪祭祀場や,墳丘内石積,石室基盤工といった当時最先端の土木技術などの貴重な発見が相次ぎました。どうやって造られたか,どのようなまつりが行われたか,しかも誰が葬られたかを具体的に考えることができる唯一の大王墓として,かけがえのない歴史遺産です。

とあります。実際に,この古墳の前に立ってみますと,その大きさに驚きます。中央にある前方後円墳そのものは,あちこち崩れていて,変形していますが(古墳の上を散策できるようになっている),全体像のもつ迫力は満点です。奈良の唐招提寺の近くにある垂仁天皇陵よりも大きいのではないか,とわたしは考えています。その今城塚古墳の内濠を囲む土手の上に,<大王墓の葬送儀礼>の行列が復元されています。その行列は,家,門,塀,太刀,盾,武人,巫女,力士,動物などで構成されています。これを眺めているだけで,さまざまな連想がはじまります。なんとも不思議な人びとの群れになっています。

 このあたりには古墳があちこちに散在していて,それらを総称して三島古墳群と呼んでいます。そこから出土する埴輪の数は膨大なもので,なぜ,これほどの埴輪がこの地から出土するのか,いまのところ不明とされています。ただ,埴輪を製造する技術をもった土師氏の一族が大勢住んでいたのは間違いなさそうです。土師氏を名乗ることを許された最初の人物は,ほかならぬ野見宿禰です。この一族がむかしからここを拠点にして,とてつもなく大きな勢力を誇っていたのではないか,そのひとりが継体天皇として知られる人ではないか,というのがわたしの推理です。なお,今城塚古代歴史館では,継体天皇ということばは使わず,継体大王と呼んでいます。なぜ,そのように表記しているのか,もう少し予備知識をもってから,学芸員の方にお尋ねしてみたいと思っています。

 そこには,大きな謎が潜んでいる,とだけここでは記しておきたいと思います。その理由は,このあとにつづくブログで少しずつ明らかにしてみたいと思います。

後ろは今城塚古墳








とりあえず,今日のところはここまで。

2012年12月22日土曜日

『根をもつこと』(シモーヌ・ヴェイユ著,富原眞弓訳,岩波文庫)読解・その2.

 本を終わりの方から読むということがあってもいいと前から思っている。とりわけ,同じテクストの二度目,三度目の読み込みのときには有効だと,以前から思っていた。このシモーヌ・ヴェイユのテクストもそれに該当する,そういう本だと思う。

 テクストの全体像が見えてきてからの再読解には,むしろ,その方が有効だ。『根をもつこと』の再読解には,ことのほか,そういう読み方が要求されているように思う。このブログの前回の読解も,一番大事と思われるところからはじまった。そして,その読み込みをさらに深くするためには,その前段でどのような思考が展開されているのか,そこを確認する必要がある。

 ここでも,その伝にならい,前回のブログのつづきを追ってみることにしよう。読解・その1.で引用した文章のすぐ前には,つぎのような文章がある。

 ・・・・・全面的な犠牲の瞬間にあってさえ,いかなる集団にたいしても糧にたいして払うべき敬意に類する敬意しか払うべきではない。
 しかるに役割の転倒が生じるのは稀ではない。ある種の集団は糧となるどころか,逆に魂を食らいつくす。このような場合,そこには社会的な病がある。第一の義務は治療を試みることだ。状況しだいでは外科的手段に着想を得る必要もあろう。
 この点でも,集団の内部にいると外部にいるとを問わず,義務は同一である。
 集団がその成員の魂に充分な糧を与えないこともある。その場合は改善策が必要となる。
 あるいはまた,死んだ集団も存在する。魂をむさぼり食らうこともないが,糧を与えて養うこともない。一時的な仮死ではなく息絶えているのが確実なら,その場合にかぎりこれらの集団を滅ぼすべきである。

 引用文の冒頭にある「全面的な犠牲の瞬間にあってさえ」というのは,ヴェイユがスペイン人民戦争の兵士として出願し,銃をもった経験がその背景にある。フランコ将軍派に対抗する人民派にみずからの存在のすべてを犠牲として捧げたこと,そして,人民派に与することこそ魂の生の欲求にしたがう「義務」であると考え,行動したヴェイユの姿勢がそこには籠められている。そういう場合にあっても,「糧にたいして払うべき敬意」以外は,すべて意味はないとヴェイユは断言する。この指摘はきわめて重要である。

 しかし,そこを区分けするのは容易ではない。だから,「役割の転換が生じるのは稀ではない」とヴェイユは指摘する。そして「ある種の集団は糧となるどころか,逆に魂を食らいつくす」という。こういう文章に出会うとわたしの全身に電気が走る。わたしの経験してきた体育会系の少なからぬ集団が,これにみごとに該当するからである。「糧となるどころか,逆に魂を食らいつくす」事例を,わたしは不幸にして多く知っている。もちろん,ヴェイユは,スポーツの世界のことを念頭に置いてこの文章を書いているわけではない。そうではなくて,もっと一般的な集団の事例を念頭において,この問題を取り上げていることは言うまでもない。

 役割が転換してしまった集団について,「そこには病がある」とヴェイユは指摘する。つまり,魂の生の欲求にたいして糧をもたらさない集団は「病がある」と断言する。だから,「治療」が必要なのだ,と。なんと明解なことか。しかも,それがわれわれにとっての第一の「義務」なのだ,と。その義務は,「集団の内部にいると外部にいるとを問わず」同じだ,とヴェイユは断言する。しかも,集団がその成員の魂に充分な糧を与えなかったら,ただちに「改善策が必要になる」という。

 「死んだ集団も存在する」ので,「息絶えているのが確実」なら,滅ぼすべきである,とヴェイユは言い切っている。言い方を変えれば,「死んだも同然の集団も存在する」ので,それが事実なら,ただちにつぶすべきである,ということになろう。

 これに該当するスポーツ界の事例をあげるのは,いとも簡単なことである。あちこちにこのような事例が転がっているから。

 スポーツの集団は,きわめて有効な役割を果たすと同時に,それとは真逆の役割を果たすことも少なくない。スポーツの集団とはそういう諸刃の剣なのである。

 もう一歩だけ踏み込んでおけば,ヴェイユのいう「義務」を履行するということの意味は,きわめて微妙な問題領域を,魂の生の欲求の「糧」となるかどうかを基準にして,慎重に腑分けしていく作業でもあるということだ。

2012年12月21日金曜日

『根をもつこと』(シモーヌ・ヴェイユ著,富原眞弓訳,岩波文庫)読解・その1.

  22日(土)の大阪学院大学で開催される研究会(詳細については「21世紀スポーツ文化研究所」のHP,掲示板を参照のこと)に備えて,シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』(冨原眞弓訳,岩波文庫)を読み込んでいる。上下2巻の大作にして難解な内容なので骨が折れるが,ようやく全体像がわたしの視野のなかに入ってきた。

 そこで,思いきって言ってしまえば,このテクストの大事な部分は,冒頭の8ページから17ページまでのたった10ページ。ここにヴェイユが言わんとする核心部分が凝縮されている。しかしながら,その密度があまりに高いので,読解にはたいへんなエネルギーを必要とする。しかし,何回も読み返しているうちに,なんとかそのイメージはつかめてくる。もちろん,18日のブログに書いたような,その他の解説書を参照しながら,分け入っていくのであるが・・・・。

 で、その核心部分の10ページの最後のところ,すなわち17ページの終わりのところに,このテクストとしては,おそらくもっとも重要なヴェイユの思想が書き込まれているように思う。今回は,この部分に焦点をあてて,考えてみたいと思う。

 まずは,その部分を引用しておこう。

 最初におこなうべきは,糧や睡眠や熱といった肉体の生の欲求に対応する魂の生の欲求にかんする研究である。これらの欲求を列挙し定義せねばならない。
 これらの欲求を欲望,気まぐれ,空想,悪癖と混同してはならない。また,本質的なものと付随的なものとを識別せねばならない。人間に必要なのは米やジャガイモではなく糧である。薪や炭ではなく暖房である。魂の欲求もおなじだ。同一の欲求に呼応する多様でありながら等価値の充足を認めねばならない。さらにまた魂の糧と,その代替物という錯覚をしばし与える毒とを区別せねばならない。
 このような研究が存在しないとき,たとえば政府に善き意図があっても,その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる。
 
 さて,この引用文をどのように読み取るのか。私論を述べてみたい。
 まずは,肉体の生の欲求と魂の生の欲求との二つがあって,それらはお互いに対応関係にあるとヴェイユは考えている。肉体の生の欲求については「糧や睡眠や熱」という例を挙げているので,なるほど生命維持のために必要不可欠な欲求であるということがわかる。しかし,それらに対応する魂の生の欲求となると,この段階ではまだ明らかにされてはいない。その具体的な「指標」については,この引用文のあとにつづく18ページから詳細に語られることになる。

 それらの「指標」とは,秩序(魂の第一の欲求にしてその永遠なる運命にもっとも近い欲求,それは秩序である),自由(人間の魂に欠かせない糧は自由である),服従(服従は人間の魂の生にかかわる欲求である),責任(自発性と責任,すなわち自分は有用であり不可欠でさえある存在だという感覚は,人間の魂の生にかかわる欲求である),平等(平等は人間の魂の生にかかわる欲求である),という具合に,以下,序列,名誉,刑罰,言語の自由,安寧,危険(リスク),私有財産,共有財産,真理,という具合に一瞬意表をつく指標がとりあげられている。そして,その一つひとつの指標について簡単に,あるは詳細に解説を加えている。

 このことを視野に入れておけば,「これらの欲求を欲望,気まぐれ,空想,悪癖と混同してはならない」というヴェイユの指摘も容易に理解することができる。「また,本質的なものと付随的なものとを識別せねばならない」も同様である。

 「人間に必要なのは米やジャガイモではなく糧である」というこの文章に,最初,わたしは躓いた。なんのことだろうか,と。しかし,ヴェイユがいろいろのところに書き込んであることをつないでみると,それはごく当たり前のことを言っているということがわかる。つまり,空腹に耐えている人間にとっては,その空腹を満たすための糧が必要なのであって,なにも米やジャガイモでなくてもいい,と。つまり,目先の具体的な食料ではなくて,空腹を満たすために役立つ糧そのものが必要なのだ,と。

 このことがわかれば,つぎの「薪や炭ではなく暖房である」も容易に理解できる。すなわち,からだを温めてくれる暖房が必要なのであって,薪や炭はそのための手段にすぎない。ここのところを混同しないことが,じつは,重要なのだ。薪や炭は暖房だけではなく,その他の目的を達成するための手段でもあるからだ。つまり,冷えたからだには暖房が必要なのであって,薪や炭ではないのだ。

 「魂の欲求もおなじだ」とヴェイユはいう。では,魂の生の欲求となる糧や暖房とは,どういうことなのか,ということになる。それらが,さきに「指標」として挙げた秩序,自由,服従,責任,平等,序列,・・・・・ということだ。これらの内容や意味については,また,稿を改めてじっくりと考えてみることにしよう。

 あと2点ほど,ここでは指摘しておきたい。
 ひとつは,「さらにまた魂の糧と,その代替物という錯覚をしばしば与える毒とを区別せねばならない」というヴェイユの指摘である。ここは,スポーツ文化論を考えていく上でもきわめて重要なポイントのひとつになりうる内容だと,わたしは考えるので,これも改めてとりあげてみることにする。あえて,ここで指摘しておけば,「魂の糧」と「魂の毒」とは紙一重の違いでしかない,ということだ。もっと言ってしまえば,薬はひとつ使用法を間違えると,たちまち「毒」となるのと同義である。このことはこのあとのブログに委ねることにする。

 もうひとつは,最後の文章「このような研究が存在しないとき,たとえ政府に善き意図があっても,その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる」である。この文章は,ナチス占領下から脱出したのちの新生フランス政府のための基本方針を考えつづけていたヴェイユのことを考えると,とてもよくわかる。つまり,「魂の生の欲求」に対応できる綱領を構築しておくことが急務である,と。それができていないと,政治は「その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる」という。このテクストはそのための「遺書」にも相当する,きわめて重要なものである,ということもここで指摘しておこう。

 ひるがえって,つい最近あった,どこぞの国の選挙のことを考えると「身につまされる」思いでいっぱいだ。しかし,この指摘は,単に政治だけの問題ではない。わたしの携わっているスポーツ史・スポーツ文化論を考える上でも,きわめて重要な指摘になっている。この視点の欠落しているスポーツ史・スポーツ文化論研究はほとんど意味をなさない「その場しのぎ」のものでしかなくなる,ということだ。

 まさに,21世紀スポーツ文化研究所の基本的な姿勢が問われている。わたしには,そのように読める。重く受け止め,こんごに臨みたい。

2012年12月20日木曜日

「哲学はつねに敗者です」(西谷修)。民主主義の危機とソクラテスの毒杯。

 久し振りに稽古のあとのハヤシライスの時間が盛り上がりました。もちろん,話題の中心は今回の選挙でした。石原慎太郎が引いた引き金ひとつで,40年の日中友好関係が一度に吹っ飛んでしまう,というとんでもない前座から今回の選挙がはじまりました。竹島,尖閣という領土問題をめぐる報道が国民に「強い日本」を希求させる,これまた大きな引き金になりました。のみならず,あっという間に戦争も辞さないという政党まで出現し,唖然としてしまいました。おまけに,その政党を支持する国民が多数を占めることになり,とんでもない数の議席を与えることになりました。わたしにとっては,まさに,青天の霹靂。

 いったい,どうしてこんなことになってしまうのか,といつものようにKさんがNさんに問いかけます。その問いに,Nさんはいつもにもまして丁寧に,そのからくりについて説明してくれます。これが,太極拳の稽古のあとの至福の時。その一つひとつについて,ここでご紹介できるといいのですが,わたしのことば足らずや勘違いなどがあったりして誤解されるといけませんので,残念ながら割愛します。そのうち,どこかの雑誌でNさんの論考が掲載されることになると信じていますので,それまで少しお待ちください。

 そんな話がひとしきり盛り上がったところで,Kさんが「庶民」ということを最近考えさせられることが多くて,と別の話題に入りました。この「庶民」という人たちの思考や行動が,現実にはこんどの自民党支持の原動力になっていたのではないか,と。その庶民という人たちの話を聞いていると,みんな口をそろえて「原発は必要だよね。経済が駄目になってしまうと聞いているし・・・。領土問題は戦争やってはっきり決着をつければいい」と平然と話しています。そして,理詰めできちんとものごとを考えられる人たちの意見というのは,いつも少数意見で,民主主義の多数決原理のもとでは生かされないではないか,と。こんなことを繰り返していたら日本は駄目になってしまうのでは・・・という疑念を提示。このKさんの話を受けて,最後に,Nさんはつぎのような話をされました。

 そうなんですよね。でも,人間というのはむかしからそういう生き物で,けして賢いわけではないのです。圧倒的多数は凡庸で,ことなかれ主義に流されやすいし,めんどくさいことは嫌いです。ですから,胡散臭いことが起こると戦争も辞さない,というところに短絡していきます。そういう人たちによって,長い人類の歴史がつくられてきたのです。その典型的な例がソクラテスの毒杯ですよね。

 若者たちをかどわかす怪しげな議論をする悪い人物,それが当時のアテネ市民がソクラテスにくだした結論でした。そしてとうとう,当時の直接民主制の母体である民会で,ソクラテスを裁判にかけて,死刑の宣告をしてしまいます。このことは,よく知られているとおりです。

 あわてたソクラテスの弟子たちが,二日以内にアテネの外に逃れてしまえば生き延びられるので逃げましょう,と師であるソクラテスを説得します。しかし,ソクラテスはそれを固辞して,みずから進んで毒杯を仰いで死ぬ道を選びます。

 しかし,ソクラテスが毒杯を仰いで死ぬことによって,哲学の存在が後世に広く認知されることになりました。こんにちの哲学の存在は,古代ギリシアのアテネのこうした,愚かな「庶民」によって支えられた直接民主主義による産物でもあったのです。

 考えてみれば,このソクラテスにはじまって,以後,哲学はつねに敗者だったのです。それはいまもつづいていて,きちんとした理性的な判断のできる人の意見はいつも少数意見にすぎないのです。ですから,こんどの選挙結果というのは,この原則どおりでもあったということです。それにしても,ちょっとひどすぎた,という印象は免れませんが・・・・。

 こんな話を聞きながら,わたしはわたしで,また勝手な想像をしていました。現代文明の恩恵をありあまるほど受けた現代日本人は,完全な「茹でガエル」と化し,なにも考えない思考停止があたりまえとなり,カネさえあればなんでも夢がかなえられるという「拝金主義者」となりはててしまい,自分の命を守ることすら忘れて,目先の物欲にそそのかされてしまう,なんともはや情けない姿となりはててしまったものだ,と想念をめぐらせていました。

 こんな人間が(若者もふくめて),中国と戦争をやって戦えるわけがない,ということすら判断できないのが,現代日本人のありのままの姿です。自分さえよければほかのことはなにも考えようともしない,そういう自己中心主義が,こんにちのポピュリズムを構築しており,それが日本社会を動かす恐るべき「庶民」の内実である,というわけです。

 少数意見の正論を吐く人は,ソクラテスの覚悟をもつこと,つまり,敗者であることも辞さないという自覚をもつこと,これがNさんの言外のメッセージだったようです。

 なるほど,覚悟かぁ,とため息をつくばかり。
 まだまだ,覚悟が足りない,と自戒。

2012年12月19日水曜日

『シモーヌ・ヴェイユ「犠牲」の思想』(鈴木順子著,藤原書店,2012)を読む。

 シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』(冨原眞弓訳,岩波文庫,上・下,2010)の,最初の一行「義務の観念は権利の観念に先立つ」に電撃的な衝撃を受けて,ここしばらくの間,シモーヌ・ヴェイユの著作を読み込む努力をしている。シモーヌ・ヴェイユの存在を意識するようになったのは,今福龍太氏の名著『ミニマ・グラシア』(岩波書店)を読んでからだ。ここではシモーヌ・ヴェイユのホメーロスの英雄叙事詩読解をとおして浮かび上がってくる「恩寵」について,今福氏の独特の世界観とマッチングした美しい人間存在の極限の世界が描かれている。もちろん,その背景にあるものは,シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』(田辺保訳,ちくま学芸文庫)である。

 わたしを惹きつけたのは,ホメーロスの英雄叙事詩のなかに描かれる英雄と英雄による一騎討ちの,最後のとどめを刺す瞬間に「恩寵」を読み取るヴェイユの読解と,それに反応する今福氏の感性の鋭さである。いわゆる一対一の「決闘」が含みもつ意味について,これほど深く,しかもわかりやすく解き明かしてくれたのは,はじめてのことだった。以後,「決闘」とはなにか,「一騎討ち」とはなにか,と考えるようになった。なぜなら,そこにスポーツのルーツにかかわる重要なファクターのひとつが隠されていると感じ取ったからである。

 この延長線上に,この夏に開催された第2回日本・バスク国際セミナーでのディスカッションがある。テーマは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」。このときの冒頭の基調講演を今福氏が引き受けてくださり,伝統スポーツを考える上での貴重なポイントをいくつか提示してくださった。そして,4日間にわたる研究発表とディスカッションのちょうびを飾る特別講演を西谷氏が引き受けてくださり,これまたわたしたちに多くの示唆を与えるものだった。そして,この西谷講演を引き継ぐかたちで,後日,アフター・セミナーを開催。このとき,三井悦子さんの語る,バスク民族の間でとても大事に継承されているダンス「アウレスク」がひとしきり話題となった。

 若い女性が,ひとりずつ登場して,むかしから伝承されているダンスのステップを踏む。そのステップはひとつのパターンがあって,みんな同じステップを踏む。それを,大勢の村人たちが囲んで,みんなでじっと見守る。まったく同じステップを踏んで,また,つぎの踊り手と代わる。これをひたすら繰り返していく。そこにはいわくいいがたい,老若男女を問わず,すべてをひとつにする,一種独特の一体感が生まれ,ある種の陶酔が生まれるという。

 この「アウレスク」をどのように考えたらいいのか,ということについて西谷氏から謎めいた指摘があった。すなわち,みんなが同じステップを踏むこと,そのことに意味があるのだ,と。

 この謎かけにも似た西谷氏の提言を,より深く受け止め,考えるにはシモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』が大きなヒントになるのではないか,とわたしは考えた。そこで,こんどの22日(土)には,この問題を考えるための「ISC・21」12月大阪例会を開催することになった。主催者は,松本芳明氏(大阪学院大)。その必要性もあって,なんども『根をもつこと』を読み返している。とりわけ,第一部の「魂の欲求」のところを。そんなときに,書店で眼にしたのが,表記の『シモーヌ・ヴェイユ「犠牲」の思想』であった。

 このテクストは,これまでの思想史や哲学史,そして,キリスト教の考え方からも距離をもつシモーヌ・ヴェイユの独特の思考と生き方を包括的に解き明かそうとした,意欲的な力作である。それもそのはずで,1965年生まれの著者が,長年取り組んできたヴェイユ研究を,東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻の博士論文として,2009年末に提出したものである。しかも,第5回河上肇賞を受賞したという。

 これは大変だと思いながら読みはじめる。このテクストは,シモーヌ・ヴェイユの思想を「犠牲」という視点から解き明かそうと,丹念に,そして丁寧にヴェイユの思想を一つひとつ解きほぐしていく。その点で,初心者のわたしには,とてもありがたいテクストになっている。そして,最後まで読み終えたときに,ああそうか,この著者もまたヴェイユの『根をもつこと』の冒頭の一文「義務の観念は権利の観念に先立つ」という謎めいた書き出しの部分に強い関心を寄せ,その謎解きをしていたのだ,ということがわかる。

 そして,ヴェイユのいう「義務」という考え方は,「犠牲」(「供犠」と考えてもいい)という思想的裏付けに支えられたものである,ということがわかる。言ってしまえば,マルセル・モースのいう「贈与」にも通底する「供犠」や「犠牲」に支えられた「義務」をとりもどすこと,それが「根をもつこと」の骨子になっている。だから,その「義務」の考え方が否定されてしまうこと,それをヴェイユは「根こぎ」と表現し,それを取り戻すことを「根づき」と表現する。そして,この「義務」をなおざりにし,それに代わって「権利」が表舞台に登場するのはフランス革命以後のことだ,とヴェイユは分析している。

 もっと言ってしまえば,ヨーロッパ近代のものの見方・考え方を根底からひっくり返すことを,ヴェイユは生涯にわたって考えつづけ,それを主張した,ということになる。

 こまかな点については,ここでははぶくが,シモーヌ・ヴェイユ読解にはとても役に立つテクストである。シモーヌ・ヴェイユの思想の核心に触れる部分では,何カ所かにわたって,鋭い分析をみせ,感動的ですらある。しかし,何カ所かについては,わたしには違和感を感じさせるところもあった。ひとつだけ指摘しておけば,ヴェイユの思想とジョルジュ・バタイユの思想とを比較検討するところでの,踏み込み方とまとめ方はこれでいいのだろうか,という疑問が残ったということ。著者は,意外にあっさりと,ヴェイユの言う聖性とバタイユのいう聖性とは違うと断言しているが,わたしはそうは思わない。むしろ,もっと深いところで共振・共鳴するものがある,という立場をとる。

 その根拠については,『スポートロジイ』(創刊号・スポーツ学事始め,21世紀スポーツ文化研究所編,みやび出版,2012)のなかで,かなり詳細にわたって論じているので参照していただきたい。わけても,ヨーロッパ近代の「有用性」の考え方や制度,組織などを(キリスト教の教会制度もふくめて)徹底的に批判していく姿勢は,ヴェイユもバタイユもまったく同じである。

 なるほどと大向こうを唸らせるほどの分析の冴えをみせる部分もあれば,あれっと首をかしげてしまう部分があるのは,研究者としての立ち位置の問題で,それは仕方のないことなのだろう。たぶん,わたしのないものねだりに等しいのだろう。が,いずれにしても,シモーヌ・ヴェイユ読解という点では,とてもよくできたテクストであることは間違いない。

たぶん,これからも何回も読み返すことになるだろう。いいテクストとの出会いであった。

2012年12月18日火曜日

早くも「世論操作」をはじめた『読売新聞』。来夏の参院選も「自公過半数超え」と報道。推計という名の騙り。

 えっ? もう,つぎの選挙運動? それも新聞社が? 眼を疑いたくなるようなニュースが「@niftyニュース」で流れている。びっくり仰天である。それも「参院選でも自公が過半数」という衝撃的な見出しで。読売新聞ならやりかねないし,別に驚くほどのことでもない,とも思うもうひとりのわたしがいるが,それにしても・・・・。

 しかも,もうひとりの醒めたわたしに言わせれば,単なる推計をもとにした読売新聞的結論にすぎない。もっと言ってしまえば,一種の騙りにも等しい。早くも,それらしき風評を流して,世論を誘導する,いつものやり口を繰り出しただけの,まことに無責任な報道の仕方にすぎない。が,それにしても,腹が立つ。なぜなら,この方法で,こんどの衆院選挙はまんまと誘導されてしまった部分が少なくないからだ。ごくふつうの日本人であれば,新聞に書いてあることはそのままほとんど信用してしまう。とりわけ,高齢者には多い。それを承知の上で,こうした推計結果とか,世論調査という名目で,自分たちにつごうのいい結論だけを,それとなく流しつづける。

 だから,腹が立つ。

 ネットに配信されたのは今日の午前9時09分。誤解を招くといけないので,全文を紹介しておくと以下のとおり。

 16日に行われた衆院選の各党の得票をもとに,来年夏に行われる参院選の行方を読売新聞社が推計したところ,自民,公明両党が参院でも過半数を占め,与党が少数の「ねじれ国会」が解消するという結果が出た。

 議席の推計は,各党が衆院比例選で獲得した票を,11月に成立した改正公職選挙法に基づき「4増4減」した選挙区選と比例選に当てはめた。選挙区選では,公明党が改選定数2と1の選挙区で自民党に協力することを前提として,改選定数2以上の選挙区では,各党の得票をドント式で配分し,複数の立候補者が出た場合を想定した。

 推計結果によると,野党各党が個別に候補を擁立した場合,自民党が31ある「1人区」をすべて制するなど圧勝し,14議席の比例選を含めて計62議席を獲得する。公明党も7議席を得る計算だ。仮に来年4月の参院山口補欠選挙で議席を獲得できなくても,自公両党は非改選議席と合わせ,参院(定数242)の過半数122を5議席上回り,ねじれ国会は解消する。野党では,23議席を得る日本維新の会が改選第2党となる。

 以上がネットを流れている文面である。
 まるで,二匹目のドジョウが目の前に待っているかのような書きぶりだ。しかも,こんどの選挙と同じような選挙が,来年夏にも展開されるとすれば,という留保つきの話だ。こんどのような選挙結果を,いったいだれが想定しただろうか。希望的観測という意図が丸見えながら,世論調査の結果として,自民圧勝とメディアは繰り返し報じていた。逆に,選挙結果をみて一番驚いたのは自民党だったのではないか。あまりの圧勝ぶりに驚いてしまったのか,安倍君のあの硬直した表情はなにを意味していたのか。にもかかわらず,読売新聞社は来年夏にも同じことが再現されるという前提に立ち,勝手な「推計」をもとにした結論を,さもありうるかのように書き立てる。この無責任ぶりに,わたしは腹が立つ。

 今回の選挙が,もっとも大事な論点をはぐらかし,民意を煽る上でつごうのいい論点にすり替えた,詐欺にも等しいものだったことはだれの眼にも明らかではないか。それが,もう一度,そのまま再現されると考える読売新聞社の考え方のお粗末さ。もちろん,そんなことは承知の上で,何回も繰り返し同じ情報を流すことが世論操作の上では有利だ,と考える確信犯なのだ。だから,なおさら質が悪い。

 こんどの選挙が,いかに異常で,異例の選挙であったかということは,これからしばらくの間,大きな話題となってメディアを駆けめぐるだろう。今朝の新聞にも,選挙の得票率をはじめとする詳しい選挙行動の分析が満載である。これから,もっと本格的な論説が,たとえば『世界』などで展開されることだろう。

 わたしたちは,安っぽい騙りのようなメディア情報にだまされていてはいけない。これからしばらくは要注意だ。各メディアがどのような戦略で,つぎの選挙に向けて,情報を「操作」しつづけるか,しっかりと見極めていかなくてはならない。

 恐ろしい世の中になったものだ。

2012年12月17日月曜日

改憲派が三分の二以上を占める。恐るべき事態となる。

 選挙とは不思議なものである。民意が反映されるべきはずなのに,そうとはかぎらない。民意とはかけはなれた結果が,民主主義の名のもとに,堂々とまかりとおる世界なのだから。

 6割もあった脱原発派の意志は,どこかに吹っ飛んでしまった。5割あった改憲反対もどこに行ってしまったの?というまことに信じられない結果である。

 いよいよ恐るべき新生日本の開幕である。原発推進,沖縄の基地問題,改憲,軍備,徴兵,増税,TPP,・・・・維新を抱き込んでしまえば,あとは自民党の思うままだ。

 こうなった以上,つぎの参議院選挙がますます重要になってくる。これで参議院も自民党に過半数をとられてしまったら,もう,歯止めがきかなくなって暴走をはじめかねない。かりに,参議院で圧倒的多数を反改憲派で占めたとしても,自民党主導による改憲は可能なのだ。それでも,衆参の大きなねじれは確保しておかなくてはならない。なぜなら,そのつぎの衆議院選挙にプレッシャーをかけることができるからだ。

 こんどの選挙で学んだことは,失政をすれば国民はみんなそっぽを向く,ということだ。自民党が軽々に原発推進や改憲に手を出すと,6割,5割という民意が黙ってはいない。今回の選挙では,もの言わぬ4割が棄権している。ものを言った6割のうちの,さて,何割の人が自民党に票を投じたのか。これは計算をしてみればすぐにわかることだ。

 議席の数こそ小選挙区制のお蔭で圧倒的多数を占めたものの,得票率ではそれほどの大きな差にはなっていない。民主の票があちこちの党に分散しただけの話で,自民は漁夫の利を拾っただけのことだ。自民の政策が圧倒的支持を受けて,それいけの風が吹いたわけではない。むしろ,他党を信ずることができない人びとの票が,仕方なく自民に流れた,一時的現象にすぎない。

 だとすれば,自民のこの圧勝は,まことに脆弱な基盤の上に,たまたま誕生したにすぎない。このことを肝に銘じておくべきだろう。したがって,これからの自民の政治の進め方いかんによって,国民が一斉にそっぽを向く可能性もまたきわめて高いということだ。その意味で政局は当分の間,めまぐるしく揺れ動くことだろう。

 健闘したのはみんなの党。やはり,離合集散をくり返す中にあって,曲がりなりにもみずからの主張を貫いたことが評価されたのだろうと思う。その点,未来の党はあまりに唐突すぎたという印象は免れなかったようだ。これで,生活の影が消えてすっきりしたのではないか。そして,文字どおり,未来としての第一歩を踏み出すことができた,ということだろう。あとは,嘉田由紀子を前面に押し立てて,力のある候補者を参議院選挙に向けて育てていくことだ。彼女のかかげる理想,すなわち「卒原発」は捨てがたい。ここから日本の未来を考えようという姿勢はまことにまっとうなことだと,わたしも考えている。やはり,「命」を政治理念の中心に据えてこれまで取り組んできた滋賀県知事としての実績が,これからもっと広く浸透していくことになれば,新しい党としての魅力がみえてこよう。

 今回の選挙は,結果論としては,まことに恐ろしい事態の進展をみることになってしまったが,ここはもう一踏ん張りして,つぎを目指して頑張っていきたい。そうしないと,ほんとうに日本の未来はなくなってしまう。

 ピンチこそチャンスだという。このピンチに多くの国民が覚醒することだ。そして,選挙をとおしてみずからの意志をきちんと表明していくことだ。その積み重ねしか,いまのところ方法はないのだから。日本の未来を見据えて。


2012年12月16日日曜日

来年の参議院選挙につながる結果のでることを期待したい。

 今日(16日)はきれいな青空が広がった。天気図をみると,鹿児島・沖縄と秋田・北海道を除くすべてが晴れマーク。やや風があるが,思ったより暖かい。午前12時ころ,投票所に向う。いつもより歩いている人が多い。明らかに選挙に向う人たちだ。

 投票所になっている小学校の体育館に到着して驚いた。体育館の入り口から長蛇の列ができているではないか。こんな光景は,この地にきて初めてみる。整理係の人がでて,受け付け番号別に列を指示している。おやおや,である。天気がいいから,しかも暖かいから,みんな気分よく選挙にやってきたに違いない。

 投票用紙に記入する仕切り机も満員。ここでも順番待ち。少し待たないと空きがない。投票を終えたところで,選挙にきた人びとの顔ぶれをじっと観察してみる。老人が多いのにまず驚く。つぎは,子連れの若い夫婦。意外なことに,壮年・青年の顔が少ない。時間帯にもよるから一概にはいえないとしても,この段階では,働き盛りの中年層と若者の顔があまりみられない。どうしたことだろうか,と考える。

 この顔ぶれで最後までいくとすると,選挙の結果はどうでるのだろうか,とあれこれ想像してみる。そして,ここで観察するかぎりでは投票率は,いつもよりかなり高いと感じられる。その結果がどうでるのか。ただ,いつも待ち受けている新聞社の「出口調査」の係の人がいない。もう,結果はわかっているとでもいうのだろうか。

 選挙を終えて,鷺沼の事務所に向う。そして,パソコンを開いてびっくり。投票率が大幅に減少,と読売新聞配信のニュースが報じている。午前11時現在の投票率は14.03%。2009年の同時刻と比べ,7・3ポイント下回っているという。つまり,全国的には投票率は低いというのだ。しかも,大幅に減少だ,と。

 投票率が低くなり,票が分散することになれば,漁夫の利をえるのは自民党だ。それだけはなんとしても回避したいところだ。原発推進,改憲,再軍備を志向する自民党だけは,勘弁してほしい。多少,妥協するとしても,比較第一党くらいのところで収めておきたい。過半数を与えてはならない。少し時間がかかるとしても,しっかりした政党が新たに登場するまで,わたしたちは待つしかない。右翼化した政党同士がお互いに足を引っ張りあったり,あるいは大連合を仕掛けたりして,政局が混乱するかもしれないが,わたしたちは耐えなくてはなるまい。その方が,自民党独裁政権が誕生するよりは,はるかにいい。

 わたしの希望的観測を述べておけば,メディアが足並みを揃えたかのように報じた自民党圧勝の報道が,大いなる誤報であり,明らかな「世論操作」であった,という結果がでること。そういう事実を証明するような選挙結果がでることを待ち望んでいる。少なくとも,かなり予想がはずれる結果になることを。つまり,最後まで意志決定をしていなかった「4割」の無党派層の票が,メディアの予想を覆すような結果になることを。

 そして,この無党派層こそが,つぎの参議院選挙のキャスティング・ボートを握る,というような新たな政治情況を生み出す力につながっていくことを。そうして,若者たちの力が選挙に反映される可能性があるのだという情況を生み出すことを。

 そういう政治情況を,つぎの参議院選挙までに構築すること,そのためには,つぎなる政権党がいかなる政治姿勢を打ち出すか,しっかりと見極めていきたい。そして,その政権党に対して,日本未来の党をはじめとする「原発ゼロ」を強く志向する政党がどのような動き方をするのか,そこをしっかりと見極めていきたい。

 そして,こんどの選挙の最大の論点は「原発」をどうするか,ということであったはずだ。にもかかわらず,みごとにすり替えてしまった右翼化政党をこのまま見すごすわけにはいかない。それだけではない。同じように論点をすり替えられてしまった沖縄の基地の問題,TPP参加の問題,などについても厳しい監視の手を緩めてはならない。

 もう一点だけ。嘉田由紀子さんが党首をつとめる日本未来の党のこんごの行方である。この人のことはあまり情報がなかったので,大丈夫かという心配があった。しかし,こんどの選挙をとおして伝わってきた情報に,わたしは好感をもった。とりわけ,次男さんが語った母のイメージが気に入った。「ひとことで言えば,空気の読めない人。一度,こうと決めたらその道を貫きとおす信念の人。自分の理想を実現するためにはいかなる難関も突破する,強い意志の人」。滋賀県知事に立候補するときから,京都大学探検部の先輩にあたる夫とは意見が合わなくなり,知事に就任してから離婚し,みずから信ずる理想の道を突き進む決意をした,という。こういう人だったら,ひょっとしたら,小沢一郎君をみごとに「飼い馴らす」かもしれない,と期待する。小沢君も約束どおり「表にはでないで,影に徹した」のも,むべなるかな,と思う。

 こんどの選挙結果いかんを問わず,少なくとも,つぎの参議院選挙まで,日本未来の党がどのような動き方をするのか,じっと見届けてみたいと思っている。

 いずれにしても,つぎの選挙になんらかの希望をつなぐことのできる結果が生まれるかどうか,今日の深夜には判明する。楽しみにしたい。

2012年12月15日土曜日

あと一日。最悪のシナリオだけは回避したい。ここは次善の策で妥協することに。

 泣いても笑っても今日一日。こんなに不思議な選挙は初めて経験する。選挙運動期間中に,みるみるうちに日本が軍国主義国家に変身しようとしているのだから。それこそ,どさくさ紛れに,衣の下の鎧まで露わにして,恥も外聞もなく「強い日本」を押し出している。そして,その主張にまんまと乗せられている国民が多いというのだから,これもまた呆れてしまう。困ったものだ。

 戦争を知らない世代は平気なのかもしれない。あるいは,マンガや動画の世界のように,邪魔なものはやっつけてしまえ,というその程度の感性でしかないのだろうか。ヴァーチャルの世界がいつしかリアルの世界に横滑りしてきたような話ではないか。そこのところをゲームやマンガが大好きだったというアベ君はよく知っているのかも・・・。いや,ひょっとしたら,いまもアベ君はその世界をリアルとして生きているのかも・・・・。

 はたして,徴兵制を布いて若者たちを掻き集めれば,それで戦場で戦える軍隊がつくれるとでも思っているのだろうか。日本国民1億三千万のほとんどが「茹でガエル」になってしまったというのに・・・。原発の事故による身の危険を感じても,すでに,筋肉が鈍ってしまって身動きできない「茹でガエル」だ。そんな軍隊はあってもなきに等しい。自衛隊の迎撃ミサイルをみればよくわかる。発射延期などというデマゴギーにまんまと乗せられ,気がついたときには上空を通過していたではないか。これが「茹でガエル」の典型的なひとつの事例だ。

 にもかかわらず,今日の新聞にも「自民党圧勝」の大きな活字が躍っている。しかし,ネット上に流れている『神奈川新聞』の記事がわたしの目にとまった。そして,かなり詳細な取材をへて書かれた記事であることがわかり,わたしは密かな期待を寄せている。そこには,つぎのような趣旨のことが書かれている。

 自民党優勢と聞くが,じっさいに神奈川県西部の選挙区をくまなく取材してみると,意外な実態が浮かび上がってくる,と。そして,自民党優勢はほんとうだろうか,と疑問符をつける。自民党候補者は組織票が思ったほどには伸びないという。民主党候補は街頭演説をしても手応えが感じられないという。それを受けて記者は,選挙の盛り上がりが感じられない,と書く。みんな冷めてしまっているのでは・・・と。

 その結果,自民も民主も票が読めない,という。つまり,これまでの選挙のようなたしかな手応えがないというのだ。だから,結果はまったく予測がつかない,と。あとは,無党派層の動き次第だ,という。その無党派層の多くは,脱原発をかかげる党のどこに一票を投ずればいいか,みんな真剣に考えているらしい,と。この人たちの決断次第で,まだまだ選挙の行方はわからない,と。この情報は,わたし自身がそれとなく感じているものときわめて近い。みんな押し黙って,考え込んでいる。なぜなら,自分が票を投じたいという気持ちになれる党がないからだ。選挙に無関心なのではない。むしろ,いつもよりも高い。ただ,受け皿がないのだ。

 となると,投票率が大きな鍵となりそうだという。投票率が低ければ,組織票が生きてくるので,自民・民主有利。投票率が高くなると,この無党派層の票が増えてくる。その多くが脱原発派に流れていくとすると,自民も民主も危ないというのだ。それを取材記者は肌で感じる,とも。

 あとは,天候が鍵を握る,とも。雨はどうやら避けられそうだが,寒くなると高齢者の動きがにぶくなる。幼児をかかえる若い母親も大変になる。それから,この時期は日没が早い。夏の選挙とは大いに違う。これらの要素が複合的に作用して,選挙行動が決まってくる。しかも,年末は忙しいという人たちも多い。

 で,結論は,まだまだ予断を許さない,と。自民党圧勝という報が流れているにもかかわらず,まだ,意志決定をしていない無党派層の人びとの数が圧倒的多数を占めていることに注目すべきだ,と。この人たちは最後まで意中の党派を明らかにすることはないだろう,とも。しかし,棄権をするとは考えられない,とも。

 こんな情報に接すると,まだまだ捨てたものではないぞ,とわたしは期待に胸をふくらませる。そこで考えるのは,つぎのようなことである。まずは,最悪のシナリオを描く党派だけは断固として回避しなくてはならない。その上で,脱原発をかかげる党派のどこを選ぶか。

 同じ脱原発でも民主は×。信用できないから。むしろ,恥も外聞もなくよくも脱原発などを公約としてかかげたものだとあきれ返っているくらいだ。では,どこにするか。あとは,どこでもいい。それでも,比較的多くの公約にわたしが同意できるところがいい。そして,できることなら比較的大きな影響力をきたるべき政権党に対して与えられるところがいい。つまりは,次善の策を選ぶしか方法はない。こうなると,だいたいのところははっきりしてくる。この際,党や政治家の好き嫌いは捨てる。そして,選挙後の動きを監視しながら,よりよい方向に育っていくことを期待したい。その程度の夢しかないが,今回は仕方がない。

 来年には参議院の選挙が待っている。そこも睨んでおきたい。もし,仮に自民党が政権党となったとしても,選挙期間中の「暴走」の反動がかならず返ってくるはずだ。とりわけ,憲法改正(改悪)については,議論百出するはずだ。それでも数の力で押し切ろうとするか。そのやり方いかんによっては,参議院選挙でまたまた大どんでん返しが起こる可能性もある。

 今日一日,無党派層の人びと(わたしも含めて)は慎重に慎重を重ねて熟慮し,日本の未来を見据えた長期的展望に立つ決断をする日にしよう。そして明日の投票結果を見届けた上で,つぎの参議院に向けての対策を考えることにしよう。

 このブログを書くことによって,わたしの「次善の策」がみえてきたように思う。どこかすっきりはしないが,とりあえずは,自分なりの意思表示を,明日の投票日にはしておきたい。

2012年12月14日金曜日

日本の命運が決まる選挙。戦争の足音が聞こえてくる。恐ろしいことだ。

 いわゆる世論調査なるものの予測が当たるとは信じたくないが,これまでの実績からすれば,当たらずといえども遠からず程度の評価は受けている。選挙運動は今日(14日)をふくめて残り二日間。この間に大きな変動がないかぎり,日本は戦争に向かって突進して行きそうな雰囲気になってきた。恐ろしいことだ。

 日本国民はほんとうに憲法改正(改悪)を望んでいるのだろうか。そして,国防軍を組織したり,徴兵制を布いたり,北朝鮮や中国との戦争も辞さない,と考えているのだろうか。圧倒的多数がそれを望んでいるとは,わたしには信じがたい。しかし,このままいくと多数意見になってしまう。考えただけで空恐ろしいことだ。

 たしかに,多くの日本国民が,しっかりしたリーダーシップを発揮する政府の登場を待ち望んでいる。そのことはよくわかる。わたしとて,政権交代後の民主党政権のぶざまな姿には辟易としてしまったほどだ。もっと「しっかり」しろよ,と。その意味で,民主党に一票を投じた者として忸怩たる思いがある。だからこそ,こんどの選挙では,きちんとした政治理念をもち,「しっかり」としたリーダーシップを発揮してくれる政党・政治家の出現を待ち望んでいた。

 断っておくが,「しっかり」したリーダーシップとは,憲法改正(改悪)や徴兵制を布いて再軍備に向かう極右による強権政治のことではない。この方向性に向かうことそのものの危険性をも適格に判断できる,という意味での「しっかりしたリーダーシップ」のことである。原発問題にフタをしたまま,徴兵制にまで突っ走ろうとする暴走老人と自民党の安倍総裁は,やはり55年体制へと逆戻りする政治をめざしているとしかいいようがない。

 暴走老人に端を発する今回の政治の混乱,そして,極右への傾斜の大きな流れについては,西谷修さんの最新のブログに,詳細に論じられているので,ぜひ,参照していただきたい。もし,この流れが過半数を占めるということになれば,日本の政治的破綻がもたらす悲惨さは目を覆うばかりのものになるだろう,と結んでいる。しかも,ギリシアの経済的破綻の悲惨さが世界を席巻したが,それとはくらべものにならないほどの,とてつもない混乱を世界にもたらすことになるだろう,と結論づけている。このブログを読んで,わたしは全身に電気が走った。

 わたしの勝手な受け止め方からすれば,こんどの選挙は,その結果いかんによっては世界史に記録されるような,とんでもない歴史を刻むことになりかねない,ということだ。じつは,昨日も一日中,西谷さんのブログの内容について考えつづけていた。なんとかならないものか,と。これが,いま,わたしたちの命運を決する民主主義のありのままの姿でもあるのだ。

 そう思っていたら,今朝の『東京新聞』の「本音のコラム」に佐藤優氏が「都知事選と沖縄」という見出しのコラムを書いている。それを読んで,ふたたび,わたしは震撼してしまった。ああ,恐ろしいことが待ち受けている・・・・と。

 ぜひ,『東京新聞』を読んでいない人たちにも・・・と思い,転写しておく。こんなことが,もし,現実になったとしたら,わたしたちに未来はない。せめて,戦争だけはなにがなんでも回避しなければならない。そして,原発もゼロをめざすべきだ。その上で,つぎのことを考えていけばいい。なによりも,まずは「命」を守ることから,わたしたちの思考をとりもどそう。そこからの出直しが,こんどの選挙ではないか,とわたしはこころから信じている。戦争も辞さないなどという無責任な選択だけはしない,これだけは,みなさんにお願いしたい。今回の選挙は「人物」選びではありません。「政党」選びの選挙です。


佐藤優氏のコラム記事


2012年12月13日木曜日

選挙戦,終盤に入って異様な雰囲気が漂う。起こるか「大逆転」!

 今日(13日)をふくめて,あと3日。選挙戦もいよいよ大詰めを迎えて,なんだか怪しげな雰囲気が漂いはじめているような気がしてなりません。なにか,とんでもないことが起こる,その前兆のような胸騒ぎが,このところ日を追って激しくなってきました。大丈夫なのか,ともうひとりのわたしが問いかけてきます。

 北朝鮮の,実質的ミサイル実験を受けて,いよいよ憲法改正(改悪),国防軍の編成(徴兵制まで言及した輩もいる)に向ってまっしぐら,とますます勢いづくかのようにみえる某政党。ここにきていささか翳りが露になってきたかのようにみえる,右寄り路線を明確にしている某政党が,にわかにすり寄るようにして政権に合流しそうな雰囲気。それにつづく右寄り路線の二つの政党も,どうやら吸い込まれていきそうな雰囲気。のみならず,ノダ君まで,連立政権はありうる,というような発言をしたとか,しないとか。いやはや,あきれ返ってものも申せません。

 こうなったら,右寄り路線の大連合政権が誕生しそうだ。だとすれば,憲法改正(改悪)も,いともかんたんにできてしまいそう。となれば,こんどは国防軍だ,徴兵制だ,と強引に押し切られてしまうということになりかねません。このままだと,三分の二以上の議席を確保して,堂々と民主的という名の暴力のもとに,やりたい放題の政権が誕生してしまいそうです。そういう雰囲気をメディアが熱心に創り出しています。この流れは,ヒトラーが政権をとったときと,妙なところで,よく似ています。国家のピンチが,独裁者を生み出す,という点で。

 しかし,日本国家のピンチにはもうひとつあります。こちらの方がもっと大きなピンチです。いうまでもなく「原発」です。ここを,どのようにクリアするかが,まずは先決です。原発推進か卒原発か,これによって国家の基本的な姿勢が決まります。その議論をいかにかわして,目先の国防や経済に,国民の関心を引きつけて,批判の矛先をかわすか,右側政党は必死です。

 で,これまで鳴りを潜めていたオザワ君が「憲法改正議論は危険だ」と雄叫びをあげたらしい,のです。が,すぐに,マスコミは封じ込め作戦にでて,ほとんどの新聞は無視(取り上げない)。ネット上を一瞬ですが,流れていました。しかし,ここまできたらさすがのオザワ君も黙っているわけにはいかない,ということなのでしょう。選挙戦がはじまって,にわかに憲法改正(改悪)と国防軍の話が焦点化してしまいました。そして,さしたる議論の深まりもないまま,「ミサイル打ち上げ」風を追い風にして,一気に選挙で多数を占めてしまおうというのでしょう。なんと,唐突なことか。

 選挙のオザワ君が,最後のさいごにきて,どんな大逆転劇を思い描いているか,意表をつくつぎなるカードはなにか,わたしは興味津々です。共同通信の独自の調査によれば,まだ,4割以上の人が政党も候補者も決めていない,といいます。こんな,選挙の終盤にきて,こんなに多くの国民が意志決定できないまま(しないまま)でいるというのは異例のことだ,と伝えています。なのに,すでに,アベ君は政権をとったかのように,1月中旬にはアメリカ訪問を考えている,と口にしはじめて,といいます。

 そのアベ君が,10日発売の『文藝春秋』に論考を投じています。このタイミングで,です。掲載した『文藝春秋』も,なにを考えているのかと思いますが,投じた方は頭は確かか,と問いたいところです。ハシモト君がツイッターで発信することは選挙違反に相当すると,厳しい警告を受けています。ツイッターが駄目で,雑誌ならいい,という理屈は立ちません。こうなると,ひょっとしたら(かなり確実らしいのですが),このご両人は,選挙翌日には「逮捕」ということも起こりうるでしょう。ハシモト君にいたっては確信犯です。わたしは,まじめにルールを守っている人たちの立場に立ちますから,「逮捕」は当然だと思っています。となると,フクシマ女史も危ないかな? おやおやという人たちが芋ずる式に「逮捕」などという珍事が起こるかもしれません。

 こうなると,残りの4割の,これから意志決定をするという人びとに期待をかけるしかありません。どうか,賢明な選択をしてほしいと祈るばかりです。かく申すわたしも「卒原発」を目指す政党の中の,どこに「信」をおくことができるか,考えに考えを重ねているところです。ですから,わたしも,この残りの「4割」の中のひとりです。これから,大どんでん返しが起こるとすれば,この「4割」の人びとの手にかかっています。

 わたしの記憶では,もう,ずいぶん前になりますが,自民党圧勝とメディアが報じた参議院選挙で,無残な敗北を喫したことがありました。このときも,世論調査という名の操作が熱心に繰り広げられたにもかかわらず,最後のさいごで「雪崩現象」が起きて,大どんでん返し,大敗北という結果になりました。あるいは,これも記憶が定かではありませんが,選挙戦の最後のところで政権党の総裁の「暴言」「失言」で,一気に票がくずれ,大きく議席を失ったことがありました。

 選挙は一瞬で流れが変わるともいいます。
 そろそろオザワ君の出番ではないか,それも蜂の一刺しで。「憲法改正は危険だ」につづく,つぎなる一手は?囲碁好きなオザワ君のことですから,つねに,大局を眺めまわしてから,必殺の一手を繰り出すのではないか,と。

 少なくとも,「原発」ゼロと「憲法」改悪阻止だけは,わたしたちが果たすべき「義務」(シモーヌ・ヴェイユ)である,とわたしは考えています。わたしたちの生存にかかわる「根こぎ」を防ぐためにも。あとのことは,時間をかけて議論すればいい,それからのことだ,と。

2012年12月12日水曜日

原発推進派のみなさん,家・土地・家畜を捨てて,いまも戻ることのできないフクシマの人びとのことを考えたことがありますか。

 突然,大地震がやってきて,そのために原発に異常が発生して,放射性物質がまき散らされ,生まれたときから住み慣れた家・土地・家畜をそのままにして退去命令にしたがわなくてはならなかったフクシマの人びとのことを,そして,いまも戻りたくても戻ることのできないまま避難生活を強いられている人びとのことに思いを致す「こころ」を,わたしたちは失ってはいけません。

 こんどの選挙は,このようにして生活の基盤を,原発によって奪われてしまった人びとを,二度と生み出さない日本にするための,天下分け目の決戦です。この最重要課題をそっちのけにして,論点を別のところにすり替えて,原発問題をあいまいにするための,刺激的な論点をもちだし,多くの日本人に猫だましをかましている政党が,なんと有利に選挙戦を展開している,とメディア(このメディアが曲者ですが)が報じています。そして,やはり,そうなんだ,と思い込む日本人が増えている,とこれまた追い打ちをかけています。

 みんな,目の前の,一旦はわがものとした豊かな生活を脅かされたくない,と考えているようです。このこと事態は,ある意味では納得できます。しかし,そのためには,フクシマの人びとや沖縄の人びとのことは,無視していいと考えているとしたら,それは別問題です。自分の生活や安全が守られるのであれば,ほかの人のことはどうでもいい,とでも考えているとした,それこそ大問題です。自分さえよければ,他人のことはどうでもいい,と。

 しかし,それは大きな間違いです。しかも,根本的な間違いです。他人を切り捨てることは,自分を切り捨てることと同じだ,ということに思いを致すべきです。他者を殺すことは自分を殺すことなのです。他者がいなくなってしまったら,自分の存在は意味をなしません。他者があって,わたしが存在するのです。このことを,わたしたちの多くが忘れています。そして,自分だけよければいい,と勘違いしています。それが「自由」だ,と。

 原発事故で家・土地・家畜を捨てて逃げなくてはならなかったフクシマの人びとのことに,わがことのように深く思いを寄せられる感性を,わたしたちは取り戻さなくてはなりません。なぜなら,明日はわが身に起こることなのですから。わが身のことを大事にしたいと思ったら,フクシマの人びとを守り,救済することを,なによりも優先しなくてはなりません。それこそが,わが身を守るためのもっとも大事な第一歩です。

 原発ゼロを目指そうと覚悟を決めた人びとは,みんな,このことを深く胸に刻んでいます。しかし,不幸にして,偽りの情報にごまかされて,原発がないと駄目だよねぇ,と思っている人びとは,自分の手で自分の首を締めているということに気づいていない,哀れな人びとなのです。そして,目の前の,うすっぺらい「豊かさ」に目が眩んでしまっているだけの話です。

 いま,わたしたちが享受している「豊かさ」はほんとうに人間を幸せにする内実をもっているのでしょうか。むしろ,この,経済的なみせかけの「豊かさ」は,人間を不幸に追い込んでいる元凶なのだ,ということを知るべきです。一昔前,経済史家の大塚久雄は『ものの豊かさとこころの貧しさ』(みすず書房)という著作をとおして,大きな問題を投げかけました。つまり,物質的な豊かさは人間のこころを貧しくしてしまうと。

 わたしは,敗戦後の物資を著しく欠いた,貧しい時代を,小学校2年生から大学生になって以後も,ずっと生きてきました。いま,考えてみると,あの時代の方がはるかに人と人との絆が強く,お互いに助け合おうというこころを多くの日本人が持ち合わせていたように思います。ところが,いまの日本人は,経済的な豊かさを享受するとともに,みんな独立独歩をめざし,他人さまには迷惑をかけない,という閉じた生き方を是としているように思います。その結果として,みんな孤独になっています。

 今日,訃報を知って驚きましたが,小沢昭一さんも,貧しい時代の方が人びとが生き生きとしていた,目も輝いていた,とエッセイに書いています。わたしも,まったく同感です。

 だからといって,貧しくなれ,というつもりはありません。しかし,わたしたちが,将来的に,フクシマの人びとが味わったような辛い経験だけは忌避したいと思うのであれば,ここは原発ゼロをめざすしかありません。ここでは,これ以上は踏み込みませんが,原発を持てば持つほど,わたしたちの未来は絶望的になってしまいます。なぜなら,地震による事故のみならず,もし,そうではないとしても使用済み核燃料棒とは10万年は付き合わなくてはならないのですから。

 原発推進派のみなさん。もう一度,顔を洗って,覚めた頭で,考え直してください。原発を推進していっても,わたしたちの生活そのものは少しもよくはなりません。それどころか,天文学的な負債を背負うことになります。半永久的に,先祖代々,使用済み核燃料棒の奴隷になるしかありません。それだけは,なんとしても回避しなければなりません。

 住み慣れた家・土地を強制的に追われることを,シモーヌ・ヴェイユは「根こぎ」と表現しています。ユダヤ人として追われる立場を生きなくてはならなかったシモーヌ・ヴェイユにとっては,生きることの原点である「根」をもつことの重要性を,ひとりの哲学者として,だれよりも深く理解していたと思います。

 わたしたちは,いま,その「根こぎ」を拒否して,「根づけ」に向かうべき時代を生きています。こんどの選挙は,その二者択一でもあります。

 このことを原発推進派のみなさんに,強く訴えたいと思います。どうか,胸に手を当てて,みずからの良心に問いかけてみてください。お金がなくても,こころの豊かな生活はできます。いな,むしろ,お金と縁を切った方が,こころの豊かな生活はできます。それは多くの宗教が教えているところでもあります。人が「生きる」とはどういうことなのか,という根源的な問題が問われている選挙でもあります。

 しかし,ノダ君も,アベ君も,そこのところを考えることなく,いな,むしろ避けて,場当たり的な対症療法で政治を操ろうとしています。その軛から抜け出すこと,それが今回の選挙に臨むわたしたちのミッションではないか,と考えています。つまり,「根をもつこと」を軸に政治を考えるかどうか,ということです。

今夜はここまで。

2012年12月11日火曜日

わが家の冷蔵庫が寿命。省エネものに買い換える。わたしの下半身は筋肉痛で歩行困難。

 選挙戦もいよいよ終盤にさしかかり,もっと熾烈な展開になるかと楽しみにしていたが,早くも週刊誌は原発推進党が圧勝すると書き立てる。なんとも胸くそのわるいこと・・・。こうやって予測という名の世論操作を,マス・メディアはくり返す。それが有権者の無意識を形作る。駅前に立つ候補者の演説にも,最初のうちはかなり大勢の人が立ち止まって耳を傾けていたが,いつのまにか,みんな黙ってとおり過ぎていく。もう,熱が冷めてしまったかのようだ。

 でも,まだまだ予断を許さない,とわたしは考えている。なぜなら,日本国民の半分以上の人たちが,まだ,だれに入れるか決めていないという。しかも,よくよく読んでいくと,脱原発は決めているが,最終的にどの党にするかを考えている,というのだ。この数がどのくらいになるのか,そこのところの数字がでてこない。つまり,そのような調査をしていない,あるいは,わかっていても書こうとはしない,ということだ。なぜ,そこのところをもっと精確に探査し,書こうとはしないのか。そこにたくまざる企みが隠されている・・・と勘繰りたくなる。

 なんとなく,ここにきて選挙もだらけてきてしまったのだろうか。原発推進党の,目先を変える,猫だましのような手が効を奏しているということなのだろうか。論点がどんどん拡大していって,なにが大事なことなのかわからなくしている。その影響からか,とくに,若者の無関心が新聞でとりざたされている。

 そんな世情をよそに,わが家の冷蔵庫にとうとう寿命がきた。壊れた情況を電気屋さんにいって説明したら,直らないことはない,しかし,買うのと同じくらいになってしまいますよ,という。仕方がないので,一年前の製品でダンピング中のものを選んで,発注した。省エネもので評判はいい,という店員さんのお薦めにしたがった。一週間後に配送するという。それが,今日(11日)だった。午後の配送ということで,ようやく冷蔵庫を取り替えて,ほっと一息。

 ところが,である。わたしの大臀筋と両脚のすべての筋肉が,悲鳴をあげている。いってしまえば,下半身全体の筋肉痛。床に落ちている小さなゴミを拾うのも,一大決心しないと拾えない。しゃがみ込むのに時間がかかる。しかも,下半身のありとあよゆる筋肉がぎしぎしと音を立てているよにう感ずる。こういうときは,お風呂に入って,しっかり温めた上で,マッサージやストレッチをしてやればすぐに直ることを知ってはいる。

 だが,それができない。風呂場には山のように本が積み上げてある。この本を片づけないことには,お風呂にも入れない。なんで,そんなところに本を積み上げてしまったのか。

 このマンションに住みはじめて,ことしで15年目。狭いマンションの,どの部屋も,そして,玄関からの通路も,どこもかしこも本だらけ。まずは,玄関のたたきに大きな段ボールの箱で3箱。玄関を上がったところの通路の片側は大きな本箱。その反対側には腰の高さくらいまで本が横にして積んである。そこからはじまって,いわゆる廊下の両側に本が積んであり,人がやっと通れる程度の隙間しかない。それが,冷蔵庫の置いてあるところまで,コの字型に曲がって約8メートルほどつづく。この本の山を一時的に移動させて,スペースを確保しないことには,冷蔵庫さまがお通りになることができない。

 その作業を昨日,一日がかりでやった。ひとりで。ついでにたまっていた新聞も束にして,リサイクル置き場まで運んだ。この新聞の束だけで,なんと8束。9階からゴミ収集場まで,8往復。ついでに,空き箱もつぶして,束にして下まで運ぶ。こちらは3回。たまりにたまったゴミがほかにもたくさん。大掃除とまではいかないまでも,その手前くらいのところまで手を広げて,廃棄処分を行った。そして,最後の作業が,山積みになっていた本を,手でもてるていどの分量にわけて,少しでも空いている部屋のあちこちに詰め込む。それでも入らなくなって,とうとう風呂場に,一時的に積み上げたという次第。終わったら,夜中の3時だった。

 疲労困憊して(ほんとうに久し振りに筋肉労働をした),そのまま,バッタン・グー。
 今日の朝9時には配送担当者から電話が入り,午後の便で配送するという。それから,最終的なチェックをしてみる。冷蔵庫さまのお通りになる廊下の幅が十分かどうか,物差しで確認。なんとかなりそうだ,とわかり安心。正午ころになったら,アレレッ? 下半身の動きがヘンだ。素直に動いてくれない。強烈な筋肉痛だ。それも超弩級の筋肉痛だ。時間とともに痛みはひどくなる。そうこうするうちに,配送屋さんが到着。

 冷蔵庫さまは,準備万端,通路を整えた甲斐があって,あっさりと引き取られ,いとも簡単に新しいものが運び込まれた。そして,あっという間に引き上げていった。

 道具(事物)はいい。壊れたら取り替えればいい。しかし,人間さまのからだはそうはいかない。どんなに筋肉痛で悲鳴をあげようが取り替えるわけにはいかない。じっと我慢して,回復を待つ以外にはない。なにはともあれ,風呂場に持ち込んだ本だけでも,大急ぎで取り出さなくてはならない。が,からだは動かない。大した肉体労働でもなかったはずなのに,この筋肉痛はなんだ。身動きとれないほどの痛みではないか。そんな自分のからだと向き合って,しばし,茫然としてしまう。いよいよ,わたしのからだも寿命が近いということか。でも,それだけは認めたくない。

 部品の取り替えもできないわたしのからだ。だとしたら,あとは騙しだまし,上手に折り合いをつけながら,仲良くやっていくしか方法はない。

 太極拳で鍛えた下半身に,最近では,かなり自信をもっていただけに,やはりショックは隠せない。

 あまり無理をすることなく,上手に付き合っていくことにしよう。はたして,今日,取り替えた冷蔵庫さまと,わたしのからだと,どちらが丈夫で長持ちするのだろうか,と大まじめに考えてしまった。これが,いまの,わたしの現実。この筋肉痛,いつまでつづくのだろうか。明日は太極拳の稽古の日。この稽古をとおして,うまく,クリアできるのではないかと大いに期待しているところ。

 とまあ,私的な,きわめて私的なお話。今日のところはここまで。

2012年12月10日月曜日

原発推進派のみなさん,使用済み核燃料棒をあなたの裏山に保管してくれますか。

 東京の都知事選で猪瀬候補が優勢だと新聞が報じている。ほんとうだろうか,とわたしは疑問に思う。もし,新聞がほんとうだとしたら,都民の多数が原発推進派だということになる。いまでも,フクシマが,いつ,どのような情況になるかはまったく予断を許さない情況にあるということを承知しているのだろうか。場合によっては,いともかんたんに東京都民もみんな強制移住になりかねない,そういう情況にあるということを承知しているのだろうか。それを知っている若い母親たちは必死で原発ゼロに望みを託しているというのに,そのことはほとんど報道されてはいない。

 山口二郎という政治学者(北大教授)の言説を,わたしは長い間,注目して耳を傾けてきた。が,最近になって,どうも少しおかしいと思いはじめている。『東京新聞』の今日(9日)の「本音のコラム」に「世論調査と民意」という見出しで山口二郎が書いている。そして,まるで他人事のように「多党乱立の中で自民党が漁夫の利を占めるという形になっている」と述べ,「選びたい人がいないという選挙でこそ,国民の『政治力』が問われることになる」などと,のんきなことを言っている。そんなことを言っていていいのか。そんな場合ではないだろうに。

 「本音のコラム」なのだから,もっと気合の入った「本音」を聞きたい。政治学者としての蘊蓄は,『世界』1月号にも,たくさんのスペースをもらって,ぞんぶんに語られているのだから。しかし,こちらの論考もわたしには不満だ。もっと切れ味鋭く,いま,日本国民が問われていることはなにか,を明確に論じてほしい。専門家として。

 わたしは単細胞だから,ものごとを単純化して考える。今回の選挙は,天下分け目の関ヶ原の戦いだ,と位置づけている。まずは,なによりも,原発推進か,原発ゼロをめざすのか,この二者択一の選挙だ,と。まずは,そこを明確にしておいてから日本の未来を考えよう,それしかありえない,と。それをないがしろにして,国防軍も,TPPも,消費税増税も,経済も,ありえない,と。今回の選挙は,人の命を第一に考えるか,経済を第一に考えるか,根源的な問いがつきつけられているのだ,と。わかりやすく言えば,貧乏は耐えられる。しかし,放射能は耐えられない。それだけの話だ。こんなにわかりやすい話はない。

 にもかかわらず,テレビや新聞の報道に,国民の多くがまどわされ,「やはり,原発なしでは無理だよね」という人が,わたしの身辺にも少なくない。そういう人に出会ったら,「そうかなぁ,じゃあ,使用済み核燃料棒は,どこに,だれが保管するの?安全になるには最低でも10万年はかかるというよ」と聞いてみる。「だって,電気足りないって言ってるよ」「電気は足りてるけど,それでも原発が必要だと言うなら,君のところの庭に穴でも掘って保管してくれる?それとも近くの裏山に埋めておく?」「それは政府が決めること」「その政府が,いつ,君の県の国有地に埋めるといいだすかわからないよ」「そんなこと考えたことない」「そこをしっかり考えてよ」「そんなのわかんない」「じゃあ,とりあえず,原発ゼロを目指そうよ」「そうかなぁ・・・・」

 だいたい,こんな会話で終わってしまう。しかし,こんな風に考える人が増えていくような論調がマス・メディアを横行している。山口二郎の「本音のコラム」も,読み方によってはそれを助長しているように読める。世論調査によって民意は流されていく・・・・と。そうではないだろう。山口二郎の役割は,そんなやすっぽい評論家的言説ではないはずだ。もっと積極的に,こんどの選挙で原発を止められなかったら,日本に未来はない,と書いて欲しかった。子どもたちの命を犠牲にして日本の未来はない,と。

 でも,わたしは希望を捨ててはいない。あと6日間。8割の人が選挙のことを考えているという。そのうちの6割が,まだ,意思決定をしていない,という。この6割の人たちが,いま,真剣に考えている,とわたしは信じたい。そうして,あるとき一気に雪崩現象が起きると。つまり,原発推進では困る,と。少なくとも,原発推進だけは阻止しなくては・・・・と。

 わたしの住んでいる溝の口では,いまのところ日本未来の党と民主党と共産党の候補者しかお目にかかってはいない。自民党の候補者にお目にかかったら,直接,聞いてみようと思っている。「使用済み核燃料棒をどうするつもりなのか」と。保管場所もない,捨て場所もない,そういう使用済み核燃料棒をこれ以上増やしてどうするつもりなのか,と。そして,10万年もの間,だれが面倒をみるのか,と。その費用はだれが負担するのか,と。

 こうしたリスクや費用を無視して,それでも「原発はコストが安い」と嘯く。それを助長するようなマス・メディアの報道。そして,それに騙されてしまう国民。この構造を打破するのが,こんどの選挙なのだ。こんどというこんどは,みんなで激論を闘わさなくてはならない。でないと,そのツケは子どもたちにまわっていく。そんな恥ずかしいことをしてはならない。選挙はこれからだ。

 命を守るためには身を挺して,無条件に闘わなくてはならない,それが人間としての「義務」だ,とシモーヌ・ヴェイユは主張している。このことを念頭において「義務の観念は権利の観念に先立つ。権利の観念は義務の観念に従属し,これに依拠する」とシモーヌ・ヴェイユは『根をもつこと』(岩波文庫)の冒頭で書いている。そして,人間の生の欲求の,もっとも根源的な「義務」を明確にすること,「このような研究が存在しないとき,たとえば政府に善き意図があっても,その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる」と喝破している。なにか,日本のいまの政党政治が見透かされているようで恐ろしい。しかし,その説得力には敬意を表するほかはない。

2012年12月9日日曜日

陸上競技・長距離界で用いられている「距離を踏む」ということばについて。

  『蛇を踏む』という川上弘美の短編集がある。じつに鮮烈な印象を残す名作だ。いまも「蛇」を「踏む」瞬間の,あのなんともいえない感触が,全身をかけめぐる。蛇に限らず,われわれ日本人は「踏む」ということに関しては,かなり鋭敏な感性を持ち合わせていると思う。そして「踏む」という語感から,多くの日本人はさまざまな連想を引き起こすのだろうなぁ,とわたしは考えている。

 たとえば,「敷居を踏む」のは,家長(父親)の頭を踏むのと同じことだ,だから踏んではいけない,とこどものころに厳しく教えられた。寺の本堂では,畳の縁を踏むな,とも教えられた。畳の真中を踏んで歩け,と。なぜ,いけないのか,その意味については記憶がない。しかし,いまにして思えば,なんとなくわかる気がする。境界,境目が,民俗学でなにを意味しているかを考えれば,容易に想像がつくだろう。

 日本語の「踏む」には,ふつうの国語辞典には載っていない意味やニュアンスが,つまり,ほとんど死語になってしまったようなことばのなかに,その名残が,わたしのような世代にはまだかなり残っているように思う。しかし,いまの若い人たちには,字義どおりの意味でしか「踏む」ということばからは,なにも思い浮かぶものはないらしい。ことばは使われなくなれば,自然にその寿命を終えて消え去るのみだ。

 今日(8日),スポーツ用語を研究している友人の清水泰生さんから,陸上競技の長距離界で用いられている「距離を踏む」ということばについて朝日新聞校閲センターから取材を受け,それがコラムになって紹介されているので「送ります」というメールがとどいた。早速,開いて読んでみた。とても面白い内容で思わず食い入るようにして読んだ。しかし,わたしの期待が大きすぎたのか,どこか物足りない。こんな程度の内容でまとめてしまっていいのだろうか,と。でも,それは,やはり新聞記者の眼からすれば,それで十分ということなのかもしれない。

 このコラムは,朝日新聞校閲センターが発行しているWebマガジンである『ことばマガジン』に,「ことば談話室」というコーナーに掲載されている。執筆者は,朝日新聞社のスポーツ担当記者(陸上競技専門)の柳澤敦子さん。新聞記者のネットワークをフルに活用して,可能なかぎりの人をたぐっていって取材を重ね,その話をまとめている。とても,手際のいいまとめになっていて,読みごたえがある。

 しかし,その情報源が,ことばの専門家でもなければ,民俗学の専門家でもない。取材した順番はわからないが,最初に登場する話題の提供者は,国際武道大学の前河洋一教授(52)。筑波大学時代に箱根駅伝の山登りを走っていた長距離選手。いまは,マラソンのトレーニング科学を専門とする研究者。この人の記憶(「距離を踏む」ということばが,いつごろから使われるようになったのか)をたどることからはじまる。そして,かつてのマラソン・ランナー宗兄弟をはじめ,宇佐美彰朗(69),君原健二,重松森雄(72),などといった人びとの記憶を尋ねていく。このあたりの展開はじつにおもしろい。みんなひとりずつ記憶が違うのだ。だから決定打がない。

 そこで,とうとうスポーツ用語の研究者であり,ランニング学会会員でマラソンランナーでもある,わたしの友人でもある清水泰生さん(47)のところに取材にやってきた,というのだ。そこで,清水さんは蘊蓄を傾けて,少なくともさきに挙げた人びととは違う立場から「距離を踏む」ということばの出所を推理している。その中では,「舞台を踏む」「場数を踏む」という清水さんの推理が,わたしにはとてもおもしろいと思った。

 が,取材記者の柳澤敦子さんは,そこで満足してしまったのか,話題をまとめてしまっている。新聞記者の話題提供としては,これで十分ということなのだろうか。

 このコラムを読みながら,わたしは勝手に,もっとおもしろい推理があるぞ,と想像をたくましくしていた。

 冒頭に書いたように「踏む」という日本語は,じつに多義的な意味内容を連想させることばなのだ。たとえば,四股を踏む,蹈鞴を踏む,六方を踏む,仁王さんが邪鬼を踏みつける,古くはヘンバイ(反と門構えの中に下),ウホ(禹歩),なども同じ「踏む」の系譜のことばである。

 大相撲の力士が土俵の上で四股を踏むのは,土俵の邪気を鎮め,聖域であることを周知徹底させるためだ。これを最初に儀礼としてやることによって,はじめて土俵の上で相撲を取ることが可能となる。それに近いイメージなのが仁王さんが邪鬼を踏みつける所作であろう。仁王さんは金剛力士。力士のつとめの第一は邪鬼,すなわち,仏教以前の土着信仰の神を踏みつけて,完全にコントロールする,つまり,支配することだ。そうして,東大寺でいえば盧遮那仏を守る。

 歌舞伎でいえば,弁慶が六方を踏む。なぜか。それは単なる移動ではないということだ。もっと言ってしまえば,距離を移動するということではなく,「踏む」というところに意味がある。いまにも転びそうな,前のめりになって片足でけんけんしながらの移動である。もっと言ってしまえば,躓いて転びそうになった体勢を保ちながら,ようやくこらえている,という姿勢である。その主役は「踏む」である。では,なにを踏んでいるのか。

 これに倣ったのか,歌舞伎役者が花道を引き上げていくときに,やはり六方を踏む。この「踏む」にはとくべつの意味が,言外に籠められている,という。つまり,単に演技が終わって舞台からはけていくだけではなく,観客にその存在をアピールするための最後の身振りだというのである。それが「踏む」という所作によって示される。

 このように考えていくと,蹈鞴を踏む,ヘンバイ,ウホ,なども単なる変則歩行ではないことがわかってくる。しかも,ただのロコモーションでもない。一歩,一歩に思いが籠められている。それが「踏む」ということの意味だ。

 「距離を踏む」とは,距離をかせぐ,長い距離を走る,ということとは意味が異なる。走るは,からだが平行移動すればいい。歩くも,からだが平行移動すればいい。つまり,ロコモーションだ。しかし,「踏む」は平行移動やロコモーションとはまったく別次元の身体技法であり,そこに籠められた意味内容もまったく異なる,ということに注目すべきだろう。

 ここからさきの話は,読者にゆだねよう。自由自在に思いをめぐらせて,考えていただこう。しかしながら,そこには,きわめて重要な思考の広がりが待っていることも,ここに書き添えておこう。ヒントは,シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』のなかの「魂の生の欲求」に応答する,永遠にして普遍である「義務」。

 謎めいた終わり方で恐縮だが,とりあえず,今日のところはここまで。

2012年12月8日土曜日

「カッパーク鷺沼」の謎が解ける。いつも眺めていた公園の名前でした。

 田園都市線の鷺沼駅から北に向って歩いて最初の信号のある交差点に「カッパーク鷺沼」という表示がでている。毎日,わたしが事務所に通う交差点である。最初にみたとき,不思議な名前だなぁ,といろいろに想像したことを記憶している。
 
 「カッパーク」。カッパのパークをひとつに縮めたことば? 鷺沼という地名が残っているのだから,このあたりの低いところには沼があって,そこには鷺が棲息していて,だからついた沼の名前が「鷺沼」? しかし,「カッパーク」と「鷺沼」がどうしてひとつになっているのか? たぶん,どこかにそのむかし沼だったところを埋め立てて公園にした場所があるに違いない。しかし,沼があったと思われる場所は見当たらない。

 そうこうしているうちに,この謎解きをしようという興味も失せていた。ところが,である。昨日(7日),あまりに天気がよかったので,いつも上から眺めているだけの公園に下りていこうと思い立ち,入り口に向った。その入り口に説明がきの看板があった。それを読んで,びっくり仰天。この公園の名前が「カッパーク鷺沼」だったのだ。


 この看板を読んで,すべての疑問が一気に瓦解した。なぁーんだ,こういうことだったのか,と。この看板はじつによくできていて,なにからなにまで納得づくめ。

 もともとは「鷺沼プール」だったところだ。「鷺沼プール」と聞けば,そういえばとてつもない規模のプールが鷺沼にあるという噂を思い出す。かつては,子どもから大人まで,大人気のプールだった。夏休みなどは満員になるほどの人気だった。この広大な面積が,すべてプールだったのだから。いまでは,そのプールのあったところに小学校と運動場,公園,サッカー場(フロンタウンさぎぬま),それに公共施設(幼稚園,など)が並んでいる。

 おまけに,発電所まである,という。これは地下に埋め込まれているらしい。この敷地の地下には小学校のプールにして400個分の「鷺沼配水池」がセットされている,と看板に書いてある。いやはや驚くべき施設である。

 いつも,なにげなく上から見下ろして,いいスペースがあるなぁ,とぼんやり眺めるだけでとおりすぎていた。こうなったら下りていかねば,と意を決して,公園の散策を楽しんだ。ふらりと歩くととても気分がいい。ついでに日光浴も楽しんだ。これから病みつきになりそうだ。


 公園の入り口から少し降りたところからの眺め。これでちょうど公園の半分。この左側には小学校の運動場がある。この右側にはサッカー場(フロンタウンさぎぬま)がある。下の写真がその一部である。ナイターの施設があって,いまでもときおりライトアップされて,サッカーの練習をしている姿がみられる。しかし,その連中が,桁違いに上手なのだ。最初のころは,まあ,夜になっても灯をつけて練習するくらいだから,相当のサッカー好きの連中だろうくらいに思っていた。しかし,それは大間違いだった。ここは,フロンターレ川崎のサブ・グラウンドにもなっていて,その予備軍たちが大まじめに練習をしているという。ときには,レギュラーたちもきて練習しているという。どうりでうまいと思った次第。やはり一流はすごい。


 今日は土曜日のせいか,グラウンドを小さく仕切って,フットサルが何カ所にも分かれて行われていた。しばらく眺めてきたが,そのレベルの高さに驚いた。こんな身近なところで,すごいプレイをみることができるとは。いささか意外だった。これからはときおり見物して楽しむことにしよう。

 ウィーク・デーなら,公園にやってくる人はほとんど見当たらない。ときおり,若い母親が幼稚園に上がる前の小さな子どもを連れてきて,遊ばせているくらいなものである。これなら,屋根つきのベンチもあるので,読書も楽しめるかも・・・・。

 「カッパーク鷺沼」の謎が解けて,なんだかとてもスッキリ。今日の青空のように。

2012年12月7日金曜日

ミサイルで自民か,地震で未来か。さてはて,どうなることやら。

 日本の未来の命運を分ける大事な選挙が,これから佳境に入ろうかというときに,北朝鮮では長距離弾道ミサイルを打ち上げると予告(10日から22日の間)。こうなると,憲法を変えて国防軍をもつという自民党に風が吹くことになり,困ったなぁ,と思っていたら,こんどは震度4というかなり大きな揺れの地震が関東・東北の広域にわたって起きた。いまのところ原発に異常はないと報道されているが,やはり,心配なのは津波とそれに合わせて原発事故という東日本大震災の教訓である。このことを考えると,日本未来の党に風が吹くのかな,と勝手な想像をしている。

 このところ,毎日のように選挙に関する世論調査結果(わたしは,これを世論操作結果と呼んでいる)に関する情報が新聞やテレビを賑わしている。まだ,選挙運動がはじまったばかりで,しかも,新党が乱立するという前代未聞の選挙なのに,すでに世論調査(操作)を,いままでと同じ手法で行っている。このこと事態がまったくとんちんかんなことであるという認識もなく,メディアは大まじめに世論調査(世論操作)に取り組んでいる。こんどの選挙は,これまでと同じ方法の調査ではその実態はまったくつかみきれない選挙だ,という認識が欠落している。それで平気でいるメディアの人びとの無神経ぶり,不勉強ぶりは眼を覆いたくなるほどだ。まさに,自分たちが「思考停止」のままでいることに気づいていない。

 こんどの選挙は,これまでとはまったく違う情況にあることを,しっかりと考えるべきだろう。まず,第一に,こんどの選挙に関心があるという人が80%を越えているという。この人たちが選挙に行くとしたら,前代未聞の投票率の高さになる。わたしは,今回に限って,みんな投票にいくだろうと思っている。とりわけ,若い子どもをもつ母親を中心にその夫,そして,それぞれの両親(おじい,おばあ)が動く,と。可愛い子どもや孫のためには,黙っているわけにはいかない,という強い意志のようなものが感じられる。少なくとも,わたしの身辺から聞こえてくるのは,この人たちがこれまでとはまったく違う選挙への関心の高さを示しているということだ。このことをメディアは,知ってか知らずにか,まったく無視している。いつもの頬被り。しかも,ネットでは,日本全国各地で「脱原発」をかかげた市民運動が熱心に展開していることが流れている。このことは,かなり以前から意図的に,マス・メディアは無視である。

 80%の人が選挙に関心をもちつつ,そのうちの60%の人はまだどのように投票するかは決めていないという。にもかかわらず,自民が200議席を越える勢い,とメディアは報じている。よくよく読んでみると,投票行動が決まっているという40%足らずの人びとのうちの半数近くが自民を支持しているというのだ。言ってしまえば,20%にも満たない人びとが自民を支持しているにすぎない。この人たちは,おそらく,どんな情況になってもずっと自民を支持してきた人たちだったのだろう。まだ,60%の人が意志を決めていないことを無視して,自民圧勝,民主苦戦,のような報道がまかりとおっている。その他の党は眼中にない。これを「世論操作」といわずして,なんと呼ぼうか。

 まだ,意志決定をしていない60%の人びとが,じつは,こんどの選挙のキャスティング・ボートを握っているのだ。この人たちは,おそらく雨後の筍のごとく乱立した新党の,ほんとうの姿を見極めるべく,これからの選挙運動をとおしてなにを訴えようとしているのか,なにをしようとしているのかを,じっと注視しているに違いない。この人たちのこれからの意思決定いかんによっては,選挙結果に大きな影響をもたらす,いな,キャスティング・ボートを握っているのは,この人たちだとわたしは考えている。

 そして,ポイントになっているのは,脱原発,反原発,卒原発,などのさまざまな主張の違いの内実をさぐりつつ,最終的に原発を廃止することの本気度を見極めることにある,とわたしは受け止めているのだが・・・・。はたして,どうだろうか。

 こういう情況のなかにあって,北朝鮮は長距離弾道ミサイルの実験をやるという。その一方では,尖閣諸島海域の中国船の動きもある。こうなると,自民党の「国防軍」設置が,にわかに現実味を帯びてくる。それに反応している人たちも少なくないだろう。困ったことになってきたなぁ,と危惧していたら,こんどは,地震ときた。震源地の関係で,驚くほどの広域で震度4を記録している。かく申すわたしも,この震度4の揺れのさなかで,自分の身の危険よりもさきに,原発は大丈夫かな,と考えていた。そして,祈っていたのは,これ以上に大きく揺れるな,ということだった。第二のフクシマが起きたら日本は終わりだと考えているので,自分の身の安全と同時に,原発の安全を祈っていた。いまのところは異常は報告されていないというが,これも信用できない。都合の悪いことは報告しないという実績が,すでに明らかになっているからだ。

 これだけ揺れると,わたしと同じように考えた人も少なくないだろう。だとすると,この地震は日本未来の党に風を呼び込むことになるのだろうか,と考える。それほどに,いまの日本人は原発のことに思いをいたしている,とわたしは思っている。だから,北朝鮮のミサイルと今日の地震は,日本の行方に大きな影響を及ぼすことになるのでは・・・・,とあれこれ想像をたくましくしている。政治姿勢よりは,外圧に大きな影響を受けやすい日本国民のことだ。意外に,こんなことから選挙の帰趨が決まったりするのではないか・・・と。

 さて,残り8日間の選挙運動に,この二つのできごとがどのように影響するのか,わたしは胸をドキドキさせながら,このブログを書いている。

 わたし自身の立場は変わらない。尖閣もミサイルも「人為」の問題だ。これからの努力(外交,など)によっていかようにも対応は可能だ。あとは,選択肢の問題だ。しかし,地震は人為をはるかに超えた自然の活動である。地球のごくあたりまえの活動のひとつだ。これに逆らうことはできない。その地震と折り合いをつけるのは,原発を止めること以外にはない。これは自明なことだ。これはシモーヌ・ヴェイユのいう「義務」だ。自己中心主義的な「権利」を主張する人たちには,このことの意味を理解することはできないのだろう。

 情けないことに文明人は「権利」しか主張しなくなってしまった。しかし,その「権利」とて,他者の承認がえられなければ,なにほどのものでもない。つまり,あってなきがごときものなのだ。それに引き比べ,シモーヌ・ヴェイユのいう「義務」は「永遠で普遍的で無条件的なるもの」なのである。このことの意味については,追ってこのブログで書く予定。

 わたしの結論は,原発を廃止することはシモーヌ・ヴェイユのいう「義務」である,というものだ。詳しくはのちほど。

 今日のところは,ひとまずここまで。

2012年12月6日木曜日

シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』をふたたび読みはじめる。

 シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』(冨原眞弓訳,岩波文庫)を,ある必要があって,再読をはじめた。第一部 魂の欲求,第二部 根こぎ,第三部 根づけ,という三部作で上下2巻にまとめられている。いささか意表をつく議論の展開になっているので,初めて読んだときにはとまどうことが多かった。しかし,ひととおり読み終えて,訳者解説に耳を傾けると,なるほど,シモーヌ・ヴェイユという人(女性)がなにを言いたかったのかということが,朧げながらみえてくる。

 ある必要があって,と書いた。が,正直にいえば,毎月一回,わたしの主宰している「ISC・21」の月例研究会で,このシモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』を補助線にして,バスク民族の間に伝承されている「アウレスク」というダンスについて考えてみようという企画があるからだ。それが,今月の22日(土),大阪学院大学(世話人・松本芳明)で予定されている。その「ねらいどころ」を明らかにしておけば,以下のとおりである。

 伝統スポーツには,シモーヌ・ヴェイユが言うところの「根」が,みごとに「根づき」しているのではないか。そして,「近代スポーツ」にはその「根」がないのではないか。つまり,伝統スポーツが「根こぎ」されてしまったものが「近代スポーツ」ではないか。その「根」とは,シモーヌ・ヴェイユに言わせれば,「魂」であり「霊魂」であり「霊感」のことだ。そういう「根」が,シモーヌ・ヴェイユの説によれば,フランス革命によって断ち切られてしまった,という。それをキー・ワード的に言ってしまえば,「権利」の主張があまりに強くなりすぎて,「義務」の立ち位置があいまいになってしまったところに起因する,ということになろうか。ここに,フランス革命の大きな落とし穴があった,とシモーヌ・ヴェイユは主張する。

 そのことを明らかにするために,シモーヌ・ヴェイユは,まるで「遺書」のようにして,死の直前に『根をもつこと』というこの本を書き残している。医者に強く注意されたにもかかわらず,食べるものもまともに食べず(意図的に断食をしていたらしい),そのまま「餓死」してしまったのである。43歳の若さで。そういう情況下で,この『根をもつこと』は書かれたことを銘記しておくべきだろう。

 「義務の観念は権利の観念に先立つ」。これがこのテクスト『根をもつこと』の,冒頭の書き出しのセンテンスである。彼女の言い分にしたがえば,人間の「生」にとって大事なのは「魂の欲求」であり,それに応答するのは人間としての「義務」であって,「権利」ではない,ということになる。第一部では,その「魂の欲求」について,懇切丁寧に議論を展開している。このように考えると,第一部が俄然おもしろくなってくる。

 このテクストの第一部 魂の欲求,はわずかに50ページ足らずの言説であるが,きわめて濃密な文章で埋めつくされていて,一回読んだくらいではなんのことかさっはりわけがわからない,というのがわたしの最初の感想であった。悔しいので,何回も何回も読み返す。すると,おのずから,絡みついていた糸がほぐれるようにして,するすると,一本の糸になっていく。

 この人間が生きていく上で,もっとも重要な「義務」,すなわち「根」(魂,霊魂,霊感)を,もう一度,取り返さなくてはならない,とシモーヌ・ヴェイユは言う。第二部 根こぎ ではどのようににしてその「根」が断ち切られてしまったのかを考察する。そして,第三部 根づけ では失われた「根」をどうすればもう一度とりもどすことができるのだろうか,と思考を巡らせている。

 わたしたちの研究者仲間がいま追い求めつづけている「伝統スポーツとグローバリゼーション」というテーマは,まさに,シモーヌ・ヴェイユが『根をもつこと』で展開した思考とみごとに共振・共鳴する,とわたしは受け止めている。とりわけ,バスク民族の間で伝承されている「アウレスク」というダンスは,そのままシモーヌ・ヴェイユのいう「根をもつこと」の典型的なサンプルではないか,というのがわたしの研究仮説である。

 こんどの22日(土)の月例研究会で,より稔り多い議論ができるように,これからしばらくは精読するつもり,いな,精読しなければならない,と考えている。あえて,ここに書いておけば,これまでのスポーツ史研究には欠落していた思想・哲学の成果をいかにして取り込むか,いかにして思想・哲学とリンクさせるか,という試みの一環として,こんどの月例研究会がある。そうすることによって,バスク民族の伝統ダンスである「アウレスク」が,おそらくは,まったく新しい意味を帯びたものとしてわたしたちの前に浮び上がってくるに違いない・・・と期待しつつ・・・・。

とりあえず,今夜はここまで。

IOC,ドーピングの再検査により,2004年のアテネ大会4選手のメダル剥奪を決定。どこか狂っていないか。

 8年前にさかのぼって,オリンピック・アテネ大会のメダリストから採取した検体を,ことしになって最新の技術を用いて再検査し,筋肉増強剤による違反が見つかったので,4人のメダリストのメダルを剥奪する,という。

 数日前からインターネット上を流れていた情報(8年前のドーピング違反によるメダル剥奪)が,いよいよ現実となった,ということだ。そんなバカなことが起こっていいのだろうか,とわたしは密かに危惧していた。

 IOCは5日にスイス・ローザンヌで理事会を開催し,陸上競技のメダリスト4人からドーピング(禁止薬物使用)が判明したので,メダルを剥奪する,と決定。ただちに,メダル剥奪にともなう順位の繰り上げを国際陸上競技連盟に通知する,という。

 メダル剥奪の決まった選手は以下のとおり。
 男子砲丸投げ・金メダル:ユーリー・ビロノク(ウクライナ)
 男子ハンマー投げ・2位:イワン・チホン(ベラルーシ)
 女子砲丸投げ・3位:スベトラーナ・クリベリョワ(ロシア)
 女子円盤投げ・3位:イリーナ・ヤチェンコ(ベラルーシ)

 わたしが危惧する点の主なものだけをここに挙げておこう。
 1.8年前の違反を裁くことの意味・・・競技会直後にメダリストのドーピング・チェックは行われているはず。そのときに「シロ」とされたものが,8年後に「クロ」と断定され,メダリストを「犯罪者扱い」にすることの意味。
 2.競技が行われた時点でのドーピング・チェック技術で完了とすべきではないのか。ドーピング・チェックの技術は日進月歩と聞いている。より厳正を期すること自体に異を唱えるつもりはない。だからといって,8年も前の検体を調べて,判定をくつがえすことの意味はなにか。
 3.今回のドーピング・チェックの再検査は,すべてのメダリストに対して行ったのだろうか。(ソウル・オリンピックで男子100mの金メダルを獲得し,のちにドーピング検査の結果,メダルを剥奪されたベン・ジョンソン選手の主張によれば,100m決勝レースに出場したすべての選手のドーピング・チェックをすべきだ,と。かれは,自分だけが「抜き取り」検査されたことのアン・フェアさを訴えていた。しかし,それは叶わなかった。)
 4.こんど繰り上げられるメダリスト予定者からは検体が採取されているのだろうか。そして,そのチェックはなされているのだろうか。
 5.今回の再検査が「抜き取り」検査だったとしたら,それこそ大問題であろう。わたし自身は一抹の不安をおぼえる。なぜなら,今回,メダル剥奪の対象となっか選手たちの国名が,ウクライナ,ベラルーシ,ロシア,の3国に限定されているからだ。これ以上の憶測は控えておく。
 6.こんごもドーピング・チェックの技術は,ますます精度を高めていくことだろう。だとすれば,これからも続々と「メダル剥奪」などという珍現象が起こる可能性がある。
 7.いったい,アスリートたちから採取した検体は,何年間,保存されることになっているのだろうか。
 8.参加選手全員から検体を採取することは不可能だろうが,はたして,全競技種目の上位者何人まで,検体を採取し,保存しているのだろうか。
 などなど,考えていくとキリがない。

 わたし自身はドーピング・チェックの方法そのものに大いなる疑問をもっている。つまり,この世界での「フェア」は,だれが,どのようにして確認できるようになっているのか,疑いをもっている。たとえば,ドーピング検査の項目ごとに仕事が細分化されていて,検査医自身にすら,全体がどのように動いているのか不明である,と長年,検査医として国際的に活躍された方から直接伺っている。しかも,検査医には「守秘義務」が課されていて,いっさい,口外はまかりならぬということになっている,という。検査医同士の間でも,「守秘」が厳しく守られている,という。

 したがって,最終的に,だれが,どのようにして検査結果のデータを集計して,「クロ」と断定しているのかわからないのだそうである。

 そういう世界で,8年前の検体を再検査することの意味そのものが,わたしにはほとんど理解不能である。一見したところ,最新の最先端の科学的手法を応用して,8年間も判定できなかった検体を再検査して,厳密に判定をくだすことは,まぎれもなく「正しい」ようにみえる。しかし,はたしてそうだろうか。

 このニュースに接して,まっさきに思い浮かべたことは,橋本一径さんが書いた『指紋論』である。加えて,ドーピングをしたのとまったく同じ血液を,遺伝的に,先祖代々継承している選手もいた,という橋本さんの指摘を思い出す。この話も,橋本さんが『ドーピングの哲学』というフランス語で書かれた文献(まだ,翻訳されてはいない)に基づいて,わたしたちの研究会の席で一度,そして,ついこの間のスポーツ史学会のシンポジウム(12月1日)の席で二度目のお話を聞かせていただいた。

 ことほどさように,ドーピング問題には,未解決の疑問点が山積しているのである。それらを承知の上で,すべて無視して,ブルドーザーのように荒れ地を整地し,公平さを装うことによって「正義」の御旗をかかげるやり方は,どこぞの,なにかととてもよく似ている。

 この問題はとても奥が深く,どんどん詰めていくと,最終的には思想・哲学上の議論になっていく。そこまで詰めた議論を,わたしたちはこれからやっていかなくてはならない。わけても,オリンピックを擁護する人たち,つまり,アンチ・ドーピング運動に従事している人たちにとっては喫緊の課題であるはずなのだが・・・・。

とりあえず,今日のところは,ここまで。

2012年12月5日水曜日

「尾てい骨を巻き込む」とはどういうことか(李自力老師語録・その25.)

  李自力老師のイエマフェンゾンのときの脚の運び方をじっとみていると,大臀筋がもこもことダイナミックに動いているのがわかる。あわてて,自分の臀部をさわりながらイエマフェンゾンの脚の運びのところをやってみる。大臀筋は動くどころか,硬くもなっていなくて柔らかいままだ。なにかが足りないのだ。以前,教えてもらった「尾てい骨を巻き込むように」はこころがけてはいるのだが,いまひとつピンとこない。気持ちとしては,こんな風かなぁ,と思いながらそれらしきことを試みてはいる。ときおり,たぶんこれでいいのだろうなぁ,という感触はつかめたつもりでいた。しかし,そんなものは,まったくの紛い物であったことが,今日(6日)の稽古でわかった。

 尾てい骨を巻き込むようにして脚を前に運ぶとはどういうことなのか,今日は徹底的に教えてくださった。なるほど,とこころの底から納得。

 李老師,曰く。まずは,肛門を締めなさい,と。何回も何回も肛門を締める練習をしなさい,と。そして,肛門をさらに強く締め上げると,男性でいえば前立腺の部分も連動して,かなり広い部分がぐっと締まる感じがつかめるようになる。手を当てがって確認してみると,大臀筋もふくめて肛門から前立腺のあたりの筋肉が,一斉に収縮していくのがわかる。

 そこで,早速,足の運びに応用してみる。すると,たとえば,右足に体重移動して右足を軸足にして片足で立ち,左足を右足のうしろに引きつけながら,これらの筋肉を締め上げる。つまり,大臀筋・肛門・前立腺の筋肉を締め上げる。すると,「尾てい骨を巻き込む」ということがおのずから起こる。

 すると,どうだ。引きつけた左足が前に送り出されていくではないか。左足を前に出すのではなく,「押し出され」ていく。その押し出された左足は,右足の重心の深さに応じて,前に伸びていく。そして,足が伸びきったところで自然に踵が床につく。それが,その人の歩幅となる。つまり,重心の低い人は遠くまで足が送り出されていく。重心の高い人は歩幅が狭くなる。これを「成正比」という,と教えてくださった。

 同時に,前に送り出された足は,猫の足のように音を立てないようにそっと床に置く。これを「マン(万としんにゅうがひとつになった漢字)歩如猫行」という,と教えてくださった。なるほど,李老師の足の運びが,とても静かで柔らかで,それでいて力強いのは,こういう仕掛けになっているのだ,ということがよくわかった。

 こうなったら,あとは稽古あるのみ。ただし,これらの筋肉群を締め上げるには,軸足がしっかりと安定していなくてはならない。頭のてっぺんの百会から尾てい骨をとおって,途中をとばして,踵まで一本の安定した軸を確保することが前提となる。この一本の軸がきちんとできていれば,腰の回転もおのずからスムーズにできるようになる,と李老師。つまり,股関節をゆるめることも,滑らかにできるようになる,と。

 以下は余談であるが,とても面白い話として李老師がしてくださったので,書いておこう。
 むかしは,この「尾てい骨を巻き込む」ためのコツを教えるときには,先生が,尾てい骨から肛門,前立腺にかけて直接手で触って確認しながら稽古をした。女性にも同じようにして教えていた。しかし,いつからかセクハラの問題が起きて,いまでは直接手で触れるということはしなくなった。もちろん,男性に対しても,触れることはしない,と。

 さて,こういう変化をどのように考えるか,これはまた別の問題ではあるが,少し考えなくてはならない重要な問題が隠されているように思う。いつかまた,文化論的な立場から検討してみたいと思う。

 今日のところは,ここまで。

2012年12月4日火曜日

新聞・テレビは世論操作をするな。わたしたちは世論操作をされるな。民主主義の危機。キー・ワードは「命」と「原発」。

 選挙のたびに民主主義とはなんだろう,といつも考えてきました。いまのこの選挙制度は,ほんとうに民意を反映しているといえるだろうか,と。どう考えてみても奇怪しいのではないか,と。ずっと,そう考えてきました。が,「3・11」後を生きることになったいまは,そんな悠長なことは言ってはいられません。なんとしてでも,「3・11」以前の政治からの脱出が不可欠です。絶対に過去の政治にもどってはいけません。

 こんどの選挙は日本という国のこんごの進むべき骨格を決める選挙だとわたしは位置づけています。それはこれまでの選挙とはまったく意味が違う,とんでもなく大事な選挙だということです。繰り返しますが,「3・11」以前までにつくりあげられてきた政治のままでいいとするか,そうではなくて「3・11」以前の政治とはまったく違う,新しい別の政治をめざすのか,という関ヶ原の戦いだと思っています。その結果いかんによっては,日本が世界の冠たる国づくりの範を垂れる道へと第一歩を踏み出すことができるか,それとも旧態依然の自民党時代(「55年体制」)の政治にもどってしまうのか,天下分け目の選挙だとわたしは位置づけています。

 その意味もあって,今日の午後7時から10時までNHKテレビの選挙報道に注目しました。なぜなら,他の民放はすべて選挙とはなんの関係もない,いわゆる娯楽番組(わたしのいう「バカ番組」)をいつもと同じように流していたからです。じつは,これにもあきれ返ってしまい,日本の国のあまりのお粗末さに直面し,情けなくなってしまいました。もし,あったとしても,定時の報道番組が,それもニュースの一部としてとりあげているだけです。つまり,民放にとってはこんどの選挙はどうでもいいことであって,ほとんどなんの関心もないということでしょう。もし,報道してもだれも見ない,つまり,視聴率を稼ぐことにはならない,スポンサーもつかない,だから「意味のない情報」という位置づけです。つまり,「カネ」にならない情報という判断です。ここには,「命」よりも「カネ」の方が大事だ,という姿勢が露骨に現れています。それに比べればNHKは,まじめに選挙と取り組んでいる,と言っていいでしょう。

 しかしながら,そのNHKの取り上げる選挙情報が,きわめて意図的・計画的にきちんと編集されている,ということを見逃してはなりません。編集とは,どこまでいってもある意図がはたらいています。つまり,編集という名のもとに,NHK的「客観性」という世論操作がなされているということです。それは,今夜の番組をみていてしみじみ思ったことです。一見したところ,中立で客観的な立場をとっているようにみえます。が,いくら隠していても,みる人がみれば,そのうしろに隠されている意図が透けてみえてきてしまいます。

 それは,各党の選挙スローガンの主張が複雑で,わかりにくいものである,したがって選挙民は困惑している,という前提に立つ報道番組を構成しているということです。アナウンサーがわざわざそんなことをいう必要はありません。淡々と,各党の主張を流せばいい。それも大小の政党の区別をすることなく,どの党にも均等に時間を配分すべきではないでしょうか。小党などは,どうでもいいといわぬばかりの短い時間しか与えてはもらえません。少なくとも,初日の今日くらいは,みんな平等に時間を配分すべきではなかったか,とわたしは考えます。

 弱小政党が,なにゆえに独立独歩の道を選び,自己主張をしようとしているのか,その声に耳を傾けることは民主主義の精神からすれば,きわめて重要なことではないでしょうか。それを,当たり前のように切り捨てて(時間的に),平気であるNHKの良識とはいったいなにか,というのがわたしの大いなる疑問です。こういう報道をするからこそ,受信料を払いたくない,それどころか,こんな放送局を支援することは犯罪的ですらある,と自責の念にかられることになってしまいます。

 NHKのこの姿勢は,どう考えてみても世論操作です。のみならず,世論調査結果という名のもとに,経済・景気回復をもとめる人が91%もある,という数字をわざわざ報道の途中で挟みます。それがダントツで一位,そして,そのあとに三つがつづき,原発ゼロは第5位である,とこれみよがしに画面をアップにして,しばらく動かそうとはしません。いつまでこの画面を見せつけるのか,とあきれてしまいました。この画像,この時間の長さ・・・・そこには明らかにある種の意図がはたらいているとしか思えません。

 言ってしまえば,「原発ゼロ」の主張をあいまいなものにする,という意図です。選挙の直前になって,あの自民党ですら,原発は危険と判断されたものについては止める,最終的には原発に依存する社会からの脱出をめざす,といいはじめました。こうなると,原発を維持する,つまり,こんごも原発を建造して電気をそこに頼るべきだ,と主張する政党はどこにもなくなってしまいます。ならば,いますぐにでも,大飯原発を止めて活断層の調査を優先させるべきではないでしょうか。そして,まずは安全を確認すべきではないでしょうか。それはやろうともしない。そういう政党もふくめて,みんな原発ゼロを匂わせている,だから,わかりにくいとNHKがあえて解説をくわえる,そこに問題があります。わかりにくいことなど,なにもありません。本気で原発ゼロをめざしている政党と,そうではない政党,つまり,選挙民の批判の目先をはぐらかそうとする政党とは,選挙民はみんなわかっています。

 それをあえてわかりにくいかのように解説するNHKの意図はなにか,ここが問題なのです。こうして,いつのまにかわたしたちは世論を操作されてしまうわけです。このような世論操作は,じつは,あちこちで仕掛けられています。民放が,選挙報道をしない,というのもその一つの方法です。こんな大事な選挙について,一つも選挙特番を組まないのはなぜか。答えは明白です。自分たちの考え方(カネ儲け)にとって不都合な勢力が,想定外に期待を寄せられているということを知っているからです。客観的に選挙報道を流すと,自分たちにとって不都合な政党が有利になってしまう,という判断がどこかではたらいているからに違いありません。

 このようにして,選挙はあの手この手で「操作」されています。そうして,民主主義という名のもとで,選挙結果が「正義」の根拠となり,少数意見はことごとく切り捨てられていきます。これが,こんにちのわたしたちの民主主義です。なんとも情けない現実です。

 そこから脱出するためには,わたしたちがその「操作」に乗せられないことです。そして,自分の眼で確かめ,自分の頭で考え,自分の魂に問いかけ,自分の意志で,自分の一票を投ずることです。

 あえて,ひとこと言っておけば,新聞もテレビも,知っていて無視し,さもなにごともないかのように振る舞っていますが,じつは,報道されないところで,さまざまな運動が展開しています。金曜日の首相官邸前の集会に代表されるような集会が,全国のあちこちで展開しています。とりわけ,原発ゼロをめざす女性を中心とした運動で「子どもたちを原発から守ろう」という切実な声が,想像以上の広がりをみせているようです。この声は,これからインターネットをとおして全国にもっともっと広まっていくとわたしは考えています。そこに多くの若いママさんをはじめとする賛同者が誕生しつつあると聞いています。それ以外にも,じつに多くの原発ゼロをめざす市民運動があちこちで起きています。この人たちの声をなぜ無視しつづけるのか,これがこんにちの日本のマス・メディアの姿です。このマス・メディアの姿勢が,日本の民主主義に大きな影を落している,とわたしは考えています。ここを,どのようにしてクリアしていくのか,それがいまわたしたち選挙民に問われている,きわめて大きなハードルではないでしょうか。

 これから12日間,日本人のどれだけの人が「目覚める」のか。それが問われる選挙が始まりました。自分たちの身近にいる人たちに,できるだけ声を掛け合って,「カネ」よりも「命」を大事にする政治の方向に舵を切るべく,ささやかな努力をしていきたいと思います。

 とりあえず,今夜はここまで。

2012年12月3日月曜日

井野瀬久美恵,橋本一径の両先生と楽しい時間を過ごすことができました。

 この前のブログで書いておきましたように,スポーツ史学会第26回大会の初日,12月1日(土)15:45~18:00の時間帯で,シンポジウム「現代スポーツの苦悩を探る」が開催されました。そのシンポジウムのための基調講演は「スポーツにおける英国のミッションは終わったのか?」と題して井野瀬久美恵先生(甲南大学)が熱弁をふるってくださいました。それを受けて橋本一径先生(早稲田大学)がコメンテーターとして,とても刺激的なコメントをしてくださいました。そして,最後にわたしがスポーツ史学会の立場から,いま,わたしたちがどういう情況のもとに研究者として立たされているのか,というようなコメントをさせていただきました。

 井野瀬先生のご講演は,聞きしに勝る迫力満点の気合の入った,聴衆を一気にまきこむ素晴らしいものでした。パワー・ポイントを用いて,テンポよく話題を展開し,じつに説得力あるお話をしてくださいました。スタートからゴールまで全力で走り抜ける,まるで短距離走者のような迫力満点のお話でした。それに対する橋本先生のお話は,長距離ランナーのように物静かに,しかし一瞬の手抜きもしない,ぐっと聴衆を惹きつけるものでした。なるほど,かつて800メートル・ランナーとして活躍された方だなぁ,とひとり納得していました。この時点ですでにシンポジウムの予定時間は過ぎていました。ですから,わたしの順番がきたときに「あと10分で」と司会者から言われ,頭のなかに用意していた話を半分以上捨てることにしました。ですから,十分とはいえないまでも,ある程度,意図していたことはお話できたのではないか,と自分を慰めています。

 このあと,懇親会があって,井野瀬先生とも橋本先生ともすっかり意気投合して,「また,やりましょう」ということになりました。つまり,もう一度,もっと掘り下げて議論をする機会をもちましょう,という次第です。今回は,最初のお手合わせ。これでお互いの気心がわかりましたので,次回は,もっと安心して踏み込んだ話をすることができる,とお互いに確信できたのだと思います。お酒も入りましたので,どんどん話は大きくなり,温泉で一泊して,徹底討論をしましょう,というような話にまでいきました。たぶん,これまで「スポーツ」をテーマにして,西洋史(イギリス近現代史),思想・哲学(表象文化論),そしてスポーツ史のそれぞれの専門家が議論するなどということは前代未聞のことでしょう。ですから,まったく新しい知の地平が開かれてくるに違いないという予感がお互いにあってのことだと思います。まさに,21世紀のスポーツ文化を切り開くための絶好の基盤がまたひとつできつつある,とわたしは大満足です。

 といいますのは,『近代スポーツのミッションは終わったか』(平凡社刊)では,やはり,スポーツ史学会でのシンポジウムもふくめて,西谷修,今福龍太の両氏とわたしとの3人で,「近代スポーツとはなにであったのか」という議論を積み重ねることができました。つまり,思想・哲学と文化人類学の専門家(それも,それぞれのトップ・ランナー)を「スポーツ」の領域に誘って,とことん議論していただくというわたしの切なる願いが,このような形となって結実したわけです。このお二人とは,いまも継続して,スポーツの問題についていろいろ議論をしていただいています。その第二バージョンが生まれつつある,というのが今回のシンポジウムでした。これから,また,新しいなにかが始まろうとしている,そういう予感につつまれて,胸が少年のようにときめいています。

 このシンポジウムのことは,これからわたしたちのやっている研究会「ISC・21」月例研究会(毎月1回,東京・名古屋・大阪・神戸を巡回して開催。公開。詳しくは「ISC・21」HPの掲示板をご覧ください)でも,継続して議論をしていくことになるだろうと楽しみにしています。さしあたっては,今月の22日(土)の午後1時から大阪学院大学で開催されます。そこでも,もちろん,この継続議論をしたいと思っています。東京開催のときには,たぶん,橋本先生も参加してくださると思います。神戸で開催のときには,井野瀬先生にもお声がけをしたいと思っています。うまくタイミング(ご公務との関係で)が合えば,きっときてくださると確信しています。

 いずれにしましても,そういう可能性が開かれるとても楽しい時間をお二人の先生と共有できたことが,今回のシンポジウムの最大の成果ではなかったか,とわたしは考えています。シンボジウムでお話いただいた内容につきましては,何回にも分けて,これから折あるごとにこのブログで取り上げてみたいと思っています。

 今日は,とにかく,充実した楽しい時間を,両先生と分かち合うことができたことの幸せを,記憶の鮮明なうちに書いておこうと思った次第です。スポーツ史研究をずっとつづけてきてよかったなぁ,としみじみ噛みしめているところです。そして,もっともっと面白い議論ができるように勉強して準備しておかなくては・・・と切実に思うようになりました。あまりにも遅きに失したとは思いますが,気づいたときがスタートです。それだけ人生が豊になるのですから・・・。

 最後になりましたが,井野瀬先生,橋本先生,ありがとうございました。スポーツ史学会の会員を代表して,こころからお礼を申し上げます。そして,これからも(いや,これからこそ),よろしくお願いいたします。

 唯一,心配なのは,井野瀬先生が過労にならなければいいが・・・・と。あの身を削るような迫力でお話をされるお姿をみていて,そのことだけが気がかりでした。でも,強靱な気力・体力の持ち主であられることを信じて・・・・,こんごを楽しみにしたいと思います。

では,今夜はこの辺で。


スポーツ史学会第26回大会,無事に終了。いろいろと収穫の多い大会でした。

 12月1日(土)・2日(日)の二日間にわたるスポーツ史学会第26回大会を無事に終えて,帰宅しました。11月30日(金)の神戸市外大での講演会もありましたので,三日ぶりの帰宅でした。三日間ともに,とても収穫の多い時間をすごすことができました。ありがたいことです。

 わけても,シンポジウムが印象に残りました。井野瀬久美恵先生の基調講演「スポーツにおける英国のミッションは終わったか」には大いに啓発されました。そして,それにコメンテーターとして発言してくださった橋本一径先生のお話も鮮烈なものでした。このお二人の先生に大いに刺激されるところがあり,わたしもコメンテーターのひとりとして元気よく発言させていただきました。このシンポジウムについては,また,機会を改めてご報告をしたいと思います。

 シンポジウムのあとの懇親会では,あらかじめメールでコンタクトのあった久保原信司先生とお会いすることができました。わたしの本を読んで,スポーツに対する見方・考え方に共鳴するものがあった,とメールにありましたので,とても楽しみにしていました。お会いしてみたら,とても魅力的な方でした。椅子に腰をおろして,じっくりとお話を聞かせていただきました。ブラジルのカポエイラの道場を開いて,指導するかたわら,得意のポルトガル語を複数の大学で教えていらっしゃる,なかなかのナイス・ガイでした。久保原先生の書かれた『Vamos Cantar Camara’──カポエイラ音楽の手引き』という本とカポエイラのDVD(久保原先生による日本語字幕つき)をいただいてしまいました。これからじっくりと拝見させていただこうと楽しみです。これらのことについても,のちほど,ご報告したいと思います。

 研究発表のなかにも,みるべきものが何点かありました。やはり,こつこつと研究を積み上げてきた人の発表は聞いていて快感です。そうではない付け焼き刃的な発表は,いかに上手に糊塗しようとしても,その弱点がまるみえになってしまいますので,聞いていて不快です。初デビューの人も何人かいて(大学院生),こちらはとても新鮮でした。この人たちがこれからどのように伸びていくのかも,大いなる楽しみの一つです。

 総会では,役員の改選結果の発表がありました。藤井英嘉会長が4年の任期を終えて,あらたに高橋幸一新会長にバトン・タッチされることになりました。理事も4人が任期を終えて,新しい理事4人が加わることになりました。任期満了となった役員のかたがたには,こころからお礼を申しあげます。また,新しく役員になられた方には大いに頑張っていただきたいと思います。そして,新体制のもとでスポーツ史学会がまたひとつ大きく飛躍してくれることを祈っています。

 ちょっぴり寂しいなぁと思ったことは,わたしより年配の会員はお二人しかいらっしゃらないということです。長年の顔なじみの方が減っていくのは寂しいものです。でも,このお二人の方はとてもお元気ですので,当分は,毎年お会いできるものと楽しみです。

 いろいろとご報告したいことがたくさんあるのですが,とりあえず,今日のところはこれまでとしておきます。ではまた。

2012年11月30日金曜日

神戸市外国語大学・連続講演・第3回目,無事に終了。

 昨日(29日)のブログにも書きましたように,今日(30日)は神戸市外国語大学で予定されていた連続講演の第3回目でした。が,なんとか無事に終了。とは言っても,今日の講演のためのレジュメを作成して竹谷さんに送信したのが,昨夜の午後11時すぎ。それから,竹谷さんが睡眠時間を削って,わたしのレジュメを編集したりしながら,このレジュメに必要とされる映像をパワー・ポイントで用意してくださったお蔭です。長年の友人というものはありがたいものです。以心伝心で,わたしの欲しい映像をみごとに選んで用意してくださいました。この映像に助けられながら,なんとか話をつなぐことができました。竹谷さん,ありがとうございました。そして,なによりも,まずは,この講演を聞きにきてくださったみなさんにこころからお礼を申しあげます。

 連続講演のとおしテーマは「スポーツとは何か」。その第3回目のテーマは「グローバル・スタンダードとしての近代スポーツを考える」。

 講演を終えてみて考えることは,よくもまあ,こんなに大それたテーマをかかげて話をしたものだとわれながら呆れてしまいます。が,当初,この連続講演を構想したときには,相当に熱い思いがあって,このようなテーマ設定になったことは確かです。しかし,このテーマを1時間30分で話すにはいささか荷が重すぎたというのが,現段階での反省点です。

 でも,わたしなりに精一杯の話をさせていただき,また,新たな課題がみつかりました。その意味で,一番,勉強させていただいたのはわたし自身です。

 講演の具体的な内容につきましては,いつか,また,機会を改めて,このブログでも論じてみたいと思っています。いまは,とりあえず,気がかりになっていた講演が,ひとまず,無事に終わったということのご報告までとさせていただきます。

 明日(12月1日)からは,スポーツ史学会第26回大会のはじまりです。その準備もこれからとりかかるところです。というわけで,今夜はここまでとします。

 取り急ぎ,ご報告まで。



2012年11月29日木曜日

明日(30日)から神戸へ。講演会,学会とつづきます。

 嘉田由紀子さんによる「日本未来の党」の結成が大きな波紋を呼んでいます。面白いのは,各党の党首たちの狼狽ぶりです。言わずもがなの「批難」を繰り出し,かえって品格を失っているようです。他人を口汚くののしることが,自分の品位を貶めていることに気づいていません。なんと情けない政治家たちなのだろう,としみじみ思います。

 しかし,これでこんどの選挙がにわかに面白くなってきました。

 いまのところ,自民党と日本維新の会が原発推進,ほかはぜんぶ原発ゼロを目指すと言っています。ただし,ここにきて選挙用の,みせかけだけの原発ゼロをかかげている党もありますので,その点は,ご用心を。それにしても,国民の8割が原発ゼロを望んでいるという民意の受け皿はそろいました。ここはなにがなんでも原発ゼロ派で過半数を確保しなくてはなりません。

 12月2日から16日までの2週間は,わたしたちもしっかり覚悟を決めて,各党派の主張に耳を傾け,責任の負える一票を投じたいと思います。

 さて,そんな世の中の喧騒を横目に,わたしは明日から神戸にでかけます。

 明日(30日)の午後2時30分から,神戸市外国語大学三木記念会館で,わたしの講演会が行われます。テーマは「スポーツとはなにか」の連続講演の第3回目で,「グローバル・スタンダードとしての近代スポーツを考える」というものです。一般公開,無料です。毎回,熱心に聞きにきてくださる方もあって,わたしも緊張しています。この講演の下敷きになるのは,以前,西谷修,今福龍太の両氏と共著として世に問うたことのある『近代スポーツのミッションは終わったか』(平凡社刊)です。あれから,すでに,何年も経過していますので,その後の世界情勢の変化も踏まえて,新しい見解を提示したいと考えています。とりわけ,「3・11」後を生きるわたしたちにとって「スポーツとはなにか」を意識して考えてみたい,と。

 翌日の12月1日(土)は午後1時からスポーツ史学会第26回大会がはじまります。2日(日)の夕刻まで,二日間です。会場は甲南大学(5号館1階511教室)です。

 この学会では,初日(1日)の午後3時45分から午後6時まで,シンポジウムが組まれています。そのテーマは「現代スポーツの苦悩を探る」というものです。これを受けて,甲南大学の井野瀬久美恵先生が基調講演「スポーツにおける英国のミッションは終わったか?」をなさってくださいます。このコメンテーターとして橋本一径(早稲田大学)さんとわたしが加わります。どんな話の展開になるのか,いまからドキドキしています。

 「9・11」にはじまる世界情勢の大きな変動とともにスポーツのミッションも大きく様変わりしてきました。とりわけ,わたしたちにとっては(もちろん世界も含めて),「3・11」後を生きるとはどういうことなのかという重大な問いがのしかかってきています。当然のことながらスポーツもまた無縁ではありえません。そして,なにより,スポーツ史研究のあり方もまた,根源的な問いをつきつけられているとわたしは考えています。

 イギリス近現代史の専門家として多くの著作を残していらっしゃる井野瀬先生,表象文化論・フランス現代思想を専門とされる橋本先生(『指紋論』が話題になりました),そこに,スポーツ史・スポーツ文化論という立場からのわたしが加わって,さて,どんな議論が展開されることになるのでしょう。いまのところわたしは白紙。まずは,井野瀬先生の基調講演を伺ってから,その場の力を借りて,わたしなりの話の内容を決めようと思っています。もちろん,橋本先生がどんなコメントをなさるのか,これもとても楽しみなことのひとつです。

 なお,このシンポジウムだけは「一般公開」「参加費無料」だそうです。どうぞ,興味・関心のある方はお運びください。

 というようなわけで,ひょっとしたら,このブログも一時中断することになるかも知れません。もちろん,パソコンはもっていくつもりですので,できるだけ書くように努力します。

 それにつけても,これからの政局の動向をメディアがどのように流すのか,とても気がかりです。ある特定の情報だけに流されないようにご用心を。いまや,世論調査という名の「世論操作」をやっているとしか考えられないメディアも少なくありません。困ったものですが,それが現実です。そこをかいくぐって,みずからの熟慮のもとで意志決定をしたいと思います。

取り急ぎ,今日のところはここまで。

2012年11月28日水曜日

ほんとうの第三極の誕生か。日本未来の党。嘉田由紀子党首に期待。

 「卒原発」を旗印に,「原発ゼロ」をめざす党派を結集して,みんなで大同団結し,新しい日本の未来を築こうと呼びかけた嘉田由紀子滋賀県知事の決断にこころからの拍手を送りたいと思います。いまこそ,小異を捨てて大同につく,つまり,なによりもまずは「卒原発」という大同のためにその他の小異は捨ててでも団結し,そこを出発点にして新しい日本の未来を構築して行こうという嘉田さんにこころからの敬意を表したいと思います。

 その「日本未来の党」に,「国民の生活が第一」を解党して合流する決断をした小沢一郎にも,こころからの敬意を表したいと思います。これに河村たかしと谷岡郁子と阿部知子の「原発ゼロ」派が合流すると聞いているので,これこそ正真正銘の「第三極」の誕生である。

 これまでメディアが喧伝してきた「第三極」は,完全に宙に浮くことになる。つまり,石原+橋下の日本維新の党である。もはや,存在理由がなくなってしまった。なぜなら,日本維新の党が石原と組むことによって,脱原発を放棄してしまった以上,日本維新の党も自民党も基本的にはなにも変わらなくなってしまったからだ。違うのはTPPくらいのものだ。人間の「命」のかかった原発のことを考えれば,そして,「命」を最優先させる政治を考えればTPPの問題をどうすべきかはおのずから「NO」という答えがでてくる。

 こんな簡単なことが,民主党もわかっていない。今日のマニュフェストの発表で「原発ゼロ」を30年を目処にめざすという。それでいて,TPPは積極的に参加するという。国民の反発をかわして,アメリカのご機嫌をとるという,なんとも依怙地な情けない党になったものだ。日和見主義などということばは使いたくもないが,こんな稚拙な対応で国民を抱き込むことができると,ほんとうに思っているのだろうか。もし,そうだとしたら,あの一見,賢そうにみえる民主党の若手リーダーたちは,単なる計算と打算の世界を泳ぐだけに専心する,たんなる水泳の名手であるにすぎない。

 今日(27日)の,この段階でのわたしの眼には,自民党と日本維新の党とは,それこそ大同小異。原発推進という点では同じ。橋下君は「原発ゼロ」は不可能だと街頭演説で断言した。そんなできもしないことをやろうとする野合が,いま進んでいる,と吐いて捨てた。わかりやすくていい。はい,よくわかりました。それで結構です。自民党と同じ。バツ(×)。

 民主党は「原発ゼロ」実行,と宣言した。ならば,いますぐ大飯原発を止めて,活断層の調査を優先すべきではないか。活断層の有無が「グレイ」なら,「即停止」がルールではなかったか。それすらしようとはしない。やはり,「原発ゼロ」は票集めのための見せかけでしかない。わたしは信ずることはできない。まずは,行動で示してほしい。やろうと思えばできるのだから。その上での選挙ではないのか。そんな有力な武器を使わないでいる。その気がないからだ。国民を舐めている。こんどの選挙での国民は,これまでの国民とはまったく違う覚悟をしている,ということがまるでわかっていない。

 社民党と共産党も,こんどの選挙の意味がわかってはいない。福島君などは,嘉田さんの決断は立派だと思います,と持ち上げた上で,にっこりわらって,でも,わたしたちは同調しません,と断言した。そのなんとも間抜けた表情が印象に残った。志位君も,けんもほろろという対応だった,と記憶する。全然,問題外だと言わぬばかりの・・・。いま,問われているのは「日本の未来」をどうするか,ということだ。そのことがわかっていない。これまでどおりの選挙の闘い方しか考えていない。その意味では,この両党とも「思考停止」の状態から抜け出せていない。「3・11」以後は,もはや,それ以前の論理はなんの役にも立たない,ということすらわかっていない。

 その点,国民の方がはるかに先に進んでいるように思う。もはや,党派などは考えても無駄だ,と。そして,日本の未来図を描くときに,まずは「原発」をどうするのか,推進するのか,ゼロにするのか,その決断いかんによって,その他の政策もおのずから決まってくる,と覚悟を決めている。たとえ,生活が苦しくなろうとも,それを耐え忍ぼう,と。そして,まずは「命」を守ろう,と。そこから,できることを始めよう,と。そのくらいの覚悟は決めている。

 とくに,幼い子どもを育てている母親は,まずは,なによりも,我が子の「命」を考えている。自分は仕方がないとしても,なんの罪もない子どもにだけは,可哀相な思いをさせたくはない。そのためにはからだを張ってでも守る。それが母親というものだ。この切実な思いを,政治家のみなさんはわかっているのだろうか。この母親の切実な思いは,当然のことながら,若い父親にも伝わる。当然のことながら,ジジ・ババにとっても可愛い孫のために・・・・・と切実な問題だ。そして,これはなんとかしなくては・・・と考える。最近は,我が子の運動会で一生懸命に走る父親が増えてきているとも聞く。

 マネーのために「命」を犠牲にしてもいいと考えるバカはいない。

 しかし,これまでの既成政党に所属する議員さんの多くは,「命」を忘れてマネーの魅力にとりつかれてしまっている。経済最優先。マネーの亡者となりはてている。そして,そこから抜け出せないでいる。情けないことだが・・・・。

 そこに「一撃」を加えようとして立ち上がったのが嘉田由紀子さんだ。まずは,なにがなんでも「卒原発」に舵を切ろう,と。それを前提にした政治を,これからは目指そう,と。日本が生まれ変わるための絶好のチャンスが,いまであり,こんどの選挙なのだ,と。そのためには「卒原発」で手を結び合おう,と。

 正真正銘の「第三極」が,忽然と,その姿を明らかにすることによって,投票する党派がみつからなくて,絶望に打ちひしがれていた国民の前に,明るい希望に満ちた日本の未来がみえてきた。選挙も,じつに,わかりやすくなってきた。さあ,これからだ。

 まだまだ,政局の行方は予断を許さないが,つまり,このさきなにが起こるかわからないが,選挙告示直前になって,ひとすじの光明がみえてきた。その意味で嘉田由紀子さんにこころからの拍手を送りたい。そして,それに応えられるような,多くの国民が納得できるような,大同の道筋を示してほしい。そのプロセスを,わたしはしっかりと見極めてみたい。そうすれば,ひょっとしたら,大きな「雪崩現象」が起こるかもしれない。

 いまこそ,国民の一人ひとりが,みずからの良心に問いかけ,本気で日本の未来を考え,選挙にみずからの意志を表明しようではないか。

2012年11月27日火曜日

特別展「出雲──聖地の至宝──」のメモリー。巨木信仰の起源は?


  この特別展の正式名称は,東京国立博物館140周年 古事記1300年 出雲大社大遷宮 特別展「出雲──聖地の至宝──」というようにとても長いものです。でも,これを頭から読むと,その意気込みと内容がそのまま伝わってきます。こんなことは100年に一度のことだ,といわぬばかりに聴こえてきます。同時に,日本の古代史にとっての出雲の存在がどれほど大きいものであったか,ということも伝わってきます。


  しかし,意外なことに,出雲に関する詳しいことはあまりわかっていません。オオクニヌシの国譲り神話は有名ですが,やはり国を取られてしまった一族のことですので,どこか秘されているようなところがあります。それは,諏訪大社も同じでしょう。

 出雲大社の主神はオオクニヌシ,諏訪大社の主神はタケミナカタ(オオクニヌシの次男)。なぜか,出雲大社も諏訪大社も,いまでも多くの日本人のこころに「なにか」特別のものが深く刻み込まれているようです。かつては別格官弊社としてとくべつ扱いされるほどの,大きな存在であったことも事実です。

 この二つの大社のことを考えると,わたしはいつも巨木信仰と神様の関係を思い浮かべてしまいます。同時に,三内丸山遺跡に立つ巨木のやぐらのことも思い浮かべます。諏訪地方に古くから伝承されている7年に一度の「御柱祭」を筆頭に,全国各地に,山から神がかった巨木を切り倒して,凄まじい勢いで流し落とす儀礼が残っています。

 これらのことを考えると,なにかとてつもないことが,いまも日本人の魂の奥底に伝承されているのではないか,としみじみ思います。そして,こういう巨木にまつわる伝承に,なんの抵抗もなくこころがすっと惹かれていくのはいったいなぜなのか,と考えてしまいます。

 こんな,漠然とした興味・関心がありましたので,この特別展はなにがなんでもみておかなくてはと考えでかけました。実際にでかけたのはもうしばらく前のことですが・・・・。ですが,いつものように買ってきた図録を,ときおりひっぱりだしてきては眺めています。その時間だけは,日常の憂さからは解放され,一気にオオクニヌシの時代まで飛翔し,非現実の世界を浮游しているような気分になります。至福のときです。

 で,この特別展の目玉は,やはり「巨木」でした。入場してすぐに眼についたのは二つの展示物。一つは,出雲大社本殿復元模型。もう一つは,宇豆柱(うずばしら)と呼ばれる古い柱の地中に埋もれていた考古遺物。


出雲大社本殿復元模型は,10世紀ころに立っていたとされる図面にもとづく実寸の10分の1の模型です。それでも,本殿の一番高いところは4メートル80センチ。近くに寄っていくと,仰ぎ見るほどの高さです。それを見ながら,実際はこの10倍,48メートルもあったのか,と驚くばかり。ちょっと想像がつきません。一番高いところに鎮座する本殿に至りつくには長いながーい階段状のアプローチを上り詰めなくてはなりません。これを見ながら,往時の人びとは,まるで天にも昇る境地でこの階段を登ったのだろうなぁ,と想像していました。こうした方法で神様に接近していくという行為そのものが,ありがたさを倍増していったのでしょう。こうした素朴なこころの一部が,いまも,わたしたちのこころのどこかに棲みついているようにわたしは思います。

 この一番高い大社本殿をささえる柱が,宇豆柱です。この宇豆柱の考古遺物が2000年に発掘され,それが会場の中央に,貫祿十分に,堂々と展示されていました。3本の太い木を1本に束ねて,強度を補い,丈夫で高い柱をつくったということです。出土した宇豆柱は鎌倉時代の1248年の遷宮のときのものである可能性が高い,とのことです。3本の木の直径はそれぞれ110,0~135.0センチもの太さです。3本束ねたときの太さがどれほどのものかと想像したとき,そして,この宇豆柱の高さが48メートルにも達していたと想像したとき,この時代の人びとの気宇壮大なスケールの大きさに唖然とするばかりです。


 この巨木を出雲では,どこから伐りだしていたのでしょう。どこか近在の森からでしょうか。奈良の東大寺を建造するときの巨木は岡山県の山から伐りだして運んだという話を聞いたことがあります。だとすれば,この木も遠くから運んだ可能性があります。

 そのイメージを浮ばせてくれるものが,諏訪の「御柱祭」です。諏訪の山深くに生い茂る森林の中から,何本かの木が「神木」として選ばれ,伐り倒され,人・木が一体となって山をくだり,野や川を練り歩きしながら,諏訪の大社まで運ばれていきます。いまではテレビの映像でみた人も多いことと思います。でも,それはほんの一部を切り取るようにして映像化されているだけですが,実際に「御柱祭」に費やされる労力もお金もたいへんなものだと聞いています。7年間,氏子の人たちはこの祭のために蓄財し,この祭りのためにすべてを消費(消尽)してしまうとのことです。ああ,これはマルセル・モースのいう「贈与」ではないか,と驚いてしまいます。しかし,これが祭りというもののもともとの姿に近いものだろうとわたしは想像しています。

 こうして,出雲と諏訪の関係を考えながら,その一方で,安曇野にある穂高神社の存在が急に気がかりになってきてしまいます。アズミ(あるいは,アスミ,アツミ)一族の渡来の径路と全国への分布の仕方などを考えると,この勢力の大きさもまた相当なものではなかったか,と考えてしまいます。

 もう一点だけ。諏訪大社に祀られたタケミナカタは国譲りのときにタケミカズチと相撲をとって負けた神様です。そのことと,野見宿禰が出雲の人であったという伝承との関係,そして,出雲大社では「三月会」(さんがつえ)の神事のあとの芸能として相撲が奉納されていたという屏風絵(図録に掲載されている)との関係,などなど相撲という視点からも興味はつきません。

 まあ,そんなロマンの夢をこれからも見つづけていたいものです。

2012年11月26日月曜日

日馬富士,新横綱場所顛末記。心技体のコントロールの難しさが露呈。これをバネに心とからだを鍛えて。

 9勝6敗。新横綱としては屈辱の結果。この場所,日馬富士になにが起きていたのか。ここを見届ける力量こそが相撲愛好家の基本条件。今場所の15日間の日馬富士の相撲の取り口,その内容をどのように分析するか,ここが相撲の醍醐味。

 悔しくて,悔しくて,今夜は眠れないのは日馬富士だろう。わたしの頭のなかも15日間の日馬富士の相撲が,何回も何回もリプレイされていて,たぶん,寝つかれないことだろう。でも,勝ち負けは度外視して,一番,一番,それぞれに意味のある相撲なので,わたしは満足しながらそのリプレイを楽しむことだろう。

 心技体とは,ほんとうによく言ったものだ。前半の相撲をみていて,今場所は,もうすでにいろいろと試行錯誤しながら横綱相撲のペースを貪欲に探っている,と受け止めていた。しかし,今日の相撲を見届けたところで,それは間違いであった,と気づいた。そうではなくて,日馬富士は,徹底して速い相撲をこころがけていた,ただ,それだけだということがわかった。その理由は,かれの足首に問題があった,ということ。もう,日馬富士ファンならだれでも知っているとおり,かれの両足首は時限爆弾をかかえているのだ。この両足首をだましだまし,ここまできた。先場所,先先場所の二場所が,奇跡だったと言った方がいいかもしれない。

 じつは,これまでも足首の調子がいいときは,いつも抜群の成績を残してきた。しかし,足首に痛みが走ると,とたんに負けがこむ。そして,見るも無惨な黒星を重ねることになる。今場所の日馬富士はその痛みをかかえての場所ではなかったか。だから,肝心なときに力が出せない。第一,足首の痛みを我慢することができない。今日の千秋楽の相撲がその典型だった。がっぷり四つに組んで渡り合ったのだから,あわてて巻き変えにいく必要はなかったはずだ。この体勢でどこまで通用するのか,じっくりと我慢して耐えるべきだった。先場所の日馬富士ならそうしたことだろう。が,今場所はそうはいかなかった。

 相撲が長くなることを日馬富士は嫌った。だから,先場所,ありえない巻き変えに成功して,勝ちをもぎとったことをからだが思い出したのだろう(あれはひょっとしたら八百長?だとしたら,もっと相撲は面白くなる。今場所はそのお返し?,と)。よし,今場所も,と日馬富士のからだが反応してしまった。そこを,待ってましたとばかりに白鵬は右からの上手ひねりを効かせながら,左から得意の投げにでた。これがみごとに決まった。が,ちょっとうまく決まりすぎたようにもみえた。それは足首のせいか,それとも八百長か。その両含みのところが味があっていい。

 今場所は,白鵬の心技体がみごとに充実していた。先輩横綱としては,二場所連続して全勝優勝をさらわれてしまったという事実は,なんとも屈辱だったに違いない。白鵬は,これまでとはまったく違った気持ちを籠めて,言ってしまえば心機一転して,徹底して心技体を鍛えてきたに違いない。その結果が,今場所の14勝1敗という成績である。白鵬は,日馬富士が横綱になったことを契機にして,一段と気持ちを引き締め,かつての全盛時代の相撲を取り戻してきた。このところ,どこかに気持ちのゆるみがあったのか,相撲そのものも厳しさを欠いていた。それが日馬富士の二場所全勝優勝という偉業を見せつけられて,白鵬の心に火がついた。

 そして,それをみごとになし遂げた白鵬は立派である。この白鵬の姿をほぞを噛みながら悔しがっているのは日馬富士その人に違いない。さぞかし,からだのどこにも痛いところのない,万全の態勢で白鵬と当たりたかったことだろう。しかし,今場所はそうはいかなかった。

 わたしは,今場所の日馬富士の相撲をみていて,日替わりのように立ち合いに工夫を加え,相撲内容もその流れにまかせている,と判断した。これは明らかに新横綱としての新しい相撲のスタイルを模索しているのだ,と受け止めた。だから,日馬富士の相撲は「進化」している,とこのブログにも書いた。「進化」をめざしていたことは間違いではない。が,「進化」をめざすには,その裏事情があったらしい。つまり,両足首の故障。古傷のうずき。この「痛み」とどのようにして折り合いをつけていくか,これが今場所の日馬富士の最大の課題だったのだろう,といまにして思う。その答えを,千秋楽で出してくれた。先場所の日馬富士は不利な態勢になっても必死になって我慢した。そして,勝機が訪れるのを待った。そして,最後の最後に勝負にでた。つまり,スタミナ勝負にでたのだ。その結果は,白鵬の防戦一方の相撲となった。

 あの日馬富士の右下手投げと白鵬の左上手投げの打ち合いで,日馬富士は主導権を握ったまま白鵬を土俵一周させた。この「耐える」「我慢する」相撲が,今場所はとれなかった。それが日馬富士の今場所の心技体の総決算だった。

 さぞかし,日馬富士はふがいなさと悔しさとを同時に味わったことだろう。これまでにもこのような経験をしてきたことではあるが,新横綱のそれはまた別であろう。9勝6敗。世に言う「クンロク」である。大関としても失格である。だから,当然,新横綱の場所としても失格である。しかし,よくよく考えてみると先輩横綱の多くも,ここの関門でつまずいている。千代の富士などは,途中で休場している。しかし,その悔しさをバネにして猛稽古を重ね,幕内最軽量横綱としての歴史に残る大記録を残した。

 日馬富士よ。焦ることなかれ。暮れ・正月と,足首を完璧に直すような地道な稽古をしっかり積んで,来場所に備えよう。その不安材料が解消できたら,立派な横綱相撲がとれるようになる。そして,なぜか,今場所は,ほとんど見られなかった得意の「張手」「喉輪」「突っ張り」「いなし」を徹底的に駆使して,得意の左上手を引いて頭をつける体勢に持ち込み,左からの出し投げを打って,相手の体勢をくずして寄ってでる,という相撲を復活させてほしい。白鵬の今場所は,信じられないほど張手を多用した。そこまでやるか,というほどの「張手」を繰り出した。マスコミのバッシングを気にして日馬富士がそれらの攻撃を遠慮したとしたら,それは間違いだ。

 なんと言ったって,千代の富士と同じ幕内最軽量の横綱なのだ。どんな立ち合いの手を用いてもいい。千変万化の立ち合いをして,相手を翻弄させ,自分有利な体勢に持ち込むこと,これは相撲のセオリーだ。しかも,日馬富士にだけ許された特権だ。なぜなら,先天的なスピードのある動きと運動神経の良さに恵まれた日馬富士にしかできない「芸」なのだから。

 9勝6敗。結果は結果。でも,わたしはその相撲内容には満足している。存分に堪能できたのだから。その一番,一番には意味があった。それをこれから分析してみたいと思う。どの一番で,どの足首を痛めたのか。つまり,負けには負けの意味がある。そこを見極める眼力を養うこと。これぞ相撲通の本領だ。

2012年11月25日日曜日

折口信夫著『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)を読む。

 旅にでるときにもっていく本が何冊かある。それは,わたしの好きな本で,しかもすでに何回も読み返している本ばかりだ。だから,通読するなどという野暮なことはもはやしない。旅のつれづれに,ふと本を取り出して,パッと開いたところを読む。それが不思議に,ちょうど読みたかったところであることが多い。ときには,ピン・ポイントで,長年考えつづけてきたテーマに新しい解決策を指し示してくれるような,まことに示唆に富むところと遭遇することがある。思わず「ウォッ!」と快哉を叫びたくなる。至福のときである。

 今回の「48会」に出席するために名古屋を往復するにあたり,2冊ほど文庫本をザックのなかにしのばせておいた。その一冊が折口信夫の『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)だった。もう一冊は,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)である。この二冊に共通しているのは,どこから読みはじめても,すっと深いところに入り込むことができ,そのつど日常のわたしではないわたしに出会うことができるということだ。生きている喜びとは,新たなわたしに出会うことなのだろう,としみじみ思う。ほのぼのとしたエクスターズである。

 新幹線に乗ると,しばらくはぼんやりと車窓の景色を眺めている。いつも見慣れた景色ばかりなのに,ところどころで「エッ」と思わせるような新しい発見がある。が,そういう発見がないとすぐに飽きてくるので,おのずからザックのなかに手を滑り込ませる。そして,手が勝手に一冊を選んでとりだしてくる。ここが肝心なところである。どちらが出てくるかはわからない。つまり,眼でみて判断することを放棄して,手の触覚にゆだねるということ。主体性の放棄。運を天にまかせるということ。大げさにいえば自己を天命にゆだねるということ。計算も打算もない正義の根拠。なんのことはない,一か八かの「賭け」である。

 今回は,行きも帰りも,なぜか,わたしの「手」が探り当てたのは『日本藝能史六講』だった。

 そして,最初に開いたところには藝能か態藝か,能藝か態藝か,という議論がなされている。そして,能という文字は,態という文字の下の心が省略されて用いられるようになったらしい,と折口は推測し,その根拠をいくつか提示している。しかも,もともとの「態」の意味は「しぐさ」であり,「ものまね」のことだったという。たとえば,後花園天皇の時代(吉野朝)にできたといわれる『下学集』の藝態門には,風流(ふりゅう),早歌(はやうた),曲舞(くせまい),反ばい(へんばい・ばいは門構えの中に下という漢字)・申楽・田楽・松囃(まつばやし)・傀儡(くぐつ)・蹴鞠(けまり)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)といったものが,ひとまとめにされているという。つまり,これらが「藝態」の内容。しかも,この「態」という文字を「のう」と読ませていたかもしれない,と。

 わたしのひらめきは,そうか,こんにちの芸能のルーツをたどっていくと,それは「ものまね」にゆきつくのか,ということ。その「ものまね」のはじまりは降臨した神を演ずること,つまり,神の「ものまね」だったこと,その神を迎える「ぬし」を演ずること,さらに,ぬしは神を喜ばせるために即興の歌を歌う,それにつられるようにして神が舞い踊る。このようにしてこんにちの芸能は発生したのではないか,と傍証を挙げながら類推していく。

 しかも,こうした類推の仕方は折口特有の方法であって,これを「発生学風」と名づけ,この方法こそが近代のアカデミズムの限界を突破していくために必要なのだ,という。

 ここからひらめいたことは,なんと,ザックのなかにもう一冊しのばせていたジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』のことである。この本のなかでバタイユが展開した方法も,まさしく折口のいう「発生学風」の方法なのだ。サルからヒトになり,さらに人間となるときに,人間の存在の仕方になにが起きたのかというテーマの謎解きは,厳密にいえばだれも実証できないことだ。つまり,近代のアカデミズムの方法では不可能である。しかし,その限界を超えでていくためには,いくつかの仮説を提示しつつ,その仮説の向こうに見え隠れしてくることがらについて類推していくことが必要になる。そして,ヒトがいかにして「発生」し,人間がどのような契機で「発生」するかを傍証で固めていく。いまのところはそのような方法しか存在しないのだから,それに頼るしかない。もちろん,それが正しいという根拠はない。同時に,それが間違いであるという根拠もない。したがって,多くの人が支持するかどうかだけだ。近代のアカデミズムの実証の限界を超えでていくためには,折口のいう「発生学風」という方法をとるしか,いまのところないのだ。

 わたしがいま必死で取り組んでいる「スポーツ的なるもの」と「宗教的なるもの」との類縁性の問題も,その発生の「場」のアナロジーとなっていく。つまり,折口のいう「発生学風」な手法をとらざるをえない。だから,折口のこのテクスト『日本藝能史六講』にぐいぐい引き込まれていくというわけである。そして,読めば読むほどに,「スポーツ的なるもの」の発生の場も,折口のいう「藝能」の発生する「場」にあった,と納得できる。

 そんなわけで,このテクストもまた,わたしにとっては大事な座右の書なのである。これからも,なにかと思考が行き詰まってしまったときには,必ず繙くことになる書であることは間違いない。そして,そのつど,なんらかの新たな思考のヒントを提示してくれるはずである。これまでもそうであったように。