2012年1月13日金曜日

どんどん「3・11」以前にもどっていく。それは「復興」ではない。

ムラのチカラがこれほど強いとは思ってもいなかった。最近になって,ムラの存在が日ごとに大きくなってくるのがわかる。そして,どんどん「3・11」以前の態勢にもどっていくのもありありとわかる。東日本大震災もフクシマの原発事故もどこ吹く風。東電の好き勝手がまかり通っている。責任のひとかけらもないかのように。そして,わたしたちの税金が湯水のように東電の「復興」のために注ぎ込まれている。その上,さらに「増税」ときた。なんというこった。

政界,財界はもとより,学界も腰抜け。メディア界も大手はみんな腰抜け。ムラに完全にコントロールされてしまっている。そのチカラたるや恐ろしいほどだ。だから,東電にとって都合の悪い報道はなにも流さない。NHKを筆頭に。それを受け取る国民の大半は,なんの疑念もなく垂れ流し情報をそのまま信じていく。国民の意識のなかから「3・11」の教訓がどんどん消えていく。まだ,一年も経過していないというのに。もう「忘却」のかなたに消え去ろうとしている。

これでは,文字通り,大山鳴動して鼠一匹だ。しかも,着々と事態は改善され,いい方向に進展している,と政府は嘯く。しかも,それが「復興」だと言わぬばかりに。嘘の壁で塗り固めた「復興」。これでは,まったくの「後ろ向き」の「復興」でしかない。「復興」とは「前進」することだ。以前の欠陥をいかに克服して,新しい道筋を打ち立てていくのか,これが「復興」だ。にもかかわらず,以前の欠陥をそのままにして,いや,それどころか後生大事に温存したまま「復興」させようとしている。これは間違いだ。

「3・11」以前のどこが間違っていたのか。なぜ,間違えたのか。そこを明らかにすべきではないのか。そして,それに代わるべき理念・方法・方針を明確にした上で,「復興」の道筋を立てるべきではないのか。いまやっている「復興」はその場しのぎの,付け焼き刃的応急処置にすぎない。それもある程度まではやむを得ないとする寛容の精神が大事だと考えてきた。しかし,ここにきて,ムラが息を吹き返し,さっさと「増税」を打ち出し,そして,内閣改造ときた。

ムラにとって都合のいい政権は,なにがなんでも支えていくだろう。自民党ですらできなかったムラの喜ぶことを,まさか,政権交代した民主党が率先してやるとは思いもしなかった。国民の期待も一気に熱が下がり,とうとう政権支持率が20%を割るか,というところまできているのに。もはや,断末魔の体を晒しはじめているというのに。

「復興」の名のもとにまっさきに取り組まなければならないことは,人間の生きる基盤を確保することだ。経済の国際競争にいままでどおりに参入することではない。それよりさきに,まずは,日々を生きる基盤を奪われてしまった人びとの生活を,どのようにして回復させるか,ということだ。カネよりもイノチを第一に。被災者はいまも夢も希望ももてない状態のまま,じっと耐えているのだ。そこに,ほんのわずかな希望でいい。希望の燈火を点けることだ。それが「復興」の内実だ。そのことのためにこそ「税金」を投入すべきだ。

なのに,なぜ,その前に東電に「税金」を回さなければならないというのか。その前に,東電の責任を明確にし,その上で東電を解体し,発送電を分離させ,そのシステムを確立することではないのか。そのために税金が必要だというのなら,まだわかる。いまのままの東電に税金をつぎ込もうとしている意図は,明らかに原発推進,再稼働に向けての体制づくりの一貫ではないのか。なし崩し的に事実を積み上げていく,「3・11」以前までのやり方をそのまま踏襲しているだけのことではないのか。これは,東電が構築してきた得意の「手」ではないのか。

それを大手のメディアは見て見ぬふりをしている。恐ろしいムラのコントロールのもとで。国民は,それを鵜呑みにしていく。あるいは,マヒしていく。それが日常化していく。このシステムは,沖縄の基地移転問題と同じ構造だ。メディアの無視,そして,国民の無関心。いま,被災者は沖縄の人びとと同じ苦しみを味わわされている。大手の新聞各社も,みごとに,それに足並みをそろえている。

『東京新聞』はひとり「脱原発」路線を強烈に打ち出して,日々,これまでの悪弊を暴き立てている。ときに,おやっ?と思う記事もなきにしもあらずではあるが,徹底して原発批判の手をゆるめようとはしない。と,思っていたら,とうとう,今日の新聞によれば,新聞各社で構成している論説委員会から『東京新聞』は締め出されようとしている,という。なにごとぞ。こんなことが,いま,日本の社会のなかで起きようとしているのだ。

東日本大震災とフクシマ原発事故という天災と人災が一度に押し寄せてきた,この一大事のときに,言論統制まで裏では行われようとしているらしい(すでに,「自発的隷従」という名の言論統制は行われいるのだが)。これも,ムラのチカラであることは明々白々である。これでは,まるで,「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン)を地でいくような話ではないか。ひょっとしたら,わたしたちの知らないところで,極秘裏に「ショック・ドクトリン」の手法は粛々と浸透しているのかもしれない。気がついたときにはすでに手遅れだ(「原発安全神話」の嘘と同じで)。

どうも,いま,「絆」という名のもとでなされている「復興」は,見せかけだけで,ほんとうの仕掛けはもっともっと別のところで進展しているような気がしてならない。でなければ,民主党政権が,かくも平然と国民の意志を裏切っていられるはずがない。

わたしたちは,二度と,「原発安全神話」のような嘘に騙されてはならない。いま,打ち上げられている「復興」音頭の陰で行われていることに,どう考えても奇怪しいと思われることが多すぎる。その最たるものが,「3・11」以前の体制にもどそうとする「復興」音頭だ。すなわち,ムラの再生だ。これは,どう考えても「復興」ではない。もし,そうだとしたら「絆」のスローガンは,ムラの「絆」の再生であり,「復興」でしかない。それを「復興」とは呼ばない。

一度,足を止めて,「復興」の内実について,しっかりと考えることがいま求められている。のちのちになって,後悔しないで済むように。

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