2012年2月10日金曜日

早咲きのさくらの蕾が赤みを帯びてきました。

日本海側は大雪警報。太平洋側は快晴。冬型の典型的な気象。
雪国の各地から雪による被害(死者も多数)情報が,ニュースの多くの時間を割いている。
同時に,インフルエンザの大流行で,この10年間の記録を残しはじめてから,過去最悪の状態という。
小中学校の学級閉鎖はもとより,学校全体をお休みにするところもでている,という。
関西では急性腸炎をともなう風邪も大流行,とか。

気候やインフルエンザだけではない。
しばらく鳴りをひそめていた原子力ムラの人びとが反撃に転じはじめた。それを受けてメディアも妙な情報を流しはじめている。申し合わせたように大飯原発のストレス・テストの一次評価は妥当だったとか,原発を止めて火力発電にしたから二酸化炭素の汚染が広がったとか,地球温暖化が進んだとか(こんなに寒いのに),沖縄の防衛局長の更迭騒ぎがいつのまにか取り消されたり,厚かましくも東電の電気料金の値上げが発表されたり,政府・官僚の情報隠匿を合法化するための法案を成立させようとしていたり,いったい,この国はいつからこんなに「デタラメ」なことを平気で行い,また,それを許す国になってしまったのか,と世俗の世界もまた情けないことばかり。

それでも,自然界は凄い。たんたんとわが道を進む。寒い日には,泰山木の葉は裏返るようにして立ち上がり,寒さから身を守っている。そのすぐ下では寒椿が赤い花を咲かせていたり,馬酔木の花が芽吹きはじめていたり,柊の花芽が伸びはじめていたり,といつも歩いて通る鷺沼の事務所の近くの植木屋さんの屋敷の植物は,着々とわが道を進んでいる。そのなかで,いつも,早めに咲くさくらの木の花芽もいつしかふくらみ,赤みを帯びている。この寒さがつづく日々のなか,あと,一カ月半後には花を咲かせるための準備に入っている。感動である。

木の芽は,間違いなく春に向かって,その準備に入っている。まるで枯れ木のようにみえる名も知らぬ木の芽も,近くに寄って,よくよく観察してみると,枝の最先端の芽はふくらんでいる。細葉の新芽の黄緑色も目立つようになってきた。

事務所の近くの公園には,わたしの知らない小鳥たちの鳴き声が,ここかしこに聞こえる。餌付けでもしているのだろうか,立派な屋敷の植え込みのある一本の木に,雀が姦しく鳴いている。そうっと近づいてみると,相当の数がいる。どこかでパターンと大きな音がしたら,その雀たちが一斉に飛び立った。予想をはるかに越える数で,驚いた。どの雀もまるまると太って,まさに食べごろ。「寒雀は太っていて美味い」とこどものころに大人たちがそう言っていたことを思い出す。いま,寒雀の味を知っている人はいないだろう。食料事情が悪かったころ,つまり,わたしのこどものころには,競って雀をつかまえて食べた。雀の卵も集めてきて焼いて食べた。食べ物がろくになくて飢えていたころを思い出す。

そのころの人間,つまり,敗戦後の復興に,全国民が力を合わせて奮闘していたころの人間の方がはるかに「健全」だったように思う。

今日は快晴だったこともあって,犬や猫たちも飼い主に連れられて散策。まだ,育ち盛りの犬たちはとても元気よく動きまわりながら飼い主を引っ張っていく。が,大半は,どうやら老人らしくて,飼い主と一緒にのろのろと歩いていく。しかも,肥満体。猫も同じ。首にひもをつけられて,威風堂々たる猫が歩いていく。なんとも不思議な光景である。犬の散策をしているご婦人たちの何人かは,見ず知らずのわたしが興味深そうに犬を眺めているからか,「こんにちは!」と言って声をかけてくれる。じつは,わたしは「可哀相に,こんなに太ってしまって」と犬に同情しながら眺めているのだが・・・・。それでも,声をかけられると嬉しいもので,わたしも大きな声で「こんにちは!」と応じる。犬が,まだ若いな,と思われるときには「かわいいですね」とひとこと添える。すると,まず,間違いなく,嬉しそうに「ありがとうございます」「ほらっ,〇〇ちゃん,褒められたよ」と笑顔が返ってくる。

こんなささやかなことでも,都会生活では,なんともほのぼのとするのである。それほどに他者との会話もなく,無味乾燥な日々。ましてや,メディアから流れてくる情報は,もっと酷い。人間の品性もなにもあったものではない。みんな飽食・運動不足剥き出しの肥満体。それに甘んじて平然としている。ものの豊かさに慣れきってしまった人間の理性は完全に狂ってしまったとしかいいようがない。しかも,その自覚もない。そういう人たちが日本の中枢を占めている。なんともはや,うら寂しいかぎりである。

その一方では,災難に遭遇した人たちは必死になって助け合い,励まし合って,その日その日を生き延びることに精一杯の努力を積み重ねている。こどもたちも同じだ。寒いこの冬をどうやってやり過ごしているのだろうかと被災者の人たちの避難生活を,みずからの体験に引きつけ,想像力を駆使して思い描いている。わたしは,小学校1年生のとき,戦争末期の空襲に合い,九死に一生を得た。その結果,焼け出され(なにもかも全部,燃えてしまった)者となり,農家の鶏小屋を借りて,コンクリートの土間に藁を敷き,寒い冬を越したことがある。飢えと寒さに,毎日,震えていたことを思い出す。よく生き延びたものだと思う。

テレビでは,相変わらず,面白おかしくさえあればいいという「馬鹿番組」と,なぜ,ここまで,とあきれ返ってしまうほどの「おいしんぼ」料理の連続。いったい,なにを考えているのか,といいたくなる。しかも,贅沢きわまりない料理を,これでもか,と見せつける。いらない。そんなものはいらない。まずは,生き延びていくに必要最小限の食べ物があればいい。それを地球上に生きている人びとすべてが分け合うことが第一ではないのか。あちこちで食べ物もなく餓死する人があとを絶たない現実を,頭のなかでは承知しつつ,自分だけはおいしものを食べたがる。この国に住む人たちの「理性」とはなにか。

アスファルトの隙間から芽を出し,花を咲かせるタンポポもある。与えられた命を,与えられた場所で,精一杯に生ききること。

ヘミングウェイは『日はまた昇る』という小説を書いた。

さくらの蕾が赤みを帯びてきたのをみて,なんだか,ほっとした。これでいいのだ,と。

※もう少し書きたいところ。でも,時間切れ。ここまでとする。残念。

0 件のコメント: