2012年3月6日火曜日

春うらら。フクシマに春はくるか。言論界にも春はくるのか。

氷雨を降らせた低気圧が通過したら,うららかな春風が吹きはじめました。これで桜のつぼみも一気にふくらむことと思います。

鷺沼の高台から東京方面を見渡すと,もう立派な春霞につつまれていました。寒い冬空にはくっきりと見えていたスカイツリーは見えません。その手前の新宿・渋谷の高層ビルや六本木ヒルズがぼんやり確認できる程度です。そうか,昨日までの低気圧は,中国から「おみやげ」の黄砂まで運んでくれたのか,と納得。

うららかな春風につられて,いつもとは違う道をたどって事務所に向かいました。初めてとおる道の角を曲がったとき,目の前に紅梅と白梅が並んで咲いているのが眼に飛び込んできました。思わず立ち止まって眺めていたら,家のなかからおばあちゃんが出てきて「きれいでしょう」と声をかけてくれました。とても品のある物腰の方で,おもわず嬉しくなって,ひとことふたことお話をしてお別れしました。たった,それだけのことでしたが,スキップしたくなるような気分になりました。世の中,まだまだ,捨てたものではない・・・・としみじみ思いました。

困ってしまうのは国の中枢にいる人びと。つまり,日常の庶民の生活感情から遠いところで生きている人たち。もう,ずいぶんむかしに,「高級官僚は国民を人間とは思っていませんよ」と信頼できる筋の人から聞いて,まさか,と思っていました。が,その実情はもっともっと酷いものであるということが,「3・11」後に,無残にも露呈してしまいました。そして,その無残さはいまもつづいています。政治家も同じでした。財界の人も同じでした。もっとも驚いたのは学界の偉い先生方でした。その最たる人のひとりが「デタラメ」委員長でした。しかも,その委員長さんはいまも健在なのですから。おやおやと思っていたら,それにメディアまで便乗しているのですから。もう,眼もあてられません。毎日,毎日,憂鬱で仕方ありません。

去年の4月だったと記憶していますが,わたしの好きな作家の玄侑宗久さんは,みずからのブログのなかで「春風よ,吹いてくれるな」と書きました。その理由は,玄侑さんの住む三春町の春風は東から吹いてくる,ことしばかりは東から風が吹いてきてほしくない,なぜなら,放射性物質を運んでくるから,という次第です。福島県の三春町は,フクシマ原発のちょうど西側に位置します。まだ,原発事故のゆくえがまったく見えて来ない,その最中のブログでした。ことしもまた同じ心境なのだろうか,と玄侑宗久さんのことを思い浮かべています。

3月に入って,テレビも「3・11」関連の番組を組むようになりました。しかし,なかには他意があるのではないか,と勘繰られても仕方のない番組も混在しています。要注意です。その他意とは,ひたすら「津波」に視点が向けられていて,「原発」から眼を逸らそうとしているかのように見受けられる番組が多い,ということです。

そういえば,孫正義さんはどうしてしまったのでしょうか。あれほど,復興のために具体的な提案をし,それを実行に移そうと力を注ぎ,メディアも大きく取り上げ,多くの人びとの注目を浴びていた人の存在が,いまは陰も形もありません。いいとか,悪いとかは別問題として,この人の存在がメディアから消えてしまったのばどうしてなのでしょう。ここにも,恐るべき「他意」を感じないではいられません。いささか考えすぎでしょうか。

なぜ,このようなことを書くかといえば,「3・11」以後,まともな言説を吐いていた人びとも,つぎつぎに姿を消されてしまっている,と痛感しているからです。「3・11」以前までは,まだまだ言論統制もゆるく,総合雑誌などでも,深い思想に支えられたまともな発言をする人の言説が掲載されていました。が,この一年の間に,じつに多くの,まともな言説を吐く人が消されてしまったように思います。まるで「踏み絵」でも踏まされたかのように。

言論界で,いま,生き生きとしている人たちの顔ぶれをとくとご覧あれ。そして,その文章をとくとご吟味のほどを。ひところ流行った表現に「原発推進でもない,脱原発でもない」があります。つまり,玉虫色の立場をとった人たちです。つねに,風向きを見ながら,みずからの言説をコントロールしている人たちのことです。強い風が吹くとそちらになびき,また,別の方から強い風が吹いてくるとそれにもなびき・・・・という具合です。そしていまもなお「いろいろ熟慮を重ねる必要がある」「ものごとはそんなに単純ではない」と主張してやまない人たち。

その人たちにひとこと言いたい。住み慣れた家・土地を追われて流浪を余儀なくされている人たちのことを,ほんの一瞬でも,あなたがたは考えたことがあるのか,と。わが身の保身しか考えないで言論界を生きのびようとする人びと。そして,その人たちを利用するメディア。もちつもたれつのつるみあい。みんなで「仲良しクラブ」を結成して,みんなで保身。そんな姿がますます露骨になってきて不快です。

せめて,言論界くらいは「まとも」であって欲しい。いま,「まとも」に仕事をしている雑誌は管見ながら数えるほどしかありません。困ったものです。いや,情けない。

言論界にこそ「春風よ,吹け」と声を大にして言いたい。なにゆえに「原発推進」なのか,そして,なにゆえに「脱原発」なのか,もっともっと議論を尽くすべきではないのか。そして,国民的合意をえるところに向けて努力するのが言論界ではないのか。

ああ,いけません。いつのまにか絶叫調になってしまいました。
少し頭を冷やすべく,春風に吹かれながら散策にでかけてきます。

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