2012年3月15日木曜日

東電を支援する銀行の「貸し手」責任も問うべきでは・・・と『東京新聞』「こちら特報部」。

冒頭から引用で恐縮だが,問題の所在をわかりやすくするために。今日(14日)の『東京新聞』「こちら特報部」がつぎのように報じている。

東京電力の総合特別事業計画が今月末までにまとまる。これに先立ち,同社の主な取引金融機関は総額約1兆円の追加支援方針を,原発の再稼働や電気料金値上げを条件に固めた。だが,待ってほしい。東電は実質的に破綻しており,本来,銀行は債権放棄に応じるのが筋のはず。なぜ,国民に不安と値上げが押し付けられねばならないのか。「貸し手責任」の追及は本当にできないのか。(出田阿生,上田千秋)

いつものことながら,「こちら特報部」は記者名を公表しての気合の入った記事を構成している。この冒頭の書き出しをみれば,そのことは如実に伝わってくる。

東電はすでに実質的には破綻しているのだから,金融機関はまずは債権放棄に応ずるべきなのに,なにゆえに約1兆円もの追加支援を東電に対して行わなければならないのか,とこの二人の記者は畳み込んでいる。しかも,東電がこんご賄わなければならない費用(被災者に対する賠償や原発の維持・管理,あるいは廃炉に要する費用など)は未知数(わたしに言わせれば「無限大」)なのに。このような無謀としかいいようのない「金」の貸し方をしていいのか,その場合の金融機関側(大手の銀行など)の「貸し手責任」は問われなくてもいいのか,と。それだけではない。貸し手である金融機関は,その担保として,原発の再稼働と電気料金の値上げを条件にしている,というのだ。なにからなにまで,その負担をわれわれ国民に押しつけて,素知らぬ顔をしている。(この前の金融危機のときも同じだ。いつから,日本は社会主義の国になったのか,と考えさせられたものだ。銀行だけが特別扱いだ。こんどは,東電がその対象となっている。)

そうか,大手の金融機関はそろって「原発再稼働」を前提にして東電に金を融資する「原発推進」派なのだ,ということがようやくわたしのような経済音痴にもわかってきた。いやいや,それどころか,国を挙げて「原発推進」に向かってまっしぐらではないか,と。ということは,待てよ,わたしもいつのまにか「原発推進」派に加勢してしまっている,ということではないか。なぜなら,わたしのわずかばかりの銀行預金のほとんどすべてが「三井住友銀行」に預けてあるのだ。あわてて,この記事を追ってみる。その中ほどには,以下のような一覧表がかかげてある。

東電の主な借入先と借入金残高(2011年3月末)
借入先                金額(億円)
三井住友銀行            9,590 
みずほコーポレート銀行      6,880
三菱東京UFJ銀行         4,540
日本政策投資銀行         3,722
三菱UFJ信託銀行         2,378
中央三井信託銀行         1,033

この一覧表をみて,わたしの眼は点になってしまった。原発再稼働や電気料金値上げを前提にして東電を支援する銀行の筆頭が「三井住友銀行」ではないか。わたしは一貫して「脱原発」を主張してきたし,そのように行動してきたつもりだった。なのに,わたしは預金のほとんどすべてを(その額はともかくとして),東電を支援する銀行に預けて安心立命しようとしているではないか。そのことに,これまでまったく無自覚でいたことが恥ずかしい。なにも気づかなかったとはいえ,その信頼すべき三井住友銀行が率先して東電を支援している,というのだ。

しかも,その東電は原発事故の責任はおろか,むしろ被害者であるとばかりに,その窮状を国に訴え,特別の支援を仰ぎつつ(これはすべてわたしたちの税金だ),のうのうとして生き長らえようとしている。そんな東電を断じて許すことはできない,というのがわたしの立場であった。しかし,そのとんでもない東電を支援して生き長らえさせるために,このわたしもまた貢献しているということになるではないか。

昨年の5月には,城南信用金庫の理事長さんが「脱原発」を宣言し,太陽光発電をはじめとする再生エネルギー推進のための事業主や個人に率先して融資をすると発表し,大いに感動した。だから,早速,口座を開設した。そして,すでに年金生活者であるにもかかわらず,その他のわずかばかりの雑収入を,すべてそこに入るように手続きをした。これでもう,すっかり「脱原発」派になったつもりでいた。

ところが,定年退職するまでの給与をはじめ,現在の年金や,光熱水費などの金銭管理はすべて「三井住友銀行」で行ってきているので,その残金のすべてはそこにある。そして,その金が(微々たるものとはいえ),流れ流れて「東電」の支援のために使われているというわけだ。なんということか。情けない。

わたしもまた,この記事を書いている両記者と同じく,銀行の「貸し手」責任を問うべきだという立場に立つ。にもかかわらず,その責任を問うべき銀行にわたしの預金のほとんどを預けっぱなしにしている。なんという論理矛盾というべきか。

単なる預金者にすぎないとはいえ,まことに妙な気分だ。預金者は株主ではないので,銀行の経営・管理に関する責任・義務はないはずだが,その経営・管理を信頼しているという点で,「道義」的責任は感じてしまう。そんな銀行と知ったら,預金などしたくない。

困ったことになった。これから急いで,三井住友銀行から城南信用金庫に預金を移さなくてはならない。ことはそれだけでは済まない。すでに所有しているカード(V`ISAやJCB,など)の書き換えもしなくてはならない。あちこちの決済(電話や電気・水道・ガス,など)や振り込み指定先にも変更手続きをしなくてはならない・・・。

でも,こんな単純なことにも気づかないまま,能天気なことに「脱原発」なんて偉そうなことを言ってきた自分が恥ずかしい。これでは,「原発安全神話」に乗せられてきた,これまでの自分とまったく同じではないか。偉いこっちゃ・・・・。

だが,ちょっと待てよ,と考える。その前に,やはり,東電を潰すべきではないか,つまり,会社更生法の適用を考えるべきではないか,と。そして,銀行を東電の呪縛から解き放つことが先決ではないか,と。

ありがたいことに,「こちら特報部」の左側のページにその答えが書いてあった。
このブログは,ひとまずここで切って,改めてこのつづきを書くことにしよう。

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