2012年3月31日土曜日

「上体ではなく,腰を回転させなさい」(李自力老師語録・その9.)

片足立ちの姿勢からもう一方の足を斜め前に送り出し,ゴンブ(弓歩)の姿勢に入っていくときは(イエマフントゥン,ロウシアウフ,など),上体を回転させるのではなくて,腰を回転させなさい,と李自力老師は仰る。これが,じつは,意外にむつかしい。手足の動きに合わせて上体を動かすことは,日常的な動作にも多くあることなので,比較的やりやすい。だから,ついつい,手足の動きと一緒に上体を回転させてしまい,最後に腰を回転させる,という順序になってしまう。しかし,太極拳の場合には逆で,腰を回転させれば,その上に乗っている上体は自然に回転する。これが武術としてはもっとも合理的な動作なのだ,と仰る。

ことばで説明すれば,たったこれだけのこと。だが,この動作を言われたとおりにできるようになるには,相当の稽古を積まなくてはならない。じつは,単純な動作ほどむつかしい。しかも,ゆっくりと,滑らかに,流れるように表演するのは,もっともむつかしい。これができるようになるには,まず第一に,脚に充分なエネルギーを溜め込むことのできる筋力が必要だ。しかも,その筋力を全開で使うのではなくて,必要最小限の筋肉だけを働かせて,必要のない筋肉は弛緩させておくことが肝腎だ。つまり,緊張させつつ弛緩させる,そういう脚筋力をわがものとすることが先決だ。

このことは最近になって,ようやく,わたしなりに理解できるようになってきたことだ。しかし,最初のころは,なにが,どのようになって,李老師のような「ゆったりと」,そして「滑らかに」,しかもたえず止まることなく「流れるように」足を運び,手足が動くのかわからなかった。それを知りたかったので,わたしはしつこく何回も食い下がる。そのつど,李老師はにこやかに応答してくださる。たとえば,以下のように。

片足に加重するときは,加重とともに大地から足裏をとおして気エネルギーを吸い上げなさい。吸い上げた気エネルギーは股関節・骨盤をとおしてもう一方の足に送りなさい。そして,その足に加重しながら気エネルギーを大地に送り返しなさい(ゴンブ)。そして,つぎの動作に移って体重を移動させ,片方の足に全体重をかける動作に入るときには,大地から気エネルギーを吸い上げ,股関節・骨盤をとおして斜め前に送り出す足に気エネルギーを送りなさい。これを,こまかな動作のときにも,交互に行えばいいのです。

まるで禅問答みたいなものである。じっさいに動いてみると,このときはこう,そして,こんどはこう,と理屈ではわかるようになる。しかし,大地から上がってくる気エネルギーとはどういうものなのか,まったくチンプンカンプンでわからない。しかし,李老師のからだをつぶさに観察していると,手の指先が微妙に震えている。気エネルギーがからだを流れるようになると,自然に指先から流れ出るようになる,と李老師は仰る。しかも,快感だ,とも。

さあ,困った。ますますなんのことかわからなくなる。で,どうすればいいのですか,と李老師に尋ねる。できるだけなにも考えないで,無心になり,集中力を高めながら稽古を積んでいけば,いつか,そういう状態がやってくる,とのこと。そして,からだ全身に快感が広がるようになります,と。またまた,困ってしまう。

しかし,最近になって,わたしの頭の中で理解できるようになってきたことは,以下のとおり。
まずは,股関節を緩めることができるようになること,そして,腰の回転で上体を動かすことができるようになること,そのための脚筋力をしっかりつけること,そうすれば上半身の力を抜くことができるようになり,肩や手の力も抜けるようになること,そうなったときには大地から吸い上げた気エネルギーがからだ全身に広がるようになり,やがて,その一部は手の平にも達し,さらに指先から抜けていくようになる(のだろう)ということ。

そうなるためには,無心になり,集中力を高めながら黙々と稽古を積み,太極拳する身体をわがものとすることが肝腎だ,と李老師は仰る。ごもっとも,と理解する。しかし,それを実行できるかどうかが最大の問題だ。つまり,日々の積み重ねができるかどうか,その一点にかかっている。稽古に取り組む意識のレベルの問題だ。これは坐禅と同じだ,とわたしは考える。

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