2012年3月26日月曜日

74回目の誕生日。えっ,だれのこと?大きなシンビジウムがとどきました。

今朝の午前9時すぎに「ピンポーン」とインターフォンが鳴る。朝早くからだれだろうと思って,スイッチを入れる。「宅急便です」と元気のいい声。しばらくして玄関に現れた荷物は,わたしの背丈ほどもある細長いボックス。

「?ッ」と思いつつ,受け取る。ご依頼主の名前をみて,ああ,と納得。毎年,わたしの誕生日に鉢植えの花を送ってくれる人。かれがフランスの研究所の共同研究員として渡ってから,毎年,誕生日には花がとどく。そのかれも,いまは,日本に帰ってさる大学に勤務している。もう,ずいぶん長い間,直接,顔を合わせることはないが,誕生日には花がとどく。

わたしは,そのたびに,「ああ,今日は誕生日なのだ」と教えてもらう。花がとどくまで,自分の誕生日などすっかり忘れて生きている。この歳になって,こんなに忙しい毎日を送るとは夢にも思っていなかった。が,その忙しさがまことに楽しいのだから仕方がない。当分,この忙しさのなかに身を委ねておきたいと願う。

大きな梱包を開いて,中からでてきた「カード」をみて,もう一度,びっくり。「74歳の誕生日,おめでとうございます」とある。えっ,だれのこと?と考えてしまう。「そうか,おれもとうとう74歳になってしまったか」と無理やり納得させる。それほどに自分の年齢のことは忘れて日々を送っている。毎週水曜日に顔を合わせる太極拳の兄妹弟子のNさんもKさんも二人とも「寅年」。わたしも「寅年」。でも一回り違う。からだはまぎれもなくこのお二人よりは衰えているものの,気持(気分)の上では対等だと思い込んでいる。だから,74歳,と知って,「まさか?」と思ってしまう。

人間のからだは間違いなく加齢とともに衰えていく。しかし,気持はまったく関係がない。いつもお付き合いしていただいているひとまわり下の寅年さんと,気持は同じだと思い込んでいる。もし,あったとしても,少なくとも,2~3歳の違いくらいにしか思ってはいない。ましてや,太極拳の稽古に熱中しているときは,まったく年齢差なんて考えてもいない。

しかし,この花を送り届けてくれるY君には感謝。
人間はいつでも逆境に立たされることはある。その逆境に立たされたときに,どんなことばを掛けられるかは,その本人にとっては命綱のようにも感じられる。わたしも,若いころに,就職ができなくて,ずいぶん長い間,苦しんだ経験がある。生まれて初めて定職に就いたのは36歳のとき。3回目の寅年のとき。48歳の寅年のときウィーン大学に在外研究員。60歳で大学院教授。72歳で神戸市外国語大学客員教授。つぎの寅年の84歳のときには・・・・,などと夢見ている。

しかし,こうしてブログを書きながら,北海道にいるY君に思いを馳せる。もう,いいおやじになっているのだろうなぁ,と。最後に逢ったときは,かれがフランスに旅立つ壮行会のとき。わたしが声をかけて,わずかに4人だけの壮行会だった。小さな居酒屋で。でも,人のこころの絆は,それで充分。瞬間につながるものはつながる。長い時間があっても,つながらないものはつながらない。それは,啓示のようなものだ。その瞬間がくるか,こないか,ただ,それだけ。人生なんて,そんなもの。

でも,この歳になって誕生日に花がとどく,このわたしはなんと幸せな男であることか。これから,大きなシンビジウムの鉢植えの花を眺めるたびにY君のことを思い出すことだろう。ありがとう,Y君。君の人生はこれからだ。じっと耐えること,その間に,だれもやらないことをやって力を蓄積すること。それに耐えられるかどうか,それが人生を大きく分けていくことになる。いまは,自信をもってそう言える。Y君,いまが,勝負のときなのだ。じっと耐えて力を蓄積すること。

いまもわたしは,研究所の紀要をリニューアルして,新しい紀要『スポートロジー』を創刊するための最終的な編集作業に終れている。それに熱中していて,自分の誕生日を忘れていた。だから,シンビジウムがとどいたこと以外には,なんの変化もない日常そのものだ。でも,Y君のお蔭で,ひとりこころの中で誕生日を祝っている。ありがとう,Y君。

つぎの寅年,84歳までは現役でいたい,とこころに誓っている。
そのときには,現役引退の,精一杯のパーティを持ちたいと思っている。そして,そのとき残っている持ち金を全部はたいて,すべてのお客さんをご招待したい,と夢見ている。みんな仲良しで生きていかれるように。そんなことができたらいいなぁ,としみじみ思う。そのためには,まずは元気でいること。好きなことをやって,嫌なことはしない。これからは思いっきりわがままを押し通して。からだの声にだけは素直に耳を傾けて。

74歳の誕生日もあと数時間。ひとり静かに『般若心経』でも唱えながら,過ぎこし方をふり返り,行く末を思い浮かべつつ,ぼんやりと過ごすことにしよう。こんな時間もときにはあってもいいのではないか,と自分に言い聞かせつつ。

でも,じつは,いま,わたしの頭の中はバタイユのことでいっぱい。しかも,これまでに感じたことのない愉悦に浸っている。バタイユの深い思考の,ある部分に,ほんのちょっとだけ触れたように思うから。74歳にしてバタイユと向き合って,生きている。また,愉しからずや。

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