2012年3月29日木曜日

『スポートロジイ』(21世紀スポーツ文化研究所紀要)創刊号発行の目処がつく。

「3・11」を通過して,「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究活動も大きな影響を受けざるを得なかった。それにつけても,「原発安全神話」を見破ることもできないで,のうのうと生きてきたわが身が恥ずかしい。しかし,起きてしまったものは仕方がない。問題は,二度と同じ失敗をくり返さない,という覚悟を決めて,つぎなる道を模索することだ。そんなことをこの一年間,考えつづけてきた。そして,スポーツ史・スポーツ文化論を研究テーマに掲げる「ISC・21」としては,いかなる対処の仕方をすればいいのか,考えつづけた。

その結論のひとつが,「3・11」を後近代のはじまりと定置し,「3・11」以前までの近代論理に対して敢然と決別することだった。そこまでは,それほど思い悩むことはなかった。なぜなら,以前から近代論理とどこかで決別して,あらたに後近代の論理を立ち上げるべし,というのはわたしの大きな研究仮説として温めつづけてきたテーマでもあったからだ。が,いよいよ「3・11」がその世界史的なできごととしてその全貌が明らかになるにつれ,このタイミングを逃してほかにはない,と自覚されるようになったとき,では,いかにして,なにを,どのようにして後近代の論理を立ち上げればいいのか,具体的な方法となるとハタと困った。

しかし,これは偶然だったというべきか,あるいは,これこそが必然だったというべきか,そのいずれでもあるとも思われるのだが,ここ数年間,ますます深くジョルジュ・バタイユの世界にはまり込んでいた。そして,最近では,バタイユの『宗教の理論』こそ,スポーツ史・スポーツ文化論を考える上で,近代論理を超克し,後近代の論理の土台を構築するために不可欠の文献である,と確信するにいたっていた。だから,これをテクストにして神戸市外国語大学での集中講義(授業科目は「スポーツ文化論」)を展開するという,ある意味では無謀とも思われる授業に取り組んできた。

これが幸いした,といまでは信じている。
なぜなら,この授業内容を「研究ノート」として,「ISC・21」の紀要に掲載すべく原稿の整理をしていて,今日,ようやくそのおおよそのところの作業を終えることができたからだ。その研究ノートのタイトルは「『スポーツ学』(Sportology)事始め──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解・私論」というものだ。その内容は,神戸市外国語大学の集中講義が近づくとそのつど,このブログで『宗教の理論』読解として連載してきたものである。もちろん,初出のものに必要なかぎり修正・加筆をして,最低限,活字にして保存するに値するよう努力をした。この作業が,じつは思いのほか手間取り,長いながいトンネルの中を走りつづけていた。

それが,昨日(28日),ようやくトンネルの出口の明かりがみえてきて,よし,これで行けるというところまできていたのだ。あとは,紀要としての体裁を整えるためのこまかな作業が残るのみとなった。だから,朝から気分爽快。おまけに,快晴。日差しは暖かいし,真っ青な空がいつもよりももっともっと美しくみえる。鷺沼駅に到着したら,もっと空気が澄んでいて,なんともすがすがしい気分。そこに出くわしたのが,植木屋さんの花々たち。

すべての条件が整ったところでの,花々たちとの出会い。まだ,仕事の目処が立っていなかったら,たぶん,「見れども見えず」の沈んだ気持ちのまま通りすぎたことだろう。

というわけで,いよいよ『スポートロジイ』創刊号の刊行が視野のうちに入ってきました,というご報告まで。いずれ,コマーシャルを兼ねて,このブログにも内容について書く予定。

「春は名のみの,風の寒さよ」などという歌が口をついてでてくる。
長いトンネルを抜けると,そこは「春の国」だった・・・・。

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