2012年4月3日火曜日

「一枚マンガの原発と新エネルギー展」のご紹介。

4月2日の『東京新聞』朝刊に「一枚マンガの原発と新エネルギー展」の紹介記事が掲載されていました。他紙を購読の方たちは,すでに,ご存知かも知れませんが,とても興味深い展覧会だと思いましたので,取り上げてみました。

記事の冒頭には,つぎのように書かれています。
「新聞などメディアの第一線で活躍する漫画家やイラストレーター34人が描き下ろした作品68点を紹介する『一枚マンガの原発と新エネルギー展』を,28日から日本新聞博物館(横浜市)で開きます。『原発』と『新エネルギー』をテーマに,作家のメッセージが詰まった作品が一堂に会します。」

とあって,秋竜山,所ゆきよし,千葉堅太郎の3人の作品の紹介と,作家の談話が掲載されています。これがなかなか面白いので,すっかり引き込まれてしまいました。所ゆきよしさんの「神のあやまち」などは,笑うどころか,深刻に考え込んでしまいました。なぜなら,自作の作品について「とんでもないものをつくってしまった。原発。やめても危険はずーっと残る。人間の罪は重いなあ・・・・。神は人間をつくったこと,後悔してるだろう」とコメントしているからです。

このコメントの意味はとても深い,とわたしは考え込んでしまいました。細かなことは省略するとして,神様が人間をつくってしまったがゆえに,原発なるものを人間がつくってしまった,というこの論法はみごとだとわたしは受け止めました。人間が存在しなければ,原発などはつくられるはずもなかったわけですから・・・・。他の動物たちにとっては,とんでもない迷惑な話です。それこそ,人間さえいなければ・・・・のどかなユートピアが永遠につづくのに・・・・,と。

バタイユに言わせれば,人間は動物性の世界から抜け出して,人間性の世界をつくりあげることによって,大きな利益をわがものとしたと同時に,大きな負債を背負い込むことになった,ということになります。つまり,あるとき,「考えるヒト」が,なにかの拍子に現れた。まるで突然変異のようにして。これが「人間」のはじまり。つまり,「理性」の誕生。こうして,つぎつぎに「考えるヒト」が人間として自律していくことになります。かくして,こんにちまで,人間は自然をいかに支配して,自分たちに都合のいい世界を構築するか,ということに力を注いてきました。この考え方が,西洋近代の合理主義と西洋キリスト教的世界観となって指導権を握ることになります。(東洋的世界観のことは,ひとまず,ここでは措くとして)。

その,今日的到達点のひとつが「原発」でした。人間は,自然をとことん支配し,ついには自然界には存在しない「核」エネルギーを最先端の科学技術を用いて開発し,それを武器(原爆)としてと同時に,発電に利用しようと考えました。原爆は爆発してしまえば,あとはどうなろうとそれで終わりです。しかし,原発で使用される核(燃料棒)は,使用後の後始末の方法も見つからないまま,前倒しをして原発稼働に踏み切ってしまいました。その結果,わたしたちは東日本大震災による福島第一原発の事故に遭遇することになりました。そして,悲しいことに,これが原発事故後のこんにちを生きることになってしまったわたしたちの悲惨な姿というわけです。

このあたりのことを視野に入れて,所ゆきよしは「神のあやまち」という一枚マンガを提出した,というわけです。34人の作家が,ひとり2枚ずつ,思いを籠めたこのような一枚マンガを68点も制作し,展示するというのです。はたして,どのような作品が展示されているのでしょうか。興味津々です。そうと知ったら,できるだけ早い時期に,出かけてみたいと思っています。


この展覧会は7月1日まで。日本新聞博物館は横浜にあります。問い合わせは,同博物館:045-661-2040(午前10時~午後5時)です。

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