2012年4月18日水曜日

21世紀スポーツ文化研究所の紀要『スポートロジイ』創刊号の初校ゲラがとどく。

「スポーツ科学」が近代の論理に立つ学問であったとすれば,「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)は「3・11」後の時代,すなわち「後近代」を切り拓く論理に立つ,新たなスポーツにかかわる学,とわたしは位置づける。その新たな「学」を具体的に推し進めていくための議論の場として,研究紀要『スポートロジイ』を創刊することにした。

この一年間,考えに考えての,わたしなりの決断である。スポーツをめぐる研究情況が,「スポーツ科学」にあまりに偏向しているという現状打破のための一石のつもりである。

定年退職後に立ち上げた「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)も,早いもので,すでに4年を経過した。その間,かねてから発行していた研究紀要『IPHIGENEIA』をリニューアルして,<ISC・21>版として2号まで刊行したが,昨年はどうにも元気がでなくて頓挫してしまった。そして,その間,「3・11」とはなにであったのか,を考えつづけた。

そうして,ようやくたどりついた新構想による研究紀要『スポートロジイ』創刊号の発行である。その初校ゲラが今日(17日)とどいた。出版社も,新たに,辣腕の編集者伊藤雅昭さんが立ち上げた「みやび出版」にお願いすることにしたものである。その伊藤さんの素読みの手の入った初校ゲラがとどき,感慨無量である。こんごの手順・段取りなどについて,伊藤さんとこまかな打ち合わせを済ませた。あとは,その手順どおりに,わたしが頑張れば,5月の下旬には刊行が可能であるという。

わたしにとっての,新たな門出である。
「3・11」以前の,わたし自身をふくめてありとあらゆるものを批判的に超克すること,その上で,新たな学としての「スポートロジイ」を立ち上げること,そのための門出である。

内容は,以下のとおり。
〇スポーツにとって「理性」とは何か。合評会・テクスト:西谷修著『理性の探究』(岩波書店)。司会:稲垣正浩,応答者:西谷修,コメンテーター:松浪稔,三井悦子,松本芳明。
〇鼎談・現代の能面──創作面が繰り広げる柏木裕美の世界,西谷修,今福龍太,稲垣正浩。
〇原著論文・日本人は「ナンパ」で歩いたのか? 松浪稔。
〇研究ノート・「スポーツ学」(Sportology)構築のための思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)のスポーツ学的読解・私論,稲垣正浩。
〇研究情報・「神戸市外国語大学・バスク大学 第2回国際セミナー」の開催について,竹谷和之。
以上。
これに「創刊のことば」と「編集後記」を加えたものが最終案。

「スポートロジイ」を具体的にどのように構築していくかは,まだまだ,これからの課題であるが,とりあえずそのための第一歩を踏み出すことに意義があると考えたい。内容は相当にハードなものになっているので,読みごたえは十分だと思う。

今回からは,書店にも並ぶよう,いろいろと手順や段取りを伊藤さんが考えてくださっている。研究紀要を,積極的に市販するというのも,新しい試みのひとつ。そのための広告を打ったり,ちらしを作成したり,挨拶文を書いたり,といった営業にも力を入れる。

わたしとしては,一世一代の勝負にでたつもりである。
そして,この創刊号が刊行されたら,すぐに第2号に向けての編集作業と執筆にとりかかるつもり。問題は,どれだけ多くの執筆陣を確保することができるか,にある。それによって読者も決まる。まあ,いまからとらぬ狸の皮算用をしても仕方がないが,なんとか,この新しい研究紀要が江湖に迎えられ,刊行が継続できる程度にははけていくことを期待したい。

これから,いろいろの方がたにご協力を仰ぐことになる。
このブログを読んで,協力(購読)してやろうという人がひとりでも増えてくれることを祈るのみである。
なんだか,嵐の前の静けさのような気配を感ずるのだが・・・・。
このときめき感がいい。生きる力が湧いてくる。
「3・11」から這い上がるためにも。

とりあえず,前宣伝まで。

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